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 何の気なしにぼーっと教室内を見渡していた僕はふと横の列を見てみた。すると、右隣りに座るケンタウロスであるナタンが青ざめた顔をしてプルプルと生まれたての子馬のように震えていた。


 どうしたと声をかけると、青ざめた表情のままこちらへ顔を向けてきた。



「……俺、父ちゃんに聞いたことある」

「何を?」

「……鬼って、怒るとめっちゃヤバい」

「「めっちゃヤバい」」



 周囲にいた奴らがふざけてナタンの口真似をして繰り返した。いつもだったらそれに対して怒るナタンも、今はそんな余裕がないのか何の反応を返さなかった。



「俺の父ちゃん、元老院の第三課なんだけど」

「うお! すげー!」

「戦闘部隊じゃん! かっけー!」

「ちょっと! 話が進まないじゃない! 黙ってて!」



 気づくと、皆がナタンの方に注目している。興奮する男子連中に女子の中でも気の強いワルキューレのヴァネッサがすかさず注意の声を張り上げた。

 正直どちらもうるさいと思うけど、それは口にはせずにいた。そんなことしようものなら、さらに数段高くなった声で反論してくるのが目に見えている。



「で? 何を聞いたの?」

「鬼の奏様の逆鱗に誰かが触れて、そいつの姿が翌日から見えなくなったって。父ちゃん曰く」


 ――そいつ、ミンチにされたって。



 一瞬で教室の中が静まり返った。


 ゴクリと誰かが唾を飲み込む音さえ聞こえるような気がする。



「……そうだ! 人間達が作った話を私達が書き換えてやればいいのよ! そうすれば、ちゃんとおかしくないお話になるでしょ? 人間が作ったお話って、私達が一方的に悪く書かれることが多いじゃない? ちょっとイラっと来てたのよね」

「えー!? めんどくせー!」

「人間の思考を学ぶのがこの授業じゃねーの?」

「いいじゃない。新しいお話を作っても。ね?」

「え? ……う、うん」



 それまで黙って話を聞いていただけだったオフィーリアに微笑みかけられ、僕の隣にちょこんと座る彼女はおずおずと頷いた。


 とりあえずヴァネッサの意見は押し通され、改定版桃太郎が作られることになった。否、作られるはずだった。その機会をぶち壊したのは他でもない僕である。



「ねぇ、ヴァネッサ」

「なぁに?」

「本末転倒なことを話し合っているようだから一言いい?」

「……ど、どうぞ?」



 僕の言葉に警戒するヴァネッサに、僕は容赦なくいかせてもらった。



「落ちているものを拾って、ましてや食べようとするなんてしてはいけないと習ったよね? それなら、まず桃が川の上流から流れてきても拾っちゃいけない」

「……そうね」

「それに、それだけ大きな桃だったら、お婆さんの元に行きつくまでに沈んでるよ。つまり、桃太郎は二人に拾われることもなく、よって鬼退治に行くこともない」



 そこまで言うと、物語の悪い所をかいつまんで変えようとしていた奴らが皆押し黙った。


 物語の序盤で、しかも二人と桃太郎が出会う重要な場面だからこそ大事にしたいんだろうけど、これは人間も人外も関係ない。衛生上の問題だ。



「なぁ、ほんまつてんとーってなんだ?」

「授業中に寝ないようにって教科書に落書きをしていて、結局その時間中、授業じゃなく落書きに集中する羽目になってしまった状況みたいなものだよ」



 ヤンが首を傾げて聞いてきたから適当に答えてやると、やっと理解できたのか満足そうに頷いていた。覚えがあるのだろう。当然だ。さっきの時間に彼がせっせとやっていたことだ。



「せ、せんせー」



 場の主導権を蜜緒先生に返そうと口を開きかけた時、左隣から酷く泣きそうな声が聞こえてきた。すると、小さく手を上げた彼女の横まで蜜緒先生がすぐに駆け寄ってきた。



「どうしたの?」

「あの、あのね……困ってる人を助けた後は?」

「え?」

「困ってる村の人を助けて、今度は鬼の番? だって、桃太郎に怪我させられて、住みかもめちゃくちゃにされて、困ってるでしょ?」

「……そうよねぇ。怪我しちゃうと痛い上に片付けもってなると……鬼が困るからって片付けていったとも思えないわよねぇ」



 チラリと彼女の顔を覗き見ると、大きな瞳に若干薄い水膜が張っているのが分かった。


 奏様が色々と大変だと言っていた意味が分かった気がする。


 蜜緒先生は当然コチラ側。人外の方に意識が寄るのは仕方ない。けれど、彼女は違う。彼女は、色々と危うい。考え方が、心根が、優し過ぎるのだ。これでは生きている間に人間達と暮らしていくには生きにくいものがあっただろう。



「心配いらねぇって! 話の中の鬼はどうかしらねぇけど、実際こういうことが起きた時のために元老院があるんだからさ!」

「そう。そうよ! だから泣いちゃダメ!」



 クラスの中でもお調子者のヤンに続き、世話焼きの猫又のオサキが口々に励ました。


 珍しくヤンの言葉が効果覿面てきめんだったらしい。彼女はオサキの言葉に頷いた後、服の袖でゴシゴシと目をこすった。それから、皆が自分を見ていることに気づき、慌てて笑顔を作って見せていた。




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