名もなき星にさよなら

戸松秋茄子

あなたへ

【二〇二〇年二月二九日】


 あなたはきっともう気づいていることでしょう。


 これが最後の手紙になると。


 あなたに手紙を渡したとき、わたしの隣には彼の姿があったはずです。


 東京で知り合った彼――


 わたしの伴侶となった彼の姿が。


 あなたとの密やかな関係もこれで終わりにしなければなりません。


 もう故郷に戻ることもないでしょう。


 わたしはきっとあなたとの約束を忘れ、どこにでもいる幸福な夫婦の片割れとなることでしょう。


 やがて夜空を見上げることもなくなり、星のない街に骨を埋めることになるでしょう。


 四年に一度のこの日を、新たな家族と過ごすことになるでしょう。


 あなたとの思い出が色褪せる前に、もう一度この日がめぐってきたのは幸運でした。


 このバースデーレターを通して、きちんとお別れが言えるからです。


 誕生日おめでとう。


 そして、さようなら。


 約束を守れなくてごめんなさい。



【二〇一六年二月二九日】


 故郷に帰ることにしました。


 彼にはずいぶんと反対されたものです。もう会わないと言ったのに、アパートまで押し掛けてわたしを引き留めようとしてきました。


 彼は野心のある人です。これからも東京に留まり、ひたすら上を目指すのでしょう。


 しかし、それにどんな意味があるでしょう。どれだけ高みに登ったところで、東京の夜空に星はありません。月が孤独に浮かぶばかりです。手を伸ばしたところでつかめるものなど何もありません。


 彼とともにあっては、きっとあなたとの約束も果たせないでしょう。


 わたしは故郷に戻らなければなりません。もう一度、星々の明かりに手を伸ばさなくてはならないのです。


 元々、東京に出てきたのは星について学ぶためです。大学を卒業したいま、どうしてこの星ひとつない空の下に留まる必要があるでしょう。


 そんな単純なことをわたしは見失っていました。当然のように就職し、恋人を作り、星のない街にすっかり根を下ろしていたのです。


 このままでは新しい星を見つけることなど夢のまた夢でしょう。

 

 そう気づいたのは、年が明けて、四年に一度のこの日を意識するようになってからです。


 四年に一度の誕生日。


 この日はいつもあなたとともにありました。それは誰にも譲れない、言うなれば聖域のようなものです。そこに彼は踏み込んできました。


 その日は故郷に帰ると言うと、彼は下手な冗談でも聞いたように失笑しました。そして、何事もなかったかのように二人で過ごす予定を入れようとしてきたのです。


 どうしてそんなことが許されるでしょう。


 しかし、おかげで目が覚めました。この街であなたとの約束は果たせません。一刻も早く故郷に帰る必要があります。


 父はもういませんが、あなたさえいれば心細くはありません。


 天文学者にはなれませんでしたが、望遠鏡さえあれば星は探せます。


 四年後、八年後、十二年後……これからあなたとともに重ねていく四年間の中で、いつかきっとあなたとの約束を果たします。小惑星を見つけて、あなたの名前をつけるのです。


 それがわたしたち兄妹が交わした約束なのですから。



【二〇一二年二月二九日】


 東京に出てきてから二年が経とうとしています。


 年末に帰省したばかりですが、早くも故郷の星空が恋しくなっている自分がいます。


 星のない夜空を見上げる度、自分は何のためにここにいるのだろうという疑問にとらわれます。星に少しでも近づくため上京したのに、かえって星から遠ざかるなんて。


 しかし、これもあなたとの約束を果たすためです。


 天文学者になれれば、わたしたち兄妹の夢にぐっと近づくことでしょう。


 想像してみてください。あなたと同じ名前の小惑星が天文雑誌に載ることを。


 そのためにはいまよりもっと勉強しなくてはなりません。


 誕生日には必ず墓前に参ります。平日ですから日帰りになるでしょう。故郷の星空を見られないのは惜しいですが、あなたはきっと天から見守ってくれることでしょう。


 一日も早く、空に瞬くあなたを見つけ出したいものです。



【二〇〇八年二月二九日】


 あなたは知っているでしょうか。


 世の中には星を見上げない人たちがたくさんいるのです。


 たとえば、わたしが進学した高校です。もちろん、進学校ですからみんな星や星座の名前くらいは知っています。しかし、それだけです。それらは単なる机上の知識にすぎず、実際にその目で星を見て何かを感じるような心の持ち主にはいまだ出会えていません。


 勉強、部活、恋愛……みんな地上のことで手一杯に見えます。


 だからでしょうか、あなたのことを話すとみんな怪訝そうな顔をします。最初は誰も信じません。信じたら信じたで、火星人でも見るような目を向けてきます。


 四年に一度、こうしてあなたに手紙を書いていることがそんなに変なことでしょうか。陰でこそこそと笑われるようなことでしょうか。


 思うに、あの人たちは知らないのです。星々がどんなに多くのことを教えてくれるかを。謙虚な気持ちにさせてくれるかを。


 星々の歴史は雄大で、人間の預かり知らぬことでいっぱいです。そんな星空を前にすれば誰もが自分のちいささに気づくはずです。未知のものに対して畏敬の念を抱けるはずです。


