第4話 五日目の旅(延焼編)

「………またこの夢」

「またこの夢だよ、残念だね」

波蝶さんに昔の話をしてしまったせいだろうか、とため息をつく。目の前には二度目ましての少年の声をした何かがいるし、おまけに今度は真っ白な空間じゃなくて。

「悪趣味だなあ………」

「しょうがないじゃん、君の心の中の風景なんだから」

これは夢で、私の心の中で起きていることだということを頭ははっきりと理解していた。私はキョウさんと旅をしていて、その途中で波蝶さんと出会ってさっきまで話していた。

だからあり得ないのだ—————こんな風に、倒壊する前の私の自宅にいるなんてことは。

「君の心の中は相変わらず負の要素が全然ないけど、さすがに両手を燃やされるのも応急手当も激痛だったんだね。おかげで僕もちょっとは自由に動ける」

「人の不幸を喜ぶの、よくないと思うよ」

「しょうがないじゃん、僕はそういう存在なんだから」

ダイニングテーブルを挟んで向かいに座るのは少年だった。今度はちゃんと少年だと分かる。前は全身にお札が貼られていて輪郭さえはっきりとしなかったけれど、今回はなぜかお札の量が全体的に減っていた。顔には相変わらず厳重にお札が貼られていたけれど、とりあえず人間の少年の体を持っていたんだな、ということは視認できる。

「あなた、誰なの?」

それはともかく。人の不幸を喜ぶ性の存在なんて、どう考えてもろくなものじゃない気がするんだけれど、問いかける。

「さあ、誰だと思う?当ててみてよ」

「分かるわけないじゃん………でもあなた、なんか怖いよ」

輪郭が見えるようになったから分かったことだけれど、彼はどうやら椅子に縛り付けられているようだ。その上からお札を貼られていたから、最初にあった時は山みたいに見えたんだな、と納得する。

「僕が怖いのは朱雀が健全な心を持ってるって証拠だね!すごくいいことだよ」

「………………」

皮肉にしか聞こえないんだけれど、なあ。とはいえ彼の正体を聞いてもはぐらかされそうだ、聞きたいことを直球で聞いてみよう。

「どうして私を朱雀って呼ぶの?」

「どうしてって、君の名前でしょ?」

少年の言うことに間違いはない。私は確かに朱雀なんていう名前で呼ばれていた。でも。

「もうそんな風に呼ばれる資格、ないから………」

友達が親しみをこめて呼ぶように。あまり自分の本名が好きではない私に付けられた渾名だった。最初は頑なに本名を呼び続けていたあの子にも、こう呼んでほしいと訴えかけて呼んでもらうようになった名前だ。大事な名前だけれど、それは友達としての私の名前だから。

「君があの子を傷つけたから、友達みたいな渾名で呼ばれる資格はないってこと?」

「うん」

考える前に肯定すれば、お札で隠された顔の奥で目だけが赤く光った気がした。

「この邪魔な加護がなければ一口で食べちゃうんだけどなあ、僕にも魔法にも傷つけられないんだからムカつくなあ」

「………キョウさんみたいなこと言うね」

「なんでもいいけどさ、君、あの子を傷つけた過去ごとなかった気にするの?」

「ちが、」

がたん、と大きな音を立てられて、否定しようとした言葉が喉の奥に引っ込む。

条件反射で怯んでしまったけれど、彼は椅子に縛られているのだからこちらに危害を加えることはできない。じゃあこの音は、

「違わないじゃん。あの子を傷つけた名前を捨てて、あの子の傷ついた心は治して、そうやって自分のやったことを全部なかったことにするんでしょ?」

がたん、がたん、と。

響く音は、少年が体ごと椅子を揺らして地面に着地させる音だ。少年はまるで行儀の悪い小学生のように、がたがたと椅子を鳴らしては大きな音で地面に足を叩きつける。

「——————自分が何に生かされたかも忘れて、随分態度の大きい人間だね?」

罰が当たればいいと思うよ、と。

椅子を揺するのをやめて、ぽつりと呟かれた言葉が耳に届いた。疲れたのか心なしかぐったりとうなだれているようにも見える。

「君みたいな人間が、どうしてこんな風にまっとうな神様から加護をもらえるのさ」

ふてくされたように呟く声に聞き覚えがあるような気がするのに、どこで聞いたのか思い出せない。もどかしい。私はきっと彼をしっているはずなのに。

「どうして月華の願いは僕みたいな魍魎にしか届かなかったの」

月華。身に覚えのある固有名詞だ。私が救いたい友人の名前だ。今もきっと本部の一室で、死んだように眠っている彼女の名前がどうしてこの少年の口から出るのか。

「君はもしかして、月華の、」

「朱雀には関係ないでしょ?」

うなだれていた頭を上げて、きっと札の奥では私のことを強く睨んでいるんだろう。テーブルの向かいに座る彼に手を伸ばそうとして引っ込めた。相手は手も足も出ないくらいに拘束されているのに、手を伸ばすのを躊躇してしまうくらいの圧がある。

「ほら、そろそろ起きなよ。君は月華と違ってちゃんと神様の加護があるんだから、今日も何事もなく朝を迎えれたよ?」

時間切れだよ、と言う少年の声がまた遠くなる。やっぱり聞き覚えがあるんだけど、なあ。



「おはよ、紅」

「ひえっ」

青い空、まぶしい光、そして視界いっぱいの。

「キョウさん、その起こし方は心臓に悪いからやめてほしいな………」

「あれ、そう?」

起きていきなりキョウさんの顔が目の前十センチの場所にあるのは大変心臓に悪い。実際私の心臓はバクバクと、全力疾走をした後みたいに早鐘を打っている。寿命が縮まりそう、と言ってしまうのはさすがに悪い気がしたから言わなかったけど。

「んん………どうしたんだ紅………」

「あ、えっと………」

私の悲鳴で波蝶さんも目を覚ましたみたいだ。そして。

「うわ!」

こっちを見た波蝶さんも悲鳴を上げた。うん、そうなるよね。何せキョウさん、普通に起こしてくれればいいのに、なぜか仰向けになった私の上に乗っかって顔を超至近距離に近づけているのだ。正直私は死を覚悟した。

「お前、怪我人に乗っかっちゃダメだろ」

「ああそっか、ごめんね紅」

「いや、それは別に………」

単純に距離が近すぎてびっくりしたのだけれど、波蝶さんが注意したことにあっさりとキョウさんが頷くから調子が狂う。

「キョウさん身長のわりに重くないから………」

「へえ、大食いのくせに」

「あんまり太らないんだよね」

キョウさん、食に執着する割に体重は体の上に乗られても大して苦しくないくらいしかない。代謝がいいんだろうか。

「重くないって言っても紅がパニックになってうっかり手の怪我が悪化したら困るだろ?だから今度からは紅に乗っかっちゃダメだ、わかったな?」

「わかったよ」

そう言ってすんなりと私の体の上からどくキョウさん。物騒な発言の数々の割にはずいぶん素直だ。

「ああ………びっくりしたらなんか目が覚めた」

ふわあ、と大きな欠伸を一つこぼした波蝶さんが、枕元に置いてあった狐面をとって顔につける。

「朝ご飯食べたら、出発するか」

朝ご飯はパンだった。キョウさんが私たちの三倍の量を食べていたし、そもそもこの食料は先生と波蝶さんの鞄から出されたものだから私は申し訳なくて仕方がなかったけれど、先生はまったく気にしていないようで私に声をかけてくれる。

「紅ちゃん、手はどうよ」

「あ、えっと、まあ痛いですけど………大丈夫です」

「そっか。あんまり痛くなるようなら痛み止めあるから言ってくれよー」

「ありがとうございます!」

四輪駆動のジープのハンドルを握る先生の言葉に、大きな声でお礼を言う。隣に座ったキョウさんがちらりと横目で私の方を見て、口を開いた。

「まあ、それも魔法の世界に行けば治してあげれるからさ。たぶん」

「………この怪我も治せるんですか」

「治せるよ、トオヤなら」

なんでもないことのように言い切ったキョウさんが、ジープの外に向けていた目線をこちらに向けた。相変わらずの嘘くさい、仄暗い笑みが顔に張り付いている。

「そういう魔法で、そういう魔法使いだから。でももしかしたら紅の怪我は直せないかも、というより俺、紅の話を聞きたいな」

「………私?」

何かを探ろうとするような嫌な口調だと思った。笑顔だけど私の表情の変化をじっと観察しているような、そんな。

「どうして紅は、フレアの魔法でそんな風になっちゃったのかな?」

「………え?」

キョウさんの質問の意図が掴めずに首を傾げた、その時。

「—————先生っ、危ない!」

助手席に座った波蝶さんの声とほぼ同時に、車が急ブレーキをかけた。

「いたっ!」

「うわ、」

シートベルトなんてつけていない後部座席の私とキョウさんは、感性の法則でほぼ後部座席の足元に滑り落ちてしまった。何が起きたか分からないけれど、無理やり停止した車に急な衝撃がはしる。

「ちょっとあんたたち!一般人なら早く逃げなさい!」

そして、怒鳴るような女の人の声が聞こえた。

とにかく何が起きているか把握するために座席に戻ろうとしたけれど、同じように後部座席の足元に滑り落ちたキョウさんがそれより早く声をかけてきたから、一度隣に顔を向ける。痛そうに頭をさすってはいるけど、キョウさんにも目立った外傷はなさそうだ。

「紅、大丈夫?」

「痛いけど平気………キョウさんは?」

「うん、平気だけどしばらくここに隠れてた方がいいかも」

「………どうして?」

「戦場育ちの勘ってやつ?」

私の質問に疑問形で答えたキョウさん。限りなく信じていいか怪しい忠告だけれど、一瞬だけ頭を上げるのをためらった。

その隙に。

「—————焼け死ぬわよ!」

女の人の声と同時に、車内に体を縮めていても分かるくらいの熱があたりに満ちた。これは、きっと間違いなく。

「執念深いねえ、あいつ」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ!?」

十中八九、あの魔法使いの火だ。

運転席と助手席の隙間から少しだけ前をうかがうと、車のボンネットに長い髪をツインテールに結んだ女性が立っていた。

………あれ、本部で顔を見たこと、あるかもしれない。とはいえ会話をしたことはないから、向こうが私を認識しているかどうかは微妙だけど。

「………そうは言っても、この先に用事があるんだよねえ」

先生があまり緊張感のない声で答えたのが聞こえる。そうだ、私たちは魔法の世界に行くためにこの先に進むことが必要で、

「少なくとも今は無理!見て分からない!?あいつをなんとかしないと、これから先も死人が増えるの!」

そう言っている女性の後ろでまた火柱が上がる。

………私もキョウさんも、よくあんな魔法使いと戦って生き延びたなあ、なんて。現実逃避みたいに思っている私を置いて、波蝶さんが口を開いた。

「先生、もう液体窒素は使えないよな?」

「うーん、昨日使っちゃったのが最後だったからなあ」

「悪いけどフィアと私で戦っても足止めが精いっぱい!あんたたちを目的地まで安全に連れてけないから早く引き返しなさい!」

それだけ言って車のボンネットから飛び降りた女性が、さっき上がった火柱の方に走っていく。

「………キョウさん、あの、魔法使い」

「フレアのこと?」

「そう、フレアさんって………倒せるの?」

近付くだけで蒸発しそうな熱に襲われ、触れば皮膚が溶けてしまう高温を放つ。どうやって勝つのか、見当もつかない。

「………まあ実際、あいつを止めようとするのは難しいよ。今も足止めが精いっぱいってところじゃない?」

やっぱりフレアさんは相当強いんだ、それこそ出会ったら逃げることすらできないくらいに。

「おいそこの二人、どうする?」

その時、波蝶さんが後部座席を振り返った。そして私とキョウさんが後部座席の足元に挟まっているのを知って、「何やってるんだ?」と首を傾げる。

「私はできれば引き返したい………っていうか、ちょっとあいつらには近付けない事情があるんだけど。お前らはほら、私たちとはちょっと目的が違うだろ」

「そうだなあ、俺たちはやっぱり魔法の世界に行くよ」

座席の足元からもぞもぞと這い上がりながら、キョウさんがにっこりと微笑んだ。

「それにほら————もう気付かれちゃったし」

「—————え?」

言葉と同時に強引に服の首元を掴まれて上に引っ張り上げられる。

「ちょっと、キョウさん………!?」

抗議する間もなく、どんな腕力をしているのか、私の首元を掴んだキョウさんは私の体を車外に放り出した。そのままべしゃりと地面に落ちた私の目の前を。

「っ!?」

飛んできた火の玉が、さっきまで乗っていたジープを直撃した。

「二人とも!?」

車は当然のように横転して、ああどうしよう、私だけ逃がされちゃったけど、このままだとガソリンに火が引火して大爆発、しちゃうんじゃ、

「あー、さすがに間に合わなかったかあ」

しかし横転した車の窓からあっさりとキョウさんが姿を現して、燃える車に手をかざせばガソリンに引火直前だった火は不思議なくらいあっさりと消えてしまった。

そして運転席側の開いた窓からは、せき込みながら先生が姿を現す。

「お前………危ないの分かってたなら教えろよ………」

「教えたからって間に合うとは限らないでしょ?」

これは間に合わない方、と言いながらいまだ地面にくすぶる火を足で踏んで消してしまうキョウさん。足で踏んで消化できる大きさの火じゃない気がしたけれど、実際に消えたんだからこれもキョウさんの魔法だったりするんだろう。

「さすがに爆発なんてしたら目立つから消火くらいはしてあげるよ」

「恩着せがましいなお前!」

………フレアさんの魔法が炎だということは分かったけれど、相変わらずキョウさんの魔法は謎のままだ。消火………なわけはないと思うけれど。戦い向きではないと言いつつも、フレアさんにちゃんと対処しているように思えるのは私だけだろうか。

「これ絶対足折れたぞ………」

「その程度で済んでよかったね。フレアもあの二人の相手で精いっぱいみたいだし、腹いせに火は飛ばしたけど追い打ちまではかけれないみたいだし。フレアのことはあの二人に任せて、早く逃げちゃった方がいいと思うけど」

あらかた火を消し終わったキョウさんは、地面に仰向けに倒れこんだ先生には目もくれず、私の前にやってきて。

「大丈夫?立てそう?」

「………平気」

………どうしてキョウさんは、私だけを車外に放り出したんだろう。最初は私のことを殺そうとした。けれど、私に協力すると言ってくれた。助けてくれた理由は全く分からない。でもキョウさんはまるで、私のことを守っているみたいな行動をする。どうして。いや、それより。

「波蝶さんは!?」

「………ああ、忘れてた」

悪いと思った様子もなく、まるで部屋の電気を消し忘れたみたいな口調のキョウさんは放っておいて、慌てて横倒しになった車に近づいた。

もし車内に閉じ込められてる状況で追い打ちが来たらもう焼け死ぬしかない、早く助けないと!

「波蝶さん!」

————波蝶さんは、横転した車の下敷きになっていた。

「波蝶さん、大丈夫ですか!?」

「………平気、足が挟まれてるだけだから」

「よかったあ………」

足を挟まれて抜け出せないみたいだけど、ちゃんと意識があるようなので少し安心した。衝撃で狐面が吹き飛んでいたけど、顔色は悪くないし流血もしていない。

とはいえ早く助け出さないと少し離れたところで戦っている魔法使いの巻き添えになりかねない。

「キョウさん、助けるよ!」

「え、俺?」

「キョウさんしかいないでしょ!」

現状動けるのは私とキョウさんだけだ。とにかくいまいちぴんときていないらしいキョウさんを急かして、波蝶さんのところに連れていかないと!

「えっとこれ、車?どかせばいいの?」

「キョウさんの馬鹿力でなんとかして!」

「俺そんな馬鹿力ってほどじゃないんだけど………」

「ああもう、いいから早く助けてやれよ!ごちゃごちゃ言うな!」

先生が後ろで叫んだのを聞いて、ため息をつきながら車に手をのせたキョウさんと。

「—————ちょっとあんたたち何やってんの!早く逃げなさいって言ったでしょ!」

再びこちらにやってきた女性(たぶんリアノさん?)が、大きく両手を広げた。瞬間、火柱が上がるせいで明るく照らされていた周囲が、一気に暗くなる。

「すごい………これ、魔法?」

「魔法のくせにあんな物理的な炎、あんたらみたいな普通の人間が食らったら死ぬでしょ!しばらく守ってるから早く助けなさい!」

「あ、ありがとうございます!」

リアノさんがどういう魔法の原理で私たちを守ってくれているのかは分からない。そもそも私には魔法のことなんて何も分からないんだ、キョウさんの魔法もリアノさんの魔法も全く理解できていない。だからリアノさんの「しばらく守る」という言葉を信じるのだ。

「それにあんた!そうそこのリボンの男!どうせあんたも魔法使いなんでしょ!何しに来たか知らないけど、この程度の窮地自分でなんとかしてみせなさい!魔法使いの名誉にかけて!」

「………名誉じゃお腹は膨れないよ」

わざとらしく肩をすくめたキョウさんが、ちらりと横目でリアノさんを見る。

「でもまあ、これだけ食べればお腹も膨れるのかな」

言葉と同時に、車に乗せたキョウさんの手の下で車がどろどろと形を崩し始めた。

「この鉄の塊をどかす力はさすがにないから、美味しく食べて片付けようか」

「うわあ………」

鉄の塊の車がチョコレートみたいに溶けていく。キョウさんの魔法、けっこう見ているけれど、もしかしてモノを溶かすことができる魔法、だったりするんだろうか。

「ああもう!あいつ属性水なの!?あんな呑気な魔法じゃ時間かかってしょうがない!」

キョウさんの方をちらりと見たリアノさんがけっこうな声で悪態をつく。魔法に属性があったことも知らなかったけれど、一目見ただけでキョウさんの魔法をなんとなくでも把握できたリアノさんの観察眼に驚いた。

「え、あれ時間かかるんですか!?」

「詳しい原理は分からないけど絶対時間かかる!もたないわよ!」

言葉と同時に、私たちの周りを囲っている暗い闇が一段と深くなった。

「あの、えっと、リアノさんが、これ守ってくれてるんですか?」

「ええ。というかあなた、すっかり元気になったみたいね」

「………どこかでお会いしたことありましたっけ?」

波蝶さんが自由になるにはもう少し時間がかかりそうだし、私がキョウさんのそばにいたからといって何か助かることはないだろう。

そう思って魔法で防御を展開してくれているリアノさんに近づいて話しかけたのだけれど、目を細められたからあまり歓迎はされてないみたいだ。

「ああそっか、あんたもややこしい事情があるのよね。以前会ったことがあるけど、直接あなたと話すのは初めて、ってことになるの、確か」

「えっと………」

「世界滅亡から一年間くらい?記憶がないんでしょ、あなた。その間に会ったの、それだけ。——————というか、正直喋ってる余裕もそろそろなくなりそうよ」

こちらに向けた視線を正面に戻して、リアノさんが叫んだ。

「来るわよ————伏せて!」

リアノさんが叫んだ瞬間、周囲の闇が割れて人間が飛んできた。しかも。

「ごふっ………!」

「うっ、」

私の上に着地した。内臓が口から出そうな衝撃だ、しかも重たい。

「ちょっとフィア何やってるの!こっちはまだ一般人の救出活動が終わってないのに!」

「そうは言っても俺一人じゃ………うわ」

リアノさんが再び周りに暗闇のシールドを張る一方で、吹き飛んできた人物はようやく私の上に着地したことに気付いたようだ。

慌てて私の上からどいたのは、これも本部で何度も見かけた。

「フィアさん………でしたっけ」

「やあ久しぶり………なんて言ってる場合じゃないな!」

ばねのように体を起こしたフレアさんが、あっという間に地面を蹴ってリアノさんのシールドの外に飛び出していく。フィアさんの体が飛んできて割れたシールドの向こう側に、炎がくすぶるのが見える。そして、そのもっと奥に。

「——————見つけた」

「ひえ、」

目が合った。と思った瞬間、爆風と一緒にフィアさんが再び吹っ飛んできて、修復途中だったリアノさんの魔法がまた割れる。おまけに私の目の前には身を屈めて笑うフレアさんがいて、こんな反則級の機動力があるなんて聞いてない、と言いたくなってしまう。

「お前、この前キョウと一緒にいた人間だな?」

「え、っと」

思わず横倒しになったジープに視線を向けたくなったけれど、ぐっと堪えた。

吹き飛ばされたフィアさんがどこに行ってしまったかも分からないし、リアノさんはきっとキョウさんの救助を手伝ってくれている。それなら私が頼れるのは自分だけだ、せめて周りを巻き込まないようにしないと。

「その子から離れろ!」

「ちっ、」

舌打ちを一つだけ残して、私の前からフレアさんが消えた。入れ違いに現れたのはフィアさんで、あれだけの爆風に吹き飛ばされて目に見えたダメージはなさそうだ。

「何度も言っているがキョウなんて奴は知らない………いや知ってるけど!仲間じゃないし庇ってもいない!この子は巻き込まれたただの一般人だ!」

「あ、えっと………」

フィアさん、それは違うんです、と言おうとしたけれど、一秒ごとに命のやりとりをしている状況で改めて詳細を説明する意味はないのかもしれない。

私とキョウさんがフレアさんに太刀打ちできないのは明らかだったし、手助けにはなれそうにないのだから、それなら黙って波蝶さんの救出に専念していた方がいいだろう。

「なんだ、もうキョウはいないのか。というかお前、なんか勘違いしてるだろ?本来の俺の目的はお前を殺すことだぞ?」

対するフレアさんは鬱陶しそうに頭を振ってため息をついた。

「まあついでにキョウも殺せたらいいとは思ってたけどな」

「残念だったな、こっちにはリアノもいるんだ」

私とフレアさんの間に立つフィアさんは、きっと明確に私を守ってくれるつもりなんだ。その優しさを当たり前みたいに享受していたらダメになる、だから一歩下がって。

「………あれ?」

背中に何かがあたって振り返る。さっきリアノさんが出現させていた真っ黒のシールドが私とフィアさん、それからフレアさんをぐるりと、狭い範囲に囲っていた。

「悪いけど、これ以上被害は出したくないから閉じ込めさせてもらったわよ」

「自殺志願か?」

「そんなわけないでしょ、ここであんたを倒すため!」

そして向こう側が見えない黒いシールドから、するりとリアノさんが姿を現す。防御だから内側からは簡単に外に出れるんだろう。たぶん。

「リアノさん、あの、車は………」

「この向こう側、大丈夫、ちゃんと助けれるから」

やっぱりこちらを見ないまま私の質問に答えてくれるリアノさん。頼もしい、けれど相手のフレアさんが余裕の表情を崩さないから不安は募る。

「さっきから二人がかりで足止めするだけで精一杯だっただろ?勝てないからやめておけ」

「………うるさい」

フィアさんが低い声で言い返したけれど、一瞬の間がすべてを物語っている。

つまり、フレアさんを倒すには決め手にかけるのだ。リアノさんがあえてフィールドを狭くしたのは、きっとフレアさんが本部にまで被害を与えないように、という考えだったと思うけれど、あえて狭くしてしまったことでこちらも少し不利になったというわけだ。

「面倒だからまとめて蒸発させてやるよ」

言葉と同時にこれだけ離れて立っていても分かるくらい、熱が押し寄せる。

「大丈夫、守るから」

向かい合うフィアさんからは冷気が流れていて、ついでに怯える私に気付いたのか安心させるような笑顔まで向けてくれた。優しい魔法使いだ、なんだか勝てるような気が、する。

