第二次性徴
「御芽出度う御座います、蓮華様。」
メイドはそう言った。それを告げた日から、蓮華と蓮の部屋は離された。寂しかった。それなのに寂しいだなんて少しも思っていなさそうな蓮の姿を見て、彼女は腹を立てた。
部屋を離されてから蓮は突然、蓮華から離れ始めた。いままで登下校も、放課後もずっと一緒だったのに。彼女はそれがとても悲しいのに、蓮がまるで気にも留めていないという風で。それがやっぱりとてつもなく癪に触った。蓮華にとって蓮は鏡だった。かつて愛おしかったはずのその全てが今は気に入らない。そうして蓮を観察し続けることで彼女はさらに気がついてしまう。本当は蓮と自分があまり似ていないということに。
黒い髪、蓮はまっすぐの髪。蓮華は曲がりくねった髪。
目、蓮は垂れ目。蓮華はつり目。
寝る時間だって蓮の方が遅い。ご飯を食べるのが蓮は遅い。身長が伸びるのが遅い。本ばかり読んで返事をしてくれなくなった。妹ばかり構う。蓮華の遊びに付き合ってくれなくなった。自分と同じ姿をしていたはずの少年が、まるで今は歪んだ鏡を見ているようで気持ち悪くて仕方がない。
こんなに不愉快な思いをしているのに。蓮は蓮華の前で笑う。生きることがこんなに楽しいことだとは知らなかったとでもいう様に人生を謳歌している。ひとりぼっちの部屋が蓮華は怖くて仕方なかった。窓を叩く風の音に怯えながらぬいぐるみを抱きしめる。彼女自身によく似たぬいぐるみを抱きしめる。まるで、自分自身を守るように。
(きっと、蓮も寂しがっているに違いないわ。)
そう思い立って、何度か夜に彼の部屋を訪ねた。けれど、扉の前に立つとどうしても意地の方が優勢になってしまう。扉が硬く閉ざされたわけでもないのに蓮華は立ち尽くして、やがて怯えながら自室に帰るのだ。
水差しからグラスに水を注ぐ。このまま、大人になって身体がどんどん蓮と違う形になるのなら、時間が止まってしまえばいい。あまりに強くそれを願いすぎたせいで、水差しから垂れた滴の時間が止まり、宙ぶらりんのまま浮いている。魔法で時を止められた滴が窓から射す日の光が滴を照らして眩しいぐらいにきらめいた。
「馬鹿みたい。」
子ども用の痛み止めを水で流し込む。お腹の痛みと一緒に原因も消えてしまえばいいのよ。だってこんなのいらないもの。蓮と離れなきゃいけなくなったのはコレの所為。蓮だって、本当は離れたくなかった筈よ。そんな根拠のない思いを抱きながら、蓮の帰りを待つ。
蓮を待つ時間は長く、とてもとても退屈でまるで地獄のようだった。
精神は低迷していた。
帰宅した蓮の前に現れて、「おかえり。随分と遅かったわね。」と、言った。蓮は「ええ、先生とお話ししていました。」と、言った。
「ねえ、なんの本借りてきたの?」
「工学の本です。」
「こうがく?なにそれ。」
「ロボットとかの本です。」
ソファーに腰かけると読書を始めた蓮に蓮華は話しかけた。
「ロボットよりもお人形の方が素敵よ。」
「そうですね。僕にはどちらも大して変わらない気もしますが。」
「そう?ねえ、その本見せてよ。」
蓮は自分の開いているページを蓮華に見せた。
「なにこれ、数式と文字ばっかりじゃない!蓮ったら頭がおかしいのね!それにロボットって設計図があればできるんじゃないの?」
「アームだけのロボットを作るだけでも素材はちゃんと選ばないといけないんですよ」
「ふーん。」
「僕もロボットとか作ってみたいですね。」
「作っても上手にできないかもしれないわ。ねえ、今から一緒にお人形つくらない?私とても上手なの、蓮もきっとすぐに私と同じくらいに上手くなれるわ。」
「上手にできなくても、一度手を動かして挑戦してみることでわかることもあるでしょう。」
「じゃあ、お人形だって作りたいはずよ。私が作りたいって言ってるの。蓮も本当は作りたいんでしょう?」
蓮はため息を吐いて、姉を少し見上げると「ううん、全然。」と拒否した。
「最近の蓮はおかしいわ!私と同じだったのに、いつのまにか違う人になってしまったみたい!」
「……初めから、同じでは無かったのですよ。」
「なにを言ってるの?!」
「おそらく、この世に生まれ落ちた時点で違うものでした。私たちは違うものです。」
「いやよ。そんなの。」
大人になりたくない。これ以上蓮と離れてしまうのは我慢できない。最近の蓮と話していると、蓮華は自分を構成する心らしきものがひび割れて崩れていく気がした。その破片は精神に突き刺さり、血が溢れる、痛い、苦い。
「蓮のばか!知らない!私そんなの知らない!」
蓮華は怒りに任せて立ちあがり、部屋から去った。蓮華は一、二回ふりかえって、蓮が追いかけてきて、謝ってくれたらいいのに思った。ドアを閉める直前、最後に振り返ると蓮はもう蓮華の方を見ることはなく本に夢中になっていた。
それから一週間、蓮と蓮華は一度も会話をしなかった。
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