4

 戒能の部屋を、そう言われていたのでノックもせずに入った。

 家具の配置は全く同じだった。入学から日も経っておらず、散らかっているということもない。机の上にアナログシンセサイザーが置かれていることだけが、妙に気になった。演奏するのだろうか。

 ベッドの上で、彼女が転がっていた。こちらに気づくと身体を起こした。

「誰にも見つからなかったな?」

「うん……」

 戒能は、これから寝るというのに、動きやすそうな格好をしていた。普通のシャツに、半ズボン。鈴本先輩と似た意味で、平凡な装いだった。眠りやすいのだろう。そして長い金髪は、頭の後ろで結んである。ちょうど、日中の蔵乃下先輩と同じだった。その頭を見ながら、結構似合うな、なんて私は思っていた。彼女の不機嫌そうな顔は、あんまり変わらなかったけれど。

 彼女は、立ち上がって私の背中を押した。

「ベッド、使ってくれよ。あたしは床で寝るから」

「え、そんな、悪いよ。布団あるの?」

「夏用が二枚あるから、それで足りるさ」

 首を振って断っていたが、彼女も頑固だったので、結局私は真っ二つに折れた。こういう行為は、素直に受けていてもバチは当たらない。

 ベッドに寝転んで、布団に潜った。

 知らない匂いがすると、緊張で頭が痺れてきた。なんだか居心地が悪い。人のものを盗んだみたいな落ち着かなさを、身体がずっと感じている。

 天井を見つめる。熱くも寒くもない。空調が作動しているような季節でもない。

「よし。鍵もかけたし、じゃあ消すぞ」

「ああ、うん……おやすみ」

 戒能が無遠慮に電気を消した。視界が効かなくなる。そして、彼女は自分で床に用意した、夏用の布団をふたつ組み合わせたものの中に、身体を滑り込ませた。

 何も見えなければ、別段自分の部屋にいるときと変わらないはずだった。

 そのまま眠りに落ちようと思った。それが、もっとも理想的だった。そうも行かないのが現実なのだけれど。

 何度か寝返りを打ったところで、しっくりと来る姿勢が見つかるわけでもなく、変な寝汗まで吹き出してきたところで、急に戒能に話しかけられた。

「眠れないのか?」

 あんたはてっきり寝てるかと思った。

「眠れるわけないよ……」

「ああ、ごめんな。そうだよな、呑気に寝てる場合じゃないよな。そりゃ、殺されかけたんだもんな……無理もないよ」

 別にそういう意味ではなかったのだけれど、ひとまず私は頷いてそういうことにした。

「……戒能さんは、そういう経験ないの?」

「何であると思う?」

「いや、ほら、だって……不良でしょ」

「不良ってお前失礼だな」

「あ、ごめん」

「ま、そう言われるのも慣れてるんだけどな……実際、評判通りの不良だったしさ」

 悲しそうに彼女は呟いた。首を向けてみたけれど、顔は見えなかった。当然だった。

「戒能さんって、なんでアロベインに?」

「あたしじゃ不釣り合いだってのか?」

「そうじゃないけど……不良が入る学校じゃないよね」

 言ってから『戒能では不釣り合いだ』という意味と同じ言葉だったことに気づいた。

「まあ……そうだな。いや、話したくないわけじゃないんだけど」

 整えるように、戒能は咳払いをした。

「あたしだって、最初から悪く振る舞っていたわけじゃなくてさ。なんていうか、目つきも悪いし、性格もこんなだから、不良だって思われることが多くてさ。それで最初は困ってたんだけど、次第に不良だから仕方ないとか、そういう言い訳をしていく内に、身も心もそんなあくどい人間になってしまったんだよ。不良の生き方が、こんなに楽だとは思わなかったんだ。そりゃ、貼られたレッテルを剥がすことのほうが、どう考えても難しいだろ?」

「……それでよかったの?」

「良くないと思ったから、頑張って勉強して、アロベインに入ったんだ。だって、不良なんて、楽ではあるけど、あたしの望む生き方じゃないんだ。生理的に限界が来てたんだよな。あたしでも、こんなお嬢様学校に入れば、まともになれるんじゃないかって思った。でも、積み重ねた悪評は、そう簡単には覆らなかったさ。同じ中学だった連中が言いふらしていたりした。それで怒ると、さらに噂はひどくなったさ」

「……ひどい」

「誰も、あたしをわかってくれないんだよな。目つきも悪いし、性格も悪いし。きっと、あんな悪評が流れていなくたって、不良扱いされていただろう。結局あたしには、この生き方が一番適切なんだって、最近思ったところだけど、やっぱり嫌なんだよな」

「…………」

「それでも、しづ先輩は違ったよ。あたし、ピアノが弾けるんだけどさ」

「え、そうなの」

「そんな意外そうな声を出すなよ。そこにシンセサイザーがあるだろう。こう見えて毎日練習してるんだよ」

 本当に演奏していたのか。

「あたしがあの部に入ったのは、しづ先輩に憧れたからなんだけど、あの人の演奏を聞く機会が、入学してからすぐにあってさ。覚えてないか?」

「いや、ごめん……」

「あの時期は忙しかったしな……。とにかくそれを聞いて、なんてゆったりした、腰が据わったと言うか、美しい演奏だななんて思ったんだよ。私もピアノは小学校ぐらいからやってきたから、そういうのの良し悪しはわかるんだけど、なんというか、そこで結局人間性で演奏の繊細さは左右されるんだなって、思っちゃった。私が演奏したい音が、あったんだ」

「聞いてみたいな、一度」

「今弾こうか?」

「いや違う、蔵乃下先輩の演奏」

「なんだよ。まああたしのよりもずっと価値があるよ。一回頼んだら良い。あたしと違って、もっと何千倍も繊細なんだ。あたしは短気で乱暴だから、あんなテンポの遅い曲に合わせられなくてさ、ムカついてくるんだよ。だけど、綺麗な曲を完璧に弾ききりたいっていつも思うんだよ。これって高望みだよな」

「……そんなことないよ」

「なんでこんなのに生まれちゃったんだろうな、あたしって」

 何も言えなくなった。

 暗い話をしていることに自覚を覚えたのか、戒能はすこし話題を変えた。

「そうそう、妃麻先輩も、あたしを気にかけてくれててさ」

「どういう関係なの?」

「ただの先輩後輩じゃないんだよ。昔近所に住んでてさ、顔なじみなんだけど、あのお姉ちゃんがアロベイン受験するって聞いた時は驚いたな。おとなしいけど、お嬢様って感じじゃないじゃん?」

「あんたに言われたくないってあの人、言いそう」

「もう言われてるよ。結構メールとかするんだよな。学校生活はどうとか訊いてくる。そんなの、聞いたところで何の解決にもならないってのにさ」

「……仲良いんだ」

「ああ。都会にも連れて行ってもらったよ。先週くらいかな。そうそう。人と会うまで暇だから着いてこないかって。あたしも美容院とか行きたかったから、丁度よくてさ。実際二人で遊ぶのは随分久しぶりだったけど、やっぱりあの人変わった趣味だよ。いつの間にか機械化能力者だしさ。本人は昔からだって言うけど」

「いつからなのか知らないんだ」

「教えてくれないんだよな。あたしのことばっか聞くくせにさ。アロベイン入った時も連絡してきて、『あんたがアロベインなんて正気?』って一言だけ送ってきやがってさ。ひどい言い草だよ」

「……まあ、気持ちはわかる」

「そうだよな、あたしも入れるなんて思っていなかったし」

 妃麻先輩は、一方的に戒能のことが心配なのだろう。悪い人間という烙印を押され続けていた戒能を、陰から見守っていたのかも知れない。あの人にそんな感情があったなんて、戒能がピアノを演奏することよりも意外に思った。千鶴の事件についても、なんだかんだ一番率先して調べてくれているし、世話焼きなのか?

「おせっかいだよ、あの人。昔から」

「でも、全く知らない人だらけの中よりは良いでしょ」

「……そうだよな」

 戒能は諦めるように、笑った。

 会話が途切れた。

「……ねえ、戒能さんは」

「ああ、希巳江で良いよ。あんまり自分の苗字、好きじゃなくてな」

「じゃあ……希巳江? いや恥ずかしいからやめとくよ」

「なんでだよ」

「こっちもセリカで良いよ別に」

「セリカ…………セリカね、忘れないようにしておくよ」

「なによそれ」

「人の名前を覚えるの苦手なんだよ。で、なんだ?」

「鈴本先輩のことはどう思ってる? 深い意味はないんだけど」

 そして彼女の話をする希巳江。

 この女と、少しだけ仲良くなれたことが、柄にもなく嬉しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る