第3話「魔導士は戸惑う」

 



「それにしてもよく食べるな」



 目の前のテーブルに所狭しと並べられた皿が次々と空になっていく。


 何故、と疑問に思いつつ、デュオはシズルの細い肢体からだを眺めていた。

 本人シズルが知ったら確実に拳の洗礼を受けた上で、『エロ魔導士』に退化するのだが、デュオがそんなセクハラ紛いのことを考えていることなど、食事に夢中のシズルは気がつかない。



「ほっといてください。『何でも好きなだけ』って言ったじゃないですか。あっ、もしかしてお金がないのに見栄をはってたんですか?」



「そんなわけあるか。俺は城付きの高位魔導士だぞ?」



「・・・お城の魔導士はそんなに儲かるんですか?」



 ぴたりと食事の手を休めてシズルが遠慮がちにデュオに尋ねた。

 なんだか妙なところに食いついたことを訝しんだデュオはシズルに訪ねた。



「まあな。なんだ城で働きたいのか?」



「別にそういうわけじゃないんですけど、ミゼンさんが」



「ミゼンがどうした」



「それがですね、」



『ミゼン』の名前が出てきたことに、嫌な予感がしてきたデュオが詳しく話を聞こうとしたところ、突如テーブルの上に手のひらほどの大きさの半透明の人物が姿を現した。

 魔力の強いものや、魔導士同士が使う魔導通信エピキノニアだ。



「シズル今いいかね?」



「いいかね、もなにも、もう目の前に現れてますが。ミゼンさん、前から思ってましたけど、この魔導通信はすこぶる便利なです」



「やっぱり面白いことをいう娘だね。何故だね?」



「相手の都合無視で、いつでもどこでもどこにでも現れるからです。この間は私が就寝中にいきなり部屋に現れましたよね? もう何人に言ったか忘れましたが、私、これでも女性なんですけど」



 魔導士ミゼン。

ミゼン』をその名に持つこの男は、文字通り数字の最初で魔導士の頂点だ。国王に仕えてはいるが、本当は世界そのものに仕えている少し、いやかなり特殊な出自を持つ魔導士だ。


 先の『聖女召喚事件』でシズルと直接会い言葉を交わし、デュオ同様、ミゼンもシズルのことを面白いと気に入っていた様子だったが、まさか私信プライベートで使用する場合がほとんどの、魔導通信を送るほどとは夢にも思っていなかったデュオは驚いた。



 しかもシズルの寝室に?



