第3話 飯富虎、道中にて車を引き止められること

 珍しく実家に呼び出しを受けました。普段は寮で生活しているのですが、今日は馬車に乗って第四地帯を抜け、両親の住む第一地帯へと向かいます。


 やがて豊かな穀倉地帯に入ったころ、何者かが馬車に突撃してきました。

 それは我が校の三年生、女令嬢ビートル先輩でした。


「あら飯富虎さん。ごめんあそばせ。生意気なのね」


 慇懃無礼な態度です。何処となく不穏な空気を感じます。


 女令嬢ビートル先輩の実家は有名なビールメーカーで、その舌は親譲りの一級品と噂されています。今日も額のツノが黒々と光り輝き、まさに飲み物が好きそうな顔をしていました。


「女令嬢ビートル先輩。こちらこそすみません。馬車とはいえ、不注意でした」


「あら、心外ね。ところであなた、最近夏侯惇会長と親しくされているそうじゃないの」

 

 さっきから会話が通じません。女令嬢ビートル先輩は六本の足をギチつかせ、顎を横に大きく開いて威嚇してきます。いまにも羽根を広げて羽ばたいていきそうな雰囲気です。


「何か気に障ったのなら申し訳ありませんしかし、なにぶん急いでいるものでこれで」


「へいお待ちになって。話はまだ終わってないのナイトメアよ。このまま過ぎ去られたら困ってしまうのマウンテンライトジャケットって寸法ね」


 どうしよう。絡まれてるのかな。

 馬車の運転手はイラついて、いまにも女令嬢ビートル先輩を蹴散らそうとしています。

 

「まだ何か。正直言って急いでいるのですが」


「そのツレない態度が生意気なのよ。良い?私は三年生の先輩よ?その先輩の言うことが聞けない理由なんてあるのかしら?私は夏侯惇会長に近づくなって言ってんのよ?」


「貴様ァ生意気だぞ!この方は飯富通のトップの御令嬢。小娘ごときが止めて良い理由になぞならぬわ」


 見かねた馬車の運転手さんが声を荒げて抗議してくれましたが、女令嬢ビートル先輩は羽音を立てて搔き消してしまいました。


「はぁ〜〜?トップゥですって〜?生意気だぞっ!こ〜〜んの一年坊!いくら実家が太くったってねえ、学校ではそんなの関係ないじゃない!?」


 女令嬢ビートル先輩は触覚をくっけてきました。


「成る程。一理ありますね。では学校の一後輩として先輩に申し上げさせていただきます。学外での不用意な干渉は慎んでください。それと、いくら先輩でも品性が無ければ従う道理などありませんよ」


 あまりにアレなので私は努めて冷静に返した。


「なんですって〜〜いつ何時でも乙女は命をかけた青春ラブロマンスなのよ!!じゃあ五百万円あげるから話を聞いて頂戴ッ!」


「えっ!?」


 どうしましょう。鬱陶しい虫だと思ってたけど、話を聞くだけで五百万円くれるなんて。

 実は良い人なのかもしれません。


「オーケー分かったわ。八百万円よ。八百万あげるわ。ヤオヨロズよ」


「そんな……話を聞くだけで八百万貰えるなんて…….」


 私が困っていると、地平線の向こうから二機の武将が馬上で鍔迫り合いをしながらこちらに向かってきました。

 私の母と叔母の弁天丸です。


「はぁっー!やぁっ!」


 私の母と叔母の弁天丸は生粋の武人で、こうして良く散歩がてら命のやり取りをしています。

 二人を止められるのは第一地帯では豪傑で知られた酒屋のおばちゃんくらいでしょう。


 叔母の弁天丸は両腕の側面から刃を生やし、母の太刀を次々いなしてゆきます。

 その衝撃波で遠くの山が切断されました。


「YO,腕を上げたわね。姉さんYEAR.」


「そっちこそ刃の切れ味が一段と増したわねBEY=BEY」


 二人がラップ調で戦っていると、全てがどうでもいい気持ちになってきました。

 私は女令嬢ビートル先輩から八百万円を受け取ってその場を後にしました。


 実家に辿り着くと、家の前では私の母と叔母の弁天丸が先に帰っており、豪傑で知られた酒屋のおばちゃんに正座させられてました。


 二人を無視して家の中に入ると、私の父が待ち構えてました。


「待っていたぞ我が娘昌子よ。久しいな」


「ただいま戻りました、父上」


 父は厳格で無骨ながらどこか温かみのある表情をしていました。

 父の名前は飯富虎満景。大手IT企業、飯富通の現理事長にして会長職も兼任するCEOです。


 子供の頃はあまり遊んでくれた思い出はないけど、一度だけシャボン玉で遊んでくれたことがあります。あと週一で競馬に連れて行ってくれたり、年に二回くらい家族旅行に連れて行ってくれたり、私が寂しくないように寝る前に紙芝居を読んで聞かせてくれたり、辛い時は犬の物真似をしながら漢詩を詠んで後ろ足で蹴鞠をしてくれたり、私が勉強をしたくないときは窘めつつも束縛を緩めてくれたり、教育方針においては結果よりも努力を褒める姿勢を貫いてくれたりしたことがありました。

 あと近寄ると向こうも近寄ってくるので楽しいです。


「積もる話もあるだろうが、まずは奥の書斎へ行こうか」


「わかりました」


 私たちは母たちを無視して奥の書斎へ向かいます。


 奥の書斎では座頭市先輩がぶら下がり健康機に両足でぶら下がりながら腹筋をしていました。


「ふんっふんっ」


「御機嫌よう、座頭市先輩」


 私は先輩に挨拶しました。


「ああ御機嫌よう。昌子くん。悪いが今は筋トレ中なんだ」


「失礼しました」


 何故でしょう。

 座頭市先輩が父の書斎で筋トレをするのは当たり前のことなのに、それがまるで不自然なことのように思えます。

 こんなことは常識なのに。


 一体いつからこんな非常識を受け入れていたのでしょうか。


 私が不可思議に思っていると、座頭市先輩が青色に光るスマホを私の眼前にかざしました。


『今日は世界懸垂の日ですぜ』


「えっ……あっ……そう、そうですね」


 世界懸垂の日ってなんだろう。

 しかし、そういうことなら仕方ないと思えます。


 私と父は先輩が筋トレをする横で重大な話を始めました。


「我が娘よ。今日お前に来てもらったのは他でもない。お前にはある頼みがあるのだ」


「えっなんでしょうか」


 私が問うと、父は無言でテレビを点けました。

 テレビには黒い仮面を被った不審な男が映っていました。


「諸君。私の名前はDARK。アメリカン合衆帝国の第23代大統領である」


 黒い仮面を被った男はテレビの中で民衆たちに拍手されています。


 この不審な男こそ、アメリカン合衆帝国第23代大統領ことDARK氏です。

 DARK氏は全てが謎に包まれた正体不明の人物です。


 そのミステリアスな外見と圧倒的な美声から、前回の選挙で得票率50.02%で当選した実績を誇ります。

 ちなみに対抗馬は自称青春の青き風こと私の母で、棄権票が25%だったのでわりと圧勝です。


 私としては両者とも投票する人の気がしれませんが、それなりの人気を持っています。

 それに、義憤に駆られて汚職議員達を全員毒殺した以外はわりとまともな政治をしています。


 現在、DARK氏は大統領選挙を直近に控え、自治区でアピールをして回るのに必死のようです。


「父上、何故急にテレビを」


 虫の知らせで、私はなんとなく嫌な予感がしました。

 座頭市先輩も正座してこちらを見ています。


 父もまた正座した状態で、テレビ画面から目を離し、こちらを見据えました。


「うむ、これは内密の話なのだがな。来月にDARK氏が、その謎に包まれた正体を明かす手筈となっておる」


「ええっ」


 これは驚きました。

 正体不明の大統領がその正体を明かすとなれば、国民たちに指示されていた神秘性が失われることは必定でしょう。

 果たしてそれは民の意に叶う判断なのでしょうか?


「色々疑問はあると思うがな、これは再来月に迫る大統領選挙に備えての、DARK氏の決断だ。そしてDARK氏は自身が大統領の上位職、即ち闇の大統領となり国政を掌握することをお望みだ。」


 闇の大統領。

 確かに、闇の大統領となれば、あらゆる権力を自在に操れそうな漠然としたイメージがあります。

 意味はよくわかりませんが、たぶん、今までの大統領を裏から操る、より高位の大統領ということでしょうか。


 元々正体不明の不審者なのですから、そんなことをしてもおかしくない気がしてきます。


「しかし父上、それが一体どうしたというのでしょう。大統領が空席となるなら、また母が出馬して対抗馬に負ける流れになるのでは」


「そこなのだ。我が娘よ。実は妻は他の大統領候補に騙されて指名手配されていてな。出馬しようにも出来んのだ」


「えっそれ初めて聞きましたけど」


「ゆえに、おぬしが再来月の大統領選挙に出馬し、闇の大統領DARK氏の傀儡の大統領となって欲しい」


「なんですとッ!」


 それまで黙っていた座頭市先輩が立ち上がりましたが、やや間があって俯きました。


「いえ……すいやせん。あまりのことに興奮しちまって……いや、しかしむしろ好都合」


 しばらく何事か呟いていた座頭市先輩ですが、やおら立ち上がると、何かを決意した目で私を見据えました。


「お嬢さん、この話お受けなせえ。安心なされ。アンタには儂がついている」


「座頭市氏もこう言っておる。我が娘よ。どうかDARK氏と協力して他の大統領候補を全て討ち取り、新たな大統領伝説を築いてくれ」


 父が言うと、突然襖が開き、私の母と叔母の弁天丸が捕まえたカブトムシを自慢しに書斎に乗り込んできました。


「ちょっと見てよこのカブトムシ!すげえカブトムシ捕まえちゃったこれカブトムシ」


「ブブブブブブブ」


 私は女令嬢ビートル先輩に八百万円を返して寮へ戻りました。


 私が帰るのを見送ると、後に残されたのは父と母と叔母の弁天丸、そして座頭市先輩と女令嬢ビートル先輩です。


「しかし、これで良かったのかね。座頭市くん」


 父は物憂げに言います。


『ご安心なせえ。全てはつつがなく進んでまさあ。アンタ方は黙って見ていてくだせえや』


 座頭市先輩が不敵に笑うと、母がつまらなさそうにカブトムシを撫でます。


「どうでもいいけどねえ。あの子が悲しむような結果だけはごめんだよ」


『万事つつがなく。全てはアンタ方の望みどおりに…アンタ方の望みはアッシの望みでやんしょう?』


 座頭市先輩がスマホをかざすと、その場にいた全ての人間はまるで機械のように不審な挙動をします。


「そうか…ならば……」


 父は次第に目が虚ろになり、無言で腕立て伏せを始めました。


「おやおや。その催眠アプリを既に使いなしているようだねえ」


 突然家に入ってきたのは悪魔のような姿をした美女です。


「面白半分でそのアプリを与えて正解だったよ。既に力に飲まれているようだしねえ」


 悪魔のような姿をした美女では楽しそうに笑います。


「へっ……良いもんですなあ力ってのは。しかし、まだまだ面白いのはこれからでやんしょう?」


「へぇ……そいつは楽しみだねえ」


「へっへっへっ……待っててくださいよ師範代。あんたの目指した世界は必ず実現しやすぜ」


 その夜、夏侯惇先輩が職員室を焼き討ちにしました。

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