第10話 七日目の終末

—————結局、私がやろうとしていたことに意味なんてなかったのだ。

私がどれだけやり直したいと望んでも、そんな奇跡はありえない。私には月華が必死で生きてきた数年間を「なかったこと」にはできない。

月華の人生を滅茶苦茶にした私の存在を消してしまいたかった。月華が私のかけた呪いみたいな言葉を忘れて、笑ってくれるようになればいいと思った。

やり直したいと強く願ったのに、だから魔法の世界にまで行ったのに、あんな怪我まで負ったのに。いざとなったらこんな結末で、私は本当に何をやってるんだろう。

笑っちゃうくらい滑稽だ。なのに涙が止まらない。

結局のところ、私のこの旅は冒険譚でもなければ、ハッピーエンドでも終わらないし、徒労でしかない。

私が——————かつて朱雀と呼ばれた紅が、諦めるまでの物語だ。

月華は目覚めない。私のしたことは消えない。でもきっとそれでいい。だからさよならだ。さよなら月華、さよならかつて月華の友達だった朱雀、そして。


「ごめんなさい、ここまで来てもらったけど、月華の時間を巻き戻さないでください」

九十度に頭を下げた。月華の寝ている和室の前、板張りの廊下に並んで立つ魔法使い三人が、怪訝な表情を浮かべるのがよく分かる。

どうでもいいけど、この純和風な日本家屋に外国人みたいな魔法使いが三人もいるのはなんだか不思議である。場所にそぐわなすぎる。時間が止まっているから誰にも見られないのが救いだけど、一目見ただけでも不審者なのは分かる佇まいだ。

「………それはえっと、友達を治すことを諦める、ってこと?」

「はい、諦めます」

「………分からないなあ」

キョウさんはいっそ困ったように眉を下げて笑っていた。まるで私の気持ちが全く理解できなくて悲しいというように………たぶん私の勘違いだけど、理解できないことが悲しいみたいに。

「あの子のことを助けたかったからここまでしたんでしょ?それなのに諦めるの?どうして?」

「キョウさんには分からないかもしれないけど、月華に目を覚ましてほしいのは、きっと私のエゴだから」

「………エゴ?」

「はい。だから、いいんです」

この場にいる人は誰も理解できないかもしれない。

私の願いに耳を貸したせいで月華は不幸になったんだ。それはきっと間違いない。だから月華の時間を、私が月華と出会う前に戻せば、もしかしたら月華は幸せになれるのかもしれない。少なくとも、あんな死を待つだけの状態からは抜け出せたかもしれない。

でもこの結末を、もし月華が望んでいたのなら。

「月華、寝てるんですけどすっごく穏やかで、だからもしかしたら今は、幸せな夢でも見てるんじゃ、ないかな、って………」

さっき無理やり引っ込めたはずの涙がぽろぽろと零れてくる。

「おい、何泣いて、」

「………そっかあ」

フレアさんの言葉を遮って、キョウさんが呟いた。俯いてぐしぐしと涙をこする私の頭の上にのせられたのは、きっとキョウさんの手だ。

きっと数えきれないほど人を食った手なのに、この手にすがりたいと思ってしまうのはなぜなんだろう。自分の感情一つ、ままならなくて嫌になっちゃうなあ。

「もういいだろ」

「あ、はい、ごめんなさい、来てもらったのに」

俯いたまま、流れる涙は止まらないけれど、退屈そうにそっぽを向いたトオヤくんにも頭を下げる。たぶん一番迷惑をかけたのは彼だ。トオヤくんからすれば何が何だか分からない間に全部終わった、みたいなものだろう。

「えっと、帰る時も魔法陣がいりますよね、ちょっと待ってください………」

一度はケースにしまったナイフを取り出す。トオヤくんの言う転移用魔法陣を書くのは地味に大変だけど、できるだけ迅速に三人を帰してあげないといけない。

「あ、それなんだけど、いらないよ」

意気込んで取り出したナイフを、後ろからするりとキョウさんに取り上げられてしまった。あれ、いらなかったんだろうか。

「ねえ紅、これで満足してるんだよね?」

「はい」

手の中でくるくるとナイフを回すキョウさん。危なっかしいからやめた方がいいと思うけど、たぶん言っても聞かないのでその動きを見守っていると、相変わらず作り物みたいな笑顔が私に向けられた。

