割れた鏡
楽しそうな声が聞こえる。ソファーの上で眠っていた少女は身体を起こした。頭を振ると真っ黒なふわふわの髪の毛が少女の肩口でふるふると揺れる。眠りから意識を浮上させて蓮華は振り向いた。10歳の子どもが着るには少し仕立てのよすぎる赤い服。少女らしく不機嫌な顔をしながら蓮華は声をかけられるのを待った。紅色のカーペットの上で幼すぎる妹と、兄が遊んでいる。お人形遊びをしているらしい。おままごとだろうか。兄……蓮は楽し気に妹に語り掛けている。あんな楽しげな蓮を見たのは初めてだった。
ソファーから身を乗り出す蓮華に気が付いた蓮はゆったりとした動きで彼女の目を見つめると、どこかよそよそしく姉に話しかける。
「姉様も、いっしょに、遊びますか?」
「……。」
「あ、いえ、なんだか、遊びたそうだったから。」
「いい、おなか痛いから。……私にかまわないで、子ども二人で遊んでなさいよ。」
自身の口からこぼれた言葉に蓮華はうつむく。なぜこんな言い方をしたのか。理由をつけるとしたら、なんとなく蓮の態度が気に入らなかったとか。まるで他人に気を遣うみたいな言い方。本当は蓮華も妹と遊びたかった、だけれど、その言葉を聞いて蓮はどこかほっとした表情で痛々しく微笑んだ。そんな顔どこで覚えてきたの?ぎゅ、と手を握り締めると蓮華はその手元がさみしいことに気が付く。そうして先ほどまで握りしめていた自身のぬいぐるみを探した。手のひらに収まるほどの小さなかわいい手作りの少女。抱きしめていた腕からソレがなくなったことに気が付く。さっきまで一緒に眠っていたはずなのに。
「にーさま。」
幼い声が響いた。その声に妹の方をみた。妹の持つ少女のぬいぐるみはどこも汚れていないし、どこも壊れていない。蓮華は安堵し溜息を吐いた。
「……胡桃ね!まったく、それは姉様のよ!返してちょうだい?」
「やだー。」
「だめよ。返して。」
精一杯の優しい声で、妹に手を伸ばす。胡桃はやだやだと首を振る。
「姉様。少し貸してあげたら、いいと思います。」
いつもは静かに蓮華の言葉に同意を返してくれる蓮。戸惑ったようにおびえるように、それでも姉に主張する。
「蓮は黙ってて。」
「だって、6歳も年の離れた妹の持ち物を取り上げるだなんて、よくないですよ。」
「取り上げるだなんてしてないわ。返してもらうのよ。」
「少し貸してあげたら夜には飽きるでしょうに。」
「今必要なの。」
「なぜ?」
「なぜって、とにかく私は今、返してほしいの。」
「姉様は自分のものを胡桃にとられたのが我慢ならないんでしょう?少しは譲歩してくださいませんか。」
「じょ、……何よそれ。」
「大人になれってことです。」
「……いやよ。」
ふーっ、と猫が怒るときの声によく似た息が蓮華から漏れた。蓮は妹を庇うように蓮華の前に立つ。よく似た、黒髪黒目の鏡のような。なのに、もう少しだけ蓮華のほうが背が高い。それに気が付くと蓮華はまた自分の中で何かが崩れる音がした。
「いやよ。」
縋るように蓮を見つめる。彼は微笑みを見せない。蓮が謝れば蓮華は許すつもりだった。もう蓮華は妹のことなんてどうでもよかった。なぜ蓮が妹を庇うのかわからなかった。
早く、早く、蓮、謝って。そうしたら、私は許してあげるから。いつもみたいに受け入れて。そんな顔しないでよ。こんなに泣きそうな気持ちなのにどうして謝ってくれないの。そんな蓮、必要ない。いらない。
「そうやって、思い通りにならないと不機嫌になるところ、僕は嫌いです。」
よく似た顔が少女を拒絶してそれが最後だった。精神の紐が張力に耐えきれずにプツリときれた。
「私の味方をしない蓮なんて、いなくなればいいのに!」
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