7

「しづ、何処に行っていたんだい?」

 鈴本香代美が尋ねると、平松らと話していた蔵乃下しづは、すこしお茶でも飲んできたとでも言いたげな、優雅な口調で説明した。

「お見かけしたので、津島さんにお話を聞いてきました。榎園さんが怪しいとおっしゃいましたから、脅しも兼ねて、ね」

「脅しって……」

 私が呟くと、彼女は言う。

「柚木脇さんをいじめていた、という確証を得たかったんですの。気になったものですから。本当に脅しを入れると、彼女は観念しましたわ。出身校と、柚木脇さんをいじめていた過去を、彼女は正直に話してくれました。それだけですわ」

「そう、なんですか……」

 自分の考えが気の所為だと思ったことはないけれど、それでも人の視点から証明してもらえると、すこし白湯を胃に流し込んだ時みたいな、ホッとしたような気持ちになった。

「あなたの疑問は、事実でした。そして、彼女があなたを避けているのも事実です。本人がそう白状しました。絶対に、関わりたくないんだって、おっしゃっていましたわ。理由は、教えてくれませんでしたけど、単に嫌いだとは言っていました」

 あの慌てようは普通ではなかった。

 じゃあ何故に私を避けるのか。

 いじめていた生徒の友人だから……? それもあるけど、千鶴を消した犯人なのでは無いだろうか。彼女は機械化能力者で、千鶴に何かをしたというのが事の真相だったとしたら……。

 反応を読まれたみたいに、蔵乃下先輩はそのことを口にする。

「彼女が全ての犯人で、機械化能力者であるなら、そもそもなんで柚木脇さんをいじめてたんでしょうね。自分が生身の人間で、そういう人を気持ち悪いとしていじめるなら、心理的には納得できるんですけど」

「同族嫌悪、ですかね」

「ま、これから更に調査しますけど……」

「それでは、用事も済んだので私達は帰りますわ……」

 平松は言いながら立ち上がった。サーシャのことを、私の見ていない間に伝えたらしい。そのまま真っすぐに立ち去るのかと思ったら、蔵乃下先輩を呼び止めて尋ねた。

「そういえば蔵乃下しづさん。あなた、課題は終わりまして?」

「課題って……なんですの?」

「数学の課題が出ていたじゃありませんか」

「あ! そうでしたわ。興味がありませんから、わすれていましたわ! 澄子さんは当然終わっていますわよね」

「いえ、私もこれからなんですの、今思い出して」

 大丈夫なのかこの先輩達。アロベインの行く末が、こんなところで心配になった。

 鈴本香代美は呆れながら二人に言った。

「まったく、しょうがないな……私も手伝うから……文学部の部室でやろうか」

 慌ただしく、三人はプラネタリウム室から消えた。

 残されたのは、私と谷端先輩。寮が同じだとは言え、さほど話したこともない相手だ。

 気まずくなった。どうしよう。希巳江を呼び出して迎えに来てもらうか。一人になってはいけないと、再三言われているわけだし。

「あなた、気に入られているのね」

 彼女は鞄から出した資料を片付けながら、谷端実花は呟くように言った。顔はこちらを、少しも向いていない。

「……誰にですか」

 彼女は振り返って、私の両肩を鳥みたいに引っ掴んで、私を睨んだ。

 その目は、なんというか、哀れさを感じた。

「蔵乃下しづと、うちの澄子に」

 爪が食い込んだ。

「痛いです……」

「…………あ、ごめんなさい」

 彼女は手を放した。その瞬間に、私は肩から崩れ落ちそうにもなったが、幻覚だった。

 私に背中を向けて、自分の手を戒めるように、彼女は擦った。

「……歯止めが利かなくなるのよね、彼女のことになると」

 彼女、とは平松澄子のことだろうか。

「……そういう関係なんですか」

 冗談というか、嫌味でそう言ったが、彼女は振り返って無表情で答えた。

「普通じゃない関係に見える?」

「いえ、少し尋ねてみただけです」

 ふ、と笑いとも取れないような息を、彼女は漏らした。

「じゃあお詫びの印に教えてあげる。隠すことでもないし」

「…………」

「澄子が、蔵乃下しづに対抗しているのは、見ての通りよね。でも、昔はそうじゃなかった。お嬢様みたいな話し方も、蔵乃下しづの真似をしただけ。別に、そんな厳かな家柄でもないの。馬鹿よね、あの娘って」

 呆れたように、彼女は微笑んだ。

「なぜかは知らない。でも澄子は、あの蔵乃下しづに必死で対抗しようとしているの。事実、勝っている部分もあるけれど、やっぱり真の意味では澄子は満足していない。蔵乃下しづの得意とするフィールドで勝たないと意味がないって思ってる。勉強や学校の評判なんて、澄子にとってはただの蔵乃下しづに劣る、ということに対する憂さ晴らしでしかないんだわ」

