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 朝日が昇り、都に住まう人々の一日が始まりを迎えた。


 凛莉の家の料理店――翠光楼すいこうろうも、店を開けると同時に夜勤明けの馴染なじみの官吏や都の護衛官などで瞬く間に席が埋まっていく。なかなかの出だしだ。きっと今日も一日大忙しに違いない。


 店での役割分担は、父親は奥の厨房ちゅうぼうで料理作り、母親は会計と片付け、凛莉は注文聞きと料理運びとなっている。あまり大きな店でもないため、他に従業員をやとうこともなく、家族皆で協力して店を盛り上げていた。

 ちなみに、弟の仔空は店が開いている間、お隣の気の良い老夫婦に預けられている。子供がいないせいか、凛莉も実の孫のように可愛がってもらっているのだから、よくよくありがたい話だ。


 一組会計が終わって送り出したかと思うと、しばらくして再び入り口につけられた鈴がカランコロンという心地よい音を鳴らした。



「いらっしゃいませ!」

「おぅ。いつものな」

「俺も俺も!」

「はーい。ナポリタンに肉じゃがね。ちょっとお待ちをー」



 都の南側の門を警護する、馴染みの門番の中年男二人の顔を見て、凛莉はいつもの料理名を繰り返した。


 ここ翠光楼は、他にはない料理を出している店として、知る人ぞ知る隠れ名店とされているらしい。もちろん、提供している料理の元は凛莉――美琴が現代日本で知り得たレシピだ。この世界の料理も出してはいるが、物珍しも相まって、皆あちらの料理ばかりを頼んでいく。


 最初こそ自分が知らない料理を次々と発案してくる凛莉をいぶかし気に見ていた父親も、今ではさすが料理人の娘だ、天才だと自慢にさえ思っている。たまにある次の日が休みの日で酒を飲んだ父親からめちぎられる凛莉も、いかな父親にとはいえ、これ全部前々世からの知識ですとは言えず、アハハと苦笑してやり過ごしていた。


 しかし、父親もさすが料理人。凛莉から作り方を数回教わると、改良に改良を重ね、今では父親が作った方が美味しいと凛莉でさえ思っている。本職の料理人だから当然なのだろうが、知識を得てからのさらなる追求心が半端ない。

 現代日本の出版社で記者として働いていた頃の自分が取材していた料理人さん達と重なり、懐かしささえ覚えてくる。あの社畜っぷりはもうご免だけれど、仕事の中身としては実に有意義だった。


 でも、今となっては、美味しさを突き詰めようとするその気持ちがよく分かる。

 ちょっと空いた時間にお客さんの笑顔をそれとなく見ていると、こちらも笑顔になってくるのだ。


「料理とはお腹を満たしてくれるだけでなく、心も満たしてくれるんだ」と、教えてくれたのは美琴だった時の祖母だ。その祖母が美琴に様々な料理を仕込んでくれたおかげで今の両親の役に立てているわけだから、人間どこで何が役に立つか分からないものである。


 邪魔にならないようにそっと壁際に避けていると、厨房から顔を出した父親がキョロキョロと目を店内に向けて誰かを探しているような素振りを見せた。それからすぐに壁際でこちらを見る凛莉に気づいて、ちょいちょいと凛莉の方に向けて手招きをしてくる。お客さんの椅子の合間をすり抜けて父親の元へ行くと、父親は眉を僅かにしかめて口を開いた。



「凛莉、悪いんだが、ねぎを買ってきてくれないか? 思っていたよりも使ってしまったんだ」

「いいよ。お母さん、あとお願いね」

「えぇ。気をつけて」

「はーい」



 葱の分のお金を会計台から取り出し、つけていた前掛けを外して外に出た。





 都には王宮がある北以外の東・西・南の三か所に大きな市場がある。この市場はこの都に店を構えていなくても商いをしてよく、時折怪しげなものが売られていたりもするが、もっぱら自分達の店の支店的な扱いで皆が利用している。仕込みの時などは直接店に出向くが、簡単なものや今日みたいに急に何かが足りなくなってしまった時に訪れるのはこの市場の方だ。


 馴染みの八百屋が出している場所まで行くと、やはり今日も人の良い老婆が店番をしていた。



「あれま、凛莉ちゃん。どうしたんだい?」

「こんにちは。葱あるからしら? 思ったよりも葱使う料理が出ちゃって」

「もちろん。いくついるんだい?」

「そうねぇ。十束くらいもらっておこうかしら」

「いつも贔屓ひいきにしてもらってありがとうねぇ。これ、おまけだよ。仔空ちゃんと食べな」

「ありがとう!」



 葱を包んだ小袋とは別に、金平糖が入った包みも用意してくれた。


 凛莉も仔空もそろって甘いものが好きである。きっと頬を朱く染めて抱き着いてくるだろう弟の姿を想像しただけで今からとても楽しみだ。



「だーかーらぁ、知らねぇって言ってるだろうが!」



 そんな心躍る気分を台無しにしかねないような怒声が、市場内に大きく響き渡った。



「なんだか騒がしいわね」

「あぁ。なんでも、元々偏食へきのあった皇太子様がまたさらにその偏食を悪化させたとかで、王宮での専属料理人を探しているらしいよ」

「……へぇ」



 声がした方をよく見ようと身体を反らすと、老婆がフッフッフとしわが寄った顔で笑った。



「なんだい。凛莉ちゃん、興味があるのかい?」

「あぁ、ううん。全然? だって、今の生活に満足してるもの」

「そうかい、そうかい。それは良かった」



 その言葉に嘘偽りは微塵みじんもない。これっぽっちもだ。

 店は忙しくしているし、大変だけど、笑顔が絶えない家族になんの不満があろうものか。今までの人生にはいなかった弟という存在もまた格別である。



(ねぇねと舌ったらずの口調で手を伸ばしてくる姿はまさに天使! お父さん、お母さん、ありがとうって感じ!)



 凛莉がついつい老婆と話し込んでいると、老婆の息子嫁が店からこちらの様子を見にやって来た。


 いつもなら店を手伝っている時間の凛莉がここにいるのを見て、息子嫁は慌てて老婆の腕を掴み、声をかけた。



「ちょっと、お義母さん! 凛莉ちゃん、引き留めちゃったら悪いじゃないの。お店忙しいだろうに」

「ううん。これくらいなら大丈夫よ」

「でも、お使いの途中なんでしょう? 引き留めて悪かったわね。また買いに来ておくれ」

「うん。じゃあ、またね」



 二人に手を振って帰路につく。


 途中で例の料理人を探している一向の横をすれ違った。



「おい、この辺りではなかったのか?」

「申し訳ございません。この辺りなのは間違いないのですが、なにぶん店が多くて」

「早くしろ。このままでは餓死されてしまう」



 餓死とは穏やかでない言葉に凛莉も眉をひそめた。


 偏食をどうにかしたいなら、手っ取り早いのはまだ試したことがない料理を出すこと。


 良くない予感に、すぐさま帰る足を速めた。



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