第37話 ~八回目~ 一歩踏み出す勇気
音楽準備室。
恵は入ってすぐ、記憶との齟齬に気づいた。
(あれ? 位置が違う? 『鱒』、どこだ?)
雫は室内の棚を丁寧に探しており、恵の方は見ていなかった。
恵が美智を見ると、彼女は悪びれもせず舌を出してウィンクした。
「お前が何かしたのか?」
「んー? なんのこと?」
白を切る美智。彼女は恵に近づき、雫に聞こえないよう小さく話しかけた。
「順調にいってるね」
「なんのことだ?」
「ふふっ、私を誤魔化そうなんて百三十八億年早いよ。分かってるって。黒川さんに友達を作ってあげてるんでしょ?」
「はぁ、お前は本当に何者なんだ」
「それはまた今度ね」
雫は腰を屈めて棚の下段を探し始めていた。
美智は彼女を眺めながら言葉を続ける。
「んー、この調子なら数日もあれば友達はできるかもねー」
「・・・・・・え? 数日って、なんで分かるんだ?」
「いや、そりゃ今日いきなり話してすぐ友達ってのは都合よすぎるでしょ。そういう展開は私が許さないからね」
「いやいや、それじゃ」
「それじゃ困るよね? そこで私からとっておきのアドバイス~♪ ちょっと耳貸して」
耳元で囁かれた美智の言葉に、恵は思わず声を大きくした。
「││はぁっ!? ま、マジでそんなことさせる気か?」
「しーっ」
慌てて口を塞ぐ恵。幸い雫には聞こえていなかったらしい。
「先に進みたかったらこれしかないよ。理由は、うん、また今度ね」
「・・・・・・はぁ~。わかった、やるよ」
「おっけ~♪ それじゃ、黒川さんに伝えておいてね~」
美智は棚に近づくと、まだ雫が探していなかった下段に身を屈め、雫に声を掛けた。
「あ、黒川さんあったよ。鱒の楽譜。出すの手伝ってくれるかな?」
「あ、は、はい。わかりました」
美智と雫が一緒になって段ボールに手を掛けた。
二人とも力を込めていたが、段ボールはその重さを示すようにピクリとも動かない。
「ん~・・・・・・っ! うわぁ、重い。神野くんも手伝って」
恵は美智がその重さを軽々と持ち上げられることを知っていたが、もはや彼女に逆らうことは無駄だと悟っていた。
「・・・・・・ああ、わかったよ」
雫と美智、二人の女子に挟まれて力を入れ、恵はなんとか重い段ボールを引きずり出したのだった。
午後の授業もすべて終わり、あとは下校するだけになった教室。
クラスメイトが次々と教室を出ていく中、恵はぼんやりと窓の外を眺めていた。
夕日で赤く照らされた教室には彼と健一、そして数人の女子グループがいるだけだった。
恵が横目で彼女たちを窺うと、チラチラと自分たちを見ていることに気づいた。
(あー、確かに。アルジャーノンからも聞いてたし、もしかしたらとは思ってたけど・・・・・・。飯野め、本当になんでもかんでも見透かしやがって)
音楽準備室の作業を終えた後、教室へ戻る道すがらで恵は雫にとある指示を出した。
放課後、教室に残った女子グループに対しこのように言って話しかけろ、と。
美智からのアドバイスに基づくそれを聞いて、すぐに意味を理解したらしい雫は赤面していた。
しかし恵の不安に反し、雫はやる気を見せていたのだ。
(やる気になってくれたのは嬉しいけど、やっぱ気になるよなぁ。大丈夫かな、黒川さん)
「う~・・・・・・」
「おーい、じんじん。どうしたんだよ?」
「あ、あぁ、いや・・・・・・、別に・・・・・・」
「・・・・・・なになに、何かあったのじんじん?」
健一は声を潜めて恵に顔を寄せる。
教室に残っている女子たちの恵たちを見る頻度があからさまに増えていた。
「ひょっとして黒川さんと何かあった?」
「え? い、いや、そういうわけじゃないけど・・・・・・」
「そう? まぁ、今日の二人見てたら俺が心配することなんか無さそうだったしね。お似合いだよ、じんじんと黒川さん」
「あのなぁ、本当に黒川さんとはただの友達だからな?」
「でも、頼られて悪い気はしないでしょ?」
「ま、まぁ・・・・・・」
「うるうる見つめられたら、ちょっと可愛いって思うでしょ?」
「思う、けど・・・・・・」
健一は笑顔を見せ、恵の頭に手を乗せた。
「よしよし、黒川さんルートの一歩目はちゃんと踏み出せてるね」
「な、なんだよ! やめろって! 頭撫でんなー!」
照れて暴れる恵の頭を笑顔で撫で続ける健一。
離れた席にいる女子たちが彼らを見ながら、小さくきゃぁと声を出していやらしい笑みを浮かべていた。
そこに、こっそりと近づく影が一つ。
廊下側から教室に入った雫が、彼女たちの背後に迫っていた。
(よし、頑張れ黒川さん!)
雫は震える手を握りしめて教室に残った女子たち、
恵にはこの時の会話は聞こえていなかったが、彼女たちはこんな話をしていたのだった。
「・・・・・・あ、あの」
「ひゃっ! ・・・・・・あ、黒川さん?」
「あ、あはは、ビックリした・・・・・・。えっと、な、何かな?」
「あ、あの・・・・・・、あの二人、神野くんと常盤くん、いいですよね」
「っ!?」
「っ!」
「距離の近さとか、仲良さそうな感じとか、見てて嬉しくなります、よね」
「わ、わかるっ!?」
「そうっ! そうなのっ!」
「明るくてイケメンな常盤くんがグイグイ来て、神野くんはそれにたじろぎながらも幼馴染特有の距離感で受け入れちゃう感じ!」
「明らかにトキ×ジンだよね! 常盤くんの攻めなんてちょっと年上っぽさがあってたまらないけど、神野くんの受けのあどけなさも興奮するっていうか・・・・・・」
「あ、で、でも、黒川さん的には、神野くんをあんまりそういう風に見てほしくないよね・・・・・・」
「いえ、わかります。というか、・・・・・・ジン×トキも、あると思います」
「えっ!?」
「今日気づいたんですけど、常盤くんって想定外のことに弱いんですよね。それに神野くんって、その、いざという時は結構、大胆で・・・・・・」
「そ」
「そっ」
「「そうなんだ~!」」
実を言えば、恵の指示は話しかける言葉だけだった。
その後の言葉は雫の本心であり、雫の本当の言葉だったのだ。
つまり、雫もまた彼女たちと同じ趣味を共有する者であった、ということだった。
雫を含めた女子たちが黄色い声を上げて盛り上がっている様子を、恵は健一と一緒に眺めていた。
「ん? 黒川さんがなんだか楽しそうにしてるね? どうしたのかな?」
「ははは・・・・・・。さぁな・・・・・・」
(まぁ、黒川さんのためなら、俺がどう見られようと構わないさ・・・・・・)
恵は乾いた笑いを浮かべて、遠くを見るのだった。
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