第6話 五日目の旅(溶解編)

もちろん私だってそこまで馬鹿ではないので、キョウさんが超危険人物であることは分かっていた。

なぜか私に危害を加えずにいてくれるけど、正直何を考えているか分からない。しかも一応は仲間という括りの魔法使いの足を溶かしてしまう危険人物。

けれど彼の危ない言動も、言ってしまえば魔法使いの常識が人間とは異なってるからだと思えば理解はできないけど納得できる気がした。

とはいえ。

「キョウは超危険人物で魔法使いの中でも倫理観のなさはトップクラスだし味方だとしても近付きたくないし、敵だとしても一番近付きたくないし、何考えてるか分からないからとりあえず殺した方がいいくらいの魔法使いだ」

「本人を前によくそれだけ言いたい放題言えるね、やっぱり全部食べちゃった方がいいんじゃない?」

「フレアさんはナチュラルに煽らないでください!あとキョウさんは食べちゃだめだから、そんなこと言うのやめて!」

夜。身動きがとれないフィアさんを引きずるようにキョウさんの所に持って行き、日が暮れて真っ暗になった森の中で、とりあえずは食事を、と思ったんだけど。

「ほら、これ食べていいから!」

「やった、紅ありがと~」

キョウさんとフレアさんが敵対しすぎて空気が不穏である。とりあえず私の分の乾パンもキョウさんの口に押し込んで黙らせた。

「フレアさんはたぶん血液が足りないと思うから、このサプリ飲んで!」

「助かる」

そしてフレアさんの口には、本部からもらった鉄分サプリメントを放り込む。それにしてもキョウさん、足が一本ないのに随分と元気だ。

「フレアさん、傷口は大丈夫そうですか?」

「痛いけど大したことじゃない。この程度の修羅場、慣れてる」

「足がもげるほどの修羅場に慣れるって一体………?」

足はおそらく二本しかないと思うんだけど、いいんだろうか。それに、こんな話より。

「お前ら、俺をどうするつもりだ?」

「あ、そうだった………」

そう、それも考えなければいけない問題だ。

足がなくなったフレアさんを背負って動き回れるはずもないし、かといってこんな森の中に置き去りにしてしまえば動けないフレアさんがどうなってしまうかは想像に難くない。

「俺はどうでもいいよ、なんなら食事の続きをしてもいいし」

「キョウさんはちょっと黙ってて」

「えー、紅ひどくない?」

わざとらしく頬を膨らませたキョウさんだけど、そんな顔をしても怖いだけだからやめてほしい。そしてフレアさんはそんなキョウさんを見て鼻で笑うのはやめてほしい、ああもうほら。

「何?なんか言いたいことあるならはっきり言えば?」

「いや?人を食ったようなわざとらしい演技だからおかしかっただけだ」

「ああそう、そんなこと言うなら、もっと食べてあげてもいいよ?」

にやりとキョウさんが笑った直後、フレアさんが喉の奥でくぐもった押し殺したうめき声をあげた。

そしてぽたりと、その足元に血が落ちて。

「キョウさん!?フレアさんに何したの!」

「別に?」

「このくそったれ………」

小声で悪態をつくフレアさんを置いて、とりあえずは隣に座っていたキョウさんの腕を掴んで引っ張る。

キョウさんはわざとらしく目線を逸らしたけれど、魔法のことなんて何も分からない私でもキョウさんが何かしていることだけは分かるんだから!ごまかされないぞ!

「え、ちょっと、フレアさん、しっかり………!」

とはいうものの、私にも明確にキョウさんが何をしているのか分かるわけではない。圧倒的キョウさん優位の状況で、止め方なんて分からなかったけれど。

「………わかった!」

うめきを喉の奥に押し込めたフレアさんが、勢いよく顔を上げてキョウさんを睨んだ。

「わかった、お前らの目的に協力してやる代わりに、この呪いを解け!」

「呪い!?」

キョウさん、足を溶かすだけじゃなくてそんな魔法が使えたの!?という私の個人的な驚きはさておいて、キョウさんはフレアさんの顔を楽しそうに見る。それはもう、意地悪かつ楽しそうな笑顔で。

「俺に命令できるなんて随分偉くなったね?」

「………っ!」

この瞬間のフレアさんの顔には、今俺が手に包丁を持っていたら容赦なくめった刺ししてやる、くらいの殺意がこもっていた。彼は魔法使いだからもしかしたらそれ以上のことをしてやろうと思っていたかもしれない。けれど。

「解いて………ください………」

「フレアさん偉い!すごいよフレアさん!ちゃんと命を大事にできてるよ!大事なものをちゃんと見極めれてるの、すごい!」

それはもう、直前まで自分で舌を噛み切って死ぬかこいつを殺して俺も死ぬか、みたいな苦渋の表情をしていただけに、ちゃんと頭を下げたフレアさんは偉いとしか言いようがない。

「それなのにキョウさんは人の命を弄んで………同じ魔法使いとは思えないよね」

「え、何その新鮮な人格の否定………」

私の言葉にはショックを受けたようだけど、フレアさんの強張った表情が少し落ち着いたので、たぶん呪いはちゃんと解いた、んだろう。

「否定するほどの人格なんてお前に残ってないだろ」

と、思えば流れるように罵倒している。さすがにキョウさんの張り付いた笑顔も少しひきつったような。

「やっぱり魔法、かけっぱなしの方がよかったんじゃない?こいつとんでもない殺戮魔法使いなんだから、ちょっとは手綱を握った方がさ」

「うーん、大体フレアさんが襲ってくるのはキョウさんのせいだから、別に私はそんなに怖いと思ってないんだよね?」

「両手焼かれたのに?お人よしすぎない?」

「それについてはもうフレアさん謝ってくれたし」

ね、フレアさん、と同意を求めると、一つ頷くフレアさん。

「このくそ野郎の挑発に乗ったことがすべての間違いだった」

「フレア、俺を馬鹿にしたいだけだね?」

なんだろう、私の前では飄々としていたキョウさんなのに、フレアさんの前では随分と感情をあらわにしている気がする。やっぱり魔法使い同士だから価値観が合うんだろうか。………煽り合いの価値観があるっていうのもどうかと思うけれど。

「………勘違いしてるかもしれないけど、俺はこいつの味方でもなければ仲間でもないからな」

「え、そうなんですか?」

「こんな奴と仲間なんて寒気がする」

吐き捨てるように言ったフレアさんが、キョウさんを指差した。

「たまたま、人間の世界を侵略するうえで、たまたま利害が一致したから組んでただけだ。雇われて戦う俺に拒否権はなかったしな」

「たまたまって二回も言った………」

今の様子を見ていれば分かることだけど、やっぱり二人は仲が悪いらしい。分かっていたことだけど、一緒にいたことを否定したいくらい馬が合わないなんて………。

「だけどこいつは何を考えてるのか、お前みたいな人間にやたらと俺たちのことを話すからな………もうこいつ殺した方がいいんじゃないかって話になってたんだよ」

「短絡的だよねえ」

「キョウさんは反省しないですし、フレアさんたちは好戦的ですね………?」

やれやれと言いたげにわざとらしく肩をすくめたキョウさんは、フレアさんから放たれているこの殺意に気付いていないんだろうか………気付いてても同じことしそうだなあ。

「お前みたいな人格破綻者を生かしておいても何もいいことはないだろ。

————どうせ人しか食べれないんだ、早く死んだ方が世界のためだろ」

それはぞっとするくらいに冷たいフレアさんの視線、だったのに。

「それはほら、お腹すいちゃったからしょうがないじゃん?」

その冷たさにも悪びれた様子のないキョウさんの言い訳に、背筋がひやりとする。キョウさん、自分の仲間も、一緒に戦っていた人も、もしかして食べてしまったんだろうか。故意に、だけれど悪びれることもなく、あっさりと食べてしまったのだろうか。

「人を見たら食べ物にしか見れない奴、だと思ってたんだけど………。この非常食は長持ちだな」

「非常食じゃなくて紅だよ。それに俺はこの子を手助けしてるんだから、途中で食べたりしないよ」

そうだよね、紅、と。明るい声で同意を求められてしまったけれど。

「ははは………そうですね………」

乾いた笑いと力のない肯定しか伝えることができない。キョウさんの常識がおかしいのは重々分かったうえで、いまだに殺されていない私は本当に運がいいとしか言いようがない。

