第7話 六日目の死(殺害編)

「………これ、どういう状況だ」

「あはは………いや、すみませんなんか………」

翌朝。うろんな目でこちらを見つめるフレアさんと。

「泣き疲れて寝ちゃったみたいで………」

私の体の上で熟睡するキョウさん、と、大して重くはないけれど身動きをとっていいものか悩む私の図だ。

「ついに内臓の一つや二つ食べられたんじゃないか?」

「いやそんなことはないですよ!?」

内臓の一つ二つ食べられてけろっとしていたらそれはそれで大問題だ。

夢の中で少年が言っていた「加護」なんて言葉が頭をよぎる。透明になる、なんて祈りが無効になった今でも、神様は私のことを守ってくれているんだろうか。考えても分からない………なら考えてもしょうがないか。

「それにしてもよく寝てますねキョウさん………」

でもこれだけ大きな声を出して起きないって、キョウさん相当熟睡しているのでは?

「………何があったか知らないが、とりあえず起きたらどうだ?そいつ、大して重くもないから動けないことはないだろ」

「まあ、はい、そうですね」

フレアさんの言葉通り、キョウさんはかなりの長身なのになぜか異常に体重が軽い。こうやって全身で潰されてても身動きがとれるくらいなのだから、男性にしては相当な軽さだと思う。長身痩躯、針金細工みたいな身体だ。

できるだけ起こさないように、揺らさないように、身をよじりながらなんとかキョウさんの下から脱出したら、フレアさんがひょいっと肩をすくめた。

「手伝ってやれればよかったんだけど、あいにく足が一本足りないからな」

「それ嫌みですよね、フレアさん」

「足一本とられた上に戻ってこないんだ、これくらいの嫌みは許されるだろ」

「確かにそれはその通りですけど!」

むしろ、足を一本とられて寝ているキョウさんを殺さないだけかなり優しいのかもしれない。うん。魔法使いの感覚はいまだによく分からないけれど。

「フレアさん、足は大丈夫ですか?」

「全く大丈夫ではないな」

「うっ」

「痛いし血が足りなくて頭はくらくらするしおまけに歩けないからほふく前進だしな」

言葉通り、フレアさんは匍匐前進でここまで移動いてから、ない足はそのままに胡坐を組んだらしく、服の前面が砂で汚れていた。

そんな風じゃないと動けなくしたのはキョウさんだけど、半分くらいはキョウさんに助けを求めた私のせいなので罪悪感がある。

その気まずさからほんの少しうつむいて目を逸らしたけど、フレアさんは容赦なく顔を覗きこんできてにやりと笑った。絶対に何か企んでいる顔だ。でも何を企んでるか分からない。

「な、何が望みですか………!」

ええいもう聞いてしまえ!とびくびくしながらフレアさんの顔を正面からきっと睨んだら、ちょっと意外そうな顔をされた。なんなんだもう。

「いや?意外と腹括るのが早いタイプだな、非常食」

「だから非常食じゃなくて紅………」

「俺はそういう奴の方が後腐れなくて好きだけど、早死にするタイプだから気を付けたらどうだ?」

フレアさん、どう頑張っても私のことを非常食と呼ぶつもりらしい。というか、忠告されてもすでに手遅れの気がする。主にこうしてキョウさんと魔法の世界まで来てしまったこととか、フレアさんにとどめを刺さなかったこととかで。

