第8話 六日目の死(蘇生編)

私のすすり泣きが響く以外は、物音一つない静かな森の中。

ごしごしと握った拳で涙を拭いたけれど、顔に飛んだ血液を涙で広げただけの結果に終わってしまったようだ。とりあえず視界だけはなんとか確保できたのでよしとしよう。

「それで、えっと、キョウさんは………」

なんでこんな方法をとるのがいいと思ったんですか、と聞こうとして。

ふと、静かすぎることに気付いた。さっきまで響いていた自分の声が消えたせいもあるけれど、あまりにも不自然に………まるで時が止まったようで。

「………理由を聞くつもりなら、もう見た方が早いぞ」

なんだか疲れてしまったように座り込んだフレアさんが、億劫そうに顔を上げて目を向けた先にいたのは。

「—————また死んだのかこいつ」

「えっ、」

血濡れた草の上に立っていたのは、さっきまではいなかったはずの人物だ。

だってついさっきまでここには私とフレアさんと—————血まみれで事切れたキョウさんしかいなかった。

それなのにこのやたらとラフな服装の少年は、まさに気が付いたら立っていた。どこから来たのか、どうやってここに来たのかもまったく分からないけれど、ただ当たり前のようにここにいたのだ。

「見ての通りだよ」

「一応確認だけどお前が殺したんじゃないよな、フレア?」

「まさか」

けれど現れた人物にフレアさんは気軽に話し始めたので、きっと二人は知り合いだ。それなら突然現れたこの少年の正体もなんとなく見当がつく。

「魔法使い………?」

「ご名答。ってことは君は人間か」

慌てて立ち上がって唐突に表れた魔法使いの少年と向かい合う。見上げているうちは分からなかったけれど、長身のキョウさんやフレアさんと比べてかなり小柄だ。女子としては背の高い私とあまり変わらない。

「え、っと、私は紅って言うんだけど………君はなんて名前?」

「トオヤ」

どうやら年が近そうだと判断して、できるだけフレンドリーに問いかけてみたけど、彼の返事はとんでもなく簡単なものだった。そもそも、どれだけ優しく問いかけても今の私は血まみれなんだから、あんまり意味がないどころか怖いだけかもしれない。

「………ま、いいや。先にこっち済ませる」

一つため息をついたトオヤくんが、自分の靴がキョウさんの血に濡れることも厭わずに足を進めた。もう血は乾いているから汚れたりしないのかもしれないけれど、それにしてもこの血の海にわざわざ入る勇気は私にはない。

………どれだけ見た目が幼くて私に近くても、結局のところトオヤくんだって魔法使いってことだろう。

「おい、起きろ」

トオヤくんはそう言って。なんてことでもないみたいに、倒れているキョウさんの体を片足で蹴った。死体蹴りなんて言葉があるけれど、これはまさにそれだ。動かないキョウさんを蹴りつける意味なんてどこにもない。

「—————痛いなあ、もうちょっと優しく起こしてよ」

「ひえっ」

それなのに、動かないはずのキョウさんがむくりと体を起こした。そして数分前と変わらない笑顔をこちらに向けて、私にひらひらと手を振ったのだ。

「やあ紅。ごめんね、びっくりさせちゃったかな」

「びっくり………うん、びっくりしました………」

多少のことでは驚かないようにしていたつもりだけれど、これには文句なくびっくりしてしまった。だって予備動作なんて一切なかったのだ。

何が起きたかも分からないまま、さっきまで死体でしかなかったキョウさんがちょっと昼寝をしてただけみたいな様子で起き上がった。これに驚かなかったらきっと人間じゃない。咄嗟に両手で押さえた心臓がばくばくとうるさい。

「あはは、ごめんね!返り血すごいなあ、ちゃんと言ってから切ればよかったね」

だらりと草の上に横たわっていた体が勢いよく立ち上がって、すたすたと私に歩み寄る。よく見るとさっきまでは血に濡れていた足元の草さえも綺麗に元通りになっていた。

まるで盛大などっきりでも仕掛けられた気分—————けれど私の口に飛び込んできた血の鉄臭さも、顔を濡らした飛沫の熱さも全部、全部覚えている。

「………これがトオヤくんの魔法なの?」

もう自分の役目は終わったとばかりに、フレアさんの隣に座り込んだトオヤくんに問いかける。どことなくポップなイメージのフードから覗いた目の奥が、きらりと金色に輝いた気がした。

「トオヤはこの通り面倒くさがりだけど、実力はもちろん本物だよ」

ごしごしと、私の顔にはいまだ付着したままだったらしい血液を、自分の服の袖で拭いながらキョウさんは微笑んだ。

「やり直しの魔法使い—————紅のお友達を助けてくれる魔法使い、だよ」



予備動作なし、代償もなし。

キョウさんの血で染まった森の中を、まるでさっき人が一人死んだ事実なんてなかたかのように元通りにしてみせた。頸動脈を切り裂いたナイフも元通りになった。

完全に事切れた人間を、言葉通り、生き返らせた。

それはもはや魔法というより奇跡。私が求めてやまなかったものだ。こうして目の前に、憮然とした表情で立っている彼こそが、私の求めた救世主。

「………で、どうしてキョウは自殺なんてしたんだ?あ?」

「いたたたた、ごめんって」

憮然とした表情で、トオヤくんはキョウさんの爪先を踵でぐりぐりと踏みつける。

対して踏まれている側のキョウさんは、そんなに痛そうな顔も申し訳なさそうな顔もしていないけれど形だけはきちんと謝罪をした。

「どうしてもトオヤに会いたかったからさ、ほら、俺が死ねば君が助けに来てくれるでしょ?」

「アシャに頼まれて仕方なく、だ。やっと食い意地の張りすぎで死ぬことがなくなったと思ったら、俺を呼び出すためだけに死ぬなんて相変わらず癇に障る奴だな」

「トオヤ、今日はすごくよく喋るね?」

「さては反省してないだろ?」

私の救世主はどうやら、キョウさんの足を遠慮なく踏みつけるこの魔法使いのようだ。思っていたイメージと違いすぎて上手く話しかけれない。

事前に聞いた話では、キョウさんにもフレアさんにもできないことができる、魔法使いの中でも唯一無二の魔法使い、と言う風に紹介されていたのだ。正直、もっと貫禄のある魔法使いが出てくるのかと思った。

「………何考えてるかなんとなく分かるから一応教えてやると、非常食が想像してるみたいな貫禄のある魔法使いなんてほとんど絶滅危惧種だからな」

「フレアさん、心読みましたか………?」

「それくらい分かる。お前、返り血やばいぞ」

私の返り血まみれの顔面を見て、若干引いたような素振りを見せつつも、フレアさんは意外と親切なので私の疑問には答えてくれるようだ。

「魔法使いは短命だ。こっちの世界では戦争ばっかりやってるからな、長生きできる奴はほぼいないんだよ。ほとんどが子どものうちに死ぬ」

「………魔法の世界、生きるのがハードモードですね」

「じゃなきゃ俺やキョウみたいな人格にならないだろ。それからもう一つお前の勘違いを正してやると、トオヤは俺より年上だ」

「えっ!?」

私よりも年下に見えていたトオヤくんがフレアさんより年上!?

驚いて二度見してしまったが、相変わらずキョウさんと言い争っているトオヤくんは、私からすれば中学生くらいにしか見えない。

見た目は青年で、一般的な人間よりも長身痩躯で針金細工みたいなキョウさんと向き合って立つと、余計小柄に見えて十歳ほど年の離れた兄弟と言われても驚かないくらいの見た目なのに。

「………どれくらい、年上なんですか?」

「さあ?あいつ、たぶん百歳は超えてるからな」

「ひゃくっ………!?」

「おい近寄るな、返り血がつく」

返り血なんてフレアさんは気にしないはずだ。だって傭兵って言ってた。けれどこんなに拒絶するってことは、もしかして単純にキョウさんの血だから嫌なんだろうか。………この予想が当たっていたら、フレアさんどれだけキョウさんが嫌いなのって話になるけれど。

