思ひの違い

増田朋美

思ひの違い

思ひの違い

朝は、いい天気だなあと思われていた今日であったけれど、午後になると急にくもりになって、夕方には雨が降り出してきた。土砂降りと言うまではいかないけれど雨が降って、寒い夕方になった。そのほうが、この時期らしいと言えば、この時期らしいんだけど、それにしては、来るのが遅いのではないか、と言われるほど遅い寒さ到来だ。

「とりあえず、今日のカレーは、ビーフカレーね。今日は、御肉屋さんで、肉が安売りしていたんで、特製和牛ね。」

と、杉ちゃんは、器にご飯を盛つけ、それにカレーをかけた。

「はい、本日のカレー。」

と、蘭の前に、おいしそうなカレーが置かれる。

丁度その時、玄関のインターフォンがピンポーンとなった。

「あれ、誰だろ、回覧板でも来たのかな?ちょっと出てみてくれないか?」

杉ちゃんがそういうので、蘭は、わかったよ、と言って、玄関先へ行ってみた。すると、客は、ずぶぬれになって、そこに立っている。

「何だ華岡じゃないか。どうしたんだよ、そんなところにずぶぬれになって。」

と、蘭は、おどろいてしまったが、そこに居るのは間違いなく華岡なのであった。

「ごめんください。杉ちゃんはいますか?」

「何だい、いかにも改まって。」

と、そんな事をいう華岡に、蘭はおどろいた顔をしてそう言ったのであるが、

「いや、どうしても聞いてほしいことがあって、ここへ来させてもらった。杉ちゃん達にどうしても聞いてもらわないと、俺の気が済まないんだよ!」

「はあ、何だ?変な奴だなあ。ずぶぬれになって、こんなところに来て。まあ、寒いから、とにかく中へ入れ。」

「おう!有難う!」

華岡は蘭がそういうと、待ってましたとばかり、部屋の中に入ってしまった。当然車いすの蘭よりも、非常に早いスピードで歩くので、先に食堂に入ってしまうのだが。

「お、杉ちゃん!こんなところに、うまそうなカレーがあるじゃないか!それでは、さっそく、食べさせてもらうぜ!」

「ああいいよ、食べな。」

と杉三の答えが返ってくる前に、華岡はもう、カレーを食べ始めていた。同時に蘭がもどってきて、

「ああ、それ、僕のカレーなんだけどなあ、、、。」

と、がっかりした顔で言ったが、華岡は、それには気が付かないようだった。

「まあいいじゃないの。蘭の分は、もう一回作り直せばいいってことだ。」

と、言う杉ちゃんであるが、蘭には、あの高級な和牛を食べられないという事は確かだった。

「それでは、大事な話って何だよ華岡。僕のカレーを横取りしたんだから、ちゃんと話してくれよな。」

と、蘭は、無我夢中でカレーを食べている華岡に言った。

「う、うん。ありがとうな。あまりにも腹が減ったんで、話すのも忘れちゃったよ。杉ちゃん、うまいカレーを有難うな。」

と、華岡は、スプーンを皿の上に置いてそういい、ちょっと溜息をついて、こういうことを言い出した。

「実はよ。俺たち、ある事件を調べているんだが。ちょっと聞いてくれないかな。」

「事件って、いっぱいありすぎてわからないじゃないか。」

蘭がそういうほど、事件というモノは一杯あるのだ。新聞が報道しきれないほど、事件は大量にある。

「そうなんだけど、今俺たちが調べている事件は、ちょっと変わった事件なんだよ。蘭たちも、報道で知っていると思うけどさ。ほらあ、あの、老婆殺害事件な。天間の住宅街にある菓子屋のおばあさんが殺害されたってやつ。」