「まあ、どうせあいつが起きるまでひ弱な非常食と動けない俺じゃ何もできないだろ?だからその間の暇つぶしにでも付き合ってくれよ」

「暇つぶし………」

生粋の魔法使いの暇つぶし、嫌な予感しかしないけど私の気のせいだろうか。

「そう構えるなって。大したことじゃない」

そう言いながらフレアさんは両手と片足だけを使って上手に立ち上がると、にこりと笑顔を浮かべた。

片足だけで立ち上がるのには相当な筋力が必要だと思うのだけど、容易くこなしてしまうあたりはさすがに傭兵と言ったところか。

「大したことじゃないがキョウには聞かせたくない話だからな、こっちに来いよ」

それはもう、キョウさんそっくりの胡散臭い、けれど完璧な笑顔で悪魔が微笑んだのだ。か弱い人間は例え身の危険を感じていてもこの誘いについていくしかない。

私、本当に人間の世界に生きて帰れるんだろうか。



「なあ非常食、昨日も言ったけど俺は傭兵なんだ」

キョウさんが見えないくらい森の奥にまで来て、フレアさんは木に背中を預けた。座るつもりはどうやらないらしい、足が疲れないんだろうか。

「魔法使いの傭兵、ですか………?」

「ああ。それで、たぶん魔法のことなんて何もしらないお前に教えてやると、俺の使える魔法は火、だけだ」

「それは身をもって知ってますけどそれが何か………あいたたた」

「丁寧なくせに生意気だなお前、無自覚か?」

不意に伸びたフレアさんの大きな手が、私の頬を両側から押し潰す。学校に通ってた頃はよく友達にもやられていたけれど、いかんせん魔法使いの握力だから普通に痛い。あと喋りにくい。

「何も知らないで奇跡的に生き永らえたお前にも教えてやると、キョウの魔法は『分解と吸収』だ」

「え、このまま話すんですか!?」

「ははは不細工な顔」

こ、この魔法使い………!自分の顔がちょっと綺麗だからって!ずっと謎だったキョウさんの魔法を教えてもらえたのは収穫だけど、それって私の顔をつぶしながらしなきゃいけない話ではないはずだ!

「対象は自分が触れたもの。自分が触れた相手をあいつは分解して—————溶かす」

ふいっと私の頬から手を離して、元は足があったはずの場所をぽんぽん、と叩く。

「厄介なのは一回でも魔法を発動した相手の体を、あいつはずっと分解し続けることができる………まあ魔法使い風に言うと、呪いだな。これが何よりも厄介だ」

なるほど、だからフレアさんは、圧倒的に屈辱的な取引をしても、キョウさんの魔法を根本から解いてもらおうとしたってことみたいだ。魔法を解いてもらわないことには、キョウさんに命を握られているのと変わりがないから。

「それじゃあもしかしてキョウさんは、分解して溶かして、吸収もできるんですか?」

「察しがいい非常食だな」

「………」

非常食ではないと反論したいところだけれど、旅している間はずっと私のことを食べようとしていたキョウさんなので特に否定することもできない。文字通り食べ物としてしか見られていなかったわけだし。

「さて本題だ、お前は何者だ?どうしてキョウに食われない?」

「えっと、それはどういう………?」

「しらばっくれるなよ人間」

腕組みをしたキョウさんが口を三日月の形にして笑った。

「あんなぎゃんぎゃ騒がれて起きないわけないだろ、俺は魔法使いだしついでに傭兵だぞ?戦場慣れしてるんだ、眠りだって浅い」

「………えっと、じゃあ昨日の夜の私たちの会話は」

「聞いてた。最初から最後まで」

「あー………そうなんですね………」

遠くで寝ていたから聞こえていないはず、それならしらばっくれようと判断した私の考えは浅はかだったようだ。こんなことを知られたからと言って何か私に不都合があるかは分からないけれど、なんとなく秘密にしておこうと思ったのになあ。そんなに現実は甘くないようだ。

「ずっと不思議だったんだよ。どうしてキョウのそばに一人の人間がずっといるのかって。不可能だったんだ、どうあがいても。あいつは腹が減れば見境ない。

————でも物理的に『キョウの魔法が通用しない』なら話は別だ」

こちらに伸ばしたフレアさんの手の中で炎が爆ぜる。驚いて身を引いたけれど少し遅れて前髪が焦げる匂いがした。こ、この人、予告なく前髪燃やした………。

「ひどいじゃないですかフレアさん………」

「うん、俺の魔法は通用するんだよな」

「え、実験だったんですか?」

「悪いか?」

それはもう圧倒的強者の発言だった。

悪いか悪くないかで言えば悪いのだけれど、それを咎める人が誰もいなければ悪くないことになってしまうのだ。それなら私の前髪が燃やされたところで何も言えない。悲しいけど。