「後悔しないよね?最後にあの子を見捨てたこと、絶対に」

「………はい」

嘘をついた。きっと私は後悔する。生きている限り、ずっと。自分の決断が正しかったのか迷い続ける。分かってる。

—————人生は後悔の連続だ。

あの時ああしていればよかった、こうしていればよかったって。でもだから、だからこそきっと、人生をやり直してはいけないんだ。それがきっと、私の物語の教訓だった。

「そっか。じゃあ——————さよならだね」

最後くらいは笑顔でお別れしたい。だから笑った。キョウさんの人を食ったとは思えない綺麗な笑顔には遠く及ばない作り笑顔だけど、私にできる精いっぱいで。

「さよなら、ありがとうございました————キョウさん」

「うん。会えてよかったよ、紅」

名前を呼んで。そして。まるで別れ際の抱擁をするように距離が近付いて。

————————キョウさんの持つナイフが、私の腹を抉った。




冷たい。

体の中に異物が侵入した感触だ。冷たい。冷たい——————熱い。

燃えるように焼けるように熱い、差し込まれた刃が冷たい、痛い。

「え、っと、」

よろよろと笑顔で立つキョウさんと距離をとって、自分の腹を見下ろす。ぐらぐら揺らぐ視界に、自分の腹に突き刺さったナイフが映った。

さっきキョウさんに取り上げられた携帯用のナイフ、三人を本部から逃がすための魔法陣を書こうと取り出したナイフ、それが私に刺さって、当たり前みたいに刺さって、キョウさんは笑顔で、フレアさんとトオヤくんは————憐れむような目をしていた。

「キョウ、さん?」

「うん、なに?」

身体から血液が抜けていく。咄嗟に傷口を抑えた手が生温かい血で濡れていく。一度はキョウさんの返り血を顔にかぶった、でもこれは違う、私の血だ。私の命が失われていく温度だ。

「どう、して?」

「どうしてって、」

上手く視界が働かない。背負ったリュックサックがとんでもなく重たく感じて、廊下にしりもちをついた。ナイフ、抜いたほうがいいんだろうか。抜かない方がいいんだろうか。

「だって俺は、人間の敵だよ?」

腹に突き刺さったナイフを抜こうと柄を握ったけれど、上手く力が入らない。そのままずるずると体が横倒しになっていく。なんだか指先が冷たい。

床から見上げたキョウさんが、私の横に膝をついた。私の体から零れた私の血が体につくことなんてまったく気にせずに、浅い呼吸を繰り返す私にも聞こえるように顔を近づけて。

「紅は食べ物じゃなくて人間だよ、俺が出会った唯一の人だ。嬉しいなあ、初めて俺の敵に出会えた——————初めて俺のために敵を殺せた」

俺たちの世界は土地が渇いて枯れていて、もう魔法使いが生き残ることはできないような環境になりかけてたんだ。だから人間の世界を奪おうって誘われて、お腹いっぱいになりたくてそんな理想に同意したのに、結局俺は食べてばっかりで、でも君に出会えた。

「きっと紅が最初で最後の俺の敵なんだよ、そんなのどうやったって殺したいに決まってる!」

——————ああ、そっか。

私は人間で、キョウさんは魔法使いだもの。

キョウさん、きっと、ほんとはちゃんと、みんなみたいに、じぶんのために、たたかいたかったんだなあ。

今更分かってももう遅いけれど。

「おい、寄り道してる場合じゃないぞ」

意識が暗転していく。トオヤくんはきっと私に目も向けていない。憐れんでいたのだ、きっと彼は。何も知らないまま屠られる私を、死ねない彼の目から悼んでくれていたんだ。

「ミナトには時間停止はきかないから、あいつだけは殺しにいくぞ」

「うん」

「後はフレアが焼き払え、得意だろそういう雑な仕事」

「はいはい、じゃあ早くそいつを殺してこいよ。殺しても死なない奴を殺すのはキョウの仕事だろ」

「殺すんじゃないってば、食べるだけ。俺が殺したのは紅だけだよ、きっと」

慈しむようにキョウさんの細い指が倒れこんだ私の頬を撫でた。恋人なんていたことはないし、両親にこんな風に触れてもらった記憶も遥か彼方だけど、まるで愛おしいものに触れるような手つきだと思ってしまった。

