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リディアのドレスの仮縫いに呼ばれた仕立て屋は鼻息荒く、いかにこのドレスが素晴らしいかを言って聞かせてから帰っていった。
確かに銀の髪に透き通るような青い瞳を持つリディアに映える深青色のドレスだった。シルク地で体のラインに合わせて何枚も重ねられた生地はとても手触りが良く、足元に入れられた黒糸でのバラの透し彫りはとても見事だったと言えよう。
側で見ていたオルガやミミも揃って見惚れ、ホゥっと溜息をついていた。
「……っ!」
一人でクレイヤンクール家の庭を散策していたリディアは、余所見をしていたせいで、何かにつまづいてよろめきかけた。すんでの所で持ち直すと、その何かの正体を突き止めるべく後ろを振り向いた。
するとそこには、二本の足がでんと横たわっていた。
その足の先を辿っていくと、生け垣の向こうを頭側にして人が横たわっている。顔の上に本を乗せているけれど、僅かに見える金髪でジョエルだと分かった。
「……こんな所で何をやってるの?」
「昼寝」
「仕事は?」
「終わったよ」
「終わったって……本当?」
「うん」
見目からでは想像できないほどの大食漢であるジョエルが朝食をおかわりまで済ませ、いつの間にかいなくなっていたことに気づいたのが仕立て屋が来た十一時頃。
それから一時間半ほど仕立て屋につかまり、ようやく解放されたのがつい先ほどだ。
昼食の準備がもう少しでできるからと、その間庭の散歩に出ていただけなのだからそう思うのも無理はない。
なんと言ったって、ジョエルは国王陛下の覚えめでたい近衛士官だ。
仕事なんてたくさんあるだろうに、自宅の庭で寝転がって穏やかに昼寝なんてしていていいのだろうか。いや、よくないはずだ。
「リディアも一緒に昼寝する? 気持ちいいよ」
「……やらないわ。せっかくミミが髪を綺麗に整えてくれたんだもの」
「そう」
ジョエルが顔の前に乗せていた本をついっと僅かに退けた。そして、ジョエルの緑の瞳がリディアへと向けられた。
その馬鹿正直な口から今度は何が発せられるのかとリディアは身構えた。
「今夜」
ジョエルは何かを言いかけた。けれど、その言葉は最後まで続かなかった。
「ジョエル! ここにいたんですね!?」
生垣の向こうからひょんと顔を出したのは赤髪の少々神経質そうな青年だった。リディアはその青年のことを見知っていた。社交界で何度か顔を合わせていた、ジョエルの同僚であるエルネストだ。
彼はかなり急いでいたのか息をきらせ、頬も僅かに紅潮させている。
「エルネスト様、お久しぶりでございます」
「あ、リディア嬢。お久しぶりです。すみません。ジョエルをお借りしても?」
「えぇ、構いません」
「僕の意思は?」
本人そっちのけで決められる身柄の引き渡しに、ジョエルはぼそりと口を挟んだ。
「さぁ、急いで! 将軍がお冠ですよ! 今すぐ来いとのご命令です!」
「えっ!? なぜ!?」
「なぜって僕も聞きたいです! なんでそんなことになっちゃってるんですか、貴方という人は!」
「さぁ」
驚くリディアと泣きそうになっているエルネストに対して、将軍を怒らせている張本人であるジョエルは一人けろりとしている。
また、というか、どうせ、というか。
怒らせた原因は分かる。ジョエルの口だ。だが、怒ることになった理由までは考えが及ばない。
「まったく。帰れと言ったり来いと言ったり、言動が矛盾する男だ」
「帰れって言われて、職務中に本当に帰る人がいますかっ!」
「ここにいる」
「そうですねっ! そうでしたねっ!」
ゼィゼィと息を荒げているエルネストにリディアは酷く同情した。
いつも思うが、ジョエルは人の気持ちを逆撫でする天才だ。
一旦はおさまったと思われた怒りを簡単に再燃させてくれる。再燃どころか、二発目はさらに火に油をこれでもかと注ぎ、自ら火をつけまわっていく。そしてさらにタチが悪いのは、その火を火だと思っていないところだ。もちろん、自分にかかる火の粉は振り払うけれども、それは本当に大火事になったものだけで。あとのものは周りが鎮火活動に必死になって取り組むか、諦めて鎮静化を待つだけだ。実に迷惑極まりないことこの上ない。
「では、リディア嬢。また。……ほら、行きますよっ!」
「そんなに引っ張らないでくれ。腕が痛いじゃないか」
「なら自分でキリキリ歩いてください! ほらっ! 早く!」
腕をとられ、引っ張り起されたジョエルはエルネストに背中を押され、引っ立てられていった。
「リディア様。どちらにおいでですかー?」
「ここよ!」
遠くからミミの自分を呼ぶ声がして、リディアは声を張り上げた。ここは丁度屋敷から死角になっているせいで見つけにくいのだろう。自分の姿を探す侍女にリディアはヒントを出した。
すぐにパタパタと駆け寄ってくる音がして、ミミが生垣の向こうから顔を出した。そして、リディアに昼食の用意が整ったことを告げた。
「あら? こんなところに本が」
地面に置かれたままになっている本をミミが拾い上げ、中身をパラパラとめくって不思議そうに首を傾げた。
「あぁ、さっきまでジョエルがここで寝転がりながらお昼寝をしていたの。その時に頭に乗せていたものよ」
「では、書斎の机の上に置いておきますね」
「あ、私から渡しておくわ。ジョエルがどんなものを読んでいるか、ちょっと気になるし」
「そうですか? では、よろしくお願いいたします」
ミミから本を預かり、クレイヤンクール家の調理人達が腕によりをかけて作ってくれた昼食をとるべく屋敷の中へと足を向けた。
ちなみにジョエルが読んでいたのは王都にある料理屋のガイドブックだった。
特に、王都一料理を出すのが早い店というのはぜひとも一度行って実際のところを見てみたい。
好奇心旺盛なリディアにとって、その本は最近の憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれるには十分な代物であった。
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