第2話 座頭市、妖術を以て軍を屈服させること

 私、飯富虎昌子は教室で鏡を見て溜息をついた。


 今朝はとても酷い目にあった。

 カッコ良い生徒会長とお近づきになれたのに、怒らせてしまって、茶道会館を焼き討ちにされたのだ。


 貴重な文化財を焼き討ちにするなんて信じられない!


 そりゃ、夏侯惇会長は全身がサイボーグ化しててルックスは良いし、自治区の権力を掌握しているから誰も逆らえないかもしれない。

 けど、いくらそうだとしても、やってはいけないことはある。


 鏡を見ながら、私は惇会長に言われた言葉を思い出す。


「王としての自覚か……」


 人類がスマホに支配されてから十二年。

 私の実家は天下のIT企業、飯富通だったために、運良く支配階級の座に就くことが出来た。


 しかし、それは内部での熾烈な権力争いに巻き込まれることを意味していた。


「おっはよーっう、昌子さん!どしたの、元気ないじゃーん?」


 いきなり声をかけてきたのは、ダフネだ。

 相棒のペネロペも一緒にいる。


「どうやら気分に優れぬご様子。どうか友たる我らに打ち明けてはくれまいか」


 ペネロペは優しく微笑んだ。


 ダフネは火属性のアーティファクトを習得していて、ペネロペは正反対の水属性のスマホだから、物静かでいて時に柔軟な性格だ。


 火属性のアーティファクトを習得しているダフネはともかく、水属性のスマホのペネロペなら相談に乗ってくれるかもしれない。


「ダフネさん…ペネロペさん…実は今朝、夏侯惇会長に出会ったの」


 私は二人に悩みを打ち明けることにした。

 二人ならば、きっと脅威から守ってくれると思ったからだ。


「ええっ!あのイケメン生徒会長と話をする機会があったの!羨ましいなあ〜!アタイもあんな権力者が近くにいたらお近づきになりたいぜ」


「それで、夏侯惇会長と何を話したのだい、我が友昌子さん?」


「いえ。それが…緊張してしまって、中身のある話は何一つできなかったの。普段は人前で緊張することなんてないのに」


 そう、夏侯惇会長の威圧感はかなりのものだった。一つ間違えただけでも死ぬ。そんな確信に満ちていた。

 私はまともに口を開くことすら許されなかった。


 既に朝日は昇り、鳥の囀りも一層増す頃合のことだった。


「それは惇会長のことが気になっているということかな?」


 ペネロペは水面のようになだらかな笑顔を見せた。あたかもこの世には最適な答えなど無いとでも言いたげな、確信とは対極の悟りへと至った境地の表情。しかし、迷わぬこと晴天の如しでもある。


「そんな…私が!?生徒会長に!?」


「ボンソワール、怖がらないで。新しい自分を受け入れることだよ。美しさとは罪…夏侯惇会長の本質的な美は誰もが知り得ること。つまりは君も、恋の意味を知る季節が来たのさ……」