「………少しだけだろ、そんな顔するなよ」

とはいえフレアさんにも罪悪感というものはあるらしい。少し気まずげに目を逸らしたフレアさんは、一つ大きく息を吐いた。

「あいつの異常性はお前もよく分かってるだろ」

「………はい」

分かっているつもりだ。キョウさんはどこかがおかしい。それは同じ魔法使いであるフレアさんと比べても顕著だ。

「あいつはもう人間と言うよりただの厄災だ。食うことしかできない悪鬼だ。自分の臓器も自分で食べたせいで腹が満たされず、人を食いすぎてついに世界も食らいつくす。言ってしまえばあれはもう世界の敵だ。制御不能の化け物だ」

「そんな言い方、」

「否定できるか?」

フレアさんの暗い赤色をした目がじっと私を見つめる。

「俺含め、何人もの魔法使いがあいつを殺そうとした。でも無駄だった。何せ神羅万象あらゆるものを分解して無効化する魔法使いだ、魔法使いが戦える相手じゃなかった」

「相性が悪いってことですか?」

「まあそうなるな」

フレアさんに襲撃された時、キョウさんは「俺一人なら逃げ切れる」と言った。それもそのはず、フレアさんの放つ炎を分解していたのだ。あれだけの出力の炎でも無効化してしまうなら、確かに魔法使いに彼を殺すことはできないのかもしれない。

—————あ、もしかしてフレアさんが私に言いたいことって。

「魔法使いには殺せない。でもお前になら殺せるんじゃないのか?」

一瞬だけ頭をよぎった予感が現実になる。

「そ、れは」

「できるよ、お前には」

無理なのではないかと否定しようとした言葉が口から出る前に、肯定される。

「お前のことだけは殺せないんだ。魔法もきかない。それならお前が直接手を下せば、あいつは死ぬ」

直接手を下すっていうのはどういうことを言うんだろうか。首を絞めるとか、殴って殺すとか、そういうことだろうか。

「そんなことできるわけないじゃないですか!」

一瞬だけ、自分がキョウさんを殺している場面を想像して、咄嗟に否定した。こちらを真っすぐに見つめるフレアさんの目がすうっと細められる。

「可能か不可能かじゃなくて………!私に人を殺せるわけがないじゃないですか!」

フレアさんの言う通り、殺せるのかもしれない。でも私は。

「人なんか殺したくないから、殺せないです………」

ぎゅうっと両手を握りしめて俯く。

だってキョウさんは生きているのだ。不気味なところや倫理観に欠ける部分はあっても、まだ生きている。笑って動いて泣いて—————何より温かい。

魔法使いだ。きっとたくさん人を殺している。フレアさんの言う通り災害みたいな存在なのかもしれない。殺すというより退治する必要があるのかもしれない。

仮定はいくらでも思いつく、それでもキョウさんを殺すことを正当化できない。

「………ああ、そうか。お前は普通の人間だったな」

目を逸らしてしまったから今のフレアさんがどんな顔をしているかは分からない。でもその言葉にはなんだか憐れむような、少しだけ、慈しむような響きがあった。

けれど。

「でもこれは戦争だぞ、人間」

もたれかかっていた木から背中を離すと、フレアさんは再びけんけんで移動し始めた。どうやらこの話は終わりにして、そろそろキョウさんの所に帰るつもりらしい。

「可哀想にな、お前は人を殺したこともないありきたりな人間だ。それでも今は戦争中だ。だから嫌でもヒトを殺す時が来る」

こちらに背を向けて歪な格好で歩きながら、フレアさんは世間話のような口調で話を続ける。戦争と殺人、なんて重いテーマだろうか。きっと以前の私だったら、「人殺しはいけないことだ」って言えたんだろうけど、なあ。

「………そんな時がこないことを祈ります」

小走りでフレアさんに追いついて、だらりとぶら下げられていた片手を掴んだ。怪訝そうな表情を浮かべるフレアさんの手を自分の肩に回す。身長差のせいで肩を貸せているのかただ邪魔になっているのか分からないけど、私がしたいのだからこれでいい。