「ミゼン?! お前、何やってんだ!」



「おや、そこにいるのかデュオ。お前こそそこで何をしている」



「飯食ってる」



「デュオは見かけによらず殊勝な人で、以前の罪を悔いてわざわざ辺境まで来て、私を接待してるんですよ」



 感心しました、と本心かどうかはわからないが、シズルはしみじみとミゼンに説明している。



「そうなのか?」



 ミゼンの声があきらかに面白がっている。


 違う。とデュオは訂正したかったが、現状のシズルにいきなり想いを告げたところで、顰めっ面を返される場面しか想像できなかった。



「そんなことはどうでもいい! ミゼンお前、シズルに一体何の用だ」



「いや、私のいおりに来てもらい、是非とももう一度話がしたいと思っているのだが、なかなか良い返事がもらえなくてね。こうやって暇を見つけては誘っているのだよ」



「私がわざわざそちらに出向かなくても、話だけならこうしてできるじゃないですか。それに弟子になれとか、私、別に魔導士とか目指してないんですけど」



「城付きの魔導士になれば、潤沢な資金が与えられ、それこそ生涯魔道の研究ができるのだよ?」



「だからですね」



「研究というのはあくまでも建前で、与えられた資金の使特に



「・・・」



 シズルが黙り込んだ。



 ミゼンはこんなやつだったか? と彼とは城の高位魔導士になる前からの、古い付き合いであるデュオは首を傾げたくなった。


 魔導士の頂点で国王付きの『魔導士ミゼン』が自ら弟子にと勧誘するなど、世界中の魔導士が、羨ましさのあまり憤死してしまうかもしれない。

 それはまあいいとしても、物静かで高潔な、賢者と呼び声の高いはずの最高位魔導士が、俗物な平民シズルを金で釣っている。


 シズルは暫く考えていたが、最終的にミゼンの魅力的な勧誘を断った。



「大変魅力的ですけど、分不相応な大金は身の破滅を招くので、やっぱり弟子になるのは遠慮します」



「そうか、残念だが致し方あるまい。だがもし気が変わったら、いつでも私の庵に来なさい」



 そう言い残してミゼンの魔導通信は終了した。



 かなりの熱心さで誘っているが、ミゼンのことだから、シズルの異能に興味があるんだろう、それ以外ない。そうに違いない。


 いろんな意味でミゼンにだけは敵わないデュオは、自分にそう言い聞かせた。








「よお、シズルじゃねぇか」



 禿頭で強面こわもての顔が傷だらけの、『いかにも』な大男が、シズルに声をかけてふたりの話に割り込んできた。



 今度は誰だ。

 デュオは溜息をついた。



 どこからどう見てもカタギに見えない、この人相の悪い禿頭の大男もどうやらシズルの知り合いらしい。

 次から次へと現れる男の影にデュオは段々と不機嫌になっていき、禿頭の大男に向け冷たい声で言い放った。



「こいつは今、俺と食事中だ。失せろ」



 王妃を実姉に持つ辺境伯にその側近の貴族。この世界の最高位魔導士に裏社会の首魁ドンのような男。

 どうしてこうも普通じゃないものに好かれるのかと、デュオは頭の痛くなる思いだったが、充分自分のことはすっかり棚に上げていた。



「ああ? なんだよてめぇ。関係ねぇ奴はすっこんでな」



 禿頭の大男は片方の眉を上げて一歩踏み出したが、



「今食事中です。邪魔しないでください、さん」



 シズルがそう言って、緋い目でぎろりとひと睨みすると、つい最近、シズルの肉体言語の洗礼にあったばかりの大男ギネカは、びくりとその場で立ち止まった。


 ギネカは舌打ちしたあと苦笑して、デュオを無視してシズルに話しかけた。



「相変わらずつれねぇな。やっぱり気はかわらねぇか」



「当たり前です。今だってむさ苦しい野郎ばかりの中で働いてるのに、その環境が今より更に悪化するなんて問題外です。とっととお引き取りください」



 シズルはにべもなく平然とギネカに言った。



「何もむさ苦しかねぇだろ、俺んとこの娼館で働かねぇかっていってるだけなんだからよ」



「娼館?」



 デュオはギネカの発した言葉に過剰なほどに反応した。



「おいシズル! 娼館てなんだ?! どういうことだ!」



「私が働くわけじゃないですよ。そこのおねえさまがたとちょっと知り合いになって、用心棒になってくれないかと勧誘を受けてるんです。この人はそこの経営者です」



「なんだ、俺はまたてっきり」



 よく考えてみれば、シズルのような貧相で色気のない女に娼館勤めは無理だ。第一、客がつかないのでは意味がない。


 さすがにシズルを相手にするような物好きはいないだろう、と心配する必要が全くないことに気がついて、デュオは心の底からほっとしたが、そんな彼をシズルは白けた顔で見ていた。



「・・・デュオさんや、心の声がだだ漏れですよ。まあ身の程はわきまえてますから別にいいですけど」



「なんでぇシズル、俺はお前が相手でもぜんぜん構わないぜ」



 本気か冗談か、シズルとデュオのやり取りを見ていたギネカが笑い出した。そしてそのまま笑いながらシズルに手伸ばそうとした。



「スプラギステ・タ・ヒエリア・イシヒィラ」



 デュオからひやりとした空気が漂ったかと思った途端、ギネカの腕がシズルに触れる直前に、伸ばしたそのままの形でぎしりと固まった。腕全体を万力で締め付けられたような痛みと、意思に反して動かせない不快感にギネカが顔を歪めている。



