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◆◇◆◇





「……はい。今日はここまで。みんな気をつけて帰ってね」

「「はーい」」



 一日の授業が全て終わり、皆の待ち望んだ放課後が訪れた。


 休み時間ごとに訪れるクラスの奴らや他のクラスからの野次馬を程々に散らすのに、今日一日だけでもとても骨が折れた。これは担任に後で報酬を要求してもいいだろう。きちんとした労働に見合った対価だから、誰にも文句は言わせるものか。


 一人、二人と彼女の周りに残っていた奴らも皆連れだって帰っていった。


 教室に残っているのは、窓際に立ってジッと校庭の方を見下ろしている彼女と、僕だけ。学級日誌という学級委員がつけることになっている日誌を書いている僕とは違い、彼女が授業が終わっても残らなきゃいけない理由はない。


 これが終わってもまだ残っているようであれば声をかけるべきだろうか。そう考え始めていたとき―。



「……あっ! かなで!」

「お待たせ、澪ちゃん」



 フッと廊下側から誰かが人外専用の通路を繋げた気配がして、そちらを振り返ってみて驚いた。この学園に併設されている元老院に所属する女傑じょけつ、鬼の奏様が仕事着の白衣姿のままで立っていた。急いでいたのか白皙はくせき容貌ようぼうに僅かに朱が走っている。


 その奏様に彼女は大はしゃぎで駆け寄り、抱きついた。



「初めての学校は楽しかった?」

「ん」



 さっきまでは全くと言っていいほど見せなかった満面の笑みを浮かべ、奏様の一言一言にコクコクと頷いている。



「あのね……」

「……そう。良かったわね」



 奏様の服を引っ張ってしゃがませ、耳打ちした彼女と奏様の二人の視線が一斉にこちらに飛んでくる。


 それから奏様にチョイチョイと手招きされた。教室の中にはもう僕しかいない。ということは、僕を呼んでいるということは明らかだ。

 僕は書きかけの日誌をそのままに廊下にいる彼女達の元へと歩み寄った。



「なんですか?」

「色々と大変だと思うけど、よろしくね」



 万物を知ると言われる白澤はくたくである僕ですら知らなかったことがまた一つ増えた。人間嫌いで知られる奏様の懐深くまで潜り込める目の前の彼女のことだ。どうやら込み入った事情を持つ、いわば訳アリらしい。


 

「分かりました。その代わりと言ってはなんなんですけど」

「なに?」



 奏様が軽く小首を傾げた。丁寧に手入れされているだろう結った黒髪がサラリと肩から零れた。



「今度、元老院の中を見学してもいいですか?」

「なんだ、そんなこと。お安い御用よ。いつでもいらっしゃい」

「ありがとうございます」



 よしっ!



 一度、将来自分が働くことになるかもしれない元老院の内部を見てみたいと思っていた。けれど、年中人手不足だと聞いているのであまり無理は言えない。


 ただ、これが正当な対価なら話は別だ。

 六つに分けられた部署のうち、医療を司る部署の副官代理を務める程の実力者の手引きなら手続きも簡単にすむに違いない。


 担任に要求する対価とは別に、思いがけぬチャンスも掴めたことで、今の気分はいつになく良い。心の中とはいえ柄にもなくガッツポーズまでしてしまった。


 そんな僕の心の内などお見通しとでも言うかのように、奏様が僕の方を目を細めて見てきた。



「それじゃあ、私達はもう行くわね」

「はい。さよなら。君も、また明日」

「……また明日」



 彼女は奏様の後ろに隠れながらも、はにかむように笑って手を振った。


 なんだ。感情があまりない子なのかと思ってたけど、そうではないらしい。ただ絶賛人見知り中だっただけみたいだ。


 僕は二人に手を振り、席に戻って日誌の続きを書いた。



『転入生は人見知りをする。だけど、笑うと……』



 最後の一文だけは、消しゴムで跡が残らないようにしっかりと消して証拠隠滅を図った。




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