——————ここで殺されてもしょうがない、諦めようと思えてしまうくらいには。

「ほら早く行け」

「もうちょっと感傷にひたららせてくれてもいいのに」

板張りの廊下をトオヤくんとキョウさんの足が歩いて遠ざかっていくのが、倒れこんだ視界にも見えた。フレアさんは上手く歩けないから、トオヤくんとキョウさんの仕事が終わるまできっとこの時が止まった部屋の中で待っているんだろう。

そして全てが片付いたら、全部を燃やして言葉通り「終わらせる」んだ。私たち人間のありふれた世界とか、そういう一切合切を。


「………まだ生きてるか非常食」

頷く元気はなかったけれど、フレアさんの声はちゃんと聞こえる。

ここは月華のいる場所のすぐ近くだけど、月華の顔も見えずに誰にも看取られずに、自分の判断ミスを後悔しながら死んでいくんだと思っていたのに、フレアさんがそばにいてくれるなら一人で死ぬことはないな、と思った。

こうしてじわじわと血を失いながら、やがて心臓も止まるんだろう。冷たい板張りの廊下に倒れて、魔法使いに見下ろされながら、自分の血に沈みながら。

「聞こえてるかは知らないけど、これが俺の雇い主の命令だ」

私という愚かな人間の手引きで、難攻不落だった本部に侵入すること。結果がどうであれ私を殺して、本部の警護をしている不死身の魔法使いを、キョウさんの魔法で完治不可能になるまで食べること。

すべて終わったら時間が止められて無抵抗な本部を、丸ごと燃やすこと。

「いつ、から、ですか?」

「………トオヤが合流した時か」

ということは、途中まではキョウさんとフレアさんは当初の目的を一度忘れて私に協力してくれていたことになる。

それなら外部から状況を把握して合流したトオヤくんが、フレアさんたちの雇い主からの指示を二人に伝えたってことになるんだろう。

「………辛いか」

「はは、まあ、わたし、ばかだなって、」

「楽にしてやろうか」

「もえるの、いたいから、いやです」

「そうかよ」

こうやって死ぬのは自業自得だ。刺されたお腹は痛いし、視界がぐるぐる回って気持ちが悪いけれど、後悔してももう遅い。私はきっとこのまま死ぬ。

いつかキョウさんが死んだ時みたいに、血をぶちまけて温度を失った死体になる。

あとどれだけで死ぬかは分からないけど、私にはキョウさんと違って復活のチャンスなんて残されてない。本当に後悔ばっかりの人生だった、なあ。


「なに、死んじゃうつもり?」

いつかどこかで聞いたような少年の声が、どこからか聞こえた気がした。さっきまで見えていた木の床が消えて、こちらを覗き込んでいたのはすっかり自由の身になった、顔に一枚お札を貼りつけただけの少年だった。

「月華を置いて、自分だけ楽になるつもり?」

そんなこと言われても困る、死んじゃいそうなのは私のせいじゃない。言葉にしたいけど喉がつかえて言葉にならない。少年の口元が楽しそうに笑顔の形をとる。

——————ひらりと、一枚だけ残っていた札がはがれて、床に落ちて。

目に映った顔でようやく、私は彼が誰だか思い出した。


「………つきか」

ぱちり、と。もやがかかっていく意識の片隅で、かつての親友の名前が瞬いた。喉に血が絡む感覚がして喋りづらかったけれど、彼女の名前だけはすんなりと呼べた。飛びかけていた意識を覚醒させるために、言葉を、絞り出す。

「つきか、しんじゃう」

燃やされたら死んでしまう。今は穏やかな夢を見ているようだった月華も、夢ごと焼き払われてしまう。

「ひゅうがさんも、くずはちゃんも、」

私がここに帰ってきたことを喜んでくれた人たちも。私が下らない願いのためだけに起こした間違いのせいで、みんなが死んでしまう。何が起きたか分からないまま、命が終わってしまう。止まりかけていた呼吸が再開する。

「だめ、それは、」

「何してるんだ」

力が入らない手を握りしめて、ずるずると廊下を這う。匍匐前進よりもみっともない、ちゃんと進んでいるのかどうかも分からないし、そもそもどこに進んで何をすればいいのかも分からない。でも。

「行かせると思ったか?」

見据えた先にフレアさんが立ちふさがる。一本だけしか足がないけれど、それでも瀕死の私にとどめを刺すこともここで無様な進行を止めることもできるだろう。

「………諦めたんじゃなかったのか」

それはなんだか、「早く諦めてくれ」というような響きもあった気がしたけれど、それはともかく。

「こうかい、は、もうあきらめました」

月華を追い詰めたのも、今本部を追い詰めているのも、油断して刺されたのももう終わってしまったことで私の後悔だ。それでもまだ、まだ諦めれないことがある。

「でもまだだれもしんでないからっ………!」

数センチ、手を前に出す。体から血が抜けていっても、手を頼りに体を前へ引き寄せる。

どうすればいいかなんて分からない。こんな死にかけの悪あがきに意味があるとも思えない。でもこれはまだ終わってない。まだ誰も死んでいない。本部はまだ、終わってない。

「こうかいするには、はやいから」

「………………」

放っておけば絶対に死ぬ。何もできないまま死ぬ。それでも歩みを止めない私を、一度諦めてもう一度歩き始めた私を、フレアさんはどうしたらいいか決めかねているようだった。彼の魔法一つで私は消し飛ぶけれど、それよりも先に。

「ふれあさん、ようへいなんでしょ?」

私の歩みを止めるというには中途半端な位置に立ったフレアさんの足首を掴んだ。もうどんな表情をしているか見上げる余裕もない。喋るだけで血の塊が喉に詰まる。

でも話すのだ。まだ終わっていないから、口を止めてる場合じゃないから。

「わたしにやとわれて、くれませんか?」

「………そんな死に損ないが、何を対価に俺を雇うつもりだ?」

呆れているんだろうか。憐れんでいるんだろうか。表情は見えないけれど、フレアさんが情に流されるような人ではないことは分かってる。

私には魔法使いのすべての事情を知っているわけではないけれど、彼らは彼らで自分の世界や生活を守るために私たちの世界を滅ぼそうとしていたことは分かったから。

でも、生き延びることだけが人生じゃない。

「対価は、」

まだ私の物語は終わらせることができない。

これは救済の物語じゃない、ハッピーエンドでは終わらない。私が戦う物語。

「———————キョウさんの命」


「なあ非常食、聞かせてくれよ」

「お前、俺たち魔法使いを本部に入れて、本当に何事もなく終わると思ってたのか?」

「ああ、おい、意識飛ばすな。あと舌は噛むな」

「どうして信じようと思ったんだ。キョウが優しそうな顔だったから?」

「トオヤが自分より年下に見えたから?」

「俺がお前を殺さなかったから?」

「今から死ぬほど痛いことするけど、死なないためだから耐えてろよ」

「それにどうして、裏切られても俺にすがる?」

「恨んだり憎んだりしないのか、お前」

「ほら——————起きろ」


ぱちり、と目を開ける。意識が途切れる前に見上げた木目の天井が再び視界に入る。

私はまだ、生きていた。

身体は鉛みたいに重いし、気を抜いたらそのまま寝落ちしてしまいそうだけど、少なくとももう一度目を開けることができた。

「………フレアさん」

「応急処置だ。内臓に手突っ込んで焼いて止血、あと皮膚も。刃渡りの短いナイフでよかったな、あと数時間はなんとか生き延びれそうだ」

声のする方に首を少しだけ動かすと、血で真っ赤に染まった医療用手袋を外すフレアさんの姿があった。あれ、私のリュックサックに入っていた救急セットの中身だ。

………本部の人が持たせてくれた物資は、最初から最後まで私を助けてくれた。

「ただ何かの拍子に傷口が開いたらもうどうにもならないぞ。正直に言うと治療というより延命処置だ………動けそうか?」

「ちょっと、待って、ください」

床にたれた手に力を入れて体を起こそうとしたけれど、まったく体が動かない。

そりゃあそうだ、血を流しすぎているし麻酔もなしに止血をしたんだ、痛みで暴れた後の疲労感が全身に残ってる。でもここで起き上がらないと。

「時間がないぞ非常食」

「………フレアさん、それ何するつもりですか?」

フレアさんの片手に炎みたいな光が灯っているのを見て、思わず身を引いた。

ついでにその光に照らされた目が、もはや実験動物を見下ろすような目つきで、私の命もここまでかもしれないと覚悟を決めたくなってしまう。

「ごめんなさいっ、すぐ起きるから始末するのだけは………!」

「馬鹿か、助けるんだよ」

ずぼ、っと。

間抜けな音を立てて、私のお腹にフレアさんの手が炎に似た輝きごと押し込められた。

「………え?」

貫通、はしてない。痛くもない。お腹のあたりに不思議な温かさはあるけれど、それ以外は特に何も感じない。

「………手品みたい」

「魔法だからな」

私の間抜けな呟きに律儀にも正論を返してくれるフレアさん。さっきも聞いたようなやりとりなのに、随分懐かしく感じてしまう。雑なのか手厚いのか厳しいのか優しいのか分からない。でも。

もし魔法の世界があんな荒野じゃなくて、平均寿命がもっと長くて、フレアさんが傭兵じゃなかったら、きっとフレアさんは普通にいい人になっていたんじゃないかと思う。そんな仮定になんの意味があるか分からないけれど、純粋にそう感じた。

「魔力は生命力だ、半分………四分の一………六分の一貸してやるよ」

「そんなに苦渋の決断みたいな顔するなら十二分の一でもいいですよ!?」

「ケチると動けないだろ」

ずぼりと音を立てて私のお腹からフレアさんの手が抜かれた。慌てて体を起こしてさっきまで人の手が埋まっていた部分をぺたぺたと触って確認したけれど、刺された時にできた傷以外は何もない。あ、でも起き上がれた。

「魔力ってすごいですね!あんなに動けない感じだったのに、今はちゃんと動けます!」

「生命力の前借だ。有限だからそう長くはもたない」

つまり私が死に損ないであることは変わらないってことか。

「大丈夫です。本部さえ守れればそれでいいので」

「俺はキョウさえ殺せるならそれでいい」

ぱきぱきと両手の骨を鳴らしたフレアさんが、片足でしっかりと立ったままこちらを見据えた。

「それで、作戦はあるんだろうな?言っておくがこの足だ、あんまり俺に期待するなよ」

「あ、はい、それは大丈夫です!考えてあります、でも一つ確認したいことがあって」

片足をなくして動けないフレアさんと、今日一日生き延びれるかどうかも分からない私で、なんとかしてキョウさんを倒さなきゃいけない。

キョウさんはミナトさんを倒しに行くと言っていた。それならなんとなく場所の検討はつく。早くしないと、全部が手遅れになってしまう前に。

「—————そういうことか、分かった」

私の打ち明けた作戦を聞いて、フレアさんは一つ頷いた。

「ただもしキョウを殺せなかったら俺は計画通りここを焼くぞ、いいな?」

「はい」

世界の侵略よりもキョウさんの命を奪うことを選択するあたり、フレアさんとキョウさんの間には相当の確執があるのかもしれない。

「他に確認することは?」

「確認ってわけじゃないんですけど………協力してくれてありがとうございます」

その瞬間に浮かんだフレアさんの表情がすごく面白かったなんて、口が裂けても言えないから、これは私が墓まで持って行こう。


ミナトさんは魔法使いだった。そして私に旅に出るきっかけをくれた人だった。

「ごめんね、俺には月華ちゃんを助けてあげれない」

そしてはっきりと私の願いを拒絶した魔法使いだった。きっとミナトさんは分かっていたのだ。

—————時間を巻き戻してまで月華を蘇らせることを私が望まないことを。

「………まだ動けるか」

武家屋敷を抜け出して外に出ると、世界の時間が止まっていた。雲も流れていないし風も吹いていない。人間も、中途半端に歩く格好のまま完全に硬直していた。時間を止めるって、こういうことだったんだ。

「私は平気です!それよりフレアさんをちゃんと運べなくてごめんなさい」

「こうやって移動した方が早い」

あの家から出る時に持ち出した松葉杖のおかげで、フレアさんは片足しかない割に早く歩けていた。一歩が大きい分私より早く歩いてるかもしれない。

それよりもフレアさんの指摘通り、簡単な熱の止血と止血帯で止めただけの私の傷口からは少しずつ血が滲んで、お腹の包帯を赤く染めていた。

………あんまり走らない方がいいのかもしれないけど、歩いてる時間はないしこのままいくしかない。

「それよりもミナトの居場所は分かってるのか」

「はい、たぶん」

ミナトさんは本部を離れない。息をするように魔法を使う人だったから、本部の敷地から出ないとは言え魔法で移動したり自分の姿を消したりしていて、見つけることは難しい。

それでも私は月華を治してもらおうと、ミナトさんのことを追いかけまわしていた。ミナトさんが行きそうな場所の検討はある程度つく。日向さんに「それストーカーじゃん?」と引かれた私の執念の賜物だ、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけれど。