「とても百歳には見えないんですけど………!?」

「やだなあ紅」

「ひやあっ!」

背後から唐突に現れて、するりと肩に手を回してきたキョウさんに驚いて変な声が出た。

この場合、自分の流した血がつくことを嫌がらずに私に近付いてきたキョウさんの方が、頭がおかしい………のかもしれない。

「トオヤは死人だって蘇らせれるんだよ?自分の寿命を延ばして若作りすることくらい大したことじゃない………いたっ」

「若作りじゃねえ」

またしてもトオヤくんに足のすねを蹴られたらしいキョウさんが笑顔のまま呻く。

割と何をされても笑顔を崩さないキョウさんだが、蹴られても笑顔なのはもしかしてトオヤくんの力がとっても弱いせいだろうか。魔法使いなのにそんなことってあるんだろうか。

「俺が望んだことじゃない。勝手に発動し続ける自分の魔法のせいで、死んでも勝手に生き返る………何回でも」

「それって、じゃあ、不死身ってこと………?」

半信半疑の私の言葉に、肩をすくめるトオヤくん。もはや不機嫌というよりも、感情のすべてが抜け落ちた抜け殻みたいな表情だ。

—————百年生きていると言っていた。

それがどれほどとてつもない時間なのか、ただの人間の私には分からないけれど。魔法使いの体は人間よりずっと頑丈だ、それは身をもって知っている。けれど心はどうなのだろうか。

「ああ、人間風に言えば不死身だ。魔法使い風に言えば呪いだな」

「呪い………」

言葉に詰まる私と、相変わらず退屈そうに空を見上げるトオヤくん。その様子を笑顔で見ていたキョウさんが、いっそ薄情な口調で締めくくった。

「便利すぎる魔法も考え物だよね」

そんな言葉で片付けていいのかと思った。けれど私がどんな言葉をかけても、どれだけ話を聞こうとしても、きっとトオヤくんの感じていることの半分だって理解できない。

不死身であることをきっと苦しいだろうと憐れんでしまう権利は私にはない。

「………フレア、お前その足、キョウに食われたのか」

そこでようやく、トオヤくんがフレアさんの片足に気付いた。面倒くさそうな顔でキョウさんの顔を見上げる。

「ついにやりやがったな、キョウ」

「フレアが殺そうとしてきたからさ、不可抗力ってやつだよ」

「………なんとでも言え。食われた俺が悪い」

ひらひらと鬱陶しそうに片手を振るフレアさん。自業自得と一応は割り切っているようだ。だからキョウさんを毎秒殺しにかからないんだろう。短気なように見えてフレアさんはかなり合理的なのかもしれない。さすが傭兵と言うべきなんだろうか。

「残念だがキョウに食われると最初からなかったことになる。元には戻せなかったぞ、悪いな」

「構わない、分かってる」

あまり悪いとは思ってなさそうなくらい無気力なトオヤくんの言葉だったけれど、フレアさんはやっぱり突っかかったりはしなかった。

この話を聞くと、キョウさんがいかに魔法使いの中でも浮いた存在なのかが分かる。魔法使い殺しの魔法使いと言ってもいいくらいだ。

これだけの回復能力を持つトオヤくんでさえ、キョウさんに溶かされてしまったフレアさんの足を治せないなら、誰もキョウさんに対抗できないじゃないか。

「っていうか紅、いい加減その返り血なんとかしたら?」

「なんとかって………キョウさんのせいなんだけど………半分くらいは………」

「トオヤ、服が血まみれなのは可哀想だから直してあげてよ」

キョウさんの言葉に分かりやすく顔をしかめるトオヤくん。………嫌なんだろうなあ。

「………まあ、そのままの格好なのもな」

けれどトオヤくん、嫌々ながらも頷いて、こちらに手を伸ばした。金色の光が私の目の前で瞬いた気がしたけれど、それもすぐに消えてしまう。

やっぱりあっという間に私の体から返り血は消え去っていたのだ。あっけないくらい簡単に。それを便利ととらえるのはキョウさんだけれど、私はただの人間だから、なんだか怖いと思ってしまったのだ。

