3章 オレンジダリアの無い部屋で

1

 y7は楽しい。

 y7は良い。

 y7で暮らそう。

 そんなことを、生きているだけで知らされる。

 たしかにそれは頷ける部分もある。

 現実は厳しい。辛い。友人もいなくなってしまう。

 娯楽がない。厳しい。生きている内に、何をやっているのかわからない。

 ここはどこだろう。y7ではないのか。

 ニュースや掲示板やデジタル書籍というコンテンツがそのあたりに浮いていた。

 四角いアイコンに還元されて、閉じ込められているみたい。

 ニュースを触ると、青いウィンドウが立ち上がって、生徒がいなくなりました、という文字だけを吐いていた。その他にはなにもない。写真すらも。

 ああ、y7だ。

 なんでここに?

 千鶴。そうだ。私はここに、千鶴を探しに来た。

 神隠しにあったんだ。千鶴はy7に。そういう話を聞いた。

 嘘かもしれなんなんて、微塵も考えなかった。

 だって私には、すがるものがない。

 こんな噂だって、y7で仕入れた情報だって、なにもない私が信じる以外に何が出来るのだろう。

 形作られた廊下を進んだ。歩くたびに、決まった足音が再生されていた。

 窓の外の景色はなかった。ワイヤーで作られたパイプが動いているだけだった。設定すれば、何かが浮かび上がるだろう。

 誰もいない。私だけが、このy7に好き好んで来ているみたいな。

 千鶴。

 どこ。

 会いたい。

 あって、謝りたい。

 もしかして、電子人間にすでに還元されてしまったのかもしれない。

 やだ、

 千鶴を返して。

 誰がこんなことをするの。

 走った。うまく走れない。そういうシステムが組み込まれていない。

 足を進めるたびに、ローディング画面が一瞬表示される。

 ゲージが進むのを、サブリミナルみたいに見せられている。

 なぜか、苦しい。息が苦しい。溺れそう。酸素はデジタル化出来るのだろうか。酸素のロードが間に合っていないに決まっている。

 ここはy7なのだから、そうに決まっていた。

 でないと、千鶴が窒息してしまう。

 現実でも、息苦しさを感じていたあの娘の居場所は、せめてここにないと。

 そう考えて矛盾に気付いた。

 あの娘を現実に返すのは自分の役目だって。

 それは千鶴の幸せなのかな。

 教室に入った。扉は勝手に開いて、勝手に閉まった。

 そこに一人の女。

 ああ、

 見覚えがある。

 見覚えという感覚だけがある。

 どんな姿なのか、わからないというのに。

 彼女は私に気付いた。

 千鶴。

 そう口にする。

 返事がなかった。

 近づく。

 彼女は、

 こちらを見もしないで、

 唇すら動かすこともなく、

 音声とも言えない音波で、

「どうして探してくれないの」



 起きた。

 布団のなかで、汗を真夏みたいに垂れ流していた。

「は………………」

 夢。

 夢だった。

 深呼吸をした。溶けていくアイスみたいに気分が落ち着いてきたが、まだ心臓が激しく動いていた。しばらくそのまま、呼吸をした。

 思い返した。y7の中にいた。千鶴が。きっとそこにまだ……千鶴はまだ……、

「夢だ」

 声に出して言うと、懸念は薄れていった。現実が確定していくような感覚があった。

 電子人間とか、千鶴のことを夢に見てしまうくらい、私は気が立っているのだろうか。いや、千鶴がいなくなったんだ。仕方がないだろう。悪夢の一つくらい、見る権利くらい私にはある。

 布団から出て、ベッドを降りた。床に足をつけて、私が榎園セリカであることを思い出した。自分の名前を朝一番に思い出して確認することを、子供の頃からよくやる。

 それにしても、嫌な気分だ。

 

 

 休みを挟んで、週の初めだった。

 鏡を覗く。

 自分の知っている顔がある。生気があまり感じられないことが、少しコンプレックスだったが、私はそんなことを思ってはいけないのだと、友人たちの信頼から常々察していた。

 髪を整えていると、それなりに調子が戻った。朝は強くはなかった。どうして朝食や礼拝のために、こんな早起きをしなければならないのか、いつまで経っても疑問だった。向いていないのかも知れない。口には出さなかったけれど。

 千鶴のことよりも、蔵乃下先輩のことを考えた。

 彼女の父親……。彼のパーツが用いられた犯罪ということは漠然と察したけれど、本当にそうなのかという確証があるのか、私には理解できない。しづ先輩のことだから、勝手な妄想でいい加減なことを口走りそうなものではあった。考えてから、信頼している先輩にこの言い草はないなと自分を律した。

 先輩のお父様のパーツ……盗まれたらしいけれど、一体何をしている人なのだろうか。あれだけのお嬢様の父親というのだから、相当な資産家であることは推測できるが、あのわざとらしいほどのお嬢様みたいな振る舞いすら、後天的に個人的な趣味で身につけたのかも知れない。つまり、よくわからない。とりあえず、何が告げられても驚かないように、彼女の父親は何処かの社長とかそのくらいの地位であることくらいは、心の中で勝手に決めておいたほうが良いだろう。

 鈴本先輩は、彼女の事情を何処まで知っているのか。家族ぐるみでの幼馴染みと言ったから、彼女の父親のことなんて、半ば基礎知識みたいなものだと思うけれど。今度聞いてみようかと考えたが、なんだか鈴本先輩のことを思い出すと少し気が重くなった。

 さて、髪も整った。朝食を終えて、少しだけ休んだら礼拝。そして授業。千鶴の調査。今日も忙しい。時々何をやっているのかわからなくなるほど忙しかった。

 部屋を出る前に、窓際に置かれた青い花に、目配せをして挨拶をする。

 そう言えばこの花、一体いつから飾られているんだろう。



 授業が終わって、いつものように部室に顔を出すと、妃麻先輩が神妙な面持ちをしてコンピューターを睨んでいた。

 鈴本、戒能、そして蔵乃下。今日は全員来ていた。初日以来だろうか。

 蔵乃下先輩は私に挨拶をすると、立ち上がって私の目の前まで嬉しそうに歩いてきた。

「聞いてくださらない榎園さん。妃麻さんが手がかりを見つけたらしいんですの」

「本当ですか?」

 少し喜びを隠しきれずに、私はそう尋ね返した。

 妃麻先輩の近くに椅子を集めて全員が集まると、妃麻先輩は、モニターを見つめたままやや緊張しながら口を開いた。カンニングペーパーだろう。

「昨日、休日だったので学校を出て、人に会いに街に行ってきました。端的に説明すると、存在が消された生徒の一人です。あの、友人がいなくなって精神に異常をきたして転校してしまった女生徒の、その友人です」

「どこで見つけたんですの?」

 身を乗り出して、蔵乃下先輩が訊いた。

「まあ、彼女の親戚筋からちょくちょくと。そのいなくなった友人、つまり消えた女生徒というのが高橋グェンドリンと言うんですけど、彼女もアロベインの生徒だったんです。だけど、在籍記録を調べても抹消されているし、同学年である三年生の誰に訊いても覚えている人は一人もいませんでした。思い出しかかったような人も中にはいましたが、心が壊れるといけないので途中で止めました。転校時期は、去年の秋ぐらいだと聞いていますから、これはすこしおかしいです」

「わたくしも記憶にありませんわ」

 蔵乃下しづが言うと、鈴本も頷いた。

 妃麻先輩は続けた。

「実際に会うと、かなり目立つ人でした。名前の通り、混血の方です。確か、欧州あたりの血が入っているとか。あなたのこと、誰も覚えていませんよと告げると、かなり驚いていました。実際に、アロベイン時代の友人とは、一時期から不自然なくらい連絡が途切れたと言っていましたが、さほど人に執着を持つタイプでもなかったのが祟ったのか、新しい学校に完全に馴染んでいるみたいでした。アロベインのことはもう忘れたと割り切っていました。ですが、それでも友人だった人の名前も出てきました。あの、チャットで知り合った人、精神を病んで転校した彼女の友人の事まで覚えていました」

「……変ですわね、それ」

「これって、昨日しづ先輩が言っていた通りなんじゃないんでしょうか」

「ええ……これは、わたくしのお父様のパーツに搭載された機能を用いた犯罪である可能性が、非常に高いと思われますわ。根拠は……そうですわね、人一人の存在を消すことが出来る機能を搭載して、自由に振りかざせるほどの高い性能を持ったパーツは、わたくしの知る限りではお父様のパーツしかありえませんわ」

 なんだか漠然とした根拠だったが、彼女が言うのならそうなのだろう。疑うすべすら私は持っていなかった。

 しかし存在を消されたであろう生徒が一人出てきたということは、被害はこれだけには留まらないはずだ。それこそ千鶴のように、この学校にいたけれど消されてしまった生徒が、私達が知らないだけでまだ他にも大勢いるだろう。

 千鶴への糸口はまだ見えない。だけれど、消された生徒のことを調べていけば、解決には近づく。そういう啓示のような確信が、私はなんとなく胸の内に生まれるのを感じた。

 それは蔵乃下しづ先輩も同じだったらしい。

「では、そういう人たちの痕跡を探しましょう。まだ他にもいます。これは、わたくしの勘ですわ」

「どうやるんですか?」

 私は尋ねる。

「それはもちろん、聞き込みと人海戦術ですわ。捜査の基本ですわね」

 早速彼女は文学部部長、平松澄子に連絡を取った。勝負と言っていたけれど、こういう時には素直に協力するんだな、と私は少し微笑んでしまった。平松も谷端副部長と一緒に独自に聞き込み調査をすると告げて電話は切れた。

 結局この日は聞き込みに日を潰した。私は蔵乃下先輩と二人で学校中を歩いた。よく知らない場所にまで連れて行かれたけれど、彼女は完璧に地理を把握していた。

 蔵乃下先輩は、生徒を見つけては質問していった。普段から変人ではあるが有名人だしおまけにこの容姿なので、ほぼすべての生徒が無視をすることなく答えた。

 彼女の質問は、次の通りだった。「誰かがいなくなったような気がしない?」「見覚えのない生徒の噂などは知ってる?」「寮や席に空白はある?」「持ち主不明の荷物なんかはある?」そんなあたりを尋ねていた。私なんかが聞けば、精神の心配をされそうだったが、彼女ならふさわしいと言えばふさわしい。生徒も楽しそうに答えてくれる。蔵乃下先輩と話せることを、無上の喜びとする生徒も中にはいた。どうせ、ファンクラブのメンバーだろう。

 だが、目立った収穫はなく、別の場所を探していた戒能と鈴本先輩も、合流したときには残念そうな顔をしていた。そう一朝一夕に行くものでもない。この日は諦めて解散した。夕餉のときにも、蔵乃下先輩は、周りの生徒になにか尋ねていたが、私に目ぼしい連絡が入ることはなかった。平松と谷端のことを遠目でも見たが、本当に協力しているのか不安になってきた。いやそもそも、承諾しただけであって協力とは言っていないだろうし。

 寮で谷端先輩とすれ違ったときに、どんな調子か尋ねてみようと思ったけれど、そう言えばこの人はうちの寮の監督生だったことを思い出してやめた。深い理由はないが、監督生にはなんとなく近寄りがたい印象を受けた。それに妙に忙しそうだった。

 翌日、部活に顔を出すと平松と谷端が来ていた。

 蔵乃下先輩は、嬉しそうに私を招いた。この三人と鈴本先輩と戒能が机を囲って、話していた。

 いちばん大きな椅子に、無遠慮に鎮座していた平松部長は、私が腰掛けるのを確認すると、口を開いた。なんだか、こうして目の前にいるのを見るというのも、それなりに昔のことのようにすら感じた。その隣では谷端が立っていた。

「見つけましたわよ、手がかりを」

 精一杯、平松は胸を張った。

「過去に存在した形跡のない、それでいて誰も知り得ない生徒……その痕跡ですわ」

「何処でそれを?」

 私が尋ねると、平松先輩は蔵乃下しづみたいなウィンクを、明らかに慣れていない調子で私に飛ばした。変な人だと思う。

「存在の消し忘れというやつですわ。手書きのノートが見つかりましたの」

「手書きって、アナログということですか?」

 蔵乃下しづが訊くと、平松先輩は頷く。

「ええ。書いたのは、坂本アイネ、という人ですが、そんな生徒が在籍したという記録は、私が調べた限りでは、現在は残っていません。そして彼女を覚えている生徒もいない。もしかすれば、前にあなたたちが保健室に連れて行った生徒とも、何か関係があるかも知れませんね」

「でも、どうしてアナログなんかでノートをとるんですの? 授業の資料はすべてデジタルで配られますし、端末も種類問わず、持ち込みは許可されていますのに、非合理ではありません?」

「おそらく……そういう趣味だったんでしょうね。現在の持ち主に見せてもらったところ、基本的にはただ板書をそのまま書いているだけですが、端の方に要点をまとめてありました。それもものすごく達筆です。有料フォントかっていうくらいでしたわ……」

「変わった趣味ですわねえ……」

 そう漏らした蔵乃下先輩に、私が補足した。

「えっと、最近都会では流行ってるんですよ。アナログの文房具が。昔から定期的にブームが来るみたいですけど、今回のは最近になってからですね。なんでも、書き味がストレスの発散になるんだとか」

「あら、詳しいのね。誰から訊いたの?」

「友達からです。私の交友関係の中では、誰もアナログではやってないんですけど、クラスでは何人かいました」

「ふうん……気にしたことありませんわ」

 蔵乃下しづは、首だけを平松の方に倒した。結ばれた長い髪が揺れた。

「そのノートは隠匿されませんでしたの?」

「ええ……。なぜかはわかりませんが、あまりにもきれいなノートだから、内密にくすねたんだと思います。だから言い出せなかったので、人に知られることはなかったんですわ。私達が知り得たのは、実花の人脈です。彼女が時々個人的にやっている勉強会があるんですが、そこに見慣れないノートを持った生徒がいたと」

「綺麗だから、気になったの」谷端先輩は言う。「それは何か訊いてみたの。私も、前からアナログには興味があったから。そしたらその娘が急に謝るの。ごめんなさいって。糾弾しようっていうんじゃないのよ、ってなだめたら、そのノートは拾ったっていうのよ。一応、それでも返さなきゃ駄目よって叱ったわ。で、ノートを見てみると、坂本アイネさんっていう名前が書かれていたわ。聞き覚えはないし、うちの寮にそんな娘はいないと判断した。すぐにもうひとりのスパーホークの監督生に訊いても同じ答えだった。おかしいと思って、澄子と、香代美、それと生徒会長にも確認をとった。そんな生徒は知らないっていうのが総意だったわ」

 持ち主不明のノート……。

 千鶴の持ち物は、何一つとして部屋にはなかったというのに、そう考えると相当重要な手がかりのように思えた。

「ノートはその生徒に預かって貰っています」平松が蔵乃下を見る。「借りたいですか?」

「ええ、それはもちろん」

「そう言うと思って、もうアポイントは取ってありますよ」

「まあ! やっぱり澄子さんは優しいのね」

「…………私達だけが見るのは不公平だと思っただけですわ」

 その生徒の所属寮と部屋番号を彼女は話した。今から三十分後ぐらいに彼女の部屋に向かうとすでに告げてあるらしい。

「えっと、蔵乃下しづも来ますか?」

 平松先輩が恐る恐るそう尋ねると、その質問を言い終わる前に彼女は首を振った。

「いいえ、遠慮しておきますわ。わたくしが向かうと……ほら、緊張しちゃうでしょ、その娘が」

 昨日の生徒たちの反応を、彼女はそう捉えているらしい。単にみんなあなたに憧れているだけだ。

「変に自意識は高いんですこと……なら私が借りてきてあげますわ。一年だから、監督生の私が行っても怖がらせそうなのですけど、まあノートを借りるだけですし……」

「そうだわ。じゃあ榎園さんと、希巳江さんも着いて行ったらどう?」

 突然私達に話を振る蔵乃下先輩。私はともかくとして、戒能は驚いていた。

「あたしじゃ余計に怖がらせますよ?」

「でも、一年生同士面識を持っておいたほうがよろしくはないですか? 返却するとき便利でしょう?」

 まあそれもそうだったので、私は断らなかったが戒能はまだ不満そうだった。

「では、お願いしますね、ふたりとも」

 両手を合わせて蔵乃下しづは微笑む。

「その間にわたくしたちは、この坂本アイネさんについて調べておきますわ」


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