第9話 七日目の創世

本部は対魔法使いには絶対的な防御魔法をかけているらしい。トオヤくんはともかく、フレアさんとキョウさんにも突破できない魔法だと三人は言っていた。だから月華のところにトオヤくんを案内しようと思ったら、私が内側から手引きするしかない。ということで。

「紅!帰ってきたんだな!」

防御魔法なんて本当にかかっているのか疑いたくなるくらい、私はあっさりと本部に帰ってくることができた。私の顔を見た瞬間、入口に見張りとして立っていた日向さんが飛びついてきてバランスを崩す。あ、これはまずい。

「いたっ!」

「わ、ごめん紅!っていうか紅、どうしたんだよ何してたんだよ怪我してんじゃないか衛生兵―!」

「落ち着いて日向さん!これはちょっとした怪我だから!」

いっそ清々しいくらい人の話を聞かない日向さんの、周りの人を大勢集めかねない呼び声を止めようと、やたらと犬歯が鋭い口を両手で塞いだけど遅かった。

「紅!?ほんとだ、紅だ!」

「帰ってきたんだね!心配したんだよ!」

「怪我、大丈夫か?」

どこかで見たような顔から、なじみ深い人まで。色々な人が集まってきて、私の名前を呼んだ。中には包帯を手にもって駆けつけてくれた人もいて、大切にされてるな、と不覚にも泣きそうになった。

「探したいものがあるからしばらく外に行きます」なんていう無茶苦茶な言い分で本部の外に出してもらったけれど、自分勝手に出ていった私のことをこうも心配してくれているという事実がなんだか嬉しい。

「紅~!もうめっちゃ心配してたんだぞ!フィアもリアノも心配してたから!」

「………フィアさん」

ヘッドロックのように私の頭を抱え込んで、ぐしゃぐしゃと髪を撫でまわす日向さん。髪がぐしゃぐしゃになることよりも、その名前が気になって反復する。

「あの、日向さん、フィアさんは無事ですか!?」

「え、どうだろう………?外でフィアに会ったのか?」

「えっと………あんまり話してはいないんですけど、少しだけ」

私やキョウさんと同様に、フレアさんの爆風で吹き飛ばされていたら、安否が気になる。でもフィアさんにはキョウさんと一緒にいたところ、見られてるかもしれないしなあ。そういえば、最後に見たフィアさんは私とキョウさんのところに向かおうと走りかけていたような気がするけど。

「ってことは、フィアさんは本部にはいないんですか?」

「まだ外から帰ってきてないぞ?何か用があったのか?」

「じゃああの、リアノさんは………!」

「リアノもフィアと一緒に外に出てるけど?二人と外で会って何かあったのか?」

「いや、特に理由はないんですけど!無事かなって思って!」

「なら大丈夫!さすがに二人がどっかで怪我してたら連絡くらいは入るからな!っていうか転ばせちゃってごめんな!」

私に手を貸して立ち上がらせながら、日向さんが頼もしい笑顔を浮かべる。

二人の安否は少し気がかりだけど、フィアさんとリアノさんと鉢合わせて気まずい雰囲気になることは避けられる。

——————それなら実行はたぶん、今日しかない。

「っていうか怪我、本当にいいのか?やっぱりミナト呼ぶ?」

「全然大丈夫です!かすり傷です!」

ミナトさんになんて今は一番会いたくない、なんだか私の企みごと全部見透かされてしまう気がする。それだけはなんとしてでも阻止しないと。

「あのっ、私!」

できる限りの大声を張り上げると、忙しなかった日向さんの動きがぴたりと止まった。次に私が発する言葉をきちんと待ってくれる日向さんはやっぱり優しい。優しいから、こんな風に騙すのはちょっとだけ心苦しい。

「月華のところに会に行きたいんです………!」

日向さんが首を傾げる。私の真意を測りかねてるんだな、というのが露骨に伝わる仕草だった。

「探し物、月華との思い出の品で、それが見つかったんです………だから、一番最初に月華に見せに行きたいんです!」

「………そっか」

どんな反応をされるのか、身を固くして構えていたのに、私にかけられたのはそんな優しい納得したような言葉だった。

「よかったな、見つかって」

「はい、あの」

「なら私たちに構ってる場合じゃないじゃん!早く月華の所に行くんだ!」

「わっ、」

どん、と力強く背中を押されてまた少しだけつんのめる。今度は転ばなかったけれど、背中から少しだけずり落ちたリュックサックを背負い直しながら肩越しに日向さんを見ると、腰に手をあてて太陽みたいに笑っていた。

「友達同士の会話を邪魔するのは野暮だろ!」

かすり傷と言ったけど包帯の下は大火傷なので、問題がないと言ったら嘘になってしまうけれど、嘘も方便って言うじゃないか。それに私は月華と会話をしたいわけじゃなくて、月華のことを治したいのだけど、これくらいは細かい違いだから気にしない、気にしない!

「はい!問題ないです!」

「よし!じゃあ月華の所に行って気が済んだらちゃんと私たちの所に来いよ!治療するから!」

「分かりました!」

一切何の迷いもなく私の背中に手を振る日向さんに、できるだけ大きな声で感謝の言葉を。

「ありがとうございます!それじゃあまた後で!」

それだけ確認して、私はもう後ろを振り返らずに本部の一番奥にある屋敷を目指して走り始めた。ごめんね、日向さん、全部終わったらちゃんと話すから、今だけは私の嘘を許してほしい。


月華は、私のために自分を犠牲にしていた。

知らない間に心も命も犠牲にしていた。私が馬鹿だったから気付かなかっただけで——————私が臆病だったから止めることができなかっただけで。

「………よし、」

本部の一番奥にある屋敷の中には、生存者の中でも特に重症の生存者が収容されている。とはいえ、外的な怪我ならミナトさんがあっという間に治してしまったから、屋敷の中にいる人数は多くない。

多くはないけれど、ミナトさんに治せない人しかいない。それはつまり、通常では考えられない状況での怪我をした人がいるということだ。その事実を知っていれば、落ち着くはずの日本家屋の中でさえなんだか薄暗くて不気味に感じてしまうから、私はここに入る時はいつも少し身構えてしまう。

「早く、行こう」

月華の寝ている部屋がどこにあるかは分かっている。一歩も和室に足を踏み入れたことはないけれど、廊下から何度も眠る月華を見た。

月華はもう自力では動けない。かろうじて生きているけれど、いつ死んでしまってもおかしくないような状態で、この屋敷の一番奥の部屋で寝ている。幸いここに用がある人はあまり多くないから、誰にも見られることはない。

——————さあ、覚悟を決めないと、私。

「………っ!」

月華の部屋に飛び込むように入って、後ろ手で勢いよく襖を閉めた。

部屋の中にまで入るのはこれが初めてだ。本当は入りたくないけれど、こうしないと誰に見られるか分からないのでしょうがない。和室の真ん中に敷かれた布団が、この部屋の中では唯一存在感のあるもので、顔も見ていないのに罪悪感に押しつぶされそうだ。

「準備っ………!」

手を止めてる場合じゃない、感傷に浸ってる暇はない。見つかる前に、急がないと。

「えっと、こう………だよね?」

背中のリュックサックから携帯用のナイフを取り出す。それから自分の左手に巻かれていた包帯をほどいた。かすり傷だというのはもちろん嘘で、手のひらにはひどい火傷跡が残っている。まだ手を握ると痛い、けれどそれだけじゃなくて。

「複雑すぎない!?ちゃんと書き写せるかな………」

——————私の手の甲にはトオヤくんが別れ際に刻んでくれた魔法陣の絵柄がある。



「この通りの図形を書け。ナイフで地面に刻めばいい」

「そうするとどうなるの?」

「転移用の即席魔法だ」

「簡単に言うと俺たちがここから召喚されるってこと」

さかのぼること数時間前。本部に侵入する手段がない、それなら私が魔法を使えばいいと提案したトオヤくんは、包帯をほどいた私の手の甲に指先を走らせていた。

指でなぞった部分には金色の線が浮き出て、何が書かれているかは一目瞭然だ。

「いいか、絶対に間違えるなよ」

「聞きたくないけど、間違えるとどうなるの?」

「さあ?」

「聞かなきゃよかった………」

上手くできなかった時のリスクが分からないというのは、何が起きるか分かってるよりも怖い。これ以外の方法はないとトオヤくんが言うから、黙って受け入れるしかないんだけどそれはそれ、これはこれだ。怖いものは怖い。

「そもそも魔法使いは一つの魔法しか使えないんだよ、紅」

「え、そうなの?」

「そう。俺は捕食でフレアが加熱、みたいにさ。生まれ持った一つの魔法しか使えないんだよ、基本的には。イメージと違うでしょ?」

「うん………」

なるほど、確かに私たち人間が想像している魔法よりも勝手は違うかもしれない。トオヤくんの作業をびくびくと眺めている私の気を紛らわせようとしてくれているのか、キョウさんの話は続く。

「でもそれだと不便でしょ?だから簡易的な魔法陣を使って、決められた手順を踏めば自分が本来使えない魔法も使えるようになる魔法が開発されたんだよ」

「インスタント魔法みたいな………?」

「インスタントの意味は分からないけどそんな感じ」

意味が分からないくせに適当に肯定するキョウさん。不安が高まるからやめてほしい。

「多少生命力は奪うかもしれないけど、そこは必要な犠牲だから諦めて使うんだよ」

「生命力………?」

「簡単に言うと寿命だな」

「寿命!?」

「動くな!線がずれる!」

トオヤくんに怒られてしまったけれど、フレアさんがさらりと言った寿命という言葉が衝撃的すぎて勢いよく振り向いてしまった。

「それって、あの、私の寿命から十年とか、そういうことですか………?」

「あははっ、そんなんじゃないよ!フレアは脅かしすぎ!」

キョウさんは軽やかに私の不安を笑い飛ばしたけれど、寿命ってじゃあどういう意味なんだ。

「なんだろ、生きるためのエネルギー?だから魔法陣から俺たちを呼び出したら、すっごく疲れると思う」

「あ、なんだそれだけ………」

死ぬ思いをするのかと思ったけれど、その程度ならなんとかなりそうだ。

ほっと胸をなでおろした私の手の甲から指を離して、トオヤくんは遠目で魔法陣のバランスを確認する。………火傷まみれの手をそんなにじっくり見つめられると、ちょっと恥ずかしいものがあるかもしれない。

トオヤくんがそんなことを気にしないのはちゃんと分かっていても、自分の気持ちの問題だ。まあ、そんな個人的な感傷はともかくとして。

「よし、完成!」

畳を一枚ひっくり返して、その下の板にがりがりと刻んだ図形が完成した。思ったよりも相当複雑だったけど、何回も自分の手の甲と見比べて、仕上げにもう一回見比べたから間違いはないはずだ。これでもし間違っていたら各方面から怒られてしまう。

「いっ、た」

最後の仕上げに、魔法陣を書くのに使ったナイフでほんの少しだけ手の甲を傷つけて、一滴だけ血を垂らす。これでトオヤくんに教えてもらったことは全部終わった。あとは魔法が発動するのを待つだけ!

—————気長に待つつもりだったのに、変化は意外とすぐに起きた。板に刻んだだけの図形の線が銀色に光る。見た目に分かりやすく、魔法が使われている。

「わあっ!」

「狭っ!」

そして光と同時に、魔法陣からずぼりと片手が飛び出した。誰の手か分からないけれど、聞こえてきた声はキョウさんのものだ。っていうか、狭いって文句を言われた気がするんだけど。

「ちょっと紅!?魔法陣が小さすぎない!?」

気のせいじゃなかった。いつもにこにこしているキョウさんが、珍しく文句を言っている。

「ご、ごめんなさい!手の甲に書かれた通りに作ったつもりだったのに………!」

「縮尺を同じにする馬鹿がどこにいるんだ!」

「ひいっ!」

奥から聞こえるのはフレアさんの怒声だし、魔法陣から生えた腕がびったんびったん畳を叩くし、めちゃくちゃ怖い。条件反射的に距離をとってしまったけど、もしかして魔法陣に対応するサイズのものしか転移させられない、みたいなルールがあったんだろうか。

………この状況を見る限り、そうなんだろうなあ。

「か、書き直します!」

慌てすぎて地面に落としてしまったナイフを拾い上げた時、さっきまで暴れていた手がぬるりと引っ込んだ。向こうで何か動きがあったのか、それとも大きく書きなおした方がいいのかためらう。