「——————この先にいます、きっと」

辿り着いた場所は山のふもとだ。ミナトさんはよく、この山の頂上にある池にいた。

どうしてかは分からないけれどそこが彼のお気に入りの場所だということを、私は知っている。だからきっと今日もここにいる。

「それじゃあ後はさっき説明した通りでお願いします。私が全然帰ってこなかったらその時は対価が支払えなかったということで、燃やしちゃってください!」

本当は燃やしてほしくはないけれど、そう言うしかないのだからしょうがない。ここでフレアさんとはお別れだ、後は私の頑張り次第………というより、私とフレアさんの読みが外れていたら普通に負ける。

だからもうこれは努力じゃなくて賭けなんだ。そして。

「私が行くまでミナトさんが生き残ってますように!」

血が抜けた体は重たい。しかも現在進行形でお腹から血が抜けていく。フレアさんの力を物理的に借りてなんとか動かしている死体同然の身体だ。自分が一番よく分かる。

「お願いだからなんとか耐えて………!」

登り始めた山は足場が悪いし、夜だから周りの景色はよく見えない。そんなに高い山ではなかったけれど、今の私には一歩進むのも命がけだ。

さっきフレアさんに手を突っ込まれた場所に、もう一つ心臓ができたように温かい。それでも自分の左胸の鼓動が徐々に弱っていくのは分かるのだ。苦しい、けど、立ち止まれない。—————他の誰でもない、私の祈りを私が叶えるために。

「あっ、」

一歩一歩を踏みしめて、ようやく視界が開けた。ミナトさんを探して何度も登った山の上、月に照らされてぽっかりと池がある見慣れた光景、そのすぐそばに。

「キョウさんとトオヤくんと………」

そこまでは分かったけれど、二人と相対している少女は誰だろう。どこかで見たことがあるような気がするけれど、敵なのか味方なのか判断に困る。それに肝心のミナトさんは。

「——————ここにいるよ」

「ひっ、」

「静かに」

思ったよりも至近距離から声をかけられて、悲鳴を上げかけた口も塞がれる。まだ何もしてないのにこんな所で死んでたら意味がない、早く抜け出さないと、

「俺だよ。ミナトだから、大人しくして」

「………え?」

確かに後ろからかけられる落ち着いた声には聞き覚えがあった。ゆっくりと後ろを振り返ると、月明りに照らされてほんの少し微笑んでいたのは間違いなく。

「ミナトさん………?」

「うん、おかえり紅ちゃん」

相変わらず夜の闇に溶けてしまいそうなくらい真っ黒な彼が笑う。もう叫ぶ心配はないと判断されたのか、口からゆっくりと手が外された。

口が自由になった途端、疑問が口から零れだす。数メートル先にキョウさんがいるから押し殺した声だけど、喋ることは止められない。

「ミナトさん、大丈夫なんですか………!?てっきり私、この中で動けるのはミナトさんだけだと思ってて………あの女の子は!?というか怪我………!」

「落ち着いて。俺は確かに怪我してるけど、紅ちゃんほどの致命傷じゃないよ。それからあそこで気を引いてくれてる女の子は葛葉ちゃん、知ってるでしょ?」

「………あ、」

そうだ。私と月華を見つけた人なんだ、あの子は。言われてみれば分かるのに、どうして一目見て気付かなかったんだろう。

「今の葛葉ちゃんは色々とパーツが欠けちゃってるから、分からないのもしょうがないよ。でもよかった。紅ちゃんが来てくれたから—————まだ勝てる」

そう呟いたミナトさんの目が、きらりと金色に光った気がした。この光は見たことがある。

「ミナトさんは、トオヤくんと同じ魔法が使えるんですね?」

「そうだよ」

頭の中でパズルのピースがはまった感覚がした。だから月華を治すことはできないと言ったんだ、ミナトさんは。

当然だ、私は月華の壊れてしまった心を治してほしかったわけで、月華の生きた数年間を丸ごとなかったことにしてほしかったわけじゃない。

それを分かっていたからミナトさんは断った。意地悪でもなんでもなく。そしてトオヤくんと同じ魔法が使えるから、ミナトさんはこの時間の止まった空間の中で動くことができるんだ。だからつまり。

