第31話 ~七回目~ 黒川雫という少女
通学カバンを肩に提げた恵と雫が、午前中の電車に乗っていた。
明らかに授業中の時間に制服の中学生が二人。
しかし車内の誰もそれを咎めようとはしなかった。
恵はそわそわと周囲を気にしていたが、雫は楽しそうに窓の外の流れる景色を眺めていた。
「それで、どこまで行くの?」
「映画館! この間大きなショッピングモールができたでしょ? そこにある出来立ての映画館に行くの!」
「映画? あ、でも、俺あんまりお金持ってないよ? あそこまで行ったら、帰りの電車代しか・・・・・・」
「だーいじょうぶっ! 私、いっぱい持ってきてるから! 奢ってあげるよ!」
得意げな顔で胸を張る雫。
恵は彼女の言葉にほっとため息を吐いた。
(それなら、まぁいいか・・・・・・。昨日のうちに言っておいてほしかったけど)
雫は相変わらず笑顔を浮かべている。
楽しそうに窓の外を見ている彼女に、恵はわずかな不安を覚えた。
(黒川さん、雰囲気変わった・・・・・・? もともと話す仲でもなかったけど、最初の頃のオドオドした感じが無くなったような・・・・・・。良いことなんだろうけど、なんだろう、落ち着かないな・・・・・・)
映画館に着くと、雫は早速Lサイズのポップコーンとオレンジジュース二つを買った。チケット代も二人分出し、言った通り全額雫の財布から支払った。
手持ちの無い恵は素直に奢られたが、彼女の金払いの良さには首を傾げていた。
二人が観た映画は、あまりの怖さに事前のトイレが推奨されている和製ホラーもの。
選んだ雫曰く、
「今、待たないで観れるのがこれだったから!」
上映中、恵は喉元まで出た悲鳴を飲み込んでなんとか耐え続けていた。
それでも要所要所で身体が跳ねるのは止められず、途中からほとんど目をつむっていた。
一方雫はというと、思いっきり楽しんでいる様子だった。
画面から目を逸らさず、先の展開に期待しているような笑顔を浮かべていた。
恐怖シーンに至っては、
「きゃー、こわーい♪」
などとまったく怖がっていない声で、隣の恵の腕に抱きついてきたりもした。
その際の恵は、映画の怖さで雫の感触など感じる余裕はなかった。
それから、雫の提案で二人はショッピングモールで買い物をした。
雫の服と、ついでに恵の分も彼女が選んで購入し、小物が置かれた雑貨屋で雫がネックレスを買い、フードコートで昼食にし、ゲームセンターでまた格闘ゲームを遊んだ。
それから雫は、電車で更に遠くへ行こうと言った。
「海に行こうよ」
夕暮れに空が赤みを増した海岸。
水平線の向こうからは夜の闇が迫ってきている。
打ち寄せる波音は静かだが途切れることなく、他に人のいない光景と相まって、世界に二人だけになったような錯覚を恵に与えた。
雫は靴と靴下を脱いで波打ち際を歩いていた。
楽しげに水を跳ねさせる彼女の姿を、大量の買い物袋とともに防波堤の上で恵が眺めている。
「あははっ! 水つめたーい! 神野くんもおいでよー! 気持ちいいよー!」
「俺はいいよー。足洗うのめんどくさいよー?」
「平気だよー! あははっ!」
やがて雫が恵のもとに戻ってきて、自分のカバンから取り出したタオルで足を拭いた。
そして、それからしばらく、黙って水平線を眺め続けた。
隣り合って防波堤に座る二人。
恵は視線を落として、砂浜に伸びる二人の影を見るともなく見ていた。
海から吹く潮風。
四月も終わりに迫り初夏が近づく季節だが、日が落ちると少し肌寒い。
不意に、雫がぽつりと呟く。
「・・・・・・楽しいなぁ」
彼女の横顔に目を向けた恵。
雫の表情は相変わらず笑顔だった。
先ほどまでとは違い、この時は穏やかな微笑みではあったが。
「今日は、結局何だったの?」
