4章 作り話のようなパープルバーベナ
1
日も暮れたアロベイン女学院高等部に於いては、外を出歩く生徒など通常であればほとんど存在しなかった。
寒い、四月の上旬だった。外で夜を明かすなんて、なんのメリットもない。そのことは、自室を与えられた生徒全員が、無意識にでも理解していた。夕餉の時間も過ぎている。あとはただ、風呂にでも入って、自室で趣味か自習かで時間を潰すか、さっさと寝てしまうか、そのくらいしか、この学校では許可していない。
そんなことは関係ない、とでも言いたげに、庭のベンチに一人で腰掛ける女。目の前のテーブルにはコップに入った温かい合成ハーブティが置かれている。その隣の水筒から注いだものだろう。
夜空が、捻り潰したくなるくらい綺麗だった。まるで、学園の悲劇なんてクソほども興味ないみたいに、いつもどおり遠くの方で輝いていた。
星がくっきりと、高い解像度を持って浮かび上がっていた。プラネタリウム室の設備でも、ここまでは再現できないだろうと女は、ハーブティを啜りながら漠然と思った。この星空は、もはや都会にいては体験できないものだった。それを追い求めて山奥に移住するには、いささか犠牲にするものが多すぎるのだが。
寮のすぐ近くにある庭、そこのベンチの居心地は、それなりだった。もともと寮生が好き勝手にくつろいだりしても良いとされる場所だったが、あまり利用者を見かけることはない。屋根がついていて、雨はしのげるけれど、ずっとここで勉強や現実逃避に興じたいとは思えない。ましてや夜のこの時間の、この気温だった。
なにも女は、好きでここに座っているのではない。
花壇が見えた。もちろんのことだが、花が揺れていた。園芸部の世話の賜物だろう。色も様々なものが用意されていた。一見すると、ただの堅牢な建物と、だだっ広い芝生しか印象に残らないアロベインに於いて、それらは基調な装飾品ではあった。もっとも、そんなことに興味を持つ生徒は、園芸部にしかもうほぼいないと言っても良いけれど。事実、彼女なんかは、花がどう咲こうが、枯れようが、間引かれようが、心底どうでもよかった。
寮の明かりはまばらだった。もう眠ってしまっている生徒もいるだろう。起こしてしまわなければいいけれど、と彼女はしなくても良い心配を一人で抱えた。
首を回すと森が見える。取り立てて説明するようなものでもない。
遅い。
すっぽかされたか。
その場合、これからどうしようか。先ほどまであったことを、どう処理していこうか。
頭の中でイメージしていこうと考えた瞬間に、足音が耳に触れた。
ベンチに座った女――蔵乃下しづは、カップを置いてそちらを向いた。
「遅いんですのね」
そこに現れたのは、
「しづ、どうしたの?」
本下藤子。新聞部部長。そしてその後ろには、池田が金魚のフンのようにあとを追いかけてきていた。
「こんな時間に呼び出して、何の用? 中で良くない?」
「いいえ、ここで話さなければならないんですの」
しづは微笑んだ。
「わたくし、新聞部にリークしたい情報がありまして。そこへ腰掛けてくれます?」
リークという言葉に、本下が弱いことをしづは知っていた。本下の表情が少し変わった。
「……何の情報?」
「柚木脇千鶴さんのことですわ。彼女の居所がわかりましたので」
「本当?」
「ええ。嘘だったら、わたくしのことを糾弾してくれても構いませんよ。ですが、記事を載せる際には、準・文学部とわたくしの名前も載せてくださいね? でないと、この話はわたくしがお墓まで持っていきますわ」
ハーブティを飲むしづ。本下に注ぐつもりはない。
本下は警戒しながらも、その条件を飲んで、しづの向かいに座った。池田は何も言わないで、不審な顔を隠しはしなかったが、そばに立つだけだった。
「……わかったわ。謝礼も払う。これでいい?」
「さすが本下さんはわかっていますわねえ……」
おほほ、なんて不気味な笑いをしづは浮かべた。
「早く話してよ。寒いんだから」本下は端末のボイスレコーダーを回した。「なんだってこんなところなわけ……?」
「盗聴の恐れがありますからね……さて、何から話しましょうか。ひとつ、事件についてわたくしの考えを聞いて欲しいんですけど」
「……なにかわかったの?」
「ええ……私の考えが正しければ、何から何まで、ですね……」
しづは咳払いをしてから、話した。
「まずは…………榎園セリカさんのことから話しましょう。彼女についてです。と言っても、わたくしとあなたの知っている榎園セリカさんのことではありません」
「どういうこと?」
「榎園セリカさんを名乗っていた女生徒。彼女の名前は……柚木脇千鶴、です」
「……意味がわからないわ。なりすましていたの?」
「はい。彼女はいなくなった大切な友人、榎園セリカさんを失った事実を認められませんでした。同時に尊敬の念も、相当強かったのでしょう。いなくなった彼女の代わりを、誰かが務めなければならない、そう思いました。立派でしたわ、彼女の演技は。いえ、演技と言ってはそれすら失礼です。彼女は、自分自身の記憶すら消し去って、榎園セリカになっていました。そして気付きます。自分には大切な友人がいたはずだと。柚木脇千鶴が思う榎園セリカ像なのですから、当然そう考えますね。彼女は、いなくなったわけでもない、もともとこの学校に存在していなかった柚木脇千鶴を探し始めました。ちょうど、奇妙なメールも発見しましたし、まあこれは後で説明しますけれど」
「じゃあ……本物の榎園セリカはどうしたの」
「亡くなっていました」
「え……」
「榎園セリカの自室で。すでに死体は腐っていました。今も、まだそこにあります。悪いと思いましたが、校長先生にはまだ報告していませんので。彼女は、ずっと死体と暮らしていたんです。鏡だと思っていたらしいですわ。彼女は、榎園セリカの遺体を認知できなくなってしました」
「…………」
「初めからおかしいと思っていましたの。だって、写真を示して『この娘を探して』なんて訴えてくる人物の顔が、その写真と同じでしたから。これはなにかあるなと思いました。そうして調べていく内に、無視できない事柄も明らかになっていきました。存在を忘れられた生徒に、麻薬。機械化能力を用いた犯罪である可能性が濃厚になっていきましたね」
「……根拠は?」
「わたくしのお父様のパーツが、盗まれましたの。昔に。今回のものは、それでないと運用できない機能だと思われます。まあ憶測なんですけど、許してくださいね」
しづはにっこり微笑んだが、本下は眉をひそめた。
「…………で? 犯人は機械化能力者だとしたら、どんな機能を?」
「人の存在を、記憶から消せるんです。これは根拠がありますわ。高橋グェンドリンという生徒の存在、そして痕跡だけが残っている、坂本アイネという生徒。あなたたちがノートを持っていった」
「それは悪かったわ」
「嫌ですわ、思ってもないことを」
しづの嫌味を、本下は無視した。
「さて、この機械化能力の効力を高めるためなのか、この学校には麻薬が撒かれていました。生理痛の薬だと偽って入ってきていました。業者に確認しましたが、電話にも出ませんでした。架空の組織でしょう。それから、保健室に私達が運び込んだ、なんとか言った生徒。彼女からは濃度の高い反応が見られました。麻薬中毒とほとんど同一と言っても良い。事実、彼女は毎日のように、薬を求めて保健室に顔を出していました。倒れた日にベッドの上で、彼女はうわ言のように口にしていました。誰かがいなくなった気がするって」
「…………」
「麻薬の作用は思い込みを強くすること。本来は機能の効果を補助的に高める目的だったと推測します。ですが、それが逆に反応した例が彼女だったのでしょう。いなくなった気がする程度の違和感が、薬の思い込みに因って、だんだん『誰かがいたに違いない』なんて強迫観念みたいに感じたのでしょう。これは、犯人にとっても予想外だったのでしょうが、まあわたくしたちに取っては、ただのラッキーですわね。とにかく、これで薬と機能の結びつきは疑うべきものということが、わかっていただけましたか」
「まあ、破天荒だけど、一応念頭にはおくわ」
しづは、指を一本立てた。
「では、その機能を用いて誰を消したのか。気になりますね。存在が消えたとされるのは、高橋グェンドリンさんです。彼女はこの学校の生徒でしたが、途中で転校してしまいました。転校後も、アロベインの友達とは連絡を取っていたようですが、いつの間にか何の関わりもなくなってしまった。彼女自身、別段不思議にも思いませんでしたでしょう。妃麻さんが話を聞くまでは。彼女はその前に、高橋さんの存在を忘れてしまったことで病んでしまった生徒に接触しています。高橋さんに確認してもらったところ、彼女のことを覚えているというのです。一方は覚えているのに、もう一方は覚えていない。ただ残り香をなんとなく感じる程度ですわ」
「……つまり、これで機械化能力が確実に用いられたってことか。人の存在を記憶から消す機能が」
「おわかりいただいて、嬉しいですわ。さて、坂本アイネさんのことは置いておきましょう。もうひとり存在を消された生徒がいます。本物の榎園セリカさんです」
「証拠は?」
「千鶴さんが成り代わったというのに、だれも気が付かないのはおかしな話ですわ。初週だけとはいえ、二人の容姿は違いますもの。セリカさんは社交的な人物だとお聞きしますし、誰にも気づかれないっていうのは、ちょっと考えづらいですわ。これは、だれも榎園セリカさんのことを覚えていなかったから可能だったんです。真っ白なキャンパスに、ただ絵を描いただけなんですの、千鶴さんは」
「初週といえば、交流会なんかもあったわね」
「ええ。ですから、榎園セリカさんの存在も消されていると考えたほうが妥当ですわ。次にその方法です。一体、どうやって、全校生徒から記憶を消したか。機能の行使といっても電気信号である場合がほとんどですから、身体に直接触れて電気を流す、というのが基本的な条件となります。でも、全校生徒に直接触れられるなんて人間、生徒会長でも該当しませんわ。一体どうしたことでしょう」
「……思いつかないわ」
「本下さんはその指輪型端末と、ヘッドセットディスプレイにバイタリティのチェック機能や脳波コントロール機能が備わっていることはご存知ですか」
「ええ……授業でも使われるわ。学年問わず、ヘッドセットを使う授業はカリキュラムに含まれているはず」
「さて、記憶を操作する機能だの、人の存在を消す機能だのと言っても、結局は電気信号を発生させて、人に干渉することが基本的な運用方法ですわ。同時に、端末のバイタリティチェック機能も、人に特殊な電流を流して測定しています」
「ってことは…………まさか」
「はい。指輪端末やヘッドセット越しに機能を用いれば、なるべく多くの生徒を一度に巻き込めます。それが授業で使われるとなると、全校生徒に影響することは確実です」
「でも端末越しにって……」
「y7ですわ」
しづはまた、ハーブティを飲んだ。別段、美味しいとも感じることはない。そもそも、しづは紅茶の類が苦手だった。
「すべての端末はy7に接続されています。y7上に機能を用いて干渉すると、その時同時に接続している生徒は全員その機能の影響を受ける、というのがわたくしの仮設なんですけど」
「……それ、実際やったの?」
「いいえ。想像です。ですがまあ、それを裏付ける人物が一人います」
「誰よ」
「釘崎妃麻さんです。うちの二年の。彼女は、本物の榎園セリカさんのことを覚えていました。冷静に考えると、これはおかしなことですわ。だって、セリカさんに関する記憶は、削除されているはずですから。どうして彼女が覚えているのか、わかりますか?」
「わからないわ」
「彼女はヘッドセットディスプレイの授業を嫌っていて、今年に限れば一度も出席していないからです。このことから、犯人はy7を使って、ヘッドセットディスプレイの授業を受けている生徒の記憶から、特定の人物に関する情報を、機能を用いて削除したことが、いつもの手法だった、と考えられます」
「へえ……」
「さて、ではなぜ犯人は彼女たちの存在を消したと思いますか?」
「わからない。わかったら取材なんていらないわよ」
「榎園セリカさんが殺害されていたことはわかります。彼女は、なにか犯人にとって不都合だった。故に殺され、存在を隠匿されました。高橋グェンドリンさんは、実験でした。なぜなら本人は生きていますし、もうアロベインにも関係はない。今回の事件とは何の関係もないでしょう。ただ犯人が、前述の手法を本当に実現できるかどうかで試した、単なる実験でした。転校がすでに決まっていた生徒ですから、影響はないと考えたのでしょうね」
「じゃあ、坂本アイネは? 死体すら見つかってないんでしょ? そもそも死んだかどうかもわからないじゃない」
「おそらく亡くなっています。彼女たちの消えた時期は、ほとんど同時だと考えられます。後処理が必要ですから、そう頻繁に殺害するとは思えません。となると、最も自然だと思われる回答は、坂本アイネは榎園セリカ殺害の現場を見た。もしくはその逆です。坂本アイネさんが殺されるところを、榎園セリカさんは見てしまった。故に仕方なく、犯人は後処理を倍にしてでも二人殺害しました」
「……なるほどね」
「ノートにはなにか書いていましたか?」
「ああ……今更言うのも何だけど、ノートの最後の方に麻薬のことが書かれていた。本人がやっていたのか知らないけど、調べるのが好きだったみたい」
「まあ! そうですか、なるほど……」
嬉しそうな顔をするしづ。
「では、坂本アイネさん殺害を榎園セリカさんは見てしまった、という真相で確定ですね」
「なんでよ」
「麻薬のことがわかったなら、当然配布されている生理痛の鎮痛剤が、実は麻薬であることがわかりましたから、それを出汁にして犯人に脅しを掛けたんでしょう。麻薬の配布と殺人犯は同一ですから。それでは困ると犯人は殺害を決行したんですわ」
「ふうん……そっか……」
「境界条件を整理しましょう。犯人は、機械化能力者、麻薬を配布する動機があり、それが可能な人物。そして坂本アイネと榎園セリカが殺害可能である人間」
「そもそも、その二人はいつ何処で殺されたわけ?」
「時期は、入学から一週間後あたりでしょう。本物の千鶴さんが、セリカさんにメールを送った日付です。時間は当然夜です。昼間では人目がありますから、不可能ですわ。そもそも夜で歩くことは原則として禁止されていたのに、どうして二人は殺害されたのか? 自室が殺害現場だとは考えにくいですから、森か、ともすればこのベンチかも知れませんわね」
しづは脚を組み直した。
「あのメールは、サーシャ女学院を抜け出して、アロベインに忍び込もうとしていた千鶴さんが、セリカさんを頼って送ったメールでした。山道で迷ってしまったんです、彼女。本当は、その前にも何通かやり取りがあったのですが、そこ以外はゴミ箱に入っていました。さっきセリカさんのパソコンを調べましたの。二人は少し、メール上で口喧嘩をしてしまったようで、セリカさんは怒って全て削除していたようです。最後のメールの文面だけに目を通して、おそらく心配はしながらも、不機嫌な顔で、セリカさんは部屋を出ました。やっぱり、放っておけなかったんですわ」
「『どうして探してくれないの』だったっけ?」
「ええ。残酷な話ですが、その我が儘をぶつけたことが原因で、セリカさんは殺害されてしまったのですから、本人には伝えづらい話ですわね……」
「でも待ってよ。端末じゃ、y7にしか繋がらないんでしょ? なんで外部とメールが出来るわけ?」
「榎園セリカさんは、少し自身の所有するコンピューターをいじっていまして、インターネットに接続できるようにしてありました。これは、妃麻さんが証言しています。彼女に、そのやり方を一度尋ねたのだと。機械のことは彼女に訊くのが一番いいですからね。一年生でもその事は知っていたようで」
「なるほどね…………」
「さ、境界条件が増えました。あの夜出歩いた人物、です。それと千鶴さんから聞いた話があるんですけど、彼女自身が怪しい人物に目星をつけていたらしいですわ。ご存知でした?」
「池田の調査でなんとなく知ってるわ。池田と、私でしょ。失礼にもほどがあるわ」
「ええ、ごめんなさいね。ですがそれを参考にしましょう。無碍にするには惜しいくらい、人選が絶妙でしたから」
「絶妙って、私を人殺し呼ばわりするの?」
「まあまあ、まだそう言ってませんわ。彼女が挙げた人物、本下さん、池田さんの他は保険医の上中房江さん、そして同級生で柚木脇千鶴さんをいじめていた津島皐月さん。この四人です」
「その理由は?」
「本下さんは外出許可も得ていますし犯人としては違和感はありません」
「外出許可がなんで必要なわけ?」
「柚木脇さんの件ですわ。彼女の存在を、サーシャから消さなければならなかった。騒ぎになりますから。事実、あなたはサーシャに行っていました。幸いなことに、彼女には両親もおらず、援助してくれる親戚のみしかいませんでしたから、それだけで済んだんですけど、親戚の記憶もいずれ消すほうが確実でしょうね。夏休みにでも遠出して彼女の親戚の家にでも行く予定でも立ててたんじゃありませんの?」
「立ててないわよ! 勝手に決めつけないで!」
本下は立ち上がったが、しづは手を広げて鎮めた。
「まだ殺人犯だって決まったわけじゃありませんわ。上中先生も同様です。教員は、授業さえどうにかすれば、別段いつ外出しようと、咎められることはありません。それに、薬の仕入れは彼女ですから、そこを考慮すれば、より怪しくなってきますね。そもそも麻薬も、外出の際にどこかからコネクションでも得ないと、簡単には売ってないでしょう」
「……まあ、そうでしょうね」
「池田さんも、外出さえできれば十分な犯人ですが、そこがネックなんですの。千鶴さんは私怨で怪しんでいたみたいですけど、もっと現実的な理由を考えましょう。新聞部の仕事は、大方池田さんがやっていますね?」
「…………そうよ」
本下が頷き、池田は睨むだけで何も言わなかった。口止めされているのかも知れない。
「次期部長は彼女だから、今のうち私がさばいてきた仕事量に慣れてもらいたかったの。彼女が次の部長になった際には、学校も彼女にも特別外出許可を与えると言っていたわ」
「麻薬の購入決定、そもそもの原因は口コミだってことは、ご存知ですか?」
「……ええ。房江さんから聞いた」
「そういう噂の根源は、y7です。y7に自由にニュースを掲載し、チャットにもサクラを潜り込ませることが出来るのは、新聞部を於いて他にいませんわ。新聞部は大げさに言えば、世論を操作出来るのですよ、その気になれば」
「そんな強大な力はないわよ。ただ、事実をせこせこ調べて書き連ねるだけよ」
「その気になればって言いましたわ、わたくし……。まだ決定ではありませんわよ。でも、y7の口コミが、池田さんの仕込んだ工作だとすれば、麻薬を購入させることも可能ですわ。自分の機能に有用だとすれば、それぐらいやるとは思いませんこと?」
「どうでしょうね……」
「最後に津島さん。彼女は柚木脇千鶴をいじめていた。そして、夜中に出歩いているのが目撃されています。ちょうど、あの日の夜の時期ですわ。千鶴さんを殺したいほど憎んでいたなんて話も聞きます。まあそれでも、彼女は除外されますね」
「どうして?」
「恨みがあったと言っても、いじめていたのは千鶴さんであって、殺害された榎園さんではないからですよ。つまり、昔自分がいじめていた人間が、違う人間のふりをしている。気味が悪いと思ったでしょうね。だから彼女は距離を取りました。もしかしたら、自分が原因じゃないかって思いました。それから、一般生徒は外出なんて出来ません」
「こっそり出たんじゃなの?」
「考えづらいですわ。というか、そこまでして外出をして、麻薬を仕入れる動機が彼女にはありません。機能を行使しやすくするため? 手段と目的が入れ替わっていますわ。もともと、麻薬導入の目的は別にありますから。別に機能なんて麻薬なしでも十分効果を発揮するんです。それは、高橋グェンドリンの件から明白です。彼女の転校は、麻薬導入の前ですから。じゃあどうしてわざわざ麻薬を? 別の目的とは? 機能と麻薬の効能が、偶然一致したに過ぎません」
「その別の目的って、なに?」
「それは想像に過ぎませんから、後で申し上げますわ」
しづは端末を開いて、時計を確認した。
「では、話も長くなってきましたので、そろそろまとめましょう。寒くなってきましたわ」
「……結構話したわね。で、犯人は誰なの?」
「本下さん、それではここまでの境界条件を考えてみてください。思い出しましたね? 続いて、残った容疑者を、それらから除外出来る証拠を思い浮かべてください。思い浮かべましたか? 誰が残りますか? 口にしてください?」
「…………上中先生」
「除外できますわ」
その答えを予想していたみたいに、鋭くしづは割り込んだ。
「それはあなたが一番知っています。さあ、もう一度考えてみてください。誰が残りますか」
しづは問い詰めた。
本下は答えない。
交互に顔を見つめる。
本下、池田。
池田の顔が、焦りを隠しきれていなかった。
まだ本下は何も言わない。
夜風で、森が揺れた。
この何処かに、坂本アイネの遺体があるのか、なんてことを、しづは考えた。
ハーブティを飲み干す。
不味い。
そう呟くことすら億劫になるほど、このお茶に対する思い入れがない。
突然池田は、机を叩いて叫んだ。
「私だよ! 私が犯人です! 私を捕まえてください! もう、耐えきれない!」
取り乱した池田を本下はなだめた。
「ちょっと、池田! 落ち着きなさい!」
「そうですわよ、池田さん」
しづは笑顔を崩さないで、そう告げた。
「嘘はいけませんよ。だって、あなたは除外できますから」
「何言ってんだ! 私以外ありえないだろ! 外出なんか勝手にやれば良いんだ! 柚木脇さんを襲ったのは私だ!」
「それはあなただとしても、あなたは外出ができません」
「だからそれは勝手にやるって言ってるだろう! 見つからなかったんだから、それで良いんだよ!」
「いいえ。あなたは物理的に不可能ですわ。あなたが夜中ずっと作業しているのを、目撃した生徒が大勢います。そんな中でも、あなたは律儀に皆勤賞を狙っていましたね。あなたには、外でこそこそやっている暇なんてありませんわ。麻薬の件はy7の世論を操作すればよかった? ではサーシャはどうします? どう千鶴さんの存在を隠蔽します? ちなみに、平松澄子さんに頼んで裏はとってあります。あの学校に、現在、柚木脇千鶴を知るものは誰もいません」
「そ……それは…………インターネットだよ。インターネットに繋げば、機能を用いて記憶を改竄できるだろ。誰かのインターネットに繋がる端末を使って……サーシャのそういうヘッドセットを使う授業中に、記憶を改竄したんだよ……」
「皆勤賞のあなたが、どうやってその時間に抜け出すんですの? 夜? サーシャの全員がインターネットに接続しているわけもないですし、不確実ですわ」
しづは更に続ける。
「で、上中先生はどうなんだって顔をしていますね。彼女は夜中に出歩くことが出来なかった。その理由は、睡眠薬です。彼女はこれを毎日飲んでいました。たまたまその日は飲まなかったのかですって? この証明は、彼女の主治医に確認を取ればはっきりしますわ。薬の処方した日と数から逆算すれば、飲んだ日と飲んでない日が歴然としますわ。後で調べてもらいましょう」
あら? と、
そこでしづは、
本下藤子を見た。
「どうしても除外できない方が、一人、いらっしゃいますね」
「……………………」
「犯人は、あなたですね? 本下藤子さん」
本下藤子は、ゆっくりと立ち上がって、
両手で顔を覆った。
「…………どうして…………どこで……私は何処で……ああ…………あんたさえ……いなければ…………私は………………」
「本下さん……」
泣きながら本下の手を取ろうとした池田だったが、振り払われた。
「…………触っちゃ駄目…………私は………………そうだよ私は…………人殺しなんだもの…………」
「……本下さん」
しづが、その様子を、面白くもない表情で見つめていた。
「池田さんの裁ききれない仕事の量こそが、その裏付けとも言えますわ。訓練のためだと言っても、あんな夜中起きてまでしなきゃならない部活動って、普通じゃありませんわ。あなたは部長であるにも関わらず、なにか別のことに忙しかったんですわ。それに本下さんは、あの夜目撃されています。普段授業にもさほど出ませんし、不良だと思われているみたいですけど、実際は坂本アイネを殺すために出歩いた」
「……………………」
「あなたは二人を殺害して、死体はそれぞれの自室に放置した。本人しか基本的には入りませんし、記憶と在籍記録はなるべく速やかに削除しますから、それがもっとも安全な方法だった。でも誤算がありましたね。榎園セリカの部屋に入ったうつけがいました。柚木脇千鶴さん、です」
「……………………」
「殺害をし、記憶も操作し、一安心していたあなたに降り掛かった珍事。それは、殺したはずの、存在を隠したはずの人間を名乗る柚木脇千鶴でした。夜中に死体を処理しようと思っていたあなたは面食らった。だって、死体を隠した部屋に、千鶴さんが住み着いているんですもの。これは何が起きているのかわからない。でも、死体に何故か気付いている様子もない。すぐに彼女のことを調べて、サーシャ女学院の生徒であることがわかったあなたは、すぐに向かって柚木脇千鶴の記憶を消した。方法は同じです」
「……………………」
「一方、死体の問題点は、腐臭です。寮が防臭に優れた素材で作られているとは言え、腐るであろう死体をそのままにしておくには、あまりにもリスクが高かった。一時しのぎでも良かった。池田さんに頼んで、千鶴さんの留守の間に、芳香剤を撒いてもらった。防腐剤も注入したのかは定かではありませんが、あるならばやっているでしょう。千鶴さんは、人探しに熱心でしたから、部活動の時間は基本的に部屋にいません。鍵は、まあマスターキーを盗むなり、なんとでも出来ます」
「……………………」
「しかし、それでも限界はありましたわ。死体はすでに腐っていました。時間の問題だったんですわ」
「……………………頃合いを見て、埋めるつもりだった。坂本アイネはそうした。森の何処かに埋めた。でも、柚木脇千鶴が邪魔だった。殺そうとも思った」
「千鶴さんを図書室で殺そうとしたのは、どっちですか?」
「私です……」
池田が口を開いた。
「私が、勝手にやりました。ノートを横取りして欲しいと言われましたが、それならついでに…………部長のために、柚木脇を殺しておこうと思って……。本下部長には、勝手なことをするなと怒られましたが」
「あんたが勝手なことをするから……………………私が今こんな目に遭ってるのよ…………どうすんのよ…………あんたのせいよ…………」
「人にあたらないでくださいよ、新聞部部長さん?」
しづは本下をまっすぐに睨んだ。
「では、あなたは機械化能力者ですね? 否定してもナイフで切り裂いて調べればいいですけれど」
「……………………そうよ……左手が、そうなの」
「なるほど、わかりました」
蔵乃下しづが、ゆっくりと静かに音もなく立ち上がった。
そして、本下を指した。
「お父様のパーツ、返してもらいますわ」
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