「………祈るだけで届けばいいな」

フレアさんの諦観したような呟きはあえて聞こえないふりをした。


『祈るだけで届けばいいな』

そんなフレアさんの言葉が頭の中をリフレインする。

言外に「祈る意味なんてない」と言いたかったのだろう。けれど私は知っているのだ。いつか祈りが届くこともあることを、知ってしまっている。

信じているのではなくて知っているのだ。神様が気まぐれだと言うことを。そしてそれがどんな結果を巻き起こしたのかも、よく自覚している。

—————祈ってしまったことこそが私の罪だから。

「やあ、二人でどこに行ってたの?寝てる俺を置いてくなんて酷いじゃないか」

出発した場所に戻ると、じめんにぺたりと座ったキョウさんがこちらを見て片手を上げた。表情は笑顔だけれど、言い方はどことなく刺々しい。

「うっかり魔物に食べられたり魔法使いに襲われたらどうするの、俺死んじゃうよ?」

「………そのまま死んでくれないか」

私と話している間は比較的穏やかで理知的な表情を浮かべていたフレアさんだが、キョウさんの顔を見た瞬間に致死量を超える苦虫をかみつぶしたみたいな顔になった。

「フレアさん、落ち着いて。それとキョウさん、置いてってごめんね」

「ううん、別に無事だったからいいよ」

「………うっかり死んでくれたらこっちとしては楽なんだけどな」

フレアさん、キョウさんに対する殺意を隠すつもりはまったくないらしい。とはいえ私が謝ればキョウさんはにこりといつも通りの笑顔を浮かべてくれたので、真意はどうであれ許してくれたみたいだ。

「もう、君たちが帰ってくるまで暇だったから、この後どうするかってずっと考えてたんだよ、俺」

「あ、そうだったの………?」

この後どうするか。それってつまり。

「えっと、キョウさんの言ってる私の友達を回復してくれる魔法使いを探すんだよね?」

「どうするんだ、それ。このだだっ広い上に治安も悪い世界で。お前は平気かもしれないが、俺と非常食はすぐに死ぬぞ」

「あれ、フレアほどの傭兵がすぐ死んじゃうなんて、腕が鈍ったんじゃない?」

「………腕というか足が溶けたんだよな?お前らごと殺してもいいなら、ここら一帯自爆覚悟で焦土にしてもいいんだぞ?」

一瞬だけ、自分のしたことを棚に上げたキョウさんの発言を聞いて、堪えようとしたかに見えたフレアさんだが、やっぱり堪えきれなかったみたいだ。

これは煽ったキョウさんが悪いし、ここでいちいち詰まってたら話が全く進まないのであえて無視しよう。ごめんフレアさん。

「そ、それで!考えた結果、何かいい案思いついた?」

肩に回していたフレアさんの手を下ろして、見た目は笑顔で睨み合う二人の間に無理やり割り込んだ。一触即発の空気はまったく変わらないけど、少なくともましにはなったはずだ。………ましになったと信じたい。

「ああ、うん。思いついたよ、もちろん」

「そ、それはよかった………」

まともに身動きがとれない私たちだ。キョウさんが何かいい案を思いついたならラッキーだろう。素直にそう思わないとやってられない、うん。

「でさ、紅、お願いがあるんだけど」

「ん?」

「何かこう、刃物とか持ってない?」

「刃物?うーん、鞄の中に入ってたっけ?ちょっと待って」

ずっと肌身離さず背中に背負っているおかげで、地割れに落ちた時もフレアさんに襲撃された時も失くさずに済んだ鞄をあさる。護身用に、と渡してくれた携帯ナイフくらいはあるはずだ。ナイフというより手で切れないものを切るための用途だった気がするけれど、刃物は刃物。

