2.二十五歳の時
……恋人同士となったけれど、そこから大きく発展したわけではなかったよね。
図書室で会う回数が増えて、放課後や休日に一緒に出掛けるようになったくらいで。
だけど、僕はそれだけが十分幸せだった。
きみと過ごす時間が増えて、きみの知らなかった一面もたくさん知れたし、色んなことを話して、とてもとても楽しかったんだ。
ただ、時間が過ぎていって、このままではいけないと感じるようになったのは、どちらも就職をして、会う時間が減ってきた頃だった。
そろそろ、僕たちの関係を前に進まなければならないと思い始めて、密かにプロポーズの計画を練り始めた。
きみはきっと、サプライズが好きなんだろうと思っていた。きみが薦めてくれた小説にはミステリーが多かったし、僕たちが付き合うきっかけになったのも、きみのゲームからだったから。
とはいえ、きみを驚かせるのは、正直大変そうだと思っていた。きみには内緒で、職場の同僚や先輩、スティーブンスにも相談していた。スティーブンスは僕の不安を聞きすぎて、ロボットなのに「耳にタコができそうです」と話していたよ。
試行錯誤があったけれど、どうにかプロポーズの手立ては整った。
次はタイミングだった。きみの二十六歳の誕生日がいいかなと最初は思っていたけれど、もっと普通のデートの時の方がよりびっくりするのかもしれないと思い直したんだ。
そう、あれはなんでもないけれど、僕だけには特別な日だった。人工太陽がとても暖かくて、のんびりとした春の日だ。昨日のように思い出せるよ。
……きみが告白した日と近くなったのは、本当に偶然だったと思うけれど。きみの研究分野で言うと、無意識の働き掛けなのかもしれないね。
僕らは、海洋センターへ向かった。海のないこの星で、唯一海の生き物を見れる場所だから、きみのお気に入りだったね。
帰り道で、メンテナンスを終えたスティーブンスを回収した以外は普通のデートだったと思う。きみは終始はしゃいでいて、スティーブンスにもどんな生き物がいたのか説明しだすくらいだった。
その途中で、ターミナル前の広場で、僕はトイレに行くと言って、きみをベンチに残して離れた。あの時、きみへのプロポーズへの最後の準備をしようと思っていたんだ。
ターミナルの中で、同僚の知り合いに変装メイクをしてもらい、上着の襟元に変声マイクを仕込んで、僕はこっそりターミナルから出てきた。三十分くらいかかったけれど、きみはスティーブンスと話していたようで、僕には全く気付いていなかった。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
営業スマイルというものを浮かべて話しかけると、きみはきょとんとした顔で、スティーブンスから僕の方へ顔を向けた。
目が合ったのは、本当に一瞬だけだったけれど、僕は緊張のあまり、頭が真っ白になった。だけどきみは、目の前にいるのは僕だと気付かなかったみたいで、「なんでしょうか」と小首を傾げた。
「新作のARゴーグルを試してみませんか?」
「いいですよ」
我に返った僕が用意していたARゴーグルをきみに見せると、きみは何の疑いもなく、それを受け取って、耳にかけた。
僕は手元の端末を操作して、とある映像をARゴーグルへ流し始めた。
「あっ、これって……」
きみの驚いた声が、口元から漏れた。あの時きみは、僕たちが出会った高校の図書館の映像を、ターミナルに重なる形で見ていたはずだった。
ゴーグルは、僕たちの思い出の場所を次々と映し出していった。初めてのデートで行った星立図書館、海洋センターや動物センター、第三緑化ドーム、僕の家へ向かうバスの車内、開拓ロケットを見に行った住居区外れの発射台……。
きみは、口元に笑みを浮かべていた。これまでの記憶を辿っているようだった。
僕はそんなきみの様子を見ていたかったけれど、そうもしていられない。映像が終わる前に、急いで変装メイクを解いた。
「あの……」
きみは、ゴーグルを外して、不思議そうに僕を見上げた。そして、隣にいるのが僕だと気付いて、はっと息を呑んだ。
僕は笑顔を浮かべて、緊張を紛らわせるために大きく息を吸い込んだ。
「この八年間、僕らはたくさんの思い出を作っていったね。きみの隣で一緒に笑い合えるのが嬉しくて、楽しくて、でも、いつもさよならを言うのが辛かった」
じっと僕を見上げるきみの瞳が、涙で潤んできた。
僕は自分の心に手を当てる。鼓動が、きみに伝わってしまいそうなほど大きくなっていた。
「これからは、もっと、ずっと、きみと一緒にいたい。色んな風景を見る以外にも、平凡な日々を過ごしたい。朝起きて、ご飯を一緒に食べて、『いってらっしゃい』『いってきます』『ただいま』『おかえり』を言い合って、夜はきみのいる隣で眠りたい」
きみは両手で口を覆う。うん、うんと頷く内に、涙が一筋流れていった。
僕はまた、言葉が出なくなってしまいそうになる。でも、きみが何を待っているのか分かっているから、勇気を振り絞った。
「僕と、結婚してください」
「はい。いつまでも、一緒にいましょう」
僕が差し出した右手を、きみが確かに握った。
……あの時の喜びを、何と言えばいいんだろう。天にも昇るような気持ち、この世の全てが輝いて見える、これ以上の幸福はない……本で学んだ言葉を用いても、言い表すことはできなかった。
ともかくあの瞬間、僕はきみと一緒にいられるというだけで、有頂天になっていたことは、確かだった。
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