第2話 ツトムの場合(後編)

「お前、俺の胸元見てたよな? 正直に言わないと、いてこますぞコラ。ああん?」

「い、いや……それは……」

「み、て、た、よ……な?」

「う、は、はい。ごめんなさい」


 まりんの迫力に思わず自白してしまったツトム。無理もない、「にゃん」の「に」の字も無い。もはやヘビに睨まれたカエルの如く、その目からは逃れられないのだ。


「おいこら童貞っ! 童貞の分際で、このアタシの胸を見ようだなんて900万年早いんだよっ!」

「は、はひいいいいっ」


 900万年とかキリが良いのか悪いのかわからない数字を使うのだったら、いっそのこと1000万年にすれば良いのに。なんて細かいことは置いておいて、小動物のように怯え切ってガタガタ震えるツトムくん。


 いや、痛女さ、最初からそれが狙いだったんじゃね? と思うのが普通なのだけれど、自宅警備員ツトムには人付き合いのスキルが全くないのだ。


 どうする、どうするツトムっ!!


「おいこら童貞、お前、良いもの見れたんだからさあ……わかるだろ?」

「……え、なんのことですか?」

「すっとぼけてんじゃねえよ、これだよ、これ!」


 まりんは右手の親指と人差し指で〇を作り、残りの指を広げる昭和のゲスいジェスチャーでツトムに金銭を要求する。


「ええっ?! そんな……ひどい」

「おいおいおい、何言ってくれちゃってんのさ、胸を見られた私の方が被害者だっつーの」

「そんな、見えてないし……」

「はあ……? 見えてないとか、しらばっくれてるんじゃねえよ。警察突き出すぞオラ。あははは。警察は、童貞と可愛い女の子、どっちの味方するんだろーな。いいから、はよ出すものだせオラ!」


 もうここまで来ると恐喝だ。だがしかし、追い詰められたツトムはアニメキャラの缶バッジが所狭しと貼り付けられているリュックから、財布を取り出し中身を覗く。もちろん財布も人気アニメキャラのグッズである。


「小銭入れ覗いてるんじゃねよっアホか! 貸せオラっ!」

「あ、ああ……!」


 モタモタしているツトムから、まりんはスパッと財布を盗み取る。そして、まりんは札入れの中身を抜き、空っぽになった財布を「ほらよっ」とツトムに叩きつけた。


「ツトムきゅん、ありがとにゃん!」

「あ、そんなに……」


 再び招き猫ポーズ、萌えゼリフに戻ったまりんは、もう用は無いとツトムに背を向け走り去った。


 そして、急に何かを思いついた様に振り返り、叫んだのだった。


「ちょろいんだよバーカ! この童貞クソ野郎!!」


 呆然と立ち尽くすツトムを尻目に、まりんは二度と振りかえることなく走り去った。その後、ツトムは人間不信に陥り、二次元の世界から二度と出ることは無かったと言う。


「まったく、これだけしか無いのかよ。しけてんな。」


 まりんは、ツトムから奪い取った金を自分の財布にしまいながら毒づいた。もう「にゃん」なんて言葉を出す素振りは全くない。あのキャラはツトムに向けたキャラ作りだったようだ。


 ……ふと、まりんは立ち止まる。


「あれ? マモルじゃないのか?」


 まりんの視線の先には、理系男子を絵にかいたような男、マモルが居た。


「よし、ちょっとからかってやるか……。おおーい、マモルきゅーん!!」


 ツトムの時と同じように、大きく手を振りパタパタと小走りでマモルに駆け寄る。再び萌えキャラのお出ましである。


「ああ、星屑。」


 リアクション薄っ!

 さすが理系男子。まりんのメイド服を見ても、何の感情も示さない。唯一のリアクションと言えば、メガネのブリッジを人差し指で押し上げたくらいだ。


「友達なんだから、星屑じゃなくて、まりんでいいにゃん!」

「……そうか、考えておく。」

「よろしくにゃん!」


 出た……!

 男を腑抜けにするスキル「名前で呼んでいいよ。」だ。この一言は、名前呼びを要求することによって「こいつ、俺に気があるんじゃね?」と期待させてしまう上級者向けのスキルだ。


「じゃあ。」

「ちょ、ちょっと待つにゃん!」


 おっとー。名前呼びスキルが通じない。特に何も感じていないようだ。マモルは躊躇なく、まりんの横を通り抜けようとした。これには、まりんもショックだったようで、思わず慌てて呼び止める。


 マモルは、通り過ぎようとした足を止め振り返る。


「何か用か……?」

「え? えーと。あ、いっけなーい!」


 出た……! ツトムを腑抜けにしたハンカチ落とし大作戦だ。胸元をチラつかせることでマモルの気を引く作戦だ。まりんは、マモルの位置から胸元が見えるよう、正確にポジション取りをする。


「よいしょ、よいしょ。」


 モタモタとハンカチを掴もうとするまりん。


「…………」


 おお!

 無言でマモルが胸元を見ているぞ。明らかにブラの中を凝視している。まあ、クールとは言えマモルも男だ。まりんの術中にハマるのも仕方のないことだ。


 まりんは、マモルの視線を感じて「よいしょ」と起き上がる。これでチェックメイトだ。


「マモルくん、私の胸元見てたでしょ?」

「ああ。見た。」

「あ、……え?」


 言い切った。清々しいほどに悪ぶりもせず言い切った。むしろ、そうすることが当然のように。想定外のリアクションに、まりんは戸惑う。大抵の男の場合、ここは狼狽するシチュエーションなのだ。


 しかし、ここまで来て引き返すわけにはいかない。ここでまりんが啖呵を切る。


「お、おい、おま……」

「星屑、お前、ブラジャーのサイズが合っていないな。垂れるぞ」

「え、えええええっ?! そっちいいいいい?!?!?!?!?!」


 まりんは、マモルからの想定外の口撃に悲鳴を上げる。それはそうだ、胸の谷間を見せつける離れ技をやってのけたにも拘らず、ガン見したにも拘らず、マモルは恍惚するどころか、まりんにダメ出しを喰らわせたのだ。


 いやいや、男子高校生なら、100%食いつくところだ。むしろ体の一部に変化が起きてもおかしくない。そして、マモルは更なる口撃を仕掛けたのだった。


「ただでさえ、バストの下垂かすいは10代後半から徐々に始まって、30代で大きく変化が現れる。にも関わらず、形の合わないブラジャーをつけ続けることで、更にバストの下垂は進んでしまうのだ。たとえ、貧乳の星屑でも、だ。」

「…………」


 ぐうの音も出ないまりん。何か言い返す言葉は無いかと脳内を隅から隅まで検索していた。だがしかし、残念なことに彼女の小さな脳みそでは、そもそも探す場所が限られていた。


 そして、彼女は両手をグッと握り……言うのだった。


「お、覚えてやがれ! これで勝ったと思うなよ!」


 昭和にしか聞けない貴重な捨てゼリフを残し、マモルの元から走り去るのだった。


「ふむ、今日は、あの日……か。」


 マモルは、何かを察した様子で、その場を立ち去るのだった。


 ――今日の戦績:まりんの一勝一敗――

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