第2話






「レンキ…?ああ、ふふ。ここか。煉岐なんて名前で呼ぶ人、久しくいないからさ、なんか新鮮だね」


 新鮮もなにも、それがこの町の名前じゃないのか?そう言い掛け、言葉を呑み込む。


「指定医としてここに派遣された人は、恐らくあなたが初めてじゃないか?現状、私…香西…を含め三名在籍してはいるが、もうすぐ一人退職するため……本人は家庭の事情だと言っているが……椎堂先生、あなたを呼ばせて頂いた。少なくとも、二名いなければ機能しないからね、色々と。だけど、この町唯一の総合病院と言っても、ここの科はそこまでできたものではないし、見ての通り、入院設備なんてお粗末そのものだ。まあ……誰もこの町で、この手の科には掛かりたくないってわけだな。要するに需要がない。みんな他市、他県へと流れてゆく」


 口の止まらないまま香西は腕捲りをすると、目に余るほどの黒子の群れが露になった。「語弊があるといけないか。需要がないというのは、飽くまで一般人を対象に限ったことだ。あなたも知るように、近くに刑務所があるわけでさ。一部受刑者のもとに、毎夜毎夜、悪魔が出るんだとさ。あれから十年も経ってるってのに。それで、悪魔祓いに駆り出される。駆り出されるのは決まって私たちだ。なぜかは大体解るだろう?裁判における精神鑑定が精神保健指定医に限定されているように、ああいう場にはどうにも我々が重宝されている。まあ間違いなく独特だろうね。良い意味でも悪い意味でも。ここはいまも昔も、霧の街には違いない」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉を、半ば呆然として聞いていたが、不意に声が止み、慌てて馨は口を開いた。


「……き……霧のまち、ですか?」


 確かに、この町の情景は、厭に霧深いが。


 心の中で馨は呟いた。


「あれ、知らないのか。ニュースは?あれから随分経ってるからなあ。……知らないならいいや。ああ、ともかく、チームメイトを紹介するよ」


 背後に気配を感じた。


 靴音。次の瞬間、香西と同じ白衣の男が、目の前に現れた。


「彼、半年前に研修から上がったばかりで、あなたの七…八個、下だったかな」


「よろしくお願いします」


 端正な口元が、目に飛び込んできた。


 青年は何とも言えない微笑みを作りながら、自分に向かって会釈をした。


「よろしくお願いします。椎堂と申します」


「…キと申します」


 聞き慣れない苗字からか、よく聞き取れなかった。


 瞬時にネームプレートを見遣る。平仮名で印字された苗字の脇に、思わず視線を奪われる。


 淡い紫色のイラストが描かれている。花の蕾だ。


「朝顔…?」


 呟いてしまうと、


「昔からこれだから。いまさら直すのにも、金が掛かるわけさ。そのままで何も問題はない。そもそも朝顔の花言葉は“喜び”に“愛情”だ。なんてステキ」


 香西の言葉に、


「紫色に限定するなら、“冷ややかさ”を意味する言葉になりますけどね」


 冷静に、研修上がりの青年は答えた。


「塗り潰しゃいいんだな。真っ黒にさ」


「より悪魔の花に近づきますよ、それ」


 会話の内容の半分も理解できなかったが、二人に従って、一応椎堂も笑った。


 ネームプレートの「精神保健指定医 ひせき」という文字を、しっかりと目に焼き付けて。




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