第4話 お願い

「あ、そうだ。精霊って自然を操ってるんだよね? 私本で読んだことがあるよ。凄いよね」


 サフィアは、リーズの態度など全く気付いていないのだろうか。

 屈託のない笑顔で彼に話しかける。


 目の前の未知の存在がよっぽど気になるせいかは知らないが、彼女の朗らかな態度は、重い境遇なぞ微塵も感じさせるものではなかった。


「でも俺はまだ修行中で……。実は、ある精霊を捜しに来ただけなんだ」

「ある精霊?」


 眉をひそめて問うアメジアに、リーズは頷きながら答える。


「あぁ。俺の姉なんだけど。……一応質問しておくけど、俺以外の精霊が現れたという話は、聞いたことないよな?」


「ごめんなさい。そういう話は聞いたことがないわ」

「あーいや、別に謝らなくても。知らなくて当然だし」


 リーズはぱたぱたと手を振りながら、申し訳なさそうに謝るアメジアに言った。

 万が一の時のことを考えて聞いてみただけで、良い返事など最初から期待していない。


(……ん? 待てよ。この機会に人間界の地名について、この人間達に聞いておけばいいんじゃねーか?)


 精霊の仕事は地域ごとで担当が決まっている。

 しかしその担当の地域は、選ばれた精霊のみが人間界に行く直前で知らされるのだ。


 選ばれた精霊ではないリーズが、人間界の地名を詳しく知っているはずもなかった。


 だが姉が選ばれた精霊になり、何度か連絡をしてきたことがある。

 その時に担当になった地域のことを言っていたのを、リーズは思い出したのだ。


 リーズは記憶の海の中から、懸命にその地名を手繰り寄せる。


「えっとさ、もう一つ聞きたいんだけど。エレ……オニア? って、そんな感じの地名があったりする? もしあったら、どの辺りか教えてほしいんだ」


「エレオニア地方はあるも何も、この辺り一帯のことだけど……。もう少し詳しく言うと、隣街を超えた西の山脈と、北の大砂漠も含むわね。あと、東の海もマルナという島まではエレオニア地方よ」


「本当か!?」


 アメジアの説明を聞いたリーズは思わず大きな声を上げ、腰を浮かせてテーブルに両手を付いた。


「え、ええ……」


 リーズの反応に驚いたアメジアは、ただ目を丸くして小さく頷いた。

 その隣で、サフィアも空色の瞳をぱちぱちとさせている。

 どうやらかなりびっくりしたようだ。


「よっし、いきなり目的地とは俺って何て強運! そういうわけで、俺そろそろ行くわ。お茶ごちそーさんでした!」


 ビシッと敬礼したあと、リーズは部屋の外へ出ようと向きを変える。

 だがそのリーズの服の裾を、サフィアがそっと握り締めた。


「ん?」

「あ、あの……。また、会える?」


 上目遣いで控え目に聞いてくるサフィアに、しかしリーズは頭を横に振る。


「さっきも言ったけれど、精霊は人間に姿を見せてはいけないんだ。だからもう……」


 そう言われたサフィアはしゅんと項垂うなだれていたが、やがて顔を上げると笑顔を作った。


 誰が見ても明らかな、『無理した』笑顔。

 しかしリーズはサフィアのその心遣いをただ静かに受け止め、言葉を発することはしなかった。


「お姉さん、見つかるといいね」

「……ありがとな」


 サフィアの気遣いに礼を言うと、リーズは部屋を後にした。

 そしてアメジアに案内され、一階へと下りて行く。


 今まで嗅いだことのない、すっぱいと甘いが同居したような匂いが、リーズの鼻を刺激する。

 階段を下りきったリーズは、目に飛び込んできた光景に軽く息を呑んだ。


 まだ昼間なのに、仄かに薄暗い室内。

 その壁一面に設置された本棚には、ファイルがぎっしりと詰められていた。


 本棚の前には小さなカウンター。

 そして肩ほどの高さの細い棚が背中合わせに四つ、等間隔で部屋の真ん中に並べられている。

 棚の中にはラベルが貼り付けられた小瓶が、所狭しと並んでいた。


「薬屋なの」


 アメジアは軽く笑いながら、リーズに振り返った。


「今から私が言うことはただの独り言だから」

「へ?」


「独り言だから、ただ聞き流してね」

「……?」


 突然不可解なことを言い始めたアメジアに困惑するリーズ。


 アメジアは彼を置き去りにして、カウンターに散らばっていた書類を本棚のファイルに収納しながら続けた。


「サフィアが外に出ることができないのは、病気のせいじゃないの」

「えっ……」


 そこでアメジアの手が止まる。


 何かを躊躇ためらうように視線を斜めに落とした彼女は、小さな溜息を吐いた後ポツリ、と続けた。


「……あの子は、人間じゃない」

「――――っ!?」


 リーズの双眸が驚愕で見開かれる。


 姿は勿論、気配まで、リーズが感じる限りサフィアは人間だった。


 人間以外の存在だと、疑う余地もないほどに。

 その彼女が人間ではないとはどういう意味だろうか。 


「何を――」

「これは独り言よ」


 掠れた声を出すリーズの言葉を、すかさずアメジアが遮る。

 再び本棚に手を伸ばしながら言うアメジアの横顔が、口を挟むなと雄弁に語っていた。


「だけど、あの子はそのことを知らない。

 ううん、知るべきじゃない。

 あの子だけじゃない、この世の全ての人間は知らないでいい。

 だからあの子には悪いとわかっていても、外に出すことができない。

 あの子は文句も言わず、私の言うことを信じて、ここから出ることはしない。

 寂しい思いをさせているというのは、私もよくわかっている……」


 僅かにアメジアの声は震えていた。

 常時では聞き逃してしまってもおかしくないほどの、小さな小さな震え。


 しかし全神経をアメジアに集中していたリーズは、彼女が必死で涙をこらえているのを、容易に察することができてしまった。


「だから……。良かったらですけど、あの子の話し相手になってください……。

 こちらのワガママなのは十分承知しています。それでも、これは人間じゃない精霊さんにしか、あなたにしかお願いできないの」


「…………」


 リーズは黙ったまま『人間に姿を見せない』ために姿を消した。

 そして彼女の『独り言』に返事をする。


「――考えとく」


小さく呟いたその時、チリンッという控えめな鈴の音と共に、入り口のドアが開いた。


「あ、いらっしゃいませ」


 アメジアは瞬時に営業スマイルを作ると、入り口に向かって声を掛ける。

 外から入って来たのは、頭の毛がきれいになくなった老人だった。


「アメジアさん、家内が風邪をひいてしまいましてのぅ――」


 リーズはアメジアに薬の催促をする老人の横を静かに通り抜け、薄暗い薬屋を後にした。

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