第30話 ~七回目~ 雫の誘い

 午前七時。四月二十四日。七度目。

 恵は目覚まし時計のアラームが鳴る十分前には目を覚ましていた。

 スマホの日付を見て、繰り返していることを確認し、窓の外へ目を向けた。

 外には白い猫が行儀よく座って恵を見ていた。

 尻尾を揺らしていなければ置物と見間違えるような、無機質さ。

「おはよう、恵。七度目の今日だ。目覚めの気分は如何かな?」

「・・・・・・おはよう」

 素っ気なく返事をして立ち上がった。

 身支度を整えながら、ぶっきらぼうに言葉を放つ。

「今日も黒川さんと一緒に動く。俺は俺で、自分で動く。着いてくるなよ」

 そう言い捨て、制服に着替えた恵は部屋を後にした。

 アルジャーノンは何も言わず、ただ彼を目で追っていた。


 上原江第一中学校。昇降口。

 いつも通りの時間に登校した恵は、自分の下駄箱の前で待ち構えていた雫を見つけた。

「おはようっ、神野くんっ」

「あ、う、うん・・・・・・。おはよう、黒川さん・・・・・・」

 朝の挨拶をした雫は、昨日別れる前、ゲームセンターの前で見せた時のような満面の笑顔を見せていた。

「機嫌、良さそうだね」

「うんっ! 昨日のこと思い出したら、こう、わーってなっちゃって」

「わー・・・・・・?」

「うん、わー、って! えへへ」

 楽しそうに話す雫が、しかしその勢いを抑えた。

「・・・・・・でも、昨日神野くんが取ってくれたクッションは、朝になったら無くなっちゃってた・・・・・・」

「あ・・・・・・。そうか、ループしたら最初の状態に戻っちゃうのか。その、ごめん・・・・・・、気付かなかった・・・・・・」

「う、ううん! いいの! 昨日のことは覚えてるから、それだけで嬉しいよ!」

 雫はそれが嘘ではない様子で、再び頬を緩めてにやけ始める。

 恵は彼女のその姿に若干引きぎみで、曖昧な笑みを浮かべていた。

「あっ!」

 雫は我に返ると、恵に一歩近づいた。

 身体を密着させて、小声で耳打ちする。

「・・・・・・そ、それでね? 今日のこと話したいんだけど、できれば今すぐ校舎裏に来れる?」

「今すぐ? そんな急なの?」

「うん。ちょっと、考えがあって」

 雫が少し離れて、見上げてきた。

 小動物のような上目遣い。

 昨日も見せた、怯えと期待が込められた視線。

「・・・・・・ダメ?」

「う・・・・・・、うぅ・・・・・・」

 恵はそわそわと落ち着かない気持ちを自覚し、雫の視線から逃れようと彼女の身体を離して、顔を背けた。

「・・・・・・うん、わかった。朝のホームルームまでに戻れればいいから」

「うんっ! 行こう!」

 顔を輝かせた雫は、自然に恵の手を取って、そのまま校舎裏へと向かう。

 恵は彼女の手の柔らかい感触に再び落ち着かない気持ちになるが、意識をループ現象に集中させて、その気持ちの正体について考えることをやめた。


 校舎裏は朝でも日が射さない。

 南側には特別教室棟、北側にはフェンスとその先の雑木林がある。

 雫はその雑木林につながるフェンスに歩み寄ると、いとも簡単に網目状のフェンスの一部を取り外した。

「えぇっ!?」

「ふふ、ビックリした? 今朝早くに学校に来て準備してたの」

 雫は取り外したフェンスを手に持ってはにかんでいる。

 フェンスの網目には切断された跡があり、身を屈めて通れるくらいの大きさの穴が空いていた。

「通り終わったら、フェンスを元に戻して針金で固定すれば大丈夫! ね? ちょっと見ただけじゃわからないでしょう?」

「すごいけど・・・・・・、これで何するの・・・・・・?」

「・・・・・・学校、サボっちゃおうよ」

「え?」

 雫は上機嫌な、無邪気な笑みを浮かべていた。

 恵は彼女のことを浮き沈みの激しい性格と評したが、この彼女はまさに浮いていた。

 ウキウキと、浮足立っていた。

「昨日もここで話したでしょ? ループへの対策。普段はしないような、特別なことをする、って」

「そ、それで学校をサボるの? そんなの、意味あるのかな・・・・・・」

「もちろんただサボるだけじゃないよ。大丈夫、ちゃんと考えてるから」

 身を屈めて先に穴を潜り抜けた雫。

 唖然としている恵に向かって、フェンスの向こうから手を差し伸べる。

「ほら、行こう!」

「あ、えっと・・・・・・」

 雫の行動力に戸惑う恵。

 数瞬ためらうが、それでも彼女の誘いに応じることを決めた。

「・・・・・・わかった、行こう」

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