きみの嘘、僕の恋心

夢月七海

1.十七歳まで


 ………………。


 …………………………。


 ……………………。

 …………………。


 …………。

 ……あ、もう録音始まっている?


 ……えーと、今、きみがどこにいるのか分からないし、調べる方法なんてどこにもないから、だから、とりあえず、こういう形で手紙を残そうと思う。

 これは、きみ以外の誰にも聞けないようにするよ。スティーブンスとも、そう約束したから、安心してほしい。


 僕は、小さい頃、本当に孤独な子供だった。

 両親は仕事で宇宙中を飛び回っていたし、友達と呼べる相手もいなかった。


 まあ、それは、僕が子供にしては珍しく、ゲームよりも本に夢中になっていたからだなんだけどね。

 話し相手は、父親が世話役として買ってくれたスティーブンスだけ。スティーブンスは、当時最新のAIが搭載されていて、人間らしい感情を持っていたから、正直寂しくはなかった。


 そのまま成長した僕が入ったのは、この星で唯一、図書室がある高校だった。

 家からはすごく遠くて、ワープとバスを乗り継がないといけない距離だったけれど、苦ではなかった。だって、移動中はずっと本を読めたから。


 初めて図書室に入った時の興奮は、今でもよく覚えている。近所にも紙の本を売っている店はあったけれど、天井に届くほどの本棚は置いていなかった。

 古い紙の匂いと、湿気を排除した室内のせいか、歩きながらくらくらと眩暈がするようだったよ。


 一通り回ってみたけれど、カウンターのロボット以外は誰もいなかった。

 そのロボットも、カウンター上に本が置かれたら起動するタイプのようで、僕以外に音を立てるものは何も無かった。だから余計に、胸の高鳴りが抑えられなくって、僕は無言だったけれど、目はぎらぎら光っていたんだと思う。


 その後は、一番よく読む小説のコーナーへ行ってみた。

 きょろきょろしていたけれど、特に目を引いたのは日本人作家の棚だった。あまり、馴染みが無かったからで、見慣れない著者名に目移りしながら歩いていた。


 その中で、一冊の本に目が止まった。

 タイトルは『その涙さえ命の色』、美しいその言葉の響きに惹かれて、僕はその本を手に取った。液晶端末では感じられない重さと古い紙の手触りに、心が震える。


 冒頭を目で追った。すぐさま、物語の世界へと潜っていく。

 僕は、主人公の少年の独白に夢中になっていたから、誰かの足音なんて全く耳に入らなかった。


「千花岬、好きなの?」


 右側からそう尋ねられて、僕は弾かれたようにそちらを見た。

 本棚の間に立ったきみは、きっとひどく驚いた顔をしていたであろう僕を見て、同じくらい目を丸くしていた。


「ごめんなさい、驚かせて」


 苦笑したまま小さくお辞儀したきみに、僕はぶんぶん首を横に振るだけだった。……正直、同級生の女の子と話したことも無かったから、何にも言えなかったんだ。情けないことに。

 きみは、僕が持つ本を指さした。その表紙を見て、彼女が口にしたのが、この小説の作者だと気が付いた。


「あ、あの、ちょっと気になったので、作者のことはあまり知らないんです」

「そうなの? 面白い本よ。ただ、この作者の本は、ここに一冊しかないのが残念だけどね」


 きみは、柔らく微笑みながらゆっくりと僕に近付いてきた。

 僕はここに初めて入った時とは違う意味でドキドキしていた。一歩踏み出すたびに、きみの髪が揺れるのを、ポカンと眺めているだけだった。


「あ、ぜひ、借りてみようと思います」

「そうなのね」


 きみはニコッと笑って、自己紹介をした。きみが二年生だということが分かったけれど、そんなきみがどうしてこんな風に僕に話しかけてくるのが不思議だった。

 僕も続いて自己紹介した。きみは間髪入れずに「素敵な名前ね」と褒めてくれて、それがまたこそばゆかった。


 だけど、意気地のない僕は、まだ話そうとしてくるきみに、「用事があるから」と言ってその場を去っていったんだ。

 きみは残念そうな顔をしていたけれど、また今度ねと、『その涙さえ命の色』を持っている僕の背中にそう言ってくれた。それがどれだけ嬉しかったか。


 それから、ほぼ毎日、僕たちは図書館で顔を合わせた。

 話すのはもちろん、本のことだった。


 僕が「その涙さえ命の色」が面白かったから、同じ作者のデビュー作を電子書籍で買ったと話したら、きみは心から嬉しそうに笑ってくれたね。

 ちなみに、スティーブンスの名前の由来となった小説を言い当てたのも、きみが最初だった。


 ……だんだんと、きみのことが好きになっていったのは、自然なことだったのだろう。

 好きって本当に不思議な感情で、きみが初恋だった僕はそれにいつも振り回されていた。きみが隣にいても、いないときでも、きみのことを考えてしまうのが、自分でも不可解だったくらいに。


