第22話 ~五回目~ 戸惑い
そして放課後。
すべての授業とホームルームが終わり、クラスメイトたちが続々と教室を出ていく。
その流れの中、雫もまた席を立ち、しかしそこでちらりと恵へ視線を向けた。
「・・・・・・・・・・・・」
恵ももちろん彼女を見ていた。
互いに視線が合ったことを確認し、それだけで事を済ませた。
雫が俯きがちの姿勢のまま教室を出て、それを見て恵もまた立ち上がった。
「そんじゃあ、俺も帰ろうかな」
「あいよー。俺は用事あるからもうちょっと残んなきゃ。明日は帰り、どっかで遊ぼうぜ」
「おう、明日な。じゃな、けんち」
「じゃーなー、じんじん」
恵が廊下に出てみると、階段近くの壁際で雫が待っていた。
彼が現れたのを見ると、また素知らぬふりで歩き始めた。
(着いていけばいいのかな?)
着かず離れずの距離で追いかける恵。
そのうちに、彼女が目指している場所が分かった。
(あぁ、昼休みの校舎裏か)
校舎の角を折れて裏へ回り込むと、壁を背にして佇む雫の姿がそこにあった。
現れた恵に振り向くと、はにかむように口の端を上げた。
「あぁ、良かった。来てくれた」
「黒川さんが言ったんだろ? 続きは放課後に、って」
恵も彼女に倣って壁に背をつけた。
二人とも視線は合わせず、地面や空に向けて、ポツリポツリと言葉を吐き出した。
「・・・・・・本当は、結構不安だったんだ。神野くんお昼にはああ言ってくれたけど、実は私に話を合わせてくれただけなんじゃないか、って」
(あぁ、そっか。黒川さん的には、俺が嘘ついてるっていう可能性もあったのか)
「そこまで頭が回らなかった、っていうのが本音かな。黒川さんは気づかなかったみたいだけど、実は俺、かなりパニクってるんだ」
「あ、その・・・・・・、私こそ、ごめんなさい。神野くんだって大変なのに、疑ってかかって・・・・・・」
「・・・・・・まぁ、普通は黒川さんみたいに考えると思うよ。俺だって、味方がいるなんて考えてもいなかったし」
俯いて眉尻を下げている雫に対して、恵は心にもない賛意を示した。
恵にしてみれば、そもそもループという現象自体が埒外であるのだから、この状況で落ち着いていられる彼女こそおかしい人間、とそのように考えていた。
しかし恵はその考えを表に出さない。
今は憧れの主人公になれているかもしれないのだ。
「それじゃあ黒川さん、覚えてることをお互いに確認してみようよ。ループを経験してるって証明になるし、気づいてなかったことに気づけるかもしれない」
「あ、そうだね! そうしよう!」
雫は嬉しそうに顔を輝かせて賛同した。
そして目を瞑り、真剣な様子で唸る。
「えっとぉ・・・・・・。私、朝は必ず遅刻ギリギリだよね。これは、一応出来る限り同じ行動をとった方がいいかなって思ってたからなんだけど」
「うん、やっぱりそうだよね。俺も最初は色々試してたんだけど、結局同じような一日になっちゃってたし、結構行き詰ってたんだよな」
「え、あれ? でも神野くん、朝私に話しかけるの最初以外やってないよね?」
(朝、黒川さんに話しかける? それって、確か・・・・・・)
雫の言葉に記憶を振り返る恵。
だが彼もまた怪訝な調子で彼女に問い返した。
「いや、あれは二回目の時だったよ? 特に変化が起きないしちょっと恥ずかしかったから、その後からはもうやらなかったんだ」
「二回目? ・・・・・・うん? そうだったかな?」
雫は納得していない様子だが、とりあえず疑問は脇に置くことにしたようだった。
「まぁ、いっか・・・・・・。えっとそれから、お昼までは普通に授業受けてるよね。私に話しかけてくれるようになったのは、今回が初めてで・・・・・・」
彼女の声が尻すぼみで小さくなっていった。
恵が目を向けると、彼女は俯いて、その長い髪で表情は隠されていた。
しかし耳を隠していた髪が顔前に垂れ、表に出た耳は湯気を出しそうなほど真っ赤になっていた。
(耳が赤い? これはあれかな、漫画とかでよくある照れてる様子、かな? 何に照れてるんだ?)
恵は首をかしげるが、特に追及はしない。話を先に進めた。
「まぁ確かに、授業中に何かイベントがあれば別だけど、普通の授業中だったら無理に行動を変える必要はないよね」
「う、うんっ、そうそう! 物語の焦点というか、ポイントになるところが重要なんだよね。タイムリープものでも、やっぱりそういうところがセオリーみたいな」
「あ、黒川さんそういうのわかるんだ?」
「わ、分かるってほどじゃ・・・・・・。ちょっと好きなだけだし」
言葉では否定する雫だが、口元は緩み、声も弾んでいた。恵も似たような表情になっていただろう。
好きなものが共通することは、ある種の幸福感を覚えるものだ。
「ほ、本当は今ってすごく大変な状況かもしれないけど、つい思っちゃうんだ。・・・・・・今まるで、私が物語の登場人物みたいだな、って」
「うんうん、わかるよ。正直、ちょっと楽しんでる時あるもん」
「ふふっ、そうだよね。私も一瞬だけ考えちゃった」
雫は視線を空に向けていた。
その言葉を言う彼女の表情を恵が注視していることは、気づいていない。
「このままずっと繰り返してたらいいのに、って・・・・・・」
恵には表情から心情を読み取る力などない。
しかし、彼女のその表情はあまりにも本心をそのまま表しているように見えて。
ループ現象を歓迎する気持ちの存在を彼女が認めているように思えて。
恵は内心で覚悟を決めて質問を投げた。
「確かに、ループから抜けて自分が死ぬ未来に行くのは、嫌だもんね」
恵の言葉に、雫は数秒固まっていた。
やや経ってから、眉をひそめて首をかしげた。
「・・・・・・え、死ぬって? どういうこと、神野くん?」
彼女のその反応は、恵の予想のうちであまり望ましくない方のものだった。
「・・・・・・えっと、このループから出たら、黒川さんは今日の放課後、教室で大量に血を流して倒れることになる。俺が十八時前に、だいたいあと一時間後くらいに教室でそれを見るんだ」
「え・・・・・・、う、嘘・・・・・・。だ、だって、今までそんなこと、起きてない、よ・・・・・・?」
「うん。最初の一回目以降はその時間に黒川さんが倒れてることはなかった。でもループからも出られてない」
雫の身体は震えていた。
彼女は自身の身体を抱きしめるようにしていた。
俯いて露になった彼女のうなじに、汗が溜まっているのが見えた。
「嘘、嘘だよ・・・・・・。神野くんは午前中まで何事もなく過ごして、お昼に飯野さんから頼まれごとをして、音楽準備室で二人っきりになって、それからちょっとあの子を意識しちゃうんだけど結局何も起きなくて、放課後に先生から図書当番の代わりを頼まれて、優しい神野くんはそれを引き受けちゃって、図書室でもいきなり手伝いを頼まれるのに困った顔するだけでいつも引き受けちゃう神野くんはすごく優しいからあなたをずっと見ていたくてでも遠くから見てるだけで良かったのに話しかけてくれてすごくすごく嬉しかったのに」
「黒川さん? 黒川さんっ! どうしたのっ!?」
恵が彼女の肩を揺すると、雫はハッとした表情で顔を上げた。
恵の方に顔を向け、瞳の焦点がゆっくりと彼に絞られていく。
「・・・・・・あ、神野くん。ご、ごめんなさい」
「いや、大丈夫。気にしないで」
(今のはどういうことなんだろう? もしかしてこれまでも、ずっと俺を見てたのか? 黒川さんのキャラは、つまりヤンデレ・・・・・・?)
恵は彼女の呟きをしっかりと聞いていた。
彼にとって雫が警戒に値する危険人物となったが、それは表情に出さないよう必死に努力した。
顔が引きつっていないか、恵はそのことにだけ意識を集中させた。
「えっと、黒川さん、疲れてるのかな。最後に一つだけ確認させて? それが終わったら今日はもう帰ろう」
「う、うん。なに?」
「今は、何回目の『今日』?」
問われた雫は虚を突かれたように目を見開き、記憶を振り返るためまぶたを閉じた。
「えっと・・・・・・、四回目、うん四回目だよ」
「それは、間違いない?」
「うん。最初の一回目、神野くんが色んなお願いを断ってた二回目、放課後に常盤くんと楽しそうに話してた三回目、それから、私に構ってくれてる今の四回目」
恵の確認に、指折り数えて答える雫。
恵は、深くため息をついた。
「・・・・・・うん。わかった、大丈夫だ」
「え、えっと、大丈夫? 私、変なこと言ってた?」
恵の態度に不安げな雫だが、恵は作り笑顔で誤魔化した。
「ううん、黒川さんは間違えてないよ。俺も、ちょっと疲れたなって思っただけだから」
「そ、そう?」
雫はまだ不安げにおろおろしていた。
恵はことさら明るい調子で彼女を促す。
「ほら、今日はもう帰ろう。明日からは色々試してみなきゃ。黒川さんもやること考えといてよね」
「あ、あっ、うん、分かったよっ。あのっ、あのっ、あんまり急かさないで~・・・・・・」
夕陽が雲を朱色に染めていた。
東の空から濃紺が迫り、空には紺と朱がせめぎ合い、束の間、幻想的な極彩色が展開されていた。
一匹の白猫が背筋を伸ばして、校門の柱に座りその空を見上げていた。
その横を通り過ぎて、恵と雫が校舎を後にした。
校門前で別れて恵は一人、家路についた。
彼の後を追う形で白猫が着いていった。
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