「言ったでしょ? 普段とは違う特別なことをする。ループの対処法だよ」
「うーん、でも、こんなことでいいのかな・・・・・・」
「いいんじゃないかな。怖い未来人に襲われるくらいなら、楽しいことした方がずっといいよ」
雫は片膝を抱えて顎を乗せた。
視線はどこかぼんやりとして、声も落ち着きを取り戻していた。
「・・・・・・私、憧れてたんだ、こういうの」
「映画観て、買い物して、海で遊ぶこと?」
「うーん。なんていうか、楽しいこと、かな」
雫は水平線から目を逸らさず、迫りくる夜の空を見続けている。
「私ね、小学校では友達いなかったんだ。六年生の終わりに親の仕事で引っ越すことになって、中学校は本当に誰も知らないところに来ちゃったの」
雫は恵に話していたが、それは独り言のような、言葉を差しはさむことのできない語りだった。
「もともと友達作るのも上手じゃなかったけど、それでも友達は欲しかった。一人でいいやって、寂しくない、なんて全然思えなかった。いつも教室の自分の席に一人でいて、周りの楽しそうな声を聞いてるだけの毎日は、つらい」
恵は雫の語る状況を想像した。
これまで自分には友達がいたが、もし彼らがいなかったら?
いつも一人でいることになったら?
ただの想像で、恵の胸は重く沈んだ。
「だから憧れてたの。本で読んだ楽しい学校生活。友達と一緒に下校して、寄り道して、たまに学校をサボっちゃって。それから、一緒に映画を観たり、お買い物したり、ご飯食べたり、海で遊んだり」
雫は現在の楽しさを伝えるように明るく話している。
だが恵にはそれが空元気に思えてならなかった。
恵は無言で話を聞いた。
「今はね、毎日が楽しいの。明日は神野くんと何しよう、どこ行こうって、夜寝る時にワクワクしてる。もう、明日が来ることが怖くないんだ」
「だから、ループしたままでいいって?」
恵は我慢できず口を挟んだ。
雫に感じていた不安が、はっきりと捉えられた気がした。
「・・・・・・んー。いつかは抜け出さなきゃいけないんだろうけど、急がなくてもいいかな、みたいな? こういうシチュエーションの物語も読んだことあるけど、思ってたより怖くないし」
恵は雫の心がループを受け入れていることを確信した。
このループ現象の原因である彼女が現状を受け入れてしまえば、ここから抜け出すことが出来なくなる。
焦りを感じた恵は、雫に振り向いて言い聞かせた。
「友達が欲しいなら俺がなる! これからも一緒に遊ぶから、だから! ちゃんと抜け出す方法を考えてよ!」
「えっ? う、うん、神野くんとは友達だと思ってるけど・・・・・・。急にどうしたの?」
「だから、黒川さんがループを受け入れちゃったら││」
その時、雫の背後、海岸沿いの道路の反対側に男が立っているのが見えた。
棒立ちの男はまっすぐ恵を見ており、顔は頬を無理矢理に引き上げられたような歪な笑み。
「――っ! その、いや、なんでも、ない・・・・・・」
「ん~? ・・・・・・まぁ、いいや」
きょとんと首を傾げた雫。
すぐに気を取り直して、立ち上がり大きく伸びをした。
「んん~、っはぁ。もう私のお金も少なくなっちゃったし、今日は帰ろうか。明日はもっといっぱいお金持ってこなきゃ」
自分のカバンを持ち防波堤から飛び降りる雫。
歩道に着地して、恵に笑いかける。
「明日はもっと遠くまで行ってみよう? お泊りとかもしてみたいね!」
「・・・・・・うん」
道路の反対側、そこに立っていた男はいつの間にか消えていた。
空はすっかり夜の色で、ほのかに星明りが見えた。
潮風は冷たく、恵は身震いした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます