第3話 ~一回目~ 初めての接近

 教室棟から渡り廊下を越えて特別教室棟へ来た恵と飯野。

 特別教室棟には音楽室や理科室などの他、空き教室もいくつかあり、文化部の部室としても使用されている。日中の授業時間中は生徒に用のない場所で、教室付近とは違い静けさが満ちている。

 音楽室の横、音楽準備室の鍵を開け、棚を眺めて楽譜を探す二人。

「楽譜って、なんのやつ?」

「シューベルトの『ます』だって。ダンボールに入ってて外側に書いてある、って聞いたけど・・・・・・」

 ます、ます、と声に出しながら探す恵の横で、飯野が声を上げた。

「あ、あった! ます!」

「え? あ、あぁ、それか・・・・・・」

 ダンボールは恵が通り過ぎた場所、恵の顔くらいの位置にあり、側面には『シューベルト』、『鱒』と黒のマジックで大きく書いてあった。

「あはは、これじゃますって読めないよねー」

「でも、飯野は読めたみたいだし。さすが学級委員、頭いいんだな」

「そ、そうかなぁ。私、学級委員っぽく見える?」

「うん。眼鏡とか、その三つ編みとかいかにもだし、授業でもいつも正解してるしさ」

「そっかぁ・・・・・・。へへへ、私、学級委員っぽいかぁ・・・・・・」

 照れるように笑みを浮かべて三つ編みの先をいじる飯野。

 恵は彼女の態度に首をかしげるが、ダンボールを動かそうと手をかける。

「ん。あれ、けっこう重いな・・・・・・、ん、んんっ」

「あ、私も手伝うよ」

 ダンボールを引っ張る恵に飯野が手を貸す。

 なぜか恵と同じ場所を掴み、身体を密着させてきた。

「い、飯野?」

「ほら、力入れて神野くん・・・・・・、んっ、んっ」

 飯野の柔らかい身体と柑橘系の香りが恵に押し当てられた。

 それらを意識しないように、恵はダンボールに集中していた。

「あ、もうちょっと・・・・・・、と、お、おおっと、っと」

「えっ、ちょ、飯野!?」

 ダンボールの重さによろける飯野。バランスを崩して後ろに倒れる彼女の下敷きになる形で、恵ともども準備室の床に倒れた。

 楽譜の入ったダンボールは横に投げ出され、角が少し歪んでいるが壊れてはいない。

 仰向けになった恵の胸の上では、飯野がうつ伏せで身体を預けていた。

「い、飯野? 大丈夫?」

 恵の身体の上で飯野が身じろぎをした。

 彼女の柔らかさに恵の身体は硬直する。

「っ!?」

「神野くんはさ、どうして今日、手伝ってくれたの?」

「え、だってそれは、飯野が頼んできたから・・・・・・」

 動けない恵の上で身体を滑らせ、飯野が顔を寄せる。

 恵には、彼女が微笑んでいるように見えた。

「本当にそれだけ? あの頼み方だったら、他の人でも良さそうじゃない?」

「いや、だから、お前が頼んできたんじゃん・・・・・・」

 更に顔を寄せる飯野。

 互いの吐息が感じられるほどの距離だった。

 彼女の瞳に写る自分の顔すら見える段階になって、この状況がおかしいことに恵は気付く。

「私が、頼んだから? 私だったから?」

(なんだ? なんだよこれ? 飯野が俺にすり寄ってる? え? なんで?)

 混乱する思考で恵が思い浮かべるのは、この場で自分がどう行動するのが最適かということ。

(これは、飯野が何かの理由で俺を惑わそうとしてる? ドッキリみたいな? それとも本当に自分の意思で俺を誘ってる? どっちにしても、もし俺が主人公なら、ここは・・・・・・)

 徐々に近づく飯野の肩を掴み、自分の身体から引き離す。

「い、飯野! 駄目だ、こういうのはちゃんと・・・・・・」

 その時、予鈴が鳴り二人の動きが止まる。

 恵の胸に手をつき、身体を離して立ち上がる飯野。制服の乱れを直し、恵に普段通りの笑みを向けてくる。

「昼休み終わっちゃいそうだね。早くこれ持って行こう?」

 床に放り出されたダンボールから楽譜を取り出し、飯野は音楽準備室を出る。

 その背中を目で追って、恵は呆気にとられていた。

「・・・・・・な、なんなんだよぉ・・・・・・」

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