「そのまま通す、借りるぞ」

「うわ、それだけは勘弁………うえっ」

トオヤくんの声と、珍しく焦ったようなキョウさんの声、それから小さな爆発音が聞こえて、思わず目を閉じた。そして

「あー、通れたあ」

「非常食、お前覚えてろよ………」

「………最初にできるだけ大きく書けって伝えなかったのも悪かったな」

次に目を開けた時には、ついさっき別れたばかりの魔法使いが三人、畳の上に出現していた。何をどうやって通ったかは分からないけれど、なじみのある和室の空間に突然人が現れると、それなりにこみあげてくるものがある。

「手品みたい………」

「魔法だから」

馬鹿だと思われてもしょうがない私の感想にきちんと訂正を入れてから、首をぐるりと回すトオヤくん。肩こりが酷いのか、関節の鳴る音が響いた。………後でお礼に肩もみでもしてあげようかなあ。

「妨害だけはしておく、いいな」

「え、っと」

「本部の人間に危害を加えるわけじゃない、邪魔が入らないようにするだけだ」

そして私が何か言うより先に、トオヤくんがぱちりと指を鳴らした。同時に金色の光が一瞬舞った気がするけれど、それよりも周りにまったく変化が見えないのはどうしてだろう。

「………?」

私が不思議に思っていることに気が付いたのか、トオヤくんが「別に失敗じゃない」と丁寧に説明してきた。

「失敗じゃないけど………説明も面倒だし、とりあえずやることやるぞ」

ダウナーなトオヤくんらしい、雑な説明で話は切り上げられてしまった。まあ魔法使いが「これでいい」と言うなら信じよう。

「それで、お前が復活させてほしい友達っていうのはこいつか?」

「はい」

「え、距離が遠すぎない?本当に友達なの?人違いってことない?」

月華の顔を見ないままに頷いた私の顔を覗き込んで、キョウさんが声をかけてくる。

「せっかくのチャンスなんだから、間違えて違う人を治療してました、なんて言ったら洒落にならないよ?」

「それは………そうなんですけど………」

キョウさんの言うことは正論だ。トオヤくんが面倒くさそうにこっちに顔を向けるのが分かる。

「それなら早く確認してくれ」

「え、えっと………はい………」

トオヤくんにまで言われたら変に抵抗する方が迷惑だ。私ができるだけ月華に近付きたくないなんて都合は汲んでもらえない。顔を、見ないと。

「じゃあ、えっと、確認します………」

できるだけ月華から離れた位置に魔法陣を書いていたから、少しずつ足を動かして部屋の中央に敷かれた布団に近付く。月華の様子は人づてに聞いている。目を逸らしたくなるほど酷い有様だという話は聞いていなかったけれど、それでも怖い。