 どんなに勉強ができたって、そんなこともわからない人間にはなりたくないものです。


 なんて、少し上からの物言いがすぎたでしょうか。


 でも、きっとあなたならわかってくれるでしょう。


 地上にあるもの、目に見えるものだけがすべてではありません。


 あなたはたしかにもうこの地上にはいません。


 わたしが生まれたときには、あなたはもう天に旅立っていました。


 それでも、わたしにとっては大切な家族なのです。


 わたしはきっと、星々の海からあなたを見つけ出します。


 それがわたしの夢だからです。


 そのために東京の大学で星について学びたいと考えています。その先のことはまだ決めていませんが、天文学者になるにせよ、プライベートで星を探すにせよ、知識はきっと邪魔にならないでしょう。


 どうか気長にわたしの夢を応援してください。



【二〇〇四年二月二九日】


 こんなことをあなたに聞くのは残酷かもしれません。


 でも、どうか教えてください。


 夢とはいったいなんなのでしょう。


 あなたの夢はなんですか――


 六年生になると嫌ってほど聞かれるのがこの質問です。図工や作文のテーマでこの質問にぶつかる度、わたしは裸足で逃げ出したくなります。


 わたしには夢なんてなく、やりたいこともないからです。


 小学校ではいま卒業式の練習で明け暮れています。卒業式では、一人ずつ壇上に呼ばれて卒業証書を受け取ることになっています。名前を呼ばれた卒業生は壇上に上がって将来の夢を発表しなければなりません。


 そのことを聞いたときは目の前が暗くなるようでした。しかし、思い悩んでいるとふと四才のときに書いた手紙を思い出したのです。


 星になったあなたを見つける。


 わたしはそんなことを書いたように思います。


 あなたを見つける。


 それがどういうことかはよくわかりません。


 新しい小惑星を見つければ、好きな名前がつけられると言います。それにあなたの名前をつければいいのでしょうか。いまのわたしにはそれくらいしか浮かびませんが、はたして、それがあなたを見つけたことになるのでしょうか。


 わかりません。


 しかし、いまはそこまで考える必要もありません。たとえば、わたしが天文学者になって新しい星を見つけたいと言ったところで、誰も真偽を確かめはしないでしょうし、たとえ嘘とわかっても誰も気にしないでしょう。だったら、いまはそれでかまいません。わたしは卒業式の本番でもそう発表するでしょう。


 とはいえ、これは単なる時間稼ぎ。


 きっと中学に入ったらまた夢で悩むことになるのでしょう。


 わたしの夢ってなんだろう。


 わたしは何がしたいんだろう。


 そもそも夢って何?


 次に手紙を書くとき、わたしは四度目の誕生日を迎えているはずです。学年で言うと、高校一年生です。十六才になったわたしは答えを見つけられているでしょうか。



【二〇〇〇年二月二九日】


 この前、てがみを書いたのは四才のときだったそうです。そのときのことはよく覚えていません。何を書いたのかも。


 子どもだったから、きっとてがみの意味もよくわかっていなかったと思います。自分にふたごのお兄ちゃんがいたということも。


 お兄ちゃんが生きていたらきっとわたしより頭がよかったはずだとパパは言います。生まれたときの顔がパパににてたからまちがいないのだそうです。ママににたわたしは何をやらせてもとろくてパパに怒られてばかりいます。


 そんなわたしでも、がんばれば東京のえらい大学に入れるそうです。


 お兄ちゃんの分までがんばらないと。


 パパはいつもそう言ってわたしをはげまします。


 生きたくても生きられなかったお兄ちゃん、べんきょうしたくてもできなかったお兄ちゃんの分もがんばりなさいと。


 このてがみも、お兄ちゃんにわたしががんばってることをほうこくして安心させてあげなさいと言われて書いています。


 でも、わたしはまだ自分にお兄ちゃんがいたという実感がありません。お兄ちゃんは本当にいたんでしょうか。四年前、本当に手紙なんて書いたんでしょうか。


 本当にいたとしたら、パパはどうしてさいきんまで教えてくれなかったんでしょう。


 もし、本当にお兄ちゃんがいるならどうか知らせてください。



【一九九六年二月二九日】


 ままのおなかにはふたりのあかちゃんがいたそうです。


 ひとりはわたし。


 もうひとりはあなたです。


 だけど、わたしがあなたをきゅうしゅうしてひとりになってしまったんだそうです。


 あなたはほしになったとままはいいます。


 いまもそらのどこかにうかんでいるのだそうです。


 いつか、わたしはあなたにあってみたいです。


 ぱぱのぼうえんきょうであなたをみつけたいです。


 そうすれば、あなたはもうひとりじゃありません。


 またかぞくよにんでいっしょになれるでしょう。


 どうか、そのときをまっていてください。

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