第2話 ~一回目~ 神野恵という少年

 上原江かみはらえ市立上原江第一中学校。

 一年C組の教室に入る恵。

 クラスメイトがまだまばらな中、自分の席の前にはすでに友人が座っていた。

「はよー、じんじんー」

「おーす、けんち。今日は早いじゃん」

 恵の小学校からの友人、常磐ときわ健一けんいち

 染色ではない自然な茶髪と白い肌、濃緑の瞳、鼻筋の通った彫りの深い顔は、イギリス人である彼の祖父から受け継いだものだ。

 整った容姿と明るい人柄で女子からの人気が高い彼だが、その人気も彼の趣味によってやや陰を落としている。

「いやー、実は寝ないでそのまま来ちゃったのよ。ハラ☆キルのブルーレイボックスが俺を離してくれなくて」

「あー、アニメ? 明日からにすればいいのに。明後日から連休になるし」

「昨日届いてさー、開けたら観たくなるじゃんー、観始めたら止まらないじゃんー」

「わかったわかったよ。それでいつも通り登校するお前はすごいと思うよ」

 苦笑いを浮かべる恵に、健一は両手の平を上に向けて肩をすくめる。健一が最近お気に入りの『日本人が思い浮かべる外人の行動パターン』の一つだ。

「やでもさー、鏡見たら目の下のクマすげーの。ほら写メったんだ、見て見てー」

「うわ怖。え、でも今は全然普通じゃん」

 親指を立て、歯を見せて笑顔を浮かべる健一。

「姉ちゃんに化粧してもらった。ファンデーション、だってさ」

「はぁ、そこまですんの? やるなー」

 教室にクラスメイトが増えてきて、段々と賑やかになる。

 他の友人たちもやって来て、恵は朝の挨拶やゴールデンウィークの話題で時間を過ごしていった。


 担任がやって来て朝のホームルームが始まる。

 名前を呼ばれて出欠が確認される中、一つだけ空いている席がある。

「落合ー」

「はい」

「小野寺ー」

「うぃーす」

「香住ー」

「はーい」

 その時、教室の後ろ側の扉が開かれた。

 入ってきたのは、長い黒髪をまっすぐ腰まで伸ばした女子生徒。

 色白の肌に黒い学生服が合わさり、襟に着けられた学校指定の赤いリボンだけが浮いている。

「お、黒川くろかわギリギリだな。まぁ、点呼前だし今回はいいや。次から気をつけろよー」

「・・・・・・すいません」

 細い身体にふさわしく、小さく、聞こえるか聞こえないかの声で返事をして自分の席に着く少女。

 その席の左斜め後ろに座る恵は、なんとなく彼女の姿を目で追っていた。


 昼休み。

 給食を片付けた恵は、自分の席で健一を含む友人数人と話をしていた。

「黒川さんってさ」

「え、なに?」

 恵の唐突な呟きに健一が反応する。

「あー、いや。黒川さんさ、ギリギリに来るの珍しいなって。なんかあったのかな?」

「黒川さん? えーっと・・・・・・、あぁ! 黒川くろかわしずくさんね。あの大人しい子。あの子からはまだ告白も遊びの誘いももらってないんだよなー。シャイなのかな?」

