第8話 ~二回目~ ありふれた結末

 それからの出来事も恵の記憶にある通りだった。


 ――飯野は昼休み以降、俺に接触しなかった。

 結局、飯野は何がしたかったんだろう?――


 ――けんちから飯野の悪い噂を聞いた。

 噂をどこまで信じればいいんだろう?――


 ――担任から図書当番の代行を依頼された。

 缶ジュース一本で済むと思われたら嫌だな――


 ――図書当番は遅くまで長引いた。

 頼めば何でも受けると思われてるのかな――


 十七時五十分。

 図書当番の代行を終えた恵が、教室の扉の前で立ちすくんでいた。

 夕暮れの陽が射しこむ教室の扉が、嫌な記憶を呼び起こす。

(この中に、黒川さんが、いる・・・・・・)

 黒と赤の情景が蘇り、瞬間、吐き気を催す恵。

(ダメだ・・・・・・、堪えろ・・・・・・。本当に黒川さんがいるなら、助けないと)

 震える手でゆっくりと扉に触れる恵。

 緊張のせいか、扉がやけに冷たく重く感じる。

(主人公なら、ここで逃げたりしない・・・・・・。もしかしたら今、物語が始まってるかもしれないんだ・・・・・・)

 息を止めて、目を閉じて、懸命に力を振り絞る。

 がちがち。

 がちがち。

 自分の歯が擦れる音が聞こえる。

(俺は、主人公に・・・・・・、なるんだ!)

 勢いよく扉を開いた。

 震えながら、ゆっくりと、目を開く。

 教室は、赤かった。

 そして、黒い影はなかった。

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 自分の席、通学カバンが取り残された机に近寄る恵。

 教室後方の床を見ても、何もない。

 ただ、夕陽の赤が床に広がっているだけだ。

「・・・・・・な、なんなんだよぉ・・・・・・」

 一気に全身から緊張が抜け、恵は床にへたり込んだ。

 安心から、目尻に涙が浮かぶ。

「はは・・・・・・、はぁ、良かったぁ・・・・・・」

 放課後の教室に一人座り込む恵の姿を、廊下から、覗いている黒い影があった。

 影は音もなく消えていく。


 帰宅し、恵は制服のまま自室のベッドに腰をかけた。一階では母親が夕飯の支度をしているところだ。

 昨日の出来事と今日の出来事を思い返す。

 下校中、繰り返し考えて一つの解答を出した。

(もしかして、昨日のことは夢だったのかな?)

 考えてみればそれが一番現実的な結論であるように思う。

 放課後の教室で女子生徒が倒れていた翌日に、何事もなく日常が続くはずがないのだ。

(今日起きたことが記憶にあるのだって、なんか、デジャビュ? っていうやつなのかもしれない。うん)

 つまりは自身の脳が起こした錯覚。

 気のせいであるという結論。

 自分で導き出した答えに、恵は歯噛みした。

(なんだよ。結局そんなことだったのかよ)

 健一に揶揄された通り、恵は『主人公になりたい』という欲求を持っている。

 夢というほど前向きでなく、目標と呼べるほど現実的ではないものだ。

 しかし日々強くなる憧れや焦燥感のような感情は、確かに彼の中にあるのだ。

 物語の主人公は輝いて見える。

 どんなにくだらない物語でも、嫌になるくらい現実的な物語でも、彼らの生き様に心惹かれるのだ。

(それに比べて、俺の毎日はありふれてる。特別なことの無い日常)

 その中で自分は主役にもなれていないという事実。

 それが恵にとっては苦痛なのだ。

(ちょっとだけ期待したんだけどな。タイムリープとか、異能力の覚醒とか)

 しかし、彼にだって理解できる。現実は非情である。

 自分が生きているのは現実で、フィクションの世界は誰かの作り物で、自分の抱えている欲求は俗に言う思春期の病で。

「・・・・・・あぁ、なんか疲れた。・・・・・・もう、いいや・・・・・・」

 そして、恵の意識は閉じていく。

 薄く開いていた視界が、ゆっくりと閉じていく。

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