エゴ



 双子が小学校の五年生になった頃、それまでずっと姉の鏡として、兄は生きていた。蓮華は自分の双子に『自分と同じであること』を望んだ。自分の意見に同調し、自分と同じものを愛する。それは、蓮にとってとても簡単なことだった。ただ姉と同じ言動を繰り返せば良かったから。幼い頃、それに不満はなかった。


 しかし成長すると、蓮は姉が煩わしくなった。好きなものが変わってきた。楽しくもないお裁縫。面白くもない女の子ばかりのアニメ。妹が生まれた時、蓮はその温かく柔らかい生き物をずっと見ていたい、守りたいと思った。蓮華は「かわいいわね、ぷにゃぷにゃで」とそれだけ言って、蓮をおままごとに誘う。いつしか姉に合わせることが苦痛で堪らなくなり、双子は分岐を始めた。それでも、姉に少しでも意見をすると不機嫌になる。精神は低迷していた。幼い頃から見ないふりをしていた違和感がつらい。心の底から『兄様』ではない『蓮』になりたいと強く渇望することになった。それはあまりにも遅い自我の獲得、アイデンティティの分析、自分だけの哲学、探求。それでも姉のことを嫌うことはできなかったから、蓮は少しずつ姉から離れることを選んだ。


 初めて、双子が別々の部屋になった日。蓮はとても嬉しかった。睡眠時間も生活リズムも何もかも思いのままだと。


 これからはたくさん勉強しよう。本を読もう。姉がいた頃は隠れて本を読んでいたけれどこれからは堂々と読んでいいんだ、学んでいいんだ。なんて幸せなんだろう。蓮は父に勉強を教わった。まだ足りない。もっと、もっと。図書館にある全てを読み尽くそう。苗木が枝葉を伸ばすように片っ端から知識を得続けた。そのうちに文字と知識、数式は嚥下され、消化され、蓮の一部になる。もっと知識を集めよう。はじめに蓮が興味を持ったのは理科だった。


 ちょうど小学校の担任は理系出身だった。論理的で大人しい人だった。でも、何かを語るときは熱っぽく語る素敵な大人だった。蓮は放課後、彼に尋ねた。


「先生。なぜ僕らには『違い』があるのでしょうか?」

「『違い』?……うん……蓮くんは違いがなかったらどうなると思う?」

「うーん、と。」


 蓮は少し考えて自分の答えを出した。


「政治的、思想的、宗教的な争いがなくなると思います。」

「え?な、あ、僕らって人間のこと。僕は生物学科出身だから生物まで範囲を広げていいかい?」

「構いません。」

「うー…ありがとう。えっとね、『違い』がないと生物には困ることがあるんだ。」


 多様性、だよ。教師はわかりやすいように黒板に貼り付けてあったカラフルな磁石をいくつか手に取った。丸、棒、同じ色、違う色。


「例えば、この丸い磁石を同じ種類とみなす。棒磁石は磁石だけど、違うグループだ。それぞれ色分けされているね。これも種類の一部としようか」


 黒板に並ぶ、色とりどりの磁石を眺めて蓮は幼く頷いた。


「ここで赤い磁石にしか感染しない病があったとしよう。どうなる?」

「赤は全滅します、ね。そうしたら他の色は生き残れる?」

「うん、でも、生物は自分の遺伝情報を受け継ぐことができるから。赤の子孫でも他の色の形質を持ったものだって生き残れるかもしれないだろう?」


「かもしれない、ですね。」

「僕らは混ざり合い、互いに違うことが存在するのが一番賢い、ってことを選び取ったんだ。」


 でも、と蓮は口を開いた。まだ、太陽が照らす空は青くあんなに明るいのに。放課後の教室だけが別世界のように少しだけ暗い。


「違いがあるから争うのでしょう?争ったら個体数が減って、生存するものが減りませんか?」

「ああ、それはね。生きるために戦うんだ。死ぬために争うんじゃない。」

「じゃあ、違いっていうのは悪いことじゃないんですね」

「むしろいいことだよ。みんなが同じになる必要はない。蓮くんは蓮くんで、僕は僕だからさ。」


 いつかの言葉の欠片が蓮の底に引っ掛かった。


「僕と蓮くんは違う。もちろん他の誰とも同じではない。違いがあっても必ず争うことはない、こうして仲良く話ができるだろ?」

「たしかに。」

「一つだけの視点というのは心許ない。多面的に物事をとらえることが大切だよ。まだ、難しいかもしれないけどね」


 蓮は作りかけの心に自分が大切にしたいと思える欠片を沢山集め始めた。それは妹だったり、音楽だったり、本だったりした。自分が大切だと思うものを探してなぜそれに対して愛着を抱いたのかを考察し続けた。納得いくまで繰り返し。考えることを幸せだと感じた。頭の中は誰にも侵されないから自由だったのだ。知の高みに焦がれ焦がれて憧れた少年はもはや、姉のことなど忘れてしまうほどに熱中した。

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