第16話 ~四回目~ アルジャーノンという未来人

「ふむ。つまり君の考えでは、常磐健一はループに関わっていないと」

「うん。多分」

 学校からの帰り道、恵とアルジャーノンは今日の出来事のまとめを話し合っていた。

 恵の通学カバンから顔を出したアルジャーノンは、恵の歩みに合わせてピンと伸ばした髭を揺らしていた。

 時間は十八時を少し過ぎた頃。

 健一と会話していた途中、担任からの依頼を受け、図書当番の代行を引き受けた。司書教諭からの追加依頼もこなし、記憶の通りに職員室での謎の説教も受けきって、今はその帰り道だ。

 住宅街の細い生活道路。恵の家までの一本道。

 車通りも人通りも少ないこの時間帯は、男子中学生と猫が会話しても誰も咎める者はいなかった。

「もしこれでけんちが犯人だったら、俺はあいつとの友情を考え直すよ」

「君の所感は把握した。私からは判断しかねる。明日が来るか否か、結果を見る他はない。だが・・・・・・」

 数秒ほどの沈黙。

 淀みなく言葉を紡いでいたアルジャーノンが言葉を止めたことに恵は疑問を抱き、先を促す。

「だが?」

「・・・・・・常磐健一の考え方は、ユーモラスだ。過去を変える必要はなく未来をこそ変えたい、というその視点は我々には無いものだ」

「んー、そう? 俺は普通にわかるけど」

「それは未来の存在を確信している者の考え方だと判断する。肯定的にせよ否定的にせよ、未来は在ると考えているからこそ生まれる思考ではないだろうか。どんな未来を迎えるにせよ現在からは変化している、と考えている。・・・・・・それは、我々には無い考え方だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 アルジャーノンの言葉に、恵は何も言えなかった。

 未来は在ると考えられない。

 そう言ったこの未来人が、自分とは決定的に違う世界で生きていると思ったから。

 彼の住む世界は、自分では想像もつかないほど過酷な世界ではないかと、その程度の感想しか浮かばなかったから。

 猫の表情など読めず、ましてや心情など推し量りようもない恵だが、それでも話題を変える必要を感じたので、ことさら明るい口調を作った。

「そういえば気になってたんだけど、あんたたちって禁則事項とかないの?」

「禁則事項、とは?」

「あー、ほら、過去の人に話しちゃいけない情報とか、えーっと・・・・・・、なんか、未来の技術は話しちゃダメ、みたいな・・・・・・」

 思いつきの質問でしどろもどろになる恵。

 しかしアルジャーノンは意図を理解したようで、今度は淀みなく質問に答えた。

「情報開示の制限という意味では、もちろん存在する。過去時間への干渉により想定以上の時間流の変遷が起こることは避けねばならない」

「でも、あんたから結構色んなこと聞いてると思うけど」

「情報開示は制限内に留めている。むしろ問題の解決に向けて協力するには、積極的な情報共有が求められる」

「そうなんだ・・・・・・。思ってたより厳しくないんだな」

「我々のガイドラインでは、制限される情報とはすなわち当事者の直接的な先行情報だ。例えば、君が将来就職する企業名や婚姻する相手の素性、君が存命中にこの国の政治がどのように推移するかといったようなものだ」

「あー、あぁ、うん。わかった。つまり、俺にとって遠い未来の話なら言えるわけだ。たとえば、百年後には日本が沈没してるよ、みたいな」

「現時点から百年後程度では制限情報だ。君には話せない。だがその理解で概ね正しい。制限される情報とは、我々と対象との時間的距離の長短で決められる。距離が長ければ制限は少なく、短ければ制限は多い」

「・・・・・・じゃあ、これは聞いてもいいことなのかな?」

「何かね?」

「あんたが住んでる時間、いや世界ってどんなの?」

 再び、沈黙。

 だが恵はこの沈黙は先ほどの重苦しい沈黙とは別物であるように感じていた。

 ただ、答えをまとめているだけのようなものだと。

「・・・・・・その質問への回答は必要か?」

「あ、言いたくないなら、いいけど」

「では回答を避ける」

 にべもなく言う白い猫。

 未来から来た彼は、心なしか表情を緩めて、笑っているように見える顔で堂々と言った。

「制限されていない情報、かつ現時点で伝えていない情報。これはすなわち君個人には無関係の情報ということだ。話したところで意味が無ければ、話す必要はない」

「・・・・・・あ、はははっ! なんだ、あんた意外と人間らしいとこあるんだな!」

 本当におかしそうに、恵は笑った。

 誰もいない住宅街の小道に、笑い声が大きく響いた。

「それってつまり、どうせ言ったって分かんねえだろ、ってことだろ? ははっ、それじゃあしょうがないわ。はははっ」

「君が喜んでいる理由が不明だ。また、先ほどの私の回答から人間らしさを感じ取った理由も不明だ」

「はは、はぁ・・・・・・、そういうとこだよ。堅苦しい言い方ばっかで、なんか機械みたいなヤツだと思ってた。でも、どうせ無駄だからしない、なんてめんどくさがるのはすげえ人間っぽいわ。なんかあんたの素が見えた気がした」

「・・・・・・ふむ。面倒くさがることは人間らしい、か。その意見は参考になる。感謝する、恵」

「なんの感謝だよ! はははっ」

 通りの先に自宅が見えるまで、恵は楽しそうに笑い続けていた。


 帰宅した恵は、アルジャーノンをカバンに隠したまま自室に上がった。余計な面倒ごとを避ける為、この猫の存在は両親も含め隠すつもりなのだ。

 自室でアルジャーノンをカバンから出すと、彼のいた小さな空間に抜け毛がごっそり溜まっていたことに驚愕した。

「うわっ、猫ってこんな毛が落ちるんだ・・・・・・。あぁっ待った待った! 動くな! っつーか部屋に置けないわ。んー・・・・・・、外しかないか」

 窓を開け、そこから続いている一階部分の屋根上にアルジャーノンを降ろした。

「とりあえず、ウチではここにいてくれ。誰かが見ても野良猫だと思うだろ。あと、鳴き声は出さないこと。俺と話す時はできるだけ小さな声でな。教室の時みたく」

「了解した」

 家での彼の扱いを決め、夕飯や入浴を済ませ、そして恵はベッドに寝転がった。

 照明を消した室内。

 月明りだけが照らすベッド上で、細く開けた窓の向こうにいるアルジャーノンと恵は会話する。

「・・・・・・なぁ、アルジャーノン。これでループは終わると思う?」

「終わることも考えられるが、私は、まだ終わらないと予測する。現状ではループを起こしている者への介入が不足だ」

「うん。じゃあ、残りの候補の黒川さんが犯人かも、ってことか」

「そう判断する」

「まぁ、そうだよなぁ。・・・・・・最初の時に、すごい怪我してたしなぁ。やり直したいって考えて、タイムリープ起こしても、おかしくないよなぁ・・・・・・」

「あくまでも現状では候補者の一人だ。黒川雫が原因でなければ、対象範囲を広げて再試行する」

「うん・・・・・・、でも、なんか・・・・・・、引っかかる、っていうか・・・・・・、なんかな・・・・・・」

 そして、恵の意識は閉じていった。


 カーテンが夜風に揺れる。

 窓の外、恵を見つめるアルジャーノンの瞳が輝いていた。

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