「これが…恋なの?」


 当惑しつつ尋ねると、ペネロペは頷いた。


「それはこれから君が知ることさ……」


 ペネロペの白い髪は肩まで伸びて、陽光に照らされている。しかし、その赤く染まった瞳はどこか儚げだった。


 その時、ダフネが窓を指差した。


「おいっ!見ろよ!グラウンドに革命軍が迫っているぜ」


 その恐怖に満ちた声色は教室中を震撼させた。それまで真面目に授業を受けていた生徒たちですら、窓の外の光景に目を見張った。


 見れば、グラウンドには近くの農村などから集まった革命軍600人が校舎を囲んでいた。


 革命軍は古城を拠点とする独立勢力で、自治区にも恭順しない反社会集団である。

 たかが農民と侮るなかれ。彼らを率いているのは、大統領候補にも選ばれているベガ将軍だ。


 ベガ将軍は自然主義者であり、純度0%非サイボーグでもある。しかし、彼を守るように両脇に構えているのは、二体のスマホだった。


「お姉さま!!!」


 ダフネが悲痛な声を出した。ベガ将軍はダフネの実の姉だったのだ。


「我が妹ダフネよ。時は満ちた。今宵は満月。共和制日本に巣食う奸賊夏侯惇を下し、今こそ民を救うのだ」


「出来ませぬ。姉上、この学校には我が学友たちが」


「おのれ、たとい家名は滅んだとて、誇りは忘れるなかれ!!お家再興の夢を忘れたか!!」


 ベガ将軍がグラウンドで騒いでいると、茶道部の座頭市先輩が単身で校舎から飛び出しました。


「どうも。アッシはしがねえ学生でやんす」


「我が名はベガ。苦しむ民の声を聞き、国のために立ち上がる真の聖乙女である」


 ベガ将軍は脇に立つ二体のスマホからボウガンを受け取り、座頭市先輩に向けました。


「そこで止まれ。平民の命は奪いたく無い」


「こいつぁ怖えや。しかし、アンタは遅すぎた。遅すぎたんだ。アンタらは何故今朝方に来なかった?税務署が茶道会館へガサ入れに行くネタは入っていた筈だが?」


 税務署へのタレコミ…ガサ入れ、そして遅すぎた農民反乱。


 私の中で何かが一本の線で繋がりました。


 詳しくは分かりませんが、きっと座頭市先輩は敵である税務署を討つために、敢えて第三勢力の革命軍を自陣に引き入れようとしたのでは無いでしょうか。


 しかしそのタイミングは合わず、茶道会館は焼け落ち、師範代が命を落とす最悪の展開になってしまったのです。天は先輩を見捨てたのでしょう。


 教室ではダフネが泣き叫びながら実の姉を必死に止めようと声をかけていました。


「お姉さまーーー」


「やめるんだダフネ。こうなっては成り行きを見守らざるを得ぬさ…幼き我らには」


 ペネロペも窓から飛び降り要するダフネを必死に止めています。


 そんなやりとりも最早ベガ将軍の耳には届かぬらしく、将軍は座頭市先輩を見据えながら、皮肉そうに笑いました。


「ふっ……大器は晩生す。近道ほど、案外急峻な坂道であるものよ。私はお前の情報を信じた。しかし、それゆえリスクを回避させて貰ったのだ」


「その結果が今のコレだ……たかが農民600人で何が出来る」


「出来んだろうな。しかし、どのみち結果は変わらん。この攻撃での夏侯惇への政権ダメージは計り知れん。だからこそ、校舎を直接襲撃する必要があった」


 義。ベガ将軍は義において王の器に相違ありません。しかし、その義は民のためのものであり、決して座頭市先輩とは相入れる類のものではなかったのです。

 もとより、茶道部などという弱小なる勢力にかまけている暇もなかったのでしょう。


 座頭市先輩は刀ではなく、スマホを構えました。


「へっ…ちげえねえや。所詮この世は力ってか?アッシも今はそう思うぜ……アンタ、義のためなら何だって出来るかい?」


「…?何を言っている」


 座頭市先輩のスマホは見たことも無い型番です。そのスマホは不気味に青白く輝いていました。


 突然、校舎から夏侯惇会長の側近、夏侯高弟七機衆らが馬にまたがって飛び出しました。


「貴様ら、一体そこで何をしている」


「座頭市もおるでは無いか。あやつ夏侯様が生け捕りにせよと命じられた男」


「構わぬ。全員処刑してやる。虐殺の陣を張れ」


 七機らが右腕を掲げました。

 すると、彼らの腕が七色に光り輝き、空には暗雲が立ち込めます。辺りは無音となりました。


「虐殺陣・虹架光臨!!」


 暗雲に無数の虹が架かったかと思うと、それは一気に迸る天網となり、私たちが這う大地へ落ちてきます。

 そうかと思えば、雲の隙間から太陽の光が差し込みました。

 それはまさに虹の架け橋の上で光を臨むかのような幻想です。


「うああああ」


 民衆達の絶望の悲鳴は虹の中に掻き消えてゆきます。


 しかし、すべての行動において座頭市先輩の動きが上回っていました。


『いいやそこまでだ。まずは全員跪いて貰おう』


 脳内に座頭市先輩の声が木霊したかと思うと、視界は一瞬、真っ白になりました。


 座頭市先輩のスマホだけが青白い輝きを一層増しています。


 訳も分からず霞ゆく景色の中、僅かに目にしたのは、座頭市先輩に跪くベガ将軍と七機衆らの面々でした。白昼夢とはこのことです。


……


 何も起こりません。

 いつの間にか、辺りからは虹が消え去り、革命軍達は去り、当たり前のようないつもの日常が舞い戻っていました。


「アレ……?」


 太陽はいつの間にか夕焼けになっていました。まさに沈もうとする直前の時刻です。


 何かがおかしい。

 そうです。私たちは先ほどまで、革命軍の決起に巻き込まれていたはずです。


 しかし、革命軍の姿はどこにも見当たらず、学校の授業はいつの間にか終了しています。これは一体、如何様な術で化かされたのでしょうか。


「どうしたの?昌子さん?早く帰ろうぜ」


 ダフネがいつものように快活な調子で声をかけてきます。


「狐にでもつままれたのかな?マドレーヌ?」


 ペネロペもまたいつものように儚げな優しさを見せつけてきます。


「えっ……と、これは一体……」


 私はおもわず疑問を口にしました。

 二人はそんな私を不可思議そうに見つめます。


「本当どしたのさ?何か変なことでもあったって顔だぜ」


「さては昼過ぎに話していた夏侯惇会長のことかな?」


「そうに違い無いでしょうね……さあ、早く帰りやんしょう」


 ダフネとペネロペの隣には、座頭市先輩もいました。


「えっ!?先輩……だって、さっきまでベガ将軍と」


「何言ってんのさ〜?さっきも言ったじゃんよ。姉上は和平路線に切り替える声明を発表したってさ〜」


『そうでやさあ。さあ、飯富虎さん……アンタのご学友にアッシがいるのはごく自然なことでやんしょう?』


 一瞬、座頭市先輩のスマホが青白く光り輝きます。


「………えっええ、そうね。座頭市先輩は私たちのグループだもの」


「そういうことでさあ」


 義なくして大望は成せない。

 義のみでは大望は成せない。

 力に溺れれば、義に背く。


 座頭市先輩は笑っていた。

 今朝方は、こんな力に満ちた笑い方をする御仁ではなかった。

 これは一体、何が起こっているのでしょうか。

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