「………手助け、なあ」

そして。言ってしまえばキョウさんと私のせいで片足を失ったフレアさんは、意外なほど冷静に私の顔を見た。

「そういえば、お前らの目的を聞いてなかったな。これ以上こいつに食われるのは絶対に嫌だ、協力するから目的を教えろ」

「あ、はい!」

フレアさんが私たちの目的を自分から聞いてくれるなんて予想外だったけれど、これは私にとってはすごくいいことのはずだ。

そのはずなのに、今目の前にある生き残るための最善を、感情はさておいて選び続けるフレアさんの異常さにばかり目がいってしまう。

————足を失った人間に謝罪して、脅して、協力させた自分の狡さにも。

「私、友達を助けたくて、」

それでも私は彼女を助けなくてはならないと。自分の気持ちを奮い立たせるために心の中で呟いた言葉は、狡さの象徴のようだった。

「キョウさんの知り合いの魔法使いに、友達を治してくれる人がいるって聞いたので、私、その人のところまで行きたいんです」

フレアさんの目を正面から見据えて伝えれば、すうっと赤い瞳が細められた。

「………誰のところにいくつもりだ、キョウ」

私の目を見据えながら、フレアさんが問いを投げたのは私の隣にいたキョウさんで。

「それはほら、やり直しの魔法使いのところだよ、フレア」

顔はうかがえないけれど、キョウさんはきっと、楽しそうに笑っていた、だろう。


「————どうして、君はそこまでして月華を助けようとするのかなあ?」

問いかける声は無邪気な少年のもので、またこの夢か、とため息をついた。

魔法の世界までやってきて、人を傷つけて、それでも歩みを止めない覚悟はあるはずなのに、いつまでこんな夢を見なくちゃいけないんだろう。

「………友達だからだよ」

「ふーん?」

「私が逃げたせいであの子をひどく傷つけたから」

今度は落ち着いた我が家のダイニングじゃなくて、倒壊して廃墟になった家の前で、私と少年と会話する。少年は椅子に縛り付けられてはいなかったけれど、全身を縄でぐるぐる巻きにされて直立不動だったので、動けないことに変わりはないみたいだ。

「君もさ、思ったことない?別に私が助けてって言ったわけじゃないのに、どうしてあんな思いをしてまで私を助けるんだ、って」

「思わなかったって言えば嘘になるけど、それは逃げていい理由にならないよ」

————あの日。地面を突き破るような地震に襲われた日。私は奇跡的に生きていた。

五体満足で、生きていた。動くことだってできた。だから一瞬にして廃墟になった町の中を走った。心配だったから。両親を亡くし、一人で住んでいた友人のことが。でもそこで見たのは、目を疑ってしまうような光景で。

「—————悲鳴が、聞こえたの」

そう、ちょうどこの夢の中の光景のような。一瞬で瓦礫の山になった家の前で、あの子は生きていた。生きていたけれど。

「あの子は、」

悲鳴を上げていた。それはこれまで一度も聞いたことがない声で。怯んだ私は声をかけることもできなかった。足がすくんで動けなかった。

「私の友達はきっと、すごく優しいから。優しいから、ずっと私には内緒にしててくれたんだと思うの。内緒にして、それでも私を助けようとしてくれてたの」

それに気付いた。そして、気付いてしまったことを一瞬でも後悔してしまった。

「あんな痛い思いをずっとずっとしてたんだなって、苦しくて」

それに気付かなかった自分が、許せなかった。それなのに言葉が出なかった。

「あんなやり方間違ってる、やめてほしいって、言えなかったの、私」

「間違ってる………うん、そうだね」

私の言うことに対してはすべて否定的な少年が、初めて素直に頷いたので驚いてしまった。どうしたんだろう。

「間違っちゃったのはなんでかなあ?僕も月華も、そんなこと気付いてたはずなのに」

まるで泣いているように、少年の声が震えていることに気が付いて、口をつぐむ。なんだかこの少年の方が、私より傷ついていて後悔を抱えているように見えてしまって。

「自分にも誰かを助けれるって、思いあがったのがよくなかったのかなあ?」



ぐらぐらと体が触れる感覚で目が覚めた。そして微妙に腹部が思い。これはもしかして。

「おーい、紅、大丈夫?」

「キョウさん………?」

「うん、俺だよ」

人のお腹の上に乗って、肩を掴んで揺らすキョウさんの紫色の片目と目が合った。

「よかった、なんだかうなされてたから」

そして目があった瞬間ににこりと細められる目。肩を掴んだ指の、服越しに感じる冷たい感覚と、私が目を覚ましたことにより心の底から笑った表情と。

「………私、うなされてました?」

「けっこううなされてたよ。フレアは離れたところで寝てるから気付いてない………っていうか、気付いてても気付かないふりしてると思うけど」

具合悪い?と問いかけるキョウさんの口調は、本当に私を心配しているもので。

だけれどはっきりと、分かってしまうことが一つだけあった。

「………キョウさん」

口に出すべきではない、と頭のどこかで警報がなったけれど。寝起きなのになぜか冷えた頭と声が、止められない。

「—————私を、食べようとしましたね?」

一応問いかけの形はしていたが、確信はあった。

暗い中ではキョウさんの表情の細部までは分からないけれど、きっとこの沈黙が何よりも雄弁に今の状況を語っている。

いつもいつも、私を起こすキョウさんの表情は、フレアさんの足を奪った時に見せていた、あんな嬉しそうな笑顔なんだ。そして全身をぞわぞわと走る不快感も、きっと。

「今だけじゃなくて、ここまで、ずっと、何回も、私のことを食べようとしましたよね?」

—————悲しいな。

分からないふりをしていても、分かるようになってしまった。最初は価値観の違う別の生物でしかなかったキョウさんの行動や、考えが、少しずつ。

魔法のことも、魔法使いのことも、キョウさんのことも、何も分からないとか、たまたま生き残れてよかった、なんて言えないくらいにはなってしまった。

「ああ、そっか」

キョウさんを体の上に乗せたまま、圧倒的に不利な体勢のまま、下から見上げた表情が、少しだけ悲しそうな笑顔に変わった気がしたけれど、それもきっと私の気のせいなんだろう。

「——————ばれちゃったかあ」

そう言って、言い訳一つせずに。キョウさんは私の肩を握る手にぐっと力を込めた。肩の骨が軋む。ああ、気付かないふりをしていた方が、生き永らえたのかもしれない。

もう隠しておく必要がなくなれば、私はキョウさんに食べられてしまうだけの非常食でしかないんだから。

「でも、よかった。やっと——————人に会えたみたいだ、俺」

ぼたりと、私の頬に落ちてきたのは、紛れもなくキョウさんの瞳から零れた涙だった。



——————世界には、食べ物が溢れていた。

極度の空腹で、朦朧とする意識で、食べたいと手を伸ばして、食べれないものは何もなかった。何もかもが食べれるモノだった。

動物も植物も、土も瓦礫も、他の人も—————自分の片目も内臓さえも。

溶かして、分解して、吸収して、それが食事で。

世界に存在するあらゆるモノが自分の食料だという純然たる事実だけが、彼にとっての世界を支えている理論だった。そんな圧倒的な事実しか、彼に世界を教えてくれるものはなかったのだ。周りの人は物言わぬ死肉だったのだ、親兄弟さえも顔も知らないうちから焼け焦げて死んでしまったのだ。

人食いを犯す禁忌の魔法使いにとって、この事実は変わりようがない倫理だった。

だから彼はただ、奇跡を願うように、漠然と望んでいたのだという。

—————世界のどこかに食べ物とは違う「ヒト」が、奇跡的に、存在することを。


「よかった、紅は食べ物じゃない、みんな人を食べるのはおかしいって言うんだ、まともな心があれば人を食べたりしないって。

でもどんな人だって食べれちゃうんだ、食べれるならそれは食べ物だよ、だから俺の世界にはきっと人がいないんだって、そう思ってたけど、でもちょっとは期待してて、」

堰を切ったようにあふれるキョウさんの言葉は、ただの人間でしかない私には到底理解できないものだった。

だって私にとっては、人は人で、食べれないものは食べれないものだから。キョウさんの気持ちなんて、分かるわけがない。気持ちはまったく分からないのに、キョウさんの言葉に同情してしまうのはどうしてだろう。

「本当に、奇跡みたいだ。紅には分からないかもしれないけど、でもずっと、ずっと探してたんだよ………」

ぼろぼろと零れた涙が私の頬を打つ。掴まれた肩が痛い。片方しかない深い紫色の目を歪ませて、キョウさんは縋るように、愛おしそうに、私の頬に両手を添えて。涙でぐちゃぐちゃの顔で、それでも笑った。

いつもみたいな完璧な笑顔じゃなかったけれど、今この瞬間、キョウさんはきっと、人生で一番喜んでいる。

「ようやく、人に会えた………!」

———キョウさんは、どこから歪んでしまったんだろう。

心が歪んでいる以前に、倫理観が狂ってしまっているのだ、きっと。全部が逆だ、「食べることができないから人」なのではなく、「人だから食べることができない」のに、キョウさんはすべてを食べれるがゆえに。そしてその価値観の歪みを咎める人が、誰もいなかったがために、今ここに至るまでこの歪みは直されることもなかった。

「キョウさん、」

私は奇跡でもなければ、特別な人間じゃないよ。キョウさんが歪な魔法使いなだけだよ。

だからこれまでキョウさんが食べてきた人間も魔法使いも、みんな人で。

本当は食べられるはずがない、生きた命だったんだよ、でもキョウさんはきっと根幹から狂ってるから、気付かなかったんだよ。

———そうやって現実を、本当の世界を、突きつけるべきだったんだろう。

「………寂しかった?」

でもね、私は弱いから。

これまでキョウさんに傷つけられたたくさんの人よりも、目の前で子供みたいに涙を流すキョウさんの方を大切だって、思っちゃうんだ。本当に、どうしようもないけど。

「………そうだなあ、ちょっとだけ」

「そっか、そうだよね」

紫色の片目をぱちぱちと瞬きさせて、優しい表情でキョウさんは笑う。泣いたせいで赤くなった目元と鼻先が、まるで小さな子供みたいだと思った。

彼は当然のように、人を殺しすぎた極悪人だ。分かってる。分かってるけど、きっとこの涙は偽物じゃない。「人」恋しかったと泣く彼を、私は殺人者だと糾弾できない。

「————私も、キョウさんに会えてよかったよ」

キョウさんの歪みを糾弾できない私は、ただそうやって本心を伝えることしかできない。

「キョウさんに会えて、こうやって魔法の世界まで連れてきてくれて、嬉しかったよ」

頭がおかしい、倫理観が根本から歪んでいる、そして私を何回も殺そうとしていた極悪人ではあるけれど、結果的に私は死んでないからいいじゃないか。

自分の片目をくりぬいて食べてしまうくらい、生きた動物を口に入れようとするくらい、周囲の人間さえ、死体さえ食べないと生きていけないくらい過酷な環境だったというなら、悪いのはその環境じゃないか。

どうしようもないくらいに歪んでいるキョウさんが、それでも私に会えてよかったと、嬉しかったと泣くのなら、私は彼の助けになれているじゃないか。

——————私みたいな人間がようやく誰かを助けれたと、喜んでもいいじゃないか。

「うん、俺も嬉しい。温かいなあ、人は。ずっと、ずっと俺は、肉の熱しか知らなかったんだよ。こんなにほっとするだ、人に触ると」

「うん、そうだよ。人は、あったかいよ」

ゆるりと手を伸ばして、いまだに涙がつたうキョウさんの頬を少し拭ってみた。涙の温かさと、泣きすぎて熱くなった顔が、彼が当たり前みたいに人だと伝えてくる。

どれだけ倫理観が歪んでしまっても、外れることなく人であることは、幸せなことなのか不幸なことなのか、分からないけれど。

「キョウさんもちゃんとあったかいよ」

キョウさんにとっては自分の身体さえ食べ物でしかないのかもしれない。

でもそれは悲しいと、私が思ってしまったんだ。

「キョウさんだって、ちゃんと人だよ」

「………ありがとう」

そう言ってキョウさんがあんまり綺麗に笑うから、私はそれでもいいかと妥協する。

間違ってるかもしれないけれど、それでいいもいいと思ってしまった。

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