「シズルに触んじゃねぇ・・・そのまま燃やすぞ」



 ギネカを睨みつけて低い声で威嚇しているデュオに、いきなりシズルの怒声が飛んだ。



「ちょっとデュオ! 領民になにしてくれてんの! 今すぐ術を解かないとぶん殴りますよ?!」



 何故いつもこうなるのか。


 シズルはいつもデュオ以外のものを庇うのだった。

 デュオは頭を掻き毟りたくなったと同時に、言いようのない腹立たしさで思わず口走った。



「俺には触らせもしねぇくせにこの男はいいのかよ」



 デュオの言い分を聞いたシズルは、心底呆れたようにあんぐり口を開けた。



「何言ってんです? 触らせるもなにも、私とデュオはじゃないですか」



「他人てなんだよ。抱き合った仲じゃないか、



 デュオは言ってはならないことを口走った。



 テーブル越しに素早く伸びてきたシズルの白い腕に、三度みたび胸ぐらを掴まれたデュオは、皿やカップを巻き込みながら派手な音を立ててテラスの床に沈むことになった。








 破壊されたテラスでシズルは店主に平謝りしながら、やはり魔導士というやつは碌なものではないとの認識を新たにしていた。




 へこへこ頭を下げているシズルを少し離れたところで眺めながら、ギネカがデュオに話しかけてきた。



「にいちゃん、あんたシズルに惚れてんのか?」



「・・・悪いかよ」



「悪かぁねぇが、ありゃあ普通の男にゃどうにもならねぇぜ」



「あんたに心配してもらわねぇでも、俺はんでな」



「えらい自信があんだな。にいちゃん、この辺じゃ見ねえ面だな。行くとこあんのか?」



「にいちゃんじゃねぇ、だ」



「デュオ、あんた魔導士だろ? 行くとこねぇなら俺んとこで働かねぇか、シズルの代わりに」



 働かなくても困らないほど金は有り余っているが、以前のように伯爵邸に居座るわけにもいかないデュオは暫く考えた後、ギネカに了承の旨の返答をしようとした。が、



「うううう。また弁償金でお金が飛んでいく。それよりまたジークハルト様の鷲掴みアイアンクローの刑がぁ・・・」



 その名前を聞いてデュオがぴくりと反応した。

 アクの強い連中ミゼンとギネカに振り回されて忘れていたが、現在進行形でシズルのすぐそばには、ジークハルトとシルベスタという、騎士然とした貴族の男がふたりもいるのだったと思い出した。



辺境伯ジークハルトに壊したのがばれなきゃいいんだろ? 元通りになりゃあいいんだな?」



「・・・証拠隠滅できるんですか?」



 よこしまで俗物なシズルが、雇い主ジークハルトからの体罰回避の期待と不安を込めて、デュオに尋ねた。



「ミゼンほど完璧にはいかないが」



 そう言ってデュオは詠唱を始めた。



「エパナフォラ・エンテロース・ト・レスリオ・イ・ネサナ・ネ・バゾト・フローノ」



 あっという間に壊れたテーブルや椅子、傷ついた床が破壊される前の状態に戻された。割れた皿やグラスも元通りになったが、さすがに駄目になった料理の数々までは復元できず、それらは床に残ったままだった。


 デュオのその魔術と、魔力の強さを目の当たりにしたギネカは驚き、一方シズルはといえば。



「おお・・・! 凄い! さすが『番号持ち』! 何という便利魔法、これを使えるようになれば証拠隠滅やり放題ではないか。是非私も獲得したい! いや必ず獲得するっ! そうすればシルの説教やジークハルト様の拳骨と鷲掴みアイアンクローから解放される!」



 証拠隠滅が成功したことに拳を握りしめガッツポーズで、有頂天になってひとしきりはしゃいだあと、シズルは元通りになったテラスで、今度は店主に口止めと迷惑料の金額の交渉を始めた。


 そんな現実的でこすっからい目の前の『心から望んでいる』はずのシズルを見てデュオは再び思った。



 何故なんだ。何でこいつなんだ。



 今回はどうやら本当に褒めているようだったが、その微妙な言い回しは感謝というものとはほど遠く、どう見てもデュオのことは『便利道具』扱いだった。

 この世界のものなら誰でも驚愕し、感嘆し賞賛する強力な魔力もシズルにとってはそれほど価値のあるものではないらしい。


 デュオは落胆した。

 どうすればシズルはデュオを認めてくれるのだろうか。やはりシズルは元の世界では身分が高く、平民のデュオでは見向きもされないのだろうか。頭の中にいつもシズルのそばにいるふたりの貴族ジークハルトとシルベスタの男の顔が浮かんだ。



 デュオは知らなかった。

 シズルはジークハルトだろうがシルベスタだろうが、身分の貴賎など関係なく誰がどんな魔術を使っても、基本的には便利な道具扱いをしているということを。




 ついさっきまで自信満々だった高位魔導士らしいデュオが、あからさまに落胆する姿を見て、そんな彼にギネカが声をかけた。



「・・・デュオ、俺んところで働くのは無しでいいが、まあここで知り合ったのも何かの縁だ。これから一杯やらねぇか?」



 魔力はさほど強くはないギネカだったが、伊達に沢山の人間を纏め上げ首魁に君臨しているわけではなかった。

 ギネカは高位魔導士らしいデュオに繋ぎを作っておく、という打算もあったが少なからず男としてもデュオに同情していた。


 デュオはシズルと別れるとギネカの好意をありがたく受け取った。






 よく朝、ギネカのところでデュオは、一旦王城へ引き返した。

 ミゼンに会ってやることがあったからだ。










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