3



「遅くなってごめん!」



 凛莉が店へ駆け戻ると、父親がすぐに厨房から顔を出した。



「おかえり。どうせ八百屋の婆ちゃんに捕まってたんだろ?」



 凛莉が戻って来るまでの間、葱を使った料理は注文されなかったのだろう。いつもなら父親から「遅い!」と怒声が飛んで来るが、至って普通に出迎えてくれた。


 怒られるのを免れた凛莉だったが、とてもじゃないがそれどころではなかった。



「お父さん! 今だけ普通の料理出して!」

「は?」



 息を切らして帰ってきたかと思えば、よく分からないことを言い始めた凛莉に、父親は首を傾げた。



「どうしたんだ? 急に」

「いいから!」

「あ、あぁ」



 こんなことは凛莉が料理の品々を発案してから初めてのことだ。父親も少々面食らってしまった。葱を受け取り、先に厨房に戻っていった。


 すでに注文を取っていた客には謝罪して別の料理に変えてもらい、食べ始めていた客にはお代はいらないからと大急ぎで食べてもらった。



(あと少し……もう少し……よしっ!)



 最後の一人がきりたんぽを食べ終えたと同時に、店の鈴が鳴った。



「ここか。異国の料理を出すという店は」



 男ばかりが四、五人ぞろぞろと連れだって店に入ってきた。どの男も身なりはしっかりしている。



「いらっしゃいませー」


(そして早よ帰れー)



 心の声が本音であるのは間違いないけれど、一応客商売。他のお客の前でそんなことを言うのははばかられた。



「おい、店主はいるか?」

「少々お待ちくださいませ」



 先頭に立ち、市中では案内役もしていた男が近くにいた凛莉に声をかけてきた。

 奥の厨房に向かう途中、何事かと狼狽うろたえていた母親の腕を掴み、一緒に奥へ連れ込む。



「お父さん、あの人達、宮廷の人達だよ」



 父親も新たに現れた客のことには気づいていた。



「噂になっている奴らか」

「噂?」

「料理人達の中ではな。なんでも、連れていかれた料理人は生きて戻ってはこられないらしい」

「そうなの!?」



 それは初耳だった。

 凛莉が美琴だった時に読んだ小説の話は紅華の時で終わっていた。いや、正確に言えば、続巻予定はあったが、それまでに美琴が事故で死んでしまっていたから読めなかったというのが正しい。だから、今後の展開が色んな意味で読めないのだ。


 噂にしか過ぎないと言われたらそこまでだが、煙のない所に火は立たぬとも言う。結局のところその場になってみないと分からないということだろうが、そうなってしまっては後戻りもできない。万事休すとはこのことだろう。



「おい! まだか!?」

「はーい!」



 店の方から男達が呼ぶ声が聞こえてきた。



「あの人達、そのまま帰ってくれないかしら?」

「異国の料理を出す店を探しているということは、他の店でもいいわけだ。なぁに、この都には色んな店がある。探している店はここじゃないってシラを切ればいいだろう」

「お父さん……」

「大丈夫だ。心配するな」



 心配する母親と凛莉を安心させるため、父親がニカッと歯を見せて笑った。



「おい!」



 ドンッと机を拳か何かで叩きつける音がした。

 これ以上待たせて怒らせると、店の中にいる他の客の迷惑になる。それだけは避けなければならない。


 父親は凛莉達を背に、役人達と相対した。



「お待たせいたしました。この店の主人です。料理人は私しかおりませんので、火を消して回っていたら遅くなってしまって、大変申し訳ございませんでした」

「言い訳はいい。店主、お前、異国の料理を作って客に出しているそうだな」

「異国、ですか? ご覧の通り、私の店ではごくごくありふれたものしかお出ししておりませんが」



 父親は目を瞬かせ、店の中をグルリと見渡した。父親の視線の先にいる客達が食べているのは、確かにごく一般的な料理店で出されているものばかりだ。


 さすが商人。とぼける仕草が上手い。


 店に残っていたお客達も空気を読んでか、誰一人声をあげるものはいなかった。



「……ふん。今ここにないからと言ってないとは限らんだろう?」

「この店の料理一覧です。どうぞ」



 すかさず父親が紙に書いた一覧を笑顔で渡した。



「……確かに、ここにも異国のものらしきものはない」

「そうでしょう」

「だがしかし」


(しつこい!)



 ついついそう叫んでしまいそうになるのを寸でのところで堪えたために、凛莉はグッと苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。



「お前には念のため宮廷に来てもらおう。なに、三日もすれば帰してやる」

「三日も!? そんなに店を閉められません!」

「うるさい娘だな。このままこの店の営業許可を取り消したっていいんだぞ」

「そんなっ!」



 とうとう堪えきれずに口を挟んだ凛莉に、男は商人にとって大切な営業権の剥奪はくだつをちらつかせた。


 なおも言いつのろうとする凛莉の肩を、父親の大きな手がつかんだ。



「凛莉、大丈夫だ。……分かりました。ついて参ります」

「あなた」

「店と子供達を頼んだぞ。凛莉、母さんをよろしくな」

「……分かった」



 父親に念を押すようにそう言われてしまえば、それ以上言えることもない。凛莉も渋々頷いた。


 父親が連れて行かれる後ろ姿を店から出て見送った母親は、凛莉の瞳が揺れているのを見てしまった。



「凛莉?」

「……ううん、なんでもない。さ、お父さんが帰ってくるまで頑張らなきゃ」

「えぇ、頑張りましょう」



 母親が先に店内に戻ったのを見て、凛莉はもう一度父親が連れていかれた方を振り返った。



(……父さん、無事に帰ってきて)



 前世の記憶があるというのも酷なもの。紅華の時に別れた父親の背と、先ほどの父親の背中がだぶついて見え、凛莉はどうしても不安がぬぐえそうになかった。



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