第2話 四日目の危機(出現編)
「紅、そろそろご飯にしない?」
「もうちょっと後でもいいですか!?」
ひょい、と私を振り返って笑顔を向けてくるキョウさんだけど、ちょっと待って!
「ここ、魔法使いのせいで地震………っていうかもはや地割れが起きてて!歩くだけで精一杯なので、こんな所でご飯なんて食べれないです!」
「ごめんね、俺の仲間が迷惑かけて」
「あ、謝られると反応に困る………!」
キョウさんは私より足が長いからすたすたと進んでしまうけど、私はそうはいかない。アスファルトに無数に走る、底が見えない断層に落ちないように歩くので必死だ。
むしろ、助けてもらわないと数分後には奈落の底コースなのに、どうしてキョウさんはこんなにマイペースなんだ。
ついでにそんな風にあっさり謝られても、大量の死傷者を出した人間側としては反応に困るからやめてほしい。なんでこんなに常識がずれてるんだ。
「………魔法使いだからか」
一人で納得してしまった。そうだ、彼は魔法使い。私の常識の及ばない世界の人だ。もしかしたら魔法使いの世界ではこれくらいの天変地異はよくあることで、地割れに落ちて死んじゃう人も当たり前にいるのかもしれない。
「頑張って紅ちゃん」
「理不尽だ………足が長いだけなのにずるい………」
「文句言ってても体は先に進まないよ~」
遥か前方でからからと笑うキョウさん。魔法使いと人間という珍パーティーだ。意思の疎通が難しいことくらい、私も分かっていたけど。
「あとちょっと………というか、キョウさんの知り合いはどこにいるんですか?」
「この状況でお喋りするの?紅は。胆が据わってるなあ」
「茶化さないでください!大事なことなんです!」
主に私の体力の都合で。とは、プライドが邪魔してさすがに言えなかったけど。こんな土地の上を何か月も歩くことはできない。生のネズミを躊躇なく食べようとするキョウさんと違って、私はごく普通の人間なので、食料が尽きても旅をすることはできない。
「つまりですね、キョウさんの知り合いの魔法使いの方に会いたいのは山々なんですが、あんまり遠いと友達を助ける前に私が死んじゃうというか」
「足元見ないと危ないよ」
「質問に答えてくださ………あっ」
顔を上げて、あくまでふざけたような返事しかよこさないキョウさんの顔を睨み付けようとしたその瞬間。
————危惧していた通りの出来事が起きた。
地割れの片端にかけた足が滑る、目測を誤って踏み外した足が、地割れの底に吸われ、
「ほら、だから言ったのに」
嫌な浮遊感に包まれた身体が、宙ぶらりんの状態で止まる。足は相変わらず地面についていなかったけれど、咄嗟に上げた片手を危なげなくキョウさんが掴んでくれていた。
「………ありがとう、ございます?」
「なんで疑問形なの」
「それは、」
魔法使いのキョウさんが、さも当然のことのように私の手を掴んで助けてくれた。まるでピンチに駆けつけてくれた救世主のように、だけど。
「ダメだよこんなところで死んじゃったら。まだ何も食べてないんだから」
無邪気にされど残酷に、目を細めるキョウさん。この人はきっと私の命なんてどうでもよくて、私の背中にあるリュック、ひいては食べ物が落っこちたら困ると思って手を掴んだのだ。
だから、「助けたもらった」とは思っちゃいけない。彼は気を許していい人じゃない。私の命の恩人かもしれないけれど、同時に人間を大量に殺した。
「ほら、引っ張り上げるよ」
「あ、はい………意外と力あるんですね」
「うん?んー、まあ君たちよりは力強いかもね」
「魔法使いって身体能力も違うんですか?」
「難しい質問だなあ」
ずるずると体を安全地帯に引き上げる片手間に、ちょっと首を傾げるキョウさん。そんなに難しい質問だったかな。現にキョウさんは今、咄嗟に掴んで引っ張りあげてくれたんだから、痩せ型の見た目よりも力が強いなんてことは明白な気がするけど。
「どれくらい力を入れればいいか分からないっていうか、力加減が難しくて」
「はい………?」
みしみしと。握られた私の手が嫌な音を立てる。
「人間がどれくらいの強度で、どれくらい力を入れれば壊れないかとか、死なないかとか、そういうのはよく分からないんだよねえ」
「痛い痛い!骨が折れますって!」
「はいはい」
意外にもあっさりと握られた手は離されたので、慌てて距離をとってキョウさんの顔を涙目で見上げる。一瞬だけ自分の手に目を向けてみれば、手の甲にくっきりと指の跡がついていてぞっとした。
「大げさだなあ」
「大げさじゃないです!本当に骨が砕けると思ったんですからね!?」
「わかったよ、今度から気を付けるって」
ひらひらとさっきまで私の手を握っていた片手を振って、笑顔を向けてくるキョウさんだけど、あの笑顔に安心してはいけないことくらい既に学習済みだ。