「………ありがとう、トオヤくん」

それでももちろん私は、自分のために魔法を使ってくれたトオヤくんにちゃんと笑ってお礼を言ったんだけれど。上手く笑えたかどうかは分からないけれど。

「………それで、どうしてキョウは自殺なんてしたんだ?」

「ああそうだ、説明しないとね」

私が手渡したナイフをくるくると手の中で回しながら、キョウさんは微笑んで私の肩に手を置いた。

「この子がね、トオヤに治してほしい子がいるんだって」

私を顔をじっと正面から見つめるトオヤくんが、何を考えているか分からない。私の肩を笑顔で抱いたキョウさんと、無表情のトオヤくん、後はお好きにどうぞとでも言うようにそっぽを向いたフレアさん。

「ほら紅、トオヤにも分かるように説明してあげてよ」

「え、あ、はい」

てっきりキョウさんが間に入って説明してくれるのかと思っていたけれど、どうやら私が自分の言葉で説明するのを待っているらしい。

「あの、私の友達………人間の世界にいるんですけど………目が覚めなくて」

ぽつりぽつりと、現状を言葉にしていく。

トオヤくんの表情がまったく動かないから、ちゃんと聞こえてるか不安になるけれどとりあえずは話し続ける。

「きっと精神的なショックが大きくて、心が壊れて目が覚めなくなったんだろうって言われたんです。だから目が覚めないんだって………本部の魔法使いも治せないって、」

「………それ、本当か?」

ここで初めてトオヤくんの表情が変化した。無関心そうにこちらを見つめていた目が、ほんの少しだけ丸く見開かれる。

「お前のいた本部には、ミナトがいなかったのか?」

「え」

ミナト。ミナトさん。

本部の中にいた黒いマントの魔法使いだ。いつもリアノさんと一緒にいて、とらえどころのない不思議な人で———————本部にいる魔法使いの中では最強だと。

それどころか魔法の世界にいる魔法使いの中でも最強なのだと言われていた。

私には魔法のことは何も分からないけれど、ミナトさんは本部にいる魔法使いの中でも違う雰囲気だったから、最強と言われればそうなのだろうと納得していた。

けれど、どうしてトオヤくんが彼のことを知っているんだろう。

「答えろ。—————ミナトは、いなかったのか」

「どうしたの、トオヤ」

キョウさんの驚いたような声も耳に入らないようで、普段は無気力なトオヤくんが高圧的と言ってもいいくらいの言葉で問いかける。その気迫に気圧されて頷いた。というか、頷くしかなかった。

「………じゃあミナトが治せないって言ったのか」

「はい、そうです」

ミナトさんには何回も泣きついた。私のことを治せたのなら、月華のことだって治せるはずだとすがりついた。けれどミナトさんはいつも、ほんの少し微笑んで首を振るのだ。「ごめんね、俺にはどうすることもできないんだ」と。

「なるほどな」

「あの、もしかして、ミナトさんに治せないならトオヤくんにも治せなかったりしますか?」

もしそうならば、ここまでせっかく来たのが無駄になってしまう。月華はあの小さい和室の中で、やがて衰えて死を待つことしかできないんだろうか。

そうだとしたらあまりにも。

「………俺には治せる」

トオヤくんのその言葉は、俯きかけた私の顔を上げるには十分すぎるものだった。

「………助けて、くれるの?」

だから私は縋ってしまう。頼ってしまう。祈ってしまう。

小さく一つだけ頷いたトオヤくんに手を伸ばして肩を掴んだ。

私はどうしようもないくらい普通の人間だから、どうしようもないくらい弱い。弱いから——————私のせいで月華が死んでしまうなんて耐えきれないから、こうして旅をしてきたのだ。それがトオヤくんの肯定一つで報われた気がした。それはまるで神様に会えたみたいな感覚で。

「助ける………かどうかは分からないけど、治せる」

「十分だよ!」

「わ、ちょっと紅、」

キョウさんが驚いた声を出しているのが分かったけれど、こみ上げる気持ちはどうすることもできない。トオヤくんの私と大して変わらない小柄な体を、衝動的に力いっぱい抱きしめた。