「それが分かったら、俺が何をしようとしてたのかも分かるんじゃない?」

「………私を、待ってた?」

「君が来る未来に賭けてたんだけだからなあ、来てくれて本当によかった」

もし。本当に「時間の魔法」なんてものが使えたら。ミナトさんには未来を見ることもできたんだろう。だから今、この場所で私を待っていた。

「でもどうしてですか?」

「俺一人じゃ勝てないから」

いっそ屈辱的な敗北宣言のようだけど、ミナトさんはどこか楽しそうに笑ったままだった。一度食われれば一生戻ることはないキョウさんの魔法と、あらゆる事象をなかったことにできるトオヤくんの魔法を相手にして、それでも勝算はあると言うように。

「だから葛葉ちゃんにだけは起きてもらったんだ。本部の時間は止まってるけど、一人くらいなら本物じゃない俺にも起こせるから。トオヤを倒せる可能性がある、葛葉ちゃんを選んだ。でもキョウに勝てるのは紅ちゃんだけだ」

私だけ。

どうして見た目はただの少女でしかない葛葉ちゃんがトオヤくんに勝てるかとか、ミナトさんはどこまで知っているのかとか、色んな疑問が頭の中を回ったけれど、それは口から出ることはなかった。

「———————分かってます」

きっとこれは確信だ。陳腐な言い方をしてしまえば運命だ。

私はキョウさんが世界を食べ尽くす前に彼を止めなきゃいけない。どうして死にかけの私にそんなことを頼むんですか、なんて、泣き喚きたい気持ちがないと言ってしまえば嘘になるけれど、私は覚悟を決めてここに来たのだから。

「うん、いい顔だ」

するりと伸ばされたミナトさんの手が私の頬を撫でた。よく見るとその手も、中指と薬指が欠けてしまっていて、私がここに来るまでに既にミナトさんは戦ったということを雄弁に教えてくれていて。

「大丈夫だよこれくらい。知ってたからね」

私の目線に気付いたミナトさんがやんわりと微笑む。捉えどころのない人だと思っていたのに、なんだか今日はただの優しいお兄さんみたいだ。こんな修羅場の最中にいるのに、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろう。

「君は何かに守られてる。魔法とは違う、なんだか分からないものだけど、君が魔法なんかで傷つかないように守ってる力がある。だから魔法使いにはきっと負けない」

ちかり、と私の頭の奥で何かが光った。触れられた頬からゆったりと何かが流れ込む。

「俺のイメージだよ、じっとして。大丈夫、きっと勝てるから」

私を落ち着かせるような声のトーンでミナトさんは続ける。ちかちかと光っていた場面が明確なイメージになった。ああ、これはもしかして。

「………トオヤは葛葉ちゃんと俺に任せて」

「私はキョウさんを、」

殺す。倒す。食う。なんて表現するのがいいんだろう。一瞬言葉に詰まった隙に、ミナトさんの手が私の頬から離れた。

「………治してあげられなくてごめんね」

落ち着いてミナトさんの姿を見てみる。申し訳なさそうに眉を下げるミナトさんの、声のトーンはいつもより落ち着いてるくらいだ。でも。

「ミナトさんも傷だらけじゃないですか………」

「あはは、まあね」

着ている服が黒いのと、周りが暗いから分かりづらかったけれど、ミナトさんの格好も私に負けず劣らず満身創痍だった。

私がここに来るまでの時間、ずっと戦ってたんだろうか。

——————来るか来ないかも分からない私を待っていてくれたんだろうか。

「全然問題ないよ………とは言えないけど、紅ちゃんは心配しないで」

ミナトさんの言葉を信じずに本部を飛び出して、挙句の果てに本部に魔法使いが侵入する手引きをした私を、こんなボロボロになりながら待っててくれたんだ。

その事実に止まりかけの心臓が高鳴った気がする。きっと気のせいだ、でも。

「紅ちゃんの考えてることは分かるよ、でも君は世界の滅亡を招いた犯罪者としてこれから戦うんじゃない」

ゆっくりとミナトさんが立ち上がる。話は終わりだと言うように、池のそばで戦う葛葉ちゃんの方に視線を向ける。

「君はこれから世界を救うんだよ、救世主」

見惚れてしまうくらい格好いい笑顔で、格好いい台詞だった。

ずるい、この状況でそんなことを言って、自分は戦いに戻ってくなんてずるい。そんなことされたら私も戦うしかないじゃないか—————罪滅ぼしじゃなくて、救世主として。

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