「本当に気を付けてくださいね………?」
「うん、ごめんね?」
「どう考えても悪気なく謝る人の方が凶悪な気がする………」
「何か言った?」
「いえ、なんでもないです」
ふう、と息をついて、呼吸を整える。どうやら断層エリアは抜けたようだ。目の前に見えるのが平坦な道だったので、少し安心できる。
「それでさっきの質問なんだけど」
「え?」
「ほら、聞いたでしょ?どこに魔法使いがいるのかって」
「ああ………」
正直に言えば死にかけた衝撃で全部頭から抜けてしまっていたが、キョウさんはちゃんと覚えていて律儀に答えてくれるようだ。
「俺もよくは知らないんだよね、実は」
「………へ?」
「ほら、紅だって知り合いの居場所が同じ人間だから分かる?って聞かれても、分からないってなるでしょ?魔法使いだって他人のことなんか分からないんだよ。だから彼がいそうなところを探すってだけ。つまり紅の質問に答えられないんだ」
「た、確かに?」
言われてみれば当たり前の話なんだけど、魔法使いに常識を説かれるとすごく不本意なのはなぜだろうか。
「こっちの世界を侵略した連中はそりゃあお互いに作戦があるだろうし、ちゃんと連絡だって取れるように何か術式を使ってると思うけどさ。俺も、今探してる奴も、積極的にこっちに来た部隊とは違うから余計にね」
「ん?」
事もなげに伝えられたその言葉に、引っかかりを感じて首を傾げた。
「………つまり、魔法使いも一枚岩ではない、ってことですか?」
「そりゃそうだよ!合う合わないだってあるんだから、人間だってそうでしょ?」
いぶかしげに眉間に少ししわを寄せたキョウさんが、変なことを言う奴、とでも言いたそうに私の方を見るけど、ちょっと待ってほしい。
こっちの世界では「魔法使いが人間の世界を蹂躙した」という認識になっていて、それはつまり「魔法使いが攻め込んできた」という考え方だったはずだ。でもキョウさんの言い分を信じるのだとすれば、これは全面戦争というよりはテロ行為で………魔法使いすべてが人間を傷つけようとしていたわけではないと、とれるのでは?
「キョウさん、あの」
「ん?」
「—————魔法使いが、こっちの世界にやってきた目的ってなんなんですか?」
問いかけに、キョウさんが微笑んで。口を開きかけた時。
—————終わりが私たちに追いついた。
※
あの日。体が宙に浮くほどの大地震に襲われた日。いつも通りの日だった。学校から帰って、一緒に歩いていた友達に手を振って、いつも通り家に入ったその瞬間。上も下も分からないほどの揺れが体を襲い、家はあっという間に瓦礫の山になった。
生きているのが不思議な状況で、周囲に当たり前のようにあった建物がすべて倒壊して更地になっているのを見て、ようやく普通はあり得ないことが起きたのだと認識したのだ。
そう、つまりいつでも、終わりは唐突にやってくる。
——————私たちの知らないところで、すべての布石はそろっていて。破壊活動だけが目の前に現れるのだ。
「っ!?」
赤。鮮烈な赤と、強烈な熱が、網膜に。
「おっと危ない」
どこか気の抜けた声が耳元で聞こえて、視界を手で覆われた。そして。
「—————喋りすぎだぞ、お前は」
知らない男性の、妙に揺らいだ声。
「………だからって急に殺しにかかることはないんじゃない?」
視界を塞いでいたキョウさんの手がどかされる。顔を上げればそこにいたのは。
「あの人も魔法使い………?」
「お、よかった、見えてるね。熱で目が溶けちゃったかと思ったよ。よくないなあ、まだ俺は何も喋ってないのに」
何も分からない状況だけれど、どうやら私もキョウさんも生きていた。だけど周囲を見渡してみれば、完全な焦土になっていて冷や汗が出る。
目を閉じたほんの一瞬の間に何が起きたのか分からないが、すさまじい熱を感じたのは事実で、結果周りは草もアスファルトも、土さえも黒焦げになっていて。
—————数メートル先に、黒い服を着た男性が立っていた。
「キョウさんが助けてくれたんですか………?」
「うん?あー、うん、まあそうとも言えるかな」
少なくとも見える範囲は全部黒焦げになっているのに、私たち二人だけが無事なんてありえない。それこそキョウさんが魔法を使わない限りは。
「でもお礼は後だよ。彼、ご立腹みたいだから」
「相変わらず余計なことしかしないな、お前は。邪魔だから早く死ね」
黒服の青年から火の塊のようなものがこちらに向かって飛んでくる。今度は目視できた。圧倒的な熱量を持つそれは、純粋な炎だ。
「いや、死ねって言われて死ぬ奴はいないでしょ」
しかしその炎の塊は、キョウさんが軽く腕で払えば嘘みたいに消えうせる。
「ちっ………」
忌々しげな舌打ちをこぼす目の前の魔法使い。殺意も敵意も隠すつもりはなさそうだ。
「相変わらず生き汚い奴だな、お前は」
「誰だって死にたくはないからねえ」
私一人だったら最初の攻撃で燃え尽きていた。だけどキョウさんは私を庇ってくれたのだ。信用してはいけないと思っていたけど、実はキョウさん、そんなに悪い人じゃないのかもしれない。
「キョウさん、すごい………」
キョウさんがどんな魔法を使ってるかは分からないけど、少なくとも目の前にいる魔法使いとは違って、目視で確認できるタイプの魔法ではないみたいだ。私一人なら確実に命を落としていた攻撃を、なんてことないように打ち消したキョウさんには素直に感謝するしかない。
「はは………褒めてくれるのは嬉しいんだけど、戦闘向きじゃないんだよ、俺」
「………へ?」
「あいつが本気で魔法連発してきたら、たぶん燃える」
「え!?」
「燃える。っていうか、蒸発する。俺は生き残れるけど、紅は跡形もなく」
「………」
隣に立つキョウさんの顔を見上げれば、ずっと浮かべていた笑いが消えていて、目の前の魔法使いから目をそらさないまま話していることが分かって、嫌でも理解できる。これ本気だ。
「相変わらず高出力だね、フレアは。また魔力が枯渇しても知らないよ?」
「ほざけよ人食いが。どちらの世界にもなじめないんだ、早く死んだ方がいいだろう?」
売り言葉に買い言葉。キョウさんが言う通り、この魔法使いに勝てないとして、こうやって挑発を繰り返してどうにか切り抜けるつもりなんだろうか。
「そうだ!紅に教えてあげるよ、あいつはフレア。見ての通り、純粋な炎使いだよ」
「キョウさん後ろ後ろ!」
「おっと」
言葉と同時に飛んできた火の玉を再びキョウさんの手がかき消す。なんとか攻撃に当たらずに済んでいるけど、寿命が縮むから無意味な挑発はやめてほしい。
「広範囲殲滅型で、たぶん純粋な戦闘力で考えるなら最強って言っちゃってもいいんじゃないかなあ。あいつ以外の炎系魔法使いはみんな死んでるから、なんとも言えないけど」
「余計なことをべらべらと………」
「キョウさん!」
今度は火の玉なんて生易しいものではなく、地面を這う火炎がこちらに迫る。
「キョウさんわざとやってる!?挑発してる!?」
「あーもう短気だなあ」
しかしキョウさんが軽く踵を鳴らせば、火炎は私たちを避けて通りすぎた。………なるほど。勝つ自信があるからこうやって無意味に挑発しているのかもしれない。それなら私が騒ぐのもお門違いだ、できるだけ黙っておこう。
「アシャのバックアップがあるからかな?昔より随分出力上がってるみたいだね、それともこっちの世界が性に合うのかな?」
「くそ野郎………」
地の底を這うような声と、同時に肌に感じる熱。まだ炎は放たれていないけど、嫌な予感がする。
「キョウさん、逃げた方が………!」
「逃げるって言ってもどこに逃げるの?あいつがその気になれば、きっとここら一帯、燃やし尽くされるよ」
「そんな………!?」
どこか諦めが混じったようなキョウさんの言葉に、背筋が凍る。
一日半は歩いたけれど、私が出発した生存者本部とはそんなに距離が離れているとは思えない。ここら一帯、というのがどれだけの広範囲かは分からないけれど、危ない橋は渡れない。だって本部まで燃えてしまったなら、私を助けてくれた人も、私が助けたい人だって死んでしまうじゃないか。
「っ!」
足元がぐらぐらと揺れている気がする。目の前の魔法使いから放たれる熱で、景色が揺らいで見える。だけど、足を止めている場合じゃない!
「やめてっ………!」
地面を蹴って、目の前で魔法を使おうとしている青年に向けて走る。後方からキョウさんが驚いたように私の名前を呼んだ気がしたけれど、振り返る暇はない。
「やめて!」
叫びは明確に喉から出た。真っ赤な瞳が少し細められたのが分かる。熱が、押し寄せる。
それでもここで引くわけにはいかないのだ。私が、あの子が、生きるために。だから。目の前に迫った青年の肩を思いっきり掴んで、勢いはそのままに地面に引き倒そうと、
「—————おいおい、命は大事にするもんだぜ?」
不意に何かがこちらに向かって投げ込まれた。何かが爆発した音と、遅れて耳鳴りが。
「そこで突っ立ってるお前もこっちに来い!そう長くは持たないぞ!」
視界が白い煙で埋まる。腰のあたりに誰かの手が回った感覚と、肩に担がれたような浮遊感。聞き覚えの無い誰かの声が、白い煙の向こう側で叫んでいた。
「撤退だ!あいつが怯んでる間に距離をとれ!」
熱を感じていた全身に今度は冷気を感じながら、私の意識はブラックアウトした。
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