 だけど、きみと僕とは全く釣り合わないことを、僕は年月を重ねるごとに理解していった。

 友達のいない僕とは正反対に、きみはいつもたくさんの生徒に囲まれていて、先生たちからも信頼されていた。誰に対しても優しいから、特別なのは僕だけじゃないんだと、何度思ったことか。


 そんな日々が過ぎていき、進級してからの最初の登校日、春休み明けの再会を図書室で果たして、僕らはテーブルの上に本をたくさん並べて向かい合っていた。

 僕は小説が一番好きだったけれど、きみは図鑑も好んでよく読んでいた。その時読んでいたのは、『嘘に関する文化』だったね。


「嘘って、結構興味深いのね」


 きみはそう言って、ちょうど一冊を読み終えた僕に、その本を見せてくれながら色々説明してくれた。

 僕が覚えているのは、「嘘をついたら、死後に舌を抜かれる」って話かな。あと、「宇宙人が攻めてきた」という嘘の情報を流して、大騒ぎになったという逸話を読んで、「今だと外交問題だね」と笑い合ったのを覚えている。


 ……この日も、図書室には僕たちしかいなかった。だから、ルールを守らずに二人でおしゃべりに夢中になっていた。

 地下にあった図書室はひっそりとしていて、ちょっと薄暗くて、僕らの話声も笑い声も、本の紙の中に吸い込まれてすぐに静まり返った。


「嘘をついてもいい日があるんだね」


 きみがぼそりと呟いた。「エイプリルフール」という行事についてのページが開いていた。

 僕がそこに書かれた文字を真剣に読んでいるときに、きみが「ねえ」と努めて明るい声で話しかけてきた。顔を上げると、きみははにかんだ笑顔で、「エイプリルフール」という文字を指さした。


「もう四月一日は過ぎちゃったけれど、私たちでもやってみようよ、エイプリルフール」

「でも、いきなり嘘をついてみるとか、難しいですよ……」

「じゃあ、クイズにしてみない? 私が三つ言う内の一つが本当のことだから、それを当ててみて」

「分かりました」


 お茶目なきみに対して、僕はアンバランスなくらいに生真面目に頷いた。

 ただ、どうして急にきみがそんなことを言ったのか、それが分からずにいたのは確かだった。


「じゃあ、一つ目」

「はい」

「私が寄り道すると、すごく怒られる」


 これは嘘だと分かった。

 かつてきみには、図書館から帰ろうとしたときに友達から連絡があって、これから一緒に遊びに行くのだと嬉しそうに話していことがあったからだった。その時、僕が置いてけぼりにされたような気持になったことも含めて、印象に残っていた。


「二つ目、私は本が大好き」


 これは本当だと思った。本が好きじゃなかったら、こんな風に図書館に通ったりはしないだろうと。

 だけど、こんなにすぐに本当のことを言ったら、三つ目はどんなことを言うのだろうか? 僕は妙な胸騒ぎと共に、きみの言葉の続きを待った。


「三つ目……」


 その時初めて、きみが口ごもるのを見た。

 不自然な沈黙の後に、きみはゆっくりと口を開いた。


「私は、きみのことを愛していない」

「えっ?」


 驚いた僕は、目を零れ落ちそうなくらいに大きく見開いていた。

 一方、きみは真っ赤な顔をして、だけど真っ直ぐに僕を見据えていた。


「やっぱり、正解、分かっちゃった?」

「あ、えーと……」


 僕はまだ困惑していて、弱ったように苦笑するきみになんと返答すればいいのか分からなかった。

 だけど、きみの反応を見たら、冗談はやめくださいと笑い飛ばすなんて無神経なことは、出来るはずがなかった。


「改めて、ちゃんと言うね」

「……はい」


 きみが、改めて座り直して、僕と向き合った。

 僕も、きみの一文字一文字をしっかりと訊いて、受け止めようと、同じように背筋をぴんと伸ばす。一瞬間に、きみと僕の視線が交差した。


「私と、付き合ってください」

「はい。よろしくお願いします」


 僕は、差し出したきみの手を強く握った。

 僕よりも身長の低いきみの手は小さくて、温かくて、僕の鼓動ときみの脈が交じり合って聞こえてくるように感じられた。


 ……こうして、僕たちの関係は、図書室で顔を合わせる先輩と後輩から、恋人同士へと変わった。




















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