第38話 ~八回目~ 明日へ
夕焼けに染まる住宅街を、恵と雫が並んで歩いていた。
雫は嬉しそうに微笑んで言う。
「・・・・・・友達、できたよ」
「志木さんと和光さん? さっき教室で話してた」
「うん。色々聞かせてって、明日も話そうねって、言われちゃった」
「はは、よかったね・・・・・・」
雫は空を見上げ、夕陽に眩しそうに目を細めた。
「嬉しい・・・・・・。嬉しいよ・・・・・・。明日が来るのが、楽しみ・・・・・・」
彼女の頬を涙が一筋零れ落ちた。
恵は立ち止まり、彼女に言った。
「じゃあ、明日に行こう。今日はもう、おしまいだ」
「それが駄目です」
二人の進む先に、いつの間にか女が立っていた。
エプロン姿で包丁を持っている様は家庭であれば違和感など無いが、路上で夕陽を背に立っている状況では、身の危険を感じざるを得ない姿だ。
「まだ足の満ちるデータが落ちていません。クロカワシズク。実験を中止しないでください」
「え? え? わ、私?」
「黒川さん下がって! こいつがヤバい方の未来人だ!」
雫を守るように前に出る恵。
未来人は頬を吊り上げ、血走った目をむき出しにした。
「ジンノメグム。障害はもしも私は殺します。結論的に。あなたに取って代わって待って、使ってどのくらい同じくあります」
「何言ってるかわかんねえよ未来人! 翻訳機直してから出直してこい!」
「・・・・・・それでは、死んでください」
未来人は包丁を振り上げて走り出した。
腕の関節も足の関節もちぐはぐな動きで迫りくるその姿は、命の危険以上に生理的恐怖感を呼び起こす。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
恵の後ろで雫が叫んだ。
未来人は凄まじい速さで迫っていた。
包丁が夕陽を受けて赤く煌めいた。
恵は一瞬たりとも目を逸らさないよう、未来人を睨みつけている。
スローモーションで動く恵の視界の中、汚れ一つない白猫が飛び込んだ。
「フシャーーーーーッ!」
「うっ!」
「アルジャーノン!」
未来人の顔に飛びついた白猫はそのまましがみつき相手の視界を塞いだ。
視界を塞がれた未来人は動きを止め、相手を探すように顔を四方八方に振っている。
「何ですかこれは!? 何が起きているということなのか!?」
「恵! 私が時間を稼ぐ! 君は作戦を完遂しろ!」
「っ! ありがとうっ!」
恵は雫に振り返った。
恐怖に震えている彼女の肩をしっかりと掴み、彼女の目を見て言う。
「黒川さん、大丈夫。こんな怖いことはもう終わりだよ」
「じ、神野くん・・・・・・」
雫の顔は夕陽に照らされていてもなお蒼白だった。
涙に濡れる雫の瞳には、恵の顔が映り込んでいた。
「明日に行こう。未来人の勝手な都合に振り回されない、俺たちの明日に」
恵の背後で未来人が声を荒げた。
「停止してください! ここがただどの時間だけを使いに来たと思い付きますか!?」
「無駄だ、異なる時間から来た者よ。我々はすでに貴様の素性を特定している。間もなく当方の治安組織が貴様の身柄を拘束するだろう」
「愚かです! そのような、・・・・・・まさか、あなたは私たちより未来の人間か!?」
「その問いに答える義務は無い」
恵は雫の目を見つめていた。
やがて雫の身体の震えは消え、顔に血色が戻っていった。
「あ、明日にも、私の友達はいるの・・・・・・?」
「ああ、もちろん。みんな黒川さんと会えるのを待ってるよ」
「・・・・・・神野くん、も?」
「・・・・・・うん」
「神野くんも、友達でいてくれる? 明日も、明後日も・・・・・・」
「来年だって再来年だって、俺は黒川さんの友達だよ。これから先、ずっと」
「・・・・・・あ、あぁ・・・・・・。嬉しい・・・・・・」
雫が微笑みを浮かべて目を閉じると、その瞼の端から涙が溢れた。
そして、世界にひびが入っていく。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
未来人の断末魔の叫び。
それも次第に遠ざかって、世界から音が消え、色が消え、光が消えて、
そして、すべてが消えた。
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