逃げ場のない空間で、魔法使いが三人集まって、決着をつけようとしている緊張感。

だから私は忘れていた。————この場に四人目の魔法使いがいることを。

「——————まったくもう、フレアは執念深いなあ」

フレアさんの真後ろから、ずるりと姿を現したキョウさんが、場にそぐわないくらい緊張感のないのんびりした声を出す。

「っ、は、」

四方をリアノさんの防御で囲まれた空間、真っ黒な防御壁の向こう側は目視で確認できない。だから知らなければ、当然反応もできない。自分の背後に現れたキョウさんを、なんとか目視しようと身を捻るフレアさんだけどもう遅いんだ。

「よいしょ、っと!」

まるでさっきと同じような光景だった。

キョウさんの前蹴りが直撃したフレアさんの体が容赦なく吹き飛ぶ。魔法なんて使ってないはずのただの蹴りで、人の体が宙を舞う。

吹き飛ぶのがフィアさんからフレアさんに変わっただけで、そこから先の光景は何一つ変わらない。なすがままに攻撃をくらった体がぶつかると、リアノさんの作り出していた黒い防御壁が音を立てて割れた。

「キョウさん!」

「やるじゃない!」

突然現れた魔法使いに困惑しているのか、身動きがとれていないフィアさんを置いてけぼりにして、リアノさんが叫ぶ。宙を舞うフレアさんを追いかけてキョウさんも人間離れした加速をして、そして。

「ダメだよフレア、油断したら」

「このくそ野郎………」

地面に背をつけて倒れたフレアさんを容赦なく踏みつけるキョウさんのもとへ。よっぽど強く踏まれて動けないのか、フレアさんは憎々しげな目でキョウさんを睨むけれど何もできていない。

「キョウさんすごいよ!波蝶さんは………キョウさん?」

言葉をかけて………彼が私の声なんてまったく聞いていないことに気が付いた。例えは悪いけれど、大好物のケーキを目の前に出された子どものように。無邪気に、だけど残酷に微笑んで、隣に立った私には目も向けない。

「いいねえ、こんな所でごちそうだ」

「お前本当にふざけるなよ………!」

地面に倒れたフレアさんの足を踏んで、キョウさんが笑う。

—————今まで見せていた作り物みたいな笑顔じゃない、本当に嬉しそうな笑顔で。

「やっぱり食べるなら、人間が一番だよねえ」

耳を疑うような言葉をとろけるような声で、幸せそうに、まるで死刑宣告みたいに告げる。手を合わせて食事の前に言うありきたりの言葉、だけれど今の状況にはそぐわない言葉を丁寧に。

「————いただきます」

「ぐ、あっ、」

そしてまるで、溶けるように。

キョウさんに踏みつけられていたフレアさんの足が、まるで形を失っていくように消えていく。踏みつけられていたはずが、まるで最初からそこになかったように。キョウさんが溶かした車みたいに、人の足が溶けていく。際限なく、なくなっていく。

「やっぱり君たちの味は格別だね、強いからかなあ。ジャイアントキリング、だっけ?素敵だよね、弱肉強食で誤魔化されないところが人っぽくて特にいい!」

「お前に食わせるためじゃねえぞ………!」

じわじわと地面に広がるこの赤い液体は、血、なのだろうか。

いつになく嬉しそうなキョウさんには、きっと周りの状況なんて何も見えていない。私が隣でキョウさんの名前を呼んだことも、フィアさんがこちらに向かって何かを叫んだことも、リアノさんが倒れた車のあった場所に向かったことも、何も知らない。

「キョウさん、」

身をよじって這いつくばるように逃げようとするフレアさんをあざ笑うように、キョウさんはぐいっと足に、力を、入れて。————止めないと。

このままだとキョウさんは、フレアさんを、殺してしまう。

「——————キョウさん!」

「波蝶!」

「フィア!」

三者三様の声が、名前を呼んで。

「離せっ………!」

誰かの声と、熱と、衝撃が、私の体を、吹き飛ばして。そうして意識は闇に溶けた。

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