6

 とぼとぼと部室に向かった。

 いつもは誰かの影があるのに、今は誰もいなかった。珍しいこともあるものだ。鍵もかけないなんて、不用心だと思う。

 適当な窓際の机に座った。そのまま運動場を見下ろしたけれど、蔵乃下先輩の姿すらない。

 誰かを、待つことにした。

 しばらくして気づく。今犯人に襲われたら、どうしようもないんじゃないのか。

 なんで一人になっちゃったんだろう。希巳江でも呼び出そうか。いずれ来るとは思うけれど、いやわからない。あいつは来ない日もそれなりにあったような気がする。

 ドアの方が妙に気になった。誰かに見られているような気がした。退路を確認する。窓は駄目。高すぎる。入り口は二つあるけれど、そのどちらかから犯人が入ってきた場合、それはもう片方にもほど近い。つまり意味がない。

「完全に逃げ場がないな……」

 そう独り言を漏らすと、ドアが開いた。私は柄にもなく変な声を上げてしまった。

「な、なんですの?」

 現れたのは平松先輩だった。後ろには谷端先輩も着いてきていた。いつもの二人だった。

「い……いえ、なんでもありません」

 私が謝ると、彼女たちは部室の中頃まで立ち入ってから気付いた。

「あら、誰もいませんの?」

「はい。まだ来てないみたいで。要件があるなら伝えておきますけど」

「いえ、自分で伝えますわ。ここで待たせてもらいます」

 谷端が用意した、二つの椅子の片方に平松先輩が座った。その隣にすかさず谷端は腰掛ける。

 この二人に囲まれていると、妙な疎外感を覚える。自分以外が勝手にコミュニティを形成して、自分だけが除け者にされているみたいな感覚に近い。

 平松はそれでも、私の顔を見ながら言った。

「あなた、あれからなにもない? っていうか、なんで一人でいますの? 一人になってはいけないって言いましたわよね?」

「ああ、はい、すみません、誰もいないとは思わなくて……」

「まったく……私達が来てよかったですわ。気をつけなさい」

「はい……」

 私は頷いてから、手紙のことを思い出したので伝えた。希巳江としづ先輩にはメールで連絡をしたが、気をつけろ以外のことは言われなかった。

「ほらもう、やっぱり狙われてるじゃありませんか……」

 平松は眉を下げて呆れた。谷端はそれを見て、何がおかしいのか知らないが笑った。

「そう言えば、先輩は何の用だったんですか?」

「ああ、ええ。少し頼まれていた調べ物を……。サーシャ女学院のことを調べろって言われたんですけど、あなたは聞いていない」

「いいえ、聞いてないです」

 サーシャ? つまり最寄りの他校だった。あんなところを調べて、どうするっていうのだろう。

「サーシャで何かあったんでしょうか」

「そういうわけではありませんの。ただの調べ物。蔵乃下しづは……今日はどっかの運動部の助っ人に入ってるっていう話も聞きませんから、どうせもうすぐ上がってきますわ」

 案外、蔵乃下しづのことなら何だっても把握しているかも知れない口ぶりで、彼女は言った。

 彼女なら、蔵乃下しづの家庭事情のことを知っているのではないだろうか。詮索するのは良くないだろうが、気になったので私は尋ねてみた。

「あの、平松先輩は、蔵乃下先輩のお父さんのこと、ご存知なんですか」

 椅子にもたれて、不思議そうな顔をする彼女。

「どうして私に?」

「平松先輩なら、ご存知かと思っただけです。蔵乃下先輩に直接聞くのは……ちょっと気が向きませんから」

「うーん、なるほどね……そうか……」

 ひとしきり悩んでから、平松先輩は周りをキョロキョロと見回してから、小声で発した。

「いえ、私もね、そんなに詳しくは知らないんだけど……」

 平松先輩の話をまとめるとこうだった。

 蔵乃下先輩の父親のパーツがいくつか盗まれたことは本当で、それをしづ先輩が探すように言われていることも本当。

 蔵乃下家の家庭環境は、見ての通り特殊らしく、あの振る舞い通りの本物のお嬢様らしいが、それ以上は平松先輩も存じないと言った。

 蔵乃下先輩のお父様というのが、何処かの会社の偉い人で、相当な機械化能力の技術者だという話。一般に知られることはそうないが、界隈では有名だと言った。そんな人の娘だから、機能も相当変わっているだろう、平松先輩は憶測の話も付け加えた。

