霧の街Ⅱ

見上げた先にあるもの

霧の街、精神科病棟

第1話






『あなたの愛する人に、逢わせます。』



 街頭の織り成す光のアーチを潜り抜けると、まったくの暗闇になった。


 溜息を吐く。エンジン、ヘッドライトを切り、小一時間ほど走らせてきた車をようやく降りると、時刻は午前三時を廻っていた。厭に広い駐車スペースに、車はたったの三台しか停められていない。


 自宅マンションのエントランスに入り、迷わずエレベーターに乗り込んだ。重い鞄を抱えながら自室に辿り着くと、すぐさま上着と靴を脱ぎ払い、欠伸を漏らす。ついでに、ドアポスト口に捻じ込まれていた、白黒印字のチラシのようなものを目で追いながら、椎堂馨(シドウ カオル)は思わず瞬きを止めた。


 この煉岐という町に越してきて早二か月になる。単に仕事の都合というわけで、上役の用意したこの築年数の古いマンションの一室に、ひっそりと独り居住を決め込んでいる。


『ただし、死者に限り』


 何を言っている?という思いは瞬く間に消え去り、代わりにじんわりとした生温かいものが、ざわざわと波のように体中に広がってゆくのを感じた。


『あなたご自身の命、保証できません。』


 文面はそれで終わっていた。


 電話番号と思われる数字の羅列が、お座なりに紙の隅に薄っすらと浮かび出ている。


 ぐしゃりと、無意識に丸めようとしていた紙切れを雑に折り畳み、持ったままだった鞄の中に突っ込んだ。


 息を吐く。酷く喉が渇いている。


『ただし、シシャに限り』


 頭の中で、呪文のようにその文句が反芻され、


「……ただし……死者に……かぎり……」


 ぼんやりと、口にして呟いた。


 沈黙。項垂れる。


 溜息。


「死者に…………」


 天井を、見上げる。


 薄暗い隅に灯るオレンジ色の光が、まるで幻想のように目前を包み込んだ。




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