蓋を取らずに汁を飲め

「うわ~、すごい御馳走ですね」


 二九休にくきゅうは感激していた。普段、寺で食べているのは飯と一汁一菜。それも朝夕の二回だけだ。

 しかし今、目の前には三つの膳が置かれ、その上には見たこともない豪華絢爛な料理が所狭しと並んでいる。寺での三日分の食事より多いのではないかと思えるほどだ。


「いつも粗末な食事をしているのであろう。今日は思う存分腹に詰め込むがよい」

「はい。ありがたくちょうだいします。でもその前にひとつお願いがあります」

「何だ、申してみよ」

「実は私の知り合いにサヨと申す娘がおります。早くに両親を亡くし今は祖父と貧しい暮らしをしております。本日ここへ伺うにあたり、お土産を持参して帰ると約束いたしました。つきましてはこの皿に盛られております饅頭をサヨへの土産として持ち帰りたいと思うのですが、よろしいでしょうか」

「ほう、土産か」


 義教はすぐには返答しなかった。すでにいくさは始まっているのだ。これは二九休が仕掛けてきた罠かもしれない、そう考えたのだ。


(饅頭を土産にすることでわしにどのような恥をかかせるつもりなのだ)


 義教は考えた。考えたがわからない。わからない時は申し出を断るのが最善の策である。


「己の食い分を削ってまで土産にする必要はない。サヨとやらへの土産は別に準備いたそう。その饅頭はそなたが食べればよい」

「本当ですか。ありがとうございます。ではいただきま~す!」


 二九休はガツガツと食べ始めた。その顔には義教を罠に嵌め損ねたという無念の色は見て取れない。


(罠ではなく本当にただの土産の無心だったのか。わからぬな。まあいい。どちらにしても何事もなく済んだのだ。さて、それではこちらの番だ)


 次々と料理を平らげていく二九休を眺めながら義教は話し掛ける。


「どうだ、料理はうまいか」

「はい、とても美味しいです」

「そうであろう。当代きっての料理人が腕を振るって作ったものだ。マズイはずがない。ただひとつ難があるとすればどれもこれも冷めてしまっていることだ」

「それは仕方ありません。たくさんの御毒見役の検分を経てここへ運ばれているのでしょう。冷めているくらい我慢できますよ」

「いやいや、それではわざわざ足を運んでくれたそなたに申し訳ない。そこでこんな物を用意した。誰か、あれを持て」


 義教がパンパンと手を叩くと下僕が火鉢を持って入ってきた。恭しく二九休の前にそれを置き、一礼して出ていく。火鉢には蓋をした土鍋が五徳の上に置かれていた。その下では炭が燃えているのだろう、蓋の隙間から盛んに湯気が立っている。


「わ~、いいですね。これなら冷める心配をせずにいただけます」

「そうであろう。さあ、賞味されよ、ただし蓋を取らずにな」

「えっ……」


 蓋をつかもうとしていた二九休さんの手が止まった。トンチ合戦第二戦の開始だ。


「どうした。鍋の中には様々な薬草を煎じて作った薬膳九宝湯が入っておる。遠慮せずに飲むがよい、蓋を取らずにな。ああ、もちろん蓋に穴を開けたり叩き割ったりしてもらっては困る。その土鍋は信楽で焼かれた銘品。米百俵の価値がある。傷など付けぬよう大切に扱うのだぞ」

「……」


 湯気を上げている鍋を前にして二九休は完全に固まってしまった。義教はにんまりと頬を緩めた。

 蓋を取らずに汁を飲め……かつて一休も同じ難題を出されたことがある。その時の答えは、

「この椀の汁は冷めてしまっているようです。温かい汁と取り替えてください。ただし蓋を取らずに」

 であった。それを踏まえてわざわざ火鉢で温めたままの土鍋を出したのである。


(これならば汁が冷めることはない。よって取り替えてくれという要望は出せぬ。もし逆に『熱すぎて飲めぬ』などと言ってくれば、『ならば火鉢から下ろしてしばし冷まし、適温になってから飲めばよい。ただし蓋を取らずにな』と言ってやればよい。いずれにしても二九休に勝ち目はない。この勝負、わしの勝ちだ)


 義教は勝利を確信した。と、石のように固まっていた二九休の手が動いた。右手の人差し指で左の手のひらを突いている。


「ぷに、ぷに、ぷに、ぷに……」


(まただ。あの橋のたもとでも同じことをしていた。何か意味があるのか)


 義教は訝し気に二九休を見詰めた。指で手のひらを突く、ただそれだけの動作にしか見えない。


「ぷに、ぷに、ぷに、チーン! うん、閃いた。えい!」


 二九休は土鍋の取っ手をつかむと五徳の上で豪快にひっくり返した。中の汁がこぼれて木炭にかかり、湯気と灰が舞い上がる。


「な、何をするのだ二九休! 妙案が浮かばぬからといって狼藉は許さぬぞ」


 狼狽する義教には委細構わず、二九休は逆さになった土鍋の器を取り去ると、蓋に残っている汁を匙ですくって飲み始めた。


「ああ、これは美味しいですね。いろんな薬草の香りがたまりません」


 平然と汁を飲む二九休の態度に義教の怒りが爆発する。


「こら、蓋を取らずに飲めと言ったであろう。なぜ言い付けを守らぬ」

「はい。蓋は取っていませんよ。私が取ったのは土鍋のうつわのほうです」

「器だと」

「そうですよ。普通の状態なら中の汁は蓋を取って器から飲みますが、逆さにすれば器を取って蓋から飲むしかありません。つまり蓋を取らずに器を取って汁を飲んだのです。これなら言い付けに背いてはいないでしょう」

「うぐぐ……」


 まさに逆転の発想であった。「蓋を取らずに」などと言わず「蓋と器を分離させずに」とでも言えばよかったのだ。


(またしても言葉遊びに負けたか。だが次こそは勝つ。必ず)


 連敗したくらいでは挫けたりしない義教である。

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