——————月華は私のことを恨んでいるはずだ。

私の顔も見たくない、声も聞きたくない、そう思われて当然の裏切りをしてしまった。

「………月華」

恐る恐る、布団の中にいる月華の顔を上から覗き込む。やつれてしまっているけれど間違いなく月華の顔だ、と認識して、すぐに目を逸らす。けれど少し違和感があるような。

「………なんだ、思ったより静か………っていうか息してる………?」

眠っているだけに見えるくらい穏やかで、だけど静かすぎる。胸元までかけられた布団が呼吸によって上下してる様子すら見えないんだけど、これは。

「ああ、それ俺の魔法。時間を止めたんだ」

「時間を………?」

さらりと説明しながら、トオヤくんが私の横に並ぶ。月華の上に突き出した片手の周りに光が集まり始めたけれど、えっと。

確か、魔法は一人に一種類しか使えないって、フレアさんが言っていて、それならトオヤくんの言っている魔法は。

「さて、じゃあこいつの時間をどれだけ巻き戻せば、元に戻るんだ?」

時間を巻き戻す。元に戻す。咄嗟に振り返るとキョウさんがにこにことした笑顔でこちらを見ていた。ああ、これが神様の正体だったんだ。

無知な私だけがずっと知らなかった。トオヤくんの魔法は回復魔法なんかじゃない。

——————月華の時間を巻き戻して、全部なかったことにしようとしてるんだ。

「私、てっきり回復の魔法なのかと………」

「………キョウ、説明してなかったのか?」

「人の魔法をばらすのは魔法の世界でもタブーでしょ? あー、でも、ごめんね紅?先に説明してなくて」

「………ううん」

キョウさんは謝罪してくれたけれど、別に謝罪が必要なことじゃない。回復よりも私はこの魔法を望んでいたはずだ。だってやり直したかったんだから。

月華の人生が私のせいで狂ってしまった、ついには心まで壊してしまった、そんな事実を最初からなかったことにしてしまいたかったんだから。

「全然問題ないよ!むしろトオヤくんの魔法でよかったっていうか………!」

感謝、しないと。こんなすごい魔法が使えるトオヤくんに、トオヤくんに会わせてくれたキョウさんに、私を殺さなかったフレアさんに。こんなの奇跡だ、だってこれで私の後悔は全部なくなる。

「ならどれくらい巻き戻せばいいかだけ教えてくれ、あとは勝手にやる」

「あ、はい、ええっと、月華と私が会ったのは………」

私から声をかけたのは小学六年生の時だった。それなら大体八年くらい前に戻せばいいんだろうか。

「これって、記憶と一緒に体も巻き戻るんですか?」

「やろうと思えば。そうした方がいいか?」

「はい!」

そうすれば月華が自分の腕を引きちぎったこともなかったことになる。自分の体を傷つけた痕跡さえ残さずに、元通りの月華になれるはずなんだ。

「じゃあ八年………、」

言いかけて。一度開きかけた口を閉じた。そして。

「………あの、すみません。やっぱりちょっとだけ、悩んでもいいですか?できれば二人きりにしてもらいたいんですけど、」



そんな言葉が口をついたのは、夢の中の少年に言われた言葉が一瞬でも頭をよぎったからだ。

「君、あの子を傷つけた過去ごとなかった気にするの?」なんて、私の心を抉るような言葉。私の自己満足を咎めるような言葉。

「月華、私が月華を傷つけた過去ごと、全部なかったことにしようとしてる、って言ったら、怒る?」

魔法使いの三人には和室から出てもらった。露骨に面倒くさそうな顔をした二人だったけれど、キョウさんが「記憶が全部消える前に話しておきたいことでもあるんだよきっと」と背中を押して出て行ってくれたので、私はいま月華と二人きりになれている。ありがとうキョウさん。

「………私、月華のことが大好きだったの。格好良くてヒーローみたいだった」

どれだけ話しかけても返事がないことは分かっている。だってトオヤくんが時を止めているのだ。本部の中で動けているのは、私と魔法使いだけで、月華の耳にこの言葉は届いていない。

「でもね、誰かのヒーローになるために月華が傷つく必要はなかったんだよ」

だから今こうして話しかけているのは、全部私の自己満足だ。今更言っても遅いことをつらつらと、一方的に月華に聞せているのは、私の懺悔でしかない。

「………見方を変えれば、誰かのために自分を犠牲にできる、ってすごい美徳なんだろうけどさ、でもやっぱり」

あれだけ避けていた月華の寝顔を正面から見る。時が止まっていることを差し引いても、穏やかな顔だと思った。もっと苦しんでいると思ったし、恨んでいると思ったけれど、そんな感情は欠片も顔に浮かんでいない。

あるのはただ安らかな表情だけで、拍子抜けしてしまう。

「私は、私のために月華が傷つくことに耐えれなかったよ」

結局、その程度の理由だ。どれだけ高尚な言葉を並べても誤魔化せない。逃げたのは私で、月華はただ頑張って戦っただけなんだから。

「月華にはきっと、戦ってでも守りたいものがあったんだよね」

それが私だったのかもしれないし、もっと違う信念みたいなものだったのかもしれない。けれど月華は自分の身を犠牲にしてでも戦うことを選んでいた。

選ばずに逃げ続ける私なんかよりも、ずっとずっと強かった。

「………ごめん月華」

泣きたいような気持なのになぜか涙は流れない。もしかして涙腺の時は止まってるんだろうか、そんな馬鹿な。

「月華と一緒に戦えなくて、ごめんね」

戦った月華の決意も頑張りも、傷ついた過去ごとなかったことにしたら、私は紛れもなく月華の敵になってしまう。私のやったことは間違っていたかもしれないけれど、月華の覚悟をなかったことにはしたくない。

「ごめんね月華——————私には月華を治せない」

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