「ああなるほどね。此間の、岳南朝日新聞に、載っていたよ。それ以外に報道されていたのは見たこと無いけどね。」

蘭が現実的なことを言うが、華岡の頭はその事件でいっぱいなのだろうか。蘭のその話には応じず、直ぐに続きを始めた。

「勿論、容疑者は、すぐに出頭したので、すぐに緊急逮捕されたんだが、俺はどうも、この事件は、冤罪なんじゃないかと思っている。」

「ええ、一寸待ってよ、だってその緊急逮捕された男は、ちゃんと自分がやったって白状したと、新聞に書いてあったよ。」

「そうなんだ、だから俺はおかしいと思う訳。」

華岡は、蘭に変な話を始めた。

「まず、被害者は、小沢まどかさんという80歳の御婆さんだ。天間で、駄菓子屋をやっていた。それははっきりしておこう。」

「はあ。なるほど。」

華岡の話に、蘭も杉ちゃんも相槌を打った。

「それで、加害者は、小沢裕。小沢まどかさんの孫にあたる青年で、現在は働いていないが、それまでは、郵便配達をやっていた。これもはっきりしている。」

華岡は、話をつづけた。

「その小沢裕という人が、逮捕されて、やったと自供したんだろ?」

「そうなんだけどね。小沢裕は、緊急逮捕されるまえに、御婆さんの介抱をしていたというんだよ。それでは、殺したにも関わらず、そういうことをするんだから、おかしいだろ?そう思わないか?犯人が自分がやったというだけで、そう決めてしまうというのは、俺は無理があると思うぞ。ほかのやつらは、みんな、そう言っているんだから、その通りにすればいいと言っているが、俺は、そうではないと思うんだ。絶対何か、裏があると思うんだよ。だから、なんとかしなきゃと思うんだが。」

「はあ、また華岡の悪い癖が出たなあ。そういう慎重すぎるところ、華岡の悪いところだよ。そうだからいつまでも事件が解決しないでしょう。そうじゃなくて、もっとスパッと、決断をしたらどうなの?」

蘭は、そういうことを言ったが、華岡は考えを変えられないようであった。

「そうだけどなあ、俺たちが頼りにしているのは、小沢の供述だけだぜ。それだけで、本当に犯人と言えるのかなあ?」

「だけど、警察の仕事というモノは、そういうもんじゃないの?お前なあ、そういうことを悩んでいるから、いつまでも、警察が頼りにならないって言われるの。部下の人たちも、お前のそういうところ、あきれているんじゃないかなあ。」

華岡の話に蘭はそういって、もうちょっと早く決断をしろといった。

「大体ね。警察の幹部であるお前が、そういう頼りない姿をしているから、事件が解決に向かわないんだよ。」

「そうかあ、そうなると、ヤッパリ、小沢が犯人と言えるかなあ?だったら、事件をもう一回おさらいしてみるぞ。」

華岡は、頭をかじりながら、こういうことを言った。

「いいか、小沢まどかさんは、背中を包丁一突きで殺害されているんだ。それで、その包丁から、小沢裕の指紋が出たこともはっきりしている。で、小沢裕が、祖母を殺したと自供したこともはっきりしている。」

「ほんなら、もう決まりじゃないかよ。なんでいちいちそんな事で、おかしいじゃないか。」

と、蘭は呆れて言ったが、華岡は続きを切り出した。

「そうなんだけど、その理由がないんだよ。怨恨にしても、彼はおばあさんの事をすごく大事にしていたという証言も得ているので、殺すような理由が何もないんだ。」

「でも、最近の若い奴は、仲が良くても、一寸した喧嘩で、すぐに殺してしまう事だってあるじゃないか。それに、仲のよさそうに見せかけて、実はものすごく恨んでいたという事例は、実にたくさんあるよ。」

「ウーンそうだねえ。でも、俺は彼の取り調べをしてきて、どうしても彼が犯人であるとは思えないんだがなあ?」

「だから、華岡が考えすぎなの。そういうことを考えてるから、事件が解決しないんだよ。もうそういうことを言うから、日本の警察はだめとか言われるんでしょ。もうちょっと、事件の事は気にしないで、どんどん解決に行っちゃいなよ。」

そういう華岡に、蘭はそういって説得した。華岡はまだ納得できていない様子であったが、

「そうか。やっぱり俺は、決断が遅すぎたのかなあ。」

と、とりあえずそういった。

「まあねエ華岡さん。誰でも迷う事はあるけどさ。仕事というモノは、タンタンとやることも必要だよねえ。」

杉ちゃんにそういわれて、華岡は、

「そうだなあ!」

と、吹っ切れた顔をして、でかい声で言ったのであった。

ところが、その数日後の事である。富士警察署の刑事課に奇妙な客がやってきた。

「すみません。刑事課はこちらでしょうか。」

やってきたのは、弁護士の小久保さん。

「失礼ですが、わたくしは、小沢裕さんの弁護を引き受けることになりました。依頼をしてきたのは、こちらの女性です。」

紹介されて、頭を下げたのは二人の女性であった。華岡が驚いて二人を見ると、例の小沢裕と同年代の女性である。しかし、どこか様子がおかしいのだ。なぜか、二人は、華岡に対して、びくびくとひどく緊張しているように、がたがた震えているのである。