「ぐえっ」

「ありがとう!本当にありがとう………!」

変な声が聞こえた気がしたけれど、それよりも自分の感動を伝えるのに精いっぱいだ。

なんだかトオヤくん、お日様のいい匂いがするし。さっきまで日向ぼっこしていた猫みたいな匂いだ。ちょっとだけ落ち着く。

「紅、俺には?」

後ろからキョウさんも声をかけてきたので、一回トオヤくんから離れて今度はキョウさんに飛びついた。といっても控えめに、だ。キョウさん、細すぎて軽すぎて折れちゃわないか心配だし。

「キョウさんも!それからフレアさんも、ありがとう!」

「紅は素直でいい子だなあ!ほら、そこの素直じゃない傭兵くんも混ざったら?」

「俺は遠慮する………というか」

キョウさんに抱き上げられてぐるぐると回されている私を冷ややかな目で見据えながら、フレアさんが吐き捨てた。

「本部にいて動けない奴をどうやって直しに行くつもりだ?——————あんなところに世界の敵の俺たちは入れないだろ」


世界の敵。フレアさんが自分たちを形容する時に使ったその表現は正しい。

魔法使いは人間の世界を滅ぼした、私たち人間の、世界の敵である。あまりにも彼らと一緒にいすぎて忘れかけていたけれど、それは忘れてはいけない事実だった。

実際、私だって魔法使いのことを正しく敵だと認識している。キョウさんは何回も私を食べようとしたし(たまたま私にキョウさんの魔法がきかなかったから死なずに済んだけれど)、フレアさんも私の両手を箸は持ててもピアノが弾けないくらいに燃やしてしまったし、怖い思いをしていないと言ったら嘘になる。

でも時に険悪な空気になったりお互いのことを傷つけたりしながらも、当初の目的を果たすことはできたのだ。

「月華を回復させてくれる魔法使いを探す」なんていう私の荒唐無稽な望みを、叶えてくれる魔法使いを見つけることができたのだ。

だから………なんというか。

「どこに行くにも一緒にいられるって思ってたんですよね………恥ずかしい話」

口に出してしまえば照れくさくて、咄嗟に顔を俯けた。

けれど直前に見えた、そこはかとなく慈愛に満ちたようなキョウさんの笑顔で顔が熱くなるのは避けられない。そんな目で見ないでほしい。

「なるほどな。つまり俺をどう本部に侵入させるかについてはノープランと」

「………呆れてます?」

「少し」

やっぱり。この致命的な見落としにも無表情を貫いてくれるトオヤくんの存在は少し救いだけれど、正直な言葉が私に降り注ぐことには変わりないようだ。

「出る前にそれくらいの根回しはしてあるのかと思ってた」

渡した鉄分サプリをじゃらじゃらと口の中に放り込むフレアさんには鼻で笑われた。

「考えなしだな、非常食」

「返す言葉もございません………」

とりあえずは日が暮れたので、フレアさんに焚火を作ってもらって毎度おなじみの野営である。ついでに私のリュックサックの中から適当に取り出した食料をみんなに回した。

魔法使いの人たちが普段食べてるようなものは何もなかったけれど、特に文句もなくみんな食べてくれているので一安心………だけど目の前の問題は片付かない。

「紅、おかわりある?」

「あるよ………はい」

相変わらず一番に食べ終わってしまうキョウさんに、おかわりとしてビスケットを渡す。

随分長い間旅をした気がするけれど、実際はまだ本部を出発してから六日しかたっていない。鞄の中の食料にはまだ十分な余裕があった。

「ありがと!」

「うん………キョウさんは元気だね………」

輝くばかりの笑顔でお礼を言われても、私のテンションはどん底だ。

「本部って、やっぱり魔法使いが入れないようになってるんですかね………?裏道とかを使って入ったらばれないとかありませんか………?」

「その程度で入り込める場所ならとっくに俺が殲滅してる」

「殺すなら食べさせてほしいけど、俺もフレアと同意見かな」

「………」

つまり本部の守りは物理的なものだけではなく、魔法使いをちゃんと弾くようなものが施されているらしい。

その守りが強固だったからこれまで本部は焼け野原になることもなく、ついでにキョウさんのごちそうパラダイスになることもなかったみたいだ。

それはもちろん私の命を守った機能だったけれど、この状況では月華を助けるために立ちはだかった最後の壁だ。

「無理やり突破は?」

と思えば、おとなしくご飯を食べていたトオヤくんから物騒な提案である。一瞬顎に手を当てて考え込んだフレアさんだけれど、少ししてから首を横に振った。

「俺の最高出力で吹き飛ばしてもいいけど、一般人はともかく本部に警護で残ってる魔法使いは生き残るだろうな。態勢を整えた魔法使いと戦うのは骨が折れる」

「あ、あの、できれば一般人を傷つける方向性はなしでお願いします………」

控えめに主張してみたけれど声、届いてるだろうか。一般人を吹き飛ばしてしまったら治すべき人も吹き飛ばされて本末転倒だ。

「紅さ、本部にどれくらい魔法使いがいるとか分かる?」

「たぶん三人はいます。それに守ってるのは魔法使いだけじゃ、」

言いかけて、口を閉じた。問いかけた本人のキョウさんの口が三日月みたいに吊り上がる。

「うん、いい判断だね。今は君のお願いを聞いてるとは言え、元は敵なんだから迂闊な情報は漏らさない方がいい」

「………どうしてそう、試すみたいなことするんですか」

「だって俺たち、人間の敵だよ?」

言っていることは何も矛盾していない。

キョウさんの倫理観や価値観がまだ私にはよく分からないながら、もしここで正確な情報を伝えてしまってもキョウさんが本部を殲滅しに来ることはないような気がした。

ただこの場合、キョウさんよりも回復魔法のトオヤくんより怖いのは。

「——————俺か?だとしたら珍しくいい勘してるな、非常食」

焚火のほのかな明かりに照らされてフレアさんが笑う。なんだか凄みがあるように見えるのは気のせい、だと思いたい。

「そこの三大欲求以外は何もない悪食野郎とは違って、俺は雇われ兵士だからな。請け負った仕事が絶対だ————人間の世界を再起不能になるまで殲滅する」

「………やっぱり」

例えこちらの話に興味がないような顔をしていても、フレアさんはきちんと自分の役に立ちそうな話は聞いている。それが分かっているから口に出すことをとどまれた。

………我ながら、すごく危ない橋を渡っている気がしてしょうがないけれど。

「変に牽制し合ってもしょうがないだろ。俺はこの人間の言うことを聞く義理なんてまったくないが、キョウがそう言うなら従ってやるよ………そういう取引だからな」

渡したあんパンを食べ終わったのか、トオヤくんが袋を手の中でくるくると丸めた。

「それに侵入の方法がまったくないわけじゃない」

「本当!?」

「………まあ、お前の協力が必要になるんだけど」

トオヤくんはそうやって前置きしたけれど、私にできることならいくらでも協力する。それでトオヤくんに月華を治してもらうことができるなら、いくらでも。

「ああいう結界の類は、外向きには絶対的な防御だけど内側には意識が向いてないことが多いんだ。だからお前が俺たちを招き入れろ、人間」

「………へ?」

それはできない、っていう話じゃなかっただろうか。

「私の知ってる道でトオヤくんがちゃんと侵入できればいいんだけど、」

「ああ、違う。そうじゃない——————お前が道を作る」

「………んん?」

首をちょっと無理のある角度でひねった。私の理解力が足りないせいなのか、トオヤくんの言っている意味が理解できない。どうしよう。

「………あー、つまりな」

私に言いたいことがまったく伝わっていないことを察したのか、トオヤくんが大きくため息をついてから意を決したように顔を上げた。理解力のない人間でごめんね、という気持ちがこみ上げるけれど、ここが我慢だ。我慢。

「—————お前が魔法を使うんだよ」

「………………」

たっぷり六十秒はトオヤくんの言葉を頭の中で反芻した。

表情をうかがおうと下から見上げたトオヤくんの両目に、金色の光がちらついてるのを見た気がしたけれど、それはさておき。

「頑張ってね」とキョウさんに返されたこの携帯用ナイフは何に使えばいいんだろう。

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