「……鈴本香代美先輩も、意味は違いますけど、似たようなことを言っていました」

「あの人は、蔵乃下しづのことしか考えてないからよ。役に立とうっていうだけ。手段は同じだけど、目的が違う。でも実際、あの二人は気が合うわ」

「……谷端先輩は」

「私はね……ずっと澄子の憧れの対象でいたかったのよ」

 自分の腕を組んで、窓に彼女はもたれた。逆光で、表情はよく見えなくなった。

「昔から、彼女よりも私のほうが優れていたの。勉強でもなんでも。別に、そのことに優越を感じていたわけじゃなくて、ただ発育が良かったからだけなんだけど、でも、いつも澄子は私の後ろにいた」

「でも、文学部の部長って、平松先輩ですよね」

「ええ。蔵乃下しづに会ってから、あの娘は変わってしまった。前向きというか、何でも自分でやるようになったし、勉強だって頑張っていた。私を超えるくらいに。もちろん、そのことは当然喜ぶべきことよ。そうなんだけど」

「…………」

「私は、あの子の憧れを、独り占めにしたかっただけなの。昔は良かった。ずっと私を慕ってくれいていたから。ずっと後ろをついてきたくれたから、でも、もう違うの。彼女が今追いかけているのは、蔵乃下しづ。私なんか、どうでもいいのよ。私だって頑張ったんだけど、蔵乃下しづには根本的な意味で勝てない。頑張りの副産物として、監督生にもなったし、成績も上から数えたほうが早い。先生方の評判もいいし、大学だって難なく行けることでしょう。でもね、私こそ、もうそんなものに価値を見出す人間ではないの。重荷ですらあるわ。私は澄子に振り向かれようと頑張っていても、関係ない空き缶みたいなゴミが身体にまとわりついていくだけで結局何も私の欲しいものは何も得られないしただ虚しさだけが日に日に…………」

「先輩……」

「……いえ、ごめんなさい」

 彼女は窓際を離れる。

「……そういう関係よ、私達って。私だけが、これほど大切に思っているんだわ。結局自分の自慰行為にも等しい感情のためだけに」

 話しすぎたわ、なんて彼女は髪を掻き上げた。

「……仲、良いんですね」

 結局うまく咀嚼できなくて、適当な返事をしてしまった割に、谷端先輩は声を上げて笑った。

「この話を聞いて、そんな間抜けな感想をひねり出した人、初めて見たわ」

「……平松先輩って、良い人ですよね」

「悪ぶってるだけよ。自分は、蔵乃下しづを蹴落とす、いやそれで蔵乃下しづを引き立てる悪役ぐらいの立ち位置がふさわしいと本気で思ってるのよ、あの娘は。それでいて、なんだかんだ蔵乃下しづのことを味方しているの。香代美もそう言っていたわ。ねえ、あなたは知っている? 蔵乃下しづが文学部にいたときのこと」

「え、そうなんですか」

 聞いたこともなかった。準・文学部なんて存在、どう考えても普通に成立するような部活ではないと思っていたら、そんな裏があったのか。

「……初耳です」

「大した話じゃないわ。蔵乃下しづが、当時いた部員の須藤なみきって娘に嫌がらせをされていてね。それがきっかけで、蔵乃下しづは文学部を追い出されたの。その時は澄子だって反対したわ。あの娘は独自に調べていたのよ。先輩方が、その須藤って娘に『蔵乃下しづに嫌がらせをしろ』と脅していた過去があることを。でも、須藤もそんな証言で、首を縦に振るわけないじゃない。目の前にいるのが、その先輩なんだから。蔵乃下しづの何が気に入らなかったのか、私ははっきり知らないけど、蔵乃下しづの書いた小説の出来が、あまりにも芸術側に振りすぎていたから、なんて話も聞くわ。出る杭を打ったってこと。そして、文学部を辞めた蔵乃下しづは、この準・文学部を立ち上げたってわけ。鈴本香代美に声をかけてね」

「…………悲惨な話ですね」

「そうね、それは至極普通の感想だわ。結局、その須藤って娘も、蔵乃下しづ退部とともに辞めちゃったわ。それ以来、あの蔵乃下しづにしては珍しく、須藤とは顔も合わせないくらい露骨に避けているわ。恨み続けているみたいに……」

 そこで、谷端は顔を伏せた。

「あの娘は…………澄子は、何があっても、ずっと蔵乃下しづの味方だったわ。私なんて、気にも留めないで、ずっと……」

 奥歯を噛みしめるように、彼女はそう呟いた。

 彼女には何があったのか、いつまで待っても教えてはくれなかった。

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