「何も怖がる必要は無いといいましたが、彼女たちには仕方ありません。彼女たちは、小沢裕さんが、養護学校に通われていた時、同級生だったそうです。」

と、小久保さんは説明した。

「小沢裕さんは、重度の吃音症だったため、普通教育を受けられなかったので、養護学校に通われていたそうですが、そのことに対する配慮はあったんでしょうかな?」

「でもですね。彼は一貫して自身の犯行だと主張しておりました。」

と、華岡は、弁明するように言った。すると女性たちは、華岡に対しこういうことを言い出した。

「あ、あ、あの。あたしたちは、小沢君の犯行とは、ど、どうしても思えないんです。」

「だって、だって、小沢君は、と、とてもやさしい人です。おばあちゃんに対しても、とてもやさしくしてあげているんです。」

まるで小さな子供が発言するような言い方だが、彼女たちも、吃音者であり、本当に正確なことを言っているかどうか不明瞭であった。華岡は、彼女たちの発言を、信用していいものかどうが、迷ってしまう。

「華岡さん、これでもまだ小沢裕さんを被疑者としてしまうのでしょうか?彼女たちの証言をもうちょっと聞いてやったらどうでしょう。」

小久保さんに言われて華岡は困ってしまう。もし、普通に話せる人だったら、もう一度取り調べをしようとか、そういうことを言えるんだろうが、吃音者となると、華岡は、ちょっと違う感情を抱いてしまったのである。

「お、お、お願いです。もう一回、もう一回、取り調べをやり直してください。」

「あたしたちは、あたしたちは、小沢くんの犯行ではないと、今でも信じています。」

二人の女性は、一生懸命そう訴えるのであるが、華岡はなぜかこの女性たちに対して、何か話そうという気にはならなかった。それよりも、面倒臭いというか、彼女たちと接したくないという気持ちになってしまう。

「あのね。二人とも、もう小沢が自分でやったと自供しているんだ。それは、本人の口から出ているのだから、もう変えようがないだろう。それは、変えられないことだよ。」

華岡は、二人の女性にそういうことを言った。

「それでは、もう一回やり直しは出来ないという事ですかね。」

と、小久保さんが言っても、華岡は、こういってしまう。

「ええ。こういう人たちに、話しても伝わらないでしょう。だったら、態度で示した方がいいですよね。だから、本人の自白がある以上、我々は、小沢裕を犯人として取り調べをしています。」

「しかし、小沢さんを含めて、彼女たちもそうですが、吃音症であることにもうちょっと配慮をしていただけないでしょうか?小沢さんを取り調べた際も、配慮をしないで勝手に自白させたのではありませんかな?」

小久保さんはそういうが、華岡は今度こそ、彼女たちのいう事は聞くまいと心に決めてしまった。なぜか、被疑者や周りの人がそういう事情を抱えていると、人間というのは、そういう人たちに考慮しようではなくて、そういう人たちが面倒くさいとか、嫌だと感じてしまう人が大半のようなのだ。

「もう一回言いますが、この事件は、小沢さんの犯行ではないような気がします。華岡さん、ちゃんと小沢さんとおばあさんのエピソードなども聞いたのでしょうか?私は、二人からの証言も得ていますが、小沢さんはおばあさんの事を、とても大事にしていたそうです。おばあさんと一緒に駄菓子屋を手伝ったり、お店に花を飾って育てたりしていたそうです。彼女たちは、そういっています。それに何よりも、小沢さんは、御婆さんと一番の仲良しで、とても殺すようなことはなかったそうです。何より、あの家は、御婆さんがいつまでも駄菓子屋をしているのを、家族が反対していたそうですが、小沢さんだけが、それを手伝っていたそうですから。華岡さん、そのあたりも、調べたんでしょうか?」

小久保さんに言われて、華岡は、ハッとした。確かに、自分も近所に聞き込みをしていた時、そういう情報を仕入れたこともあった。でも、目の前にいる、二人の女性たちに、華岡は、なぜか彼女たちに負けてしまうのは、嫌で仕方ないような気がした。

「ええ、調べました。確かにそうかもしれませんが、本人が犯行を認めていて、本人の指紋が凶器である包丁から検出されている以上、彼が犯人でしか言いようがないじゃありませんか!」

「ま、ま、待ってください。包丁なんて、料理が好きな小沢君にはよくある事です。ほ、本当に、小沢君は、料理がす、すきだったんです。だ、だから、指紋が付くことくらい、に、日常茶飯事ですよ!」

華岡の話に、女性がそういうが、華岡はその、彼女の発音が不明瞭であるからなのか、彼女の発言を、信用しようという気にはなれなかった。なぜなのかわからないけれど、そういう風に思ってしまった。

「そ、それに、は、犯人が、その指紋を拭き取って、お、小沢君が後から包丁を持ってしまったということだって、あるじゃありませんか!」

もう一人の女性もそういうが、

「うるさいうるさい!正確に言葉も伝えられないあなたたちの発言何て、信用できるもんですか。小久保さんも、もっとキチンと証言できる人を連れてこなければ、説得力がないと思うんですがね!」

と華岡はそれを一蹴した。それと同時に部下の婦人警官が、

「警視、捜査会議が始まります。」

といったため、それにかこつけて、

「今日は、これで終わりにします。何かあったら、もっと有力な人を連れてきてください。」

と、やいほいと刑事課から出て、会議室に行ってしまった。後ろから、待ってください、と不明瞭な発音で聞こえてきたが、華岡はそれも、振り向こうとはしなかった。捜査会議が終了して華岡がもどって来ると、小久保さん達はいなかった。よかった、あきらめて帰ってくれたのか、と華岡はそれだけ思っただけであった。

その翌日、小沢裕の身柄は、警察から検察庁に送られた。そのあとどうなったかは、華岡は知らない。そのあとの事は、刑事ではなく、司法がすることだから。ただ、裁判にかけられて、適当に処罰が決まって、刑務所にでも送られるんだろうな、としか考えていなかった。

しかし、その事件の事などとうに忘れてしまいそうになっていたころ、富士警察署に、中年の女性が現れた。彼女は、一見するとどこかで働いている、普通の女性に見えるのだが、どこか、小沢裕に似た面持ちがあった。そっくりというほどではないけれど、小沢裕にどこか似ている、、、。

「あの、失礼ですが。」

と、その人は、受付の婦人警官に言う。

「先日あった、駄菓子屋の老婆殺害の件なのですが、、、。」

「警視!警視!大変なことが起こりましたよ。あの、小沢裕の姉を名乗る人物が、自首してきました!」

と、婦人警官に言われて、捜査会議をしていた華岡は頭を鈍器で殴られたような、そんな衝撃を受けた。

「なんだって!」

「とにかく来てください!今、面談室に通していますから!」

婦人警官に誘導されて、華岡も急いで面談室にいった。そこに座っていた女性は、

「小沢裕の姉の、小沢みゆきです。」

といった。今度はあの不明瞭な発言をする二人の女性とは偉く違うほど、よく聞き取れる言葉だった。

「私が、小沢まどか、つまり祖母を殺しました。弟は、中に入っただけです。」

「ちょっと待ってください。それは本当の事なのでしょうか。」

何だか、流ちょうに話せる人の前では、この人が犯人ではないのではないかという気持ちの方が、強かった。それに乗じて、華岡はこういってしまう。

「まず、あなたがなぜ、御婆様を殺さなければならなかったか、それを話して下さい。」

「ええ、祖母が、裕に店を継がせて、幸せにしてやりたいといったからです。祖母は昔から、吃音症の裕を可哀そうに思っていて、色々、援助をしていたし、裕もそれにこたえることはできなかったものの、祖母に感謝して、色々手伝っていました。幼いころから、私は、のけ者にされていて、裕が憎いと思っていました。」

それで、祖母を殺してしまったのだろうか?

「本当にそんな単純な理由だったんでしょうか?」

「ええ、そうです。間違いありません。裕が、あんまりおばあちゃん思いなので、憎たらしくなって、やっただけです。」

と、華岡の問いかけに彼女は答えた。

「でも、何か対策がとれたのではないですか?あなたは、流ちょうに話せるのですから。」

華岡がもう一回聞くと、

「そうでしょうか。裕はひどい吃音症でしたので、比較的望みが通りやすいことはありましたが、姉の私は、そういうことはありませんでした。」

と、彼女は答えた。吃音者ではないのだから、もう少し我慢をするとか、弟さんと一緒に喜んであげるとか、そういうことはしなかったのだろうか?逆に吃音者でない彼女の方が、そういう単純なことで悩んでいるような気がする。

「それでは事件の日、どう行動したのか、話してくれませんかね。」

華岡がそう言うと、彼女は、ええ、いいですよと話し始めた。

「私は、祖母の家に行き、これ以上、裕にひいきするのはやめてもらえないかと、お願いするつもりでしたが、祖母は全く分かってくれませんで、裕はかわいそうだと言い張るものですから、私はいきり立って、祖母を殺しました。その直後、手伝いに来た裕に、包丁を持たせて、私が、裕のせいで、つらい思いをしたと告白し、あなたには、この事件の犯人になって、この家から出て言ってもらうと脅しました。従順な弟は、その通りにしたんです。だから、自分がやったといったんでしょう。これで弟を追い出すことには成功したのですが、私は、どうしてもつらい気持ちがとれなくて、ヤッパリ、本当の事を言った方がいいと思って、今日やってきました。」

ああ、やっぱり、小久保さんの言う通りにすればよかった。あの、二人の同級生たちの話をもっと聞いてやればよかったと、華岡は激しく後悔した。

今頃、弟さんは、刑務所のどこかで星でも眺めて暮らしているのだろうか。



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思ひの違い 増田朋美 @masubuchi4996

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