 冗談めかした健一の言葉に友人の二人、坂戸さかど若葉わかばが反応する。

「おいおいー、今のはいただけないなー。イケメン罪で逮捕だぞー?」

「オタクでもイケメンは許さねぇぞー? おらおらー」

「わああぁ、タンマタンマ! 脇腹はムリだって、あははは!」

 健一の脇腹を突っつく二人をよそに、自分の席で突っ伏して寝ている雫を見ながら話を続ける恵。

「黒川さん、いつも朝早いイメージだったから、どうしたのかなってさ」

「えー? なに、じんじん好きなの? 黒川さんのこと」

「いやっ、違う違う! 気になるだけだよ! いつものクラスメイトが、珍しいことしだしたら、ほら・・・・・・」

「あー、はいはい。物語が、ってやつ?」

「え? なになに、神野、何かあんの?」

 恵の様子に訳知り顔で納得する健一に、坂戸と若葉が興味を惹かれた様子で尋ねる。

「じんじんってさ、小五の春休みからかな? なんか『主人公になりたい』とか言い始めてね。何か大きなことが起きて、自分の物語が始まるのを待ってる、みたいなんだよね」

「はぁ? なにそれ?」

「超能力とか、異世界とか?」

「いや、まぁ、そういうのも期待してるけど・・・・・・、なんて言うのかな・・・・・・」

 腕を組んで首をかしげる恵。

 少し考えてポツリポツリと、自分の思考を言葉にする。

「普通に日常系のギャグ漫画とか、スポーツものとか、なんだったらラブコメとかでもいいんだよ・・・・・・。何かきっかけがあって、事件とかムカつく先輩とか可愛い女の子とか、とにかく何かがあって俺の物語が始まったらいいなって、そう、思ってて・・・・・・」

 恵の言葉に顔を見合わせる坂戸と若葉。

「わかんね」

「わかんね」

 二人とも首をかしげる。

 健一は困ったように眉根を寄せ、しかし口元には穏やかな笑みを浮かべて恵の気持ちに同意する。

「・・・・・・まぁ、じんじんの言いたいことはわかるよ。中学に上がって、新しい学校で、これから何か始まるんじゃないかって気持ちは俺にもある。じんじんが自分から色んなことに挑戦してるのも知ってる。でもさ・・・・・・」

 恵の肩に手を置く健一。

 窓から吹き込む風に彼の柔らかい髪がなびいて、恵はしばらく見とれてしまう。

「・・・・・・でも、それっていわゆる『中二病』なんじゃなーい!?」

「はぁっ!?」

 真面目な雰囲気から一転して、ニヤニヤと恵の肩を叩く健一。

「中一なのに中二病とかウケルー。プークスクス」

「おっ、前なぁ! マジメに話してんのに・・・・・・!」

 健一と恵のやり取りに混ざって四人で騒ぐ中、一人の女子生徒が近づき声をかけてきた。

「ねぇ、神野くん。ちょっといい?」

「え? あ、飯野いいの? なに?」

 声をかけた女子生徒、飯野は、フレームレスの眼鏡の位置を直しながら恵に微笑んだ。

「次、音楽なんだけど、先生から人数分の楽譜を音楽室に運ぶの頼まれてて・・・・・・、手伝ってもらえないかな?」

「え、あぁ、俺?」

 戸惑う恵に困った様子でため息をつく飯野。

 腕を組むと、制服を押し上げるほどの胸囲が更に強調される。

「今日の日直に頼もうと思ったんだけど、二人とも見当たらなくて」

「・・・・・・へ、へー。学級委員は大変だな・・・・・・」

 飯野の腕に乗る胸部をチラチラと見ながら、生返事をする恵。

 不意に、座る彼と視線を合わせるように飯野が前かがみになった。

 三つ編みに結った彼女の髪が身体の前にこぼれる。揺れる三つ編みと胸部に恵の視線が行ったり来たりする。

「ダメ、かな?」

「・・・・・・あぁ、まぁ、それくらいなら別に」

「よかった! それじゃ一緒に来て。音楽準備室ね。常磐くん達も教室移動遅れないようにねー」

 にっこりと微笑む飯野。明るい声を出して小さく飛び跳ねると、踊るように振り返って教室を出ていった。

 彼女を追って恵も教室を出るのを見送りながら、若葉がぽつりとこぼす。

「・・・・・・なに? あれが、モテ期ってやつ?」

「んー、どうだろうね。いよいよじんじんの物語が始まっちゃうのかな?」

 健一は意味深に微笑むが、彼が意味もなく微笑むことを知っている友人二人は一瞥だけ寄越して、ただため息をつくのだった。

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