4
父親が連れていかれてから今日で丁度三日。
店は昨日から閉めており、いつもなら客足が多い昼時でも仔空と一緒に暇を持て余していた。家の前の道で姉弟二人、尻もちをつかないように気をつけながらしゃがんで、道行く人をぼうっと見ることに時間を
ふと横に座る仔空を見ると、昨日雨が降ったせいでできたぬかるみに手をつけ、コロコロと泥をこねている。軽快な鼻歌付きだ。なかなかに気分がいいと見える。
「こら。汚いからやめなさい」
「いま、おだんごつくってるの! おとーさんにね、たべてもらうやつ!」
「……そっか。お父さん喜ぶよ。だけど、家の中に入ったら手を洗うんだよ?」
「ん」
まっすぐに見上げてくるきらきらとした視線に、凛莉もそれ以上強く言えない。結局、「ねぇねも食べる?」と差し出してくる弟の手をやんわりと下ろすだけで、弟のその泥遊びを条件付きで容認することとなった。
「……ねぇね、おとーさん、まだ?」
「ね。いつ帰って来るんだろうね」
しばらくすると泥遊びにも飽きたのか、仔空が身体をもたれかけてきた。待ち疲れたようで、少し頬を膨らませている。
まだ物事がよく分かっていないだろう仔空には、父親は遠くに仕入れに行ったと教えてある。今までにも何回かあったので、今回も不在の理由についてはそう不思議に思っていないのだろう。いつものように何故早く帰ってこないのかという不満しかないはずだ。
お昼近くにもなったし、と、凛莉はようやく待つことをやめて腰を上げた。
父親がいない今、代わりに親子三人の食事を作っているのは凛莉である。母親も作れないことはないが、いつの間にか父親と一緒に厨房に立つことが多いのは凛莉の方になっていた。作ることは嫌いじゃないので、凛莉も食事係を進んで引き受けたのだ。それに、こうやって何かをしていれば気が紛れるということもある。
仔空に声をかけ、二人で家の中に入ろうと戸に手を伸ばすと、向こう側から戸が開かれた。家の中にいた母親が少し驚いた顔で二人の姿を交互に見ると、少し脇に避けて二人を中に入れた。そして、入れ替わりで出ていこうとするのを凛莉が呼び止めた。
「紙が無くなってしまったから、ちょっと買ってくるわ。仔空と一緒に留守番しててもらっていい?」
「あぁ、それなら私が行くよ」
「ぼくも!」
「仔空はお母さんとお留守番してて」
「えー! やだぁ!」
「お父さん帰ってきて二人ともいなかったら泣いちゃうよ?」
「なく?」
「泣く」
大真面目な顔をして頷くと、仔空は難しい顔して俯いた。
「……うー。おるすばん、する」
「ん。いい子いい子。ご褒美に何か買ってきてあげるね」
「ほんと!?」
「うん。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃーい」
「いってらっしゃい。気を付けるのよ」
「はーい」
□ □ □ □
「凛莉ちゃん、お父さん帰ってきた?」
「ううん、まだ」
「そう。心配だねぇ」
「うん」
凛莉が市へ姿を見せると、父親が連れていかれたと噂を聞いた顔見知りの人達がひっきりなしに買い物をしている凛莉の元へ駆けつけた。皆お店の常連客ばかりで、口々に
そんな皆にこれ以上心配をかけるわけにはいかないと、凛莉も半ば無理にでも笑顔を作ってみせた。
実は母親から買い物を引き受けた理由もここにあった。母親は自分達子供の前では気丈に振舞っているが、本当は放っておけば父親のことで頭がいっぱいで一睡もできなくなるほど
「何か困ったことがあったらいつでも言うんだよ?」
「うちのバカ息子にだったら何でもお言いよ」
「誰がバカ息子だってぇ!?」
「うん、ありがとう」
凛莉が無理していることを悟った肉屋の女将が、凛莉とそう変わらない年の息子をずいっと押し出し、陽気に笑って見せた。息子の方も母親に馬鹿にされたことには怒れど、勝手に手伝い要員にされたことにはまったく怒っていない。凛莉もそれが分かっている仲だから笑って返すことができた。
しばらく話した後、「じゃあ、二人が待っているから」と、集まってきていた皆に声をかけ、凛莉はその場を去った。
家への帰り道を歩いていると、建物と建物の間の暗がりに何か大きなものが転がっているのが視界の隅に入り込んだ。いつもなら気にせず通り過ぎてしまうのだが、今日はどうしてか気になってしまった。
その何かが軽く身じろぎし、顔をこちらに向けてきた。
(……人?)
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
転がっているというか、倒れているものが人間だと分かり、慌てて駆け寄った。
近くでよく見ると、やつれてはいるものの、恐ろしい程顔が整っている。身体付きも細身で背も高い。きっとこの人が普通に道端を歩いていたら決して近寄らないだろう。だって、もう前世のあの皇太子でこういう人目を
美しいモノには
けれど。
ここは都だから安全で、危険な場所だ。相反しているかもしれないけれど、それは正しいと皆が口を揃えるだろう。都で悪さをしている者がいないか見回る役人が大勢いる一方で、隠れて悪さをする者もまた同等の数だけ存在する。その悪さをする
凛莉も、その類で倒れているのではと心配して声をかけた。
「……た」
「え?」
か細く呟かれたその言葉は、一度では凛莉の耳に届かなかった。たまらずもう一度聞き返した。
「お腹、空いた」
たまたま通りがかってくれた救世主に、キュルルルルと腹の虫が可愛らしく甘えた声で鳴いて見せた。
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