「こんな程度ですわね……彼女、話したがらないわけでは無いんですけど、なんとなく家庭の話は尋ね辛いんですの」

「そうなんですか……」

 ドアがまた開いた。三人で振り返ると、そこには鈴本香代美がいた。

「澄子、実花、どうしたの?」

 彼女の顔を見て、谷端が口を開いた。

「もっと蔵乃下しづに詳しい人が来たわね」

 香代美に説明する。今蔵乃下先輩の話をしていたこと。彼女の家庭の話が気になること。

 もしよければ、知っている範囲を教えてくれないかということ。

 机に寄りかかった鈴本先輩は、そこまで嬉しそうな顔はしなかったけれど、渋々彼女の話を始めた。

「詳しくは言えないけど、しづは幼い頃に、片目の視力を失っているんだ」

 いきなり、予想すらできなかったことを口にされた。

「……本当ですの? とても片目が見えない風には……あ、そうか」

「そう。彼女のその失われた片目こそが、機械化部分なんだよ。彼女の目は機械化されているんだ。視力だって、そのおかげで元通りさ。前よりも良いくらいじゃないかな」

「……じゃあ、蔵乃下先輩の機能って」

 私が口にすると、香代美先輩が頷いて答えた。

「そうだよ。詳しくは言えないけれど、目に関係することさ。それも、父親のパーツだから、性能は飛び抜けているだろうね。強力すぎるがゆえに、常に運用しているわけではないだろうけど」そこまで言って、香代美先輩は暗い顔をした。「…………でも、彼女のパーツは、ただのレンタルなんだよ。父親に貸してもらっているだけなんだ」

「ってことは、いつか返さないといけませんの?」

 平松が尋ねると鈴本香代美が頷いた。

「そうなんだよ。盗まれたパーツを、彼女が取り返してこいっていう条件付きでの貸与さ。ふざけてるよね。そのパーツが全て見つかれば、彼女は目を父親に返す。視力を失うんだよ」

「……そんな」

 平松が息を呑んでいると、鈴本先輩が続けた。

「さらに、しづが視力を失った原因は、私にあるんだよ」

「……なんですって?」

「私が原因なんだ……でも、これも詳しくは言えない。言いたくないな。思い出すと、彼女の運命を意識してしまって、身体が引き裂かれそうになるんだよ」

 香代美先輩は、私達の方を向いてすらいなかった。

「彼女は見ての通り良家の娘だけど、親の望む娘じゃなかった。優秀な姉がいるから、彼女とよく比べられていたんだろうけど、自分の興味のあることにしか取り組もうとしない姿勢が原因で、家でもあまり立場がなかったんだ。そこに、失明事件が加わったわけさ。彼女は半ば勘当されてしまったよ。学校には行けと強く言われたからアロベインには入ったけど、大学まで卒業すれば家を叩き出されるだろう。彼女が幸せなのは、今だけなんだよ」

「それを……」

 谷端が口を挟んだ。

「そんな彼女を出来る限り守ろうと思って、あなたもアロベインに?」

 鈴本先輩がこちらを見て、それからいつもどおりの優しい笑顔を浮かべた。

「ま、そんなところだよ」

 なんだ、その笑顔。



「やっぱり詳しいんですのね」

 平松が姿勢を崩して、香代美先輩に言った。その姿を見ると、私の緊張も氷か飴細工みたいに溶けてしまった。

「幼馴染みだしね。しづについて一番詳しいのは私だよ」

「あの、質問なんですけど」私は授業中のように手を上げた。「機械化能力って、あんまり詳しくないですけど、目って珍しくないですか?」

「ああ、そうだね。目はあんまりいないかな。視力矯正だと機械化するまでもないんだよ。矯正器具とか治療とか、そんなもので治るから。眼球が破裂した場合は、そうもいかないんだよ」

 ――。

「おっと、物騒な話をしてしまったね。榎園さんは、機械化能力についてどの程度の知識があるの?」

「好きで調べたこともあるんですけど、そんなに詳しくないです。腕への機械化が全体の八割だとか」

「そうだね。その認識に間違いない」鈴本先輩が小さく拍手をした。「大抵が事故か、深刻な骨折か、病気か機械化への趣味か、借金の代わりに四肢を売ったか、とかそんなものさ。そういう人を見つけて、パーツを搭載する実験をしたい医者連中がいっぱいいるから、おおよそは格安でパーツが提供されるわけさ。腕をやる代わりにモニターになれってことさ。まあこの辺の経緯も、私は妃麻ほど詳しいわけじゃないから置いておくとして、機械化能力者と言っても、それほど特殊な機能を有するものはいない。大抵が腕力や脚力の増強といった程度だろう」

「そうなんですか」

「それでも、変わった機能を有する人もたまにはいるわけで、その中でも多数派なのが、電気信号を発信するタイプ。遠隔操作で鍵を開けたり、監視カメラの電源をオンオフしたり、そんなものさ。人間に干渉したりする人もいるよ。人に嫌な気分を遠くから与えるだけの機能とか、一体何に使うんだろうね」

「奥深いですね、思ったよりも……」

 なるほど。機械化能力者なんて、あまり周りにはいない(千鶴ぐらい)と思っていて深く調べることもなかったけれど、想像以上に多種多様だということを知った。

 蔵乃下先輩の機能はなんだろう。ますます気になってしまった。

 そして千鶴の機能……なんだったっけ。

「機能について気になったら妃麻にでも訊けばいいさ。彼女もそうだからね。趣味とは言えないぐらい詳しいよ、彼女は。そっちの方面に進むんだと思ってるけど……」

「そうだ香代美。頼まれていたことなんだけど」

 谷端が突然言う。

「ああ、調べてくれたのかい」

「ええ、柚木脇さんのこと」

 急に知った単語が耳をかすめて、私はそちらを向いた。

「千鶴がどうかしたんですか」

 私が尋ねると、谷端と香代美は顔を見合わせた。話すべきか悩んでいるみたいだ。

 谷端先輩が続きを述べた。

「……榎園さん、千鶴さんのことを調べたんだけど」

「…………どうしてですか?」

 その質問に、谷端は答えなかった。

「ねえ、先輩。どういうことですか?」

「……あの、榎園さん。千鶴さんに家族がいないって本当よね? 親戚しかいないって。その援助で学校に通っていたんでしょ」

 ……なんで

 私は眉をひそめた。

「なんで千鶴のそんなことまで調べてるんですか。そんな必要、何処にあるんですか。なんで……」

 谷端の腕を掴んで、私は訴えた。

 そんなこと……隠していたわけではないけれど、なんとなく不躾に他人に知られることが、我慢ならないぐらい嫌だった。

「……頼まれたからよ」

「誰に……」

「わたくしがお願いしたの」

 そこに現れたのは、

 蔵乃下しづ。

 ドアを開けて、髪を揺らしながら歩んできた。

「わたくしが必要だと思いましたの、怒らないで下さる?」

 私の手を、ハンカチでも手にとるように包み込んで、彼女は言った。

「でも…………勝手に探るような真似は侵害です……」

「それはあなたが言いませんでしたから」

 ……。

「必要だと思いません」

「いや、必要だったよ」鈴本香代美が口を挟む。一転して、少し不機嫌そうな表情が浮かんでいた。「しづがそう判断したんだ」

 そうやって制されると、何も言えなくなった。

 伝えるべきだったのか……?

 でもそんな情報が、どれだけ説明されても必要だとはとても思えなかった。

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