「相変わらず正気じゃないなお前………まあそれが一番早いか………」

一瞬だけ嫌そうな顔をしたフレアさんだったけれど、キョウさんの思いついた方法は見当がついたみたいだし、異論も特にないようだったのでそのまま刃物探しを続行して。

「あ、あった!キョウさん、これでいい?」

刃渡り十センチほどのナイフを渡すと、キョウさんは刃先をじっと見つめてから笑った。

「うん、これなら十分」

「よかった!」

まったく何をするつもりかは分からない。でもここは魔法の世界なのだから、魔法使いのキョウさんに色々と頼ってしまった方がいいはず。そう思って素直に刃物を渡したけれど、どうやってこのナイフ一本で魔法使いを探すのかは純粋に気になる。

「キョウさん、それってどうやって使、」

言いかけた疑問がきちんと言葉になる前に。

——————びしゃびしゃと顔に生温かい何かがかかった。


「………へ?」

なんだかよく分からない呆けた母音が口から出る。

「………これ、なに?」

どさり、と音を立てて、さっきまで私の前で微笑んでいたキョウさんの体が草の上に倒れる。

それはまるでスローモーションのように。細い首から真っ赤な血を噴き出しながら、キョウさんの体が倒れた。

それなら私の顔を濡らしたのはキョウさんの血液なのだろうか。でもどうして、目の前の魔法使いがいきなり首から血を噴き出しながら倒れたのだろうか。

「………おい、呆けるな非常食」

フレアさんの声が後ろからかけられるけど、今も何が起きたかを把握できていない私にはどこか遠くから聞こえる。

倒れたキョウさんを見下ろす。口の中にまで入った血がまずい。

この血誰の血、どこから来たの、と言いかけて、視線は自分の足元で止まる。キョウさんの手にはさっき私が手渡した、新品のナイフが握られていた。

それが赤い血にまみれて、もとの色が分からないくらいになっていた。

—————キョウさん、自分で自分の頸動脈を掻っ切ったんだ。


「う、ぐぅ、」

距離をとる。キョウさんの————すでに死体になったキョウさんの体から、一歩離れる。

上手く足が動かなくて草の上にしりもちをついた。そこさえキョウさんの血で濡れていて、離れようと本能的に、みっともなく体を動かす。

血生臭い、それはそうだ。明らかに致死量を越える血液がキョウさんの体から零れたんだ。私の目の前にいた人間が、ヒトの形をしたものが、自分で自分の首を切って死んでしまった。

—————それはまるであの子のようだった。

「わ、あっ………!」

「おい、」

気が付いたら体が動いていた。距離をとろうとしていた体でキョウさんに近付く。血濡れた草を踏んで、自分の服や顔に飛び散った血を拭うこともせずに、一度は逃げた彼のところへ。

「キョウさんっ!」

駆け寄ってキョウさんの首の傷に両手を強く押し当てた。いまだに首から少しずつ流れてくる血液を止めようと足掻く。こんなもの、悪あがきだ。

実際、キョウさんの首には脈がない。頸動脈を切ってしまったのだから当たり前だ。あとは冷たくなっていくだけの肉の塊だ、分かっている、分かっているけれど。

「だめだよ、死んだらダメ………!」

「非常食!何やってるんだお前!」

「離してください!」

後ろからフレアさんに肩を掴まれて強く引かれた。体のバランスが崩れて再びしりもちをついたけれど、そんなことに構ってられないと再びキョウさんの傷口に手を伸ばす。

「もう死んでるんだよ、そいつ!」

片足を失っているとは言っても、フレアさんはやはり魔法使いで私の体を片手で抑えることくらい簡単にできてしまうようだ。

それでももがく私の耳元で、いっそ怒鳴るように放った言葉が鼓膜を揺らして、一瞬体が固まる。

「死んでる!そういう作戦でそういう案なんだから!お人よしも大概にしろ非常食、死んでるけどただの自傷行為だから、」

「でも止めないとダメなんです、私………!」

キョウさんが何も考えずに自殺するわけがない、話の文脈から考えてこれが「魔法使い探し」の手っ取り早い方法だったんだろう。頭の片隅の冷静な部分がそう判断している。分かっている。分かっているけれど。

「自分のことを傷つけちゃダメって言わないとダメなんです!」

私、あの時言えなかったから。

そんなことやめてって言えなかったから。

私の体を柔らかい、けれど血に濡れた草の上に押さえつけたフレアさんの顔を見上げる。私の心の内を見透かすように細められた瞳の奥に、なんだか憐れむような色さえ浮かんでいた。違う、私は糾弾されるべき人間だから、そんな憐れむような目で見ないでほしいと、心の中で感情が暴れる。

「あの日、世界が滅亡したあの日に、全部見てたのに、全部分かったのに私は何も言えなかった!だから私が、今度こそ私が、言わなくちゃ………!」

後は言葉にならなかった。ぼろぼろと涙がこぼれる、涙と血が滲んで視界が歪む。

友達。友達を助けたい。あの子を助けたい。今さら遅いとは分かっていても。

瓦礫の山になった私の家の前で、あの子は泣いていた。

—————自分の腕を異形の化け物に食われていた。

当然驚いたけれど、それよりももっと私の心を揺さぶったのは。

「——————朱雀っ!」

それは愛称だった。私の本名からつけられた愛称で、彼女が私の呼ぶ時の名前だった。自分の腕を食いちぎられながら、それでもあの子は私の名前を呼んでいた。

地面にぼたりと落ちてしまった自分の腕のことなど気にならないとでも言うように、瓦礫の下に埋まっているかもしれない私の名前を悲痛に呼んだ。

その声を聞いた瞬間に気付いてしまったのだ。あの子は—————月華は。

私にとってのヒーローだった。いつも私のしょうもないお願いを聞いてくれて、凍った湖面のように落ち着いた人だった。でも違ったんだ。そんなの全部、馬鹿な私の勘違いで、私のお願いを聞くために月華が払っていた代償の大きさを、私はその時初めて知ったのだ。

だから私は願った。本当なら月華を止めるべきだったのに、自分の「助けてくれ」なんていう自分本位な願いのせいで傷つけてしまった友達に、一言も声をかけることができないまま、願うしかなかった。


——————神様。どうか私の存在を消してください。


私があの子を傷つけた過去ごとなかったことにしてください。

私のためにあの子が傷ついた過去ごとなかったことにしてください。

私があの子に与えたすべての影響ごと私の存在を抹消してください。

何もかもなかったことにしてください、お願いだから。

これ以上、あの子が、月華が傷つかないように。私があの子に助けを求めないように。傷ついたことさえなかったことにしてください。

ここから先の私の願いは全部叶わなくてもいいから、どうか今この瞬間、この願いだけは叶えてください。

——————そうして、そこから先の記憶は私にはない。何も覚えていないのだ。


「………お前に何があったか知らないし、興味もないけど」

ぐしゃぐしゃに泣きながら、フレアさんからしてみたら支離滅裂な話を、もはや懺悔に近いような独白を吐き出されて、それでも魔法使いは冷静だった。

きっとキョウさんが刃物を要求した時から、彼が何をするつもりなのか分かったうえで距離をとったフレアさんは、返り血も浴びないで腹が立つほど綺麗なままだ。人外の化け物なのだ、きっと。魔法使いも、自ら腕をもいだあの子も。けれど月華はそれでもやっぱり人間だから、あんな風にしか戦えなかったのだ。返り血一つ浴びずに、傷一つ負わずに、世界を焼け野原にできる魔法使いとは違う。

「あいつはお前の敵で、世界の敵だ。………お前の友人とは違う」

キョウさんから零れた血の味と、自分の流した涙の味が口の中で混ざって嫌な味がする。

「うん………」

気が付けば血は乾いていて、それならキョウさんの体はきっと冷たくなってしまったのだろう。………戦略的自殺、だ。あの子の姿が重なって見えて苦しいけれど、もう死んでしまったのだからしょうがないと、フレアさんは残酷に突きつける。

「………ごめんなさい、取り乱しました」

もう押さえつける必要はないと判断したのか、フレアさんの手が私の肩から離れた。だから私ものろのろと体を起こして、草の上で膝を抱えた。

「………ごめんなさい」

それがフレアさんに対する謝罪だったのか、キョウさんに対する謝罪だったのか、今も目覚めない月華に対する謝罪だったのか、それは私にも分からないままだ。

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