第一章

1

 


 それから約三時間後。

 最初の視察先であるオルディア領の中心都市、ミストア。


 そこまで広いとは言えない領地とはいえ、養蚕業を国内だけでなく国外にも積極的にアピールしているおかげで買い付けに来る商人達で賑わっている。広場の一角には定期的に開かれる市場があり、そこでの掘り出し物を目当てに貴賤関係なく訪れるらしい。


 先触れを出していたおかげで都市の入り口にある門に領主が直々に迎えに訪れていた。



「ようこそおいでくださいました!」

「悪いね。せっかくだから領地を見て回ろうと思って」

「いえいえ。なんの悪いことがありましょうや。ステラシア嬢もようこそ」

「私まで申し訳ございません。お世話になります」



 オルディアの領主、ハミルトン伯爵は気の良い男として知られている。オルディアの前の領主一族が跡取りを残せずして断絶した際に、隣地で領主を務めているからということで陛下より併せて治めるようにとの下命がおりた時もその人柄ゆえか大した異論は出なかった。


 突然の新王太子の視察にも快く対応を引き受けてくれたのだろう。



「馬は城の厩舎でお預かりいたしますので、まずは我が居城までお越しください」

「そうだね。それと食事の用意もお願いできるかな?」

「もちろんです。城の料理人が贅を凝らしたものをご用意いたします」

「そう。それは楽しみだ」



 オルディア領主の先導で、私達は先に領主の城へと向かうこととなった。



 あれが例のハミルトン伯お気に入りの城ってわけね。



 道すがら、高台にあるために高い建物がない場所であれば街のどこからでも見える城を見る。城の形は丸い塔が数多くあるため、全体的に丸い印象を受けた。


 本来の領地である自領の城よりもこちらの城にいることが多いみたいだし、あの見た目に惹かれたのかしら? どちらかというと、女性が好みそうなデザインじゃないかと思うけど、感性は人それぞれだと言うし。

 確か、前の領主の時から内装は全て取り換えたらしいけど。……どんな感じなのか、ちょっと楽しみかも。

 


 オルディア領主の居城に着いてすぐ、私達はそれぞれの部屋に通された。

 一応私の立場はまだ王太子の婚約者だから、部屋は続き部屋でない場所を用意してくれたようだ。いやはやありがたい。


 ベージュを基調とした小花柄の壁紙。部屋の中央には脚が上から下に向けてねじられているツイストタイプと呼ばれるデザインをしたテーブルと椅子。壁際には薔薇の意匠が施されたドレッシングチェストが備え付けられている。寝室はこの部屋の奥に続き部屋としてあるようだ。

 


「こちらでのお世話を担当させて頂きます、ハナと申します。ご滞在中何かございましたら、すぐにお申し付けくださいませ」



 私と同い年、くらいよね?



 ぺこりと頭を下げる私と変わらない年頃の少女。


 実家にいる私付きの侍女は、私が長子であり、王太子の婚約者という身分だからという理由で熟練したものがつけられたためにお父様やお母様付きの侍女の次に年嵩としかさになる。


 だからか、同年代の子と一緒にいて世話を焼かれるというのはある意味新鮮かもしれない。



「ありがとう。早速で悪いんだけど、私、この服しか持ってきてないの。あまりにも急だったから」

「ご心配は不要です。王太子殿下から既に用立てるようにとご下命がございましたので」

「そ、そう。迷惑かけてごめんなさいね」



 ここにも迷惑を被る者がいたなんて!


 仕事を増やしてしまって本っ当に申し訳ない。



 彼女が笑顔で告げてくる事実に、私の心が穢れてるのか、どうしても“余計な仕事を増やすなんて何してくれてるの”っていう副音声が聞こえてしまう。


 いや、それは私がヤツに思っていることだった。



「そのように謝らないでください! ……良かった。ステラシア様がお優しい方で」

「え?」

「あ、いえっ! 忘れてください!」



 年が近いということで親近感を覚えていた私に、彼女のその言葉は何か引っかかりを覚えた。



 え? 私、使用人の皆の情報網だと優しくないみたいな情報出回ってるの?

 それだとまるで私が使用人に厳しく思ってたような言い方じゃない。


 そもそもヤツの突然の思いつきとはいえ、実際に本来なら必要なかった予定が発生しての仕事なんだから、一応謝るのも円滑な人間関係を築くためには必要だと思うんだけど。

 ……内政に関わりすぎて周りとの人間関係とか気にするようになって、令嬢らしくないって言われるようになったくらいには。

 


「なに? 気になるじゃない」

「えっと、その……あっ! 湯、入浴のご準備をしておりますので、汗をお流しになられては?」

「……そうね。あぁ、手伝いは不要よ。上がったら知らせるから、コルセットの手伝いをお願いできるかしら?」

「え、でも……」

「その間、手持ち無沙汰ならドレスの用意と、お茶の支度をお願いね。街の様子を教えて欲しいから、あなたの分もよ」

「えっ!? わ、分かりました!」



 有無を言わさない笑みを浮かべてオネガイすると、私の身分を思い出したのか、コクコクと頷いた。




 それからハナに案内され、部屋付きの浴室に向かった。


 猫脚型のバスタブにはられた湯につかり、ようやく一息つけた。



「ふぅー」



 息を深く吐き出していく。



 まったく。ここに来るまで散々な目に遭ったわ。


 きっと、というか、十中八九この視察が終わって王宮に戻れば待つのはヤツとの婚約式。


 ……結婚は人生の墓場だなんて、誰がそんなうまい事を言えと。


 自分はただ、自分の知識を活かして取り組んだ領地経営がもとで皆に笑って暮らして欲しい、それを傍で感じていたい、ただそれだけなのに。


 どうしてお父様もお母様も婚約結婚出産とばかり口を揃えて言うのか。


 そんなの、全然楽しくないというのに。



 伸ばしていた足を折り曲げ、膝を抱え込む。


 口を水面下に下ろし、ブクブクと子供みたいに泡立たせた。



 限りある一人きりになれる空間で、思いっきり羽を伸ばしていた時だった。



「おやおや。不貞腐ふてくされてるのか?」

「ブフッ! ……ゲホッ! ガッ!」



 驚いた拍子に思わず息を出し切り、それから水を吸い込んでしまった。慌てて吸った水は気道に入り、おかしな経路を辿たどろうとしたところで運よく吐き出した。


 令嬢にあるまじき声を出したが、目の前の野郎も紳士に、この国の王太子にあるまじき振舞いをしている。



 結果的にイーブンに……なるわけがない!



「何を入ってきてるのよ、この変態野郎がっ!」



 手近な所にあった何かの瓶を投げつける。

 しかし、寸前の所でヒラリとかわされた。余裕の笑みを浮かべるヤツに、私は自分の身分とヤツの身分、婚約者という立ち位置、ここがどこなのか、その他諸々全て考えの外に追いやり、渾身の水魔術を叩き込んだ。


 その魔術が成功したかと聞かれれば、私は黙秘権を行使する。相変わらず水魔術は苦手だけど、それ以外だと浴室を修復しなければいけなくなる。苦肉の策だったと主張しよう。

 とりあえず、今度サーヤに水魔術を教わろうと心に決めた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

領主代行を断固として希望します 綾織 茅 @cerisier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