第39話 帰還

 午前六時五十分。

 ベッドから伸びた右腕が、七時にセットした目覚まし時計のアラームを鳴る前に解除する。

「っ! 今日は!?」

 勢いよく飛び起きた恵が、カーテンの隙間から射しこむ朝日を背に受けてスマホを確認する。

「四月、二十四日・・・・・・。九回目・・・・・・」

 ベッド脇の窓へ振り返りカーテンを開ける。眩しい朝日に一瞬目が眩む。

 瞬きを繰り返して目を慣らしてから、窓の外、一階部分の屋根の上に座る白猫を見下ろす。

「・・・・・・アルジャーノン。これ、どういうことだよ・・・・・・」

「おはよう恵。そして、おめでとう。君は見事にループからの脱出に成功した」

「成功・・・・・・? じゃあ、今は・・・・・・」

「君にとって最初の『今日』だ。すなわち、ループが発生する前の時間軸への帰還を果たしたのだ」

「え、・・・・・・え? つ、つまり、それって・・・・・・」

 いまだ混乱が抜けきらない恵に、アルジャーノンははっきりと告げる。

「黒川雫の時間振動を起こす能力は消え、それを与えた未来人も拘束した。この度のループ現象は解決された」

「・・・・・・最初の、今日? い、いや待った。そしたら、黒川さんが・・・・・・」

 恵は思い出す。いや、忘れたことなど決してない。

 あの日、夕焼けに染まる放課後の教室。

 夕陽を受けてもなお主張する、鮮烈な赤。

 その中心には、その後何度も行動をともにすることになる少女が横たわっている。

「最後に一つ伝えよう。現状はすべてが最初の日に戻っている状態だ。黒川雫も例外ではない。彼女はループ中の記憶を忘れている」

「い、いや、だから待てって」

 アルジャーノンは恵の次の言葉を律義に待っている。

 恵はこれまでにこの白猫の人間らしさを幾度か見てきたが、何故かこの時は、その記憶が疑わしく思えるほどに、目の前の猫が機械的に感じていた。

「こ、このままじゃ黒川さんがまた死ぬんじゃないのか? また、あの放課後に・・・・・・。なぁっ! アルジャーノン!」

「君は危機的状況から脱した。私の目的は達成された。この時間軸に留まる理由はない」

 そう言って身を翻し、屋根から飛び降りたところで白猫の姿は見えなくなった。

(う、嘘だろ・・・・・・。こんな中途半端なところで、いなくなっちゃうのかよ・・・・・・)

 恵は愕然と窓の外を見つめ続けていた。

 そこに、美しい白猫の姿はもう無い。


 上原江第一中学校。一年C組教室。

 恵はこの日の行動を、意識的に記憶の通りなぞった。

 登校して、恵は健一や友人たちと朝の会話をする。

 朝のホームルームが始まり、担任による点呼の途中で雫が登校する。

 俯いて、長い黒髪がカーテンのように顔を隠して歩く雫。

 髪の隙間から見えた彼女の表情は、海岸で孤独を嘆いていた時のような虚ろなもの。

 彼女の本心を聞いた恵には理解できた。あれは彼女の、黒川雫の泣き顔なのだ。

(黒川さん・・・・・・。今度は絶対に、助けてみせる)

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