5

 翌日。

 釘崎先輩が憎らしく口にしていた、あのヘッドセットディスプレイを用いた授業が二時間目にあった。私自身がこの授業を受けることは二度目だった。

 隣のクラスと合同で行われる、効率を重視した編成だった。その分、一度に必要なヘッドセットディスプレイの数は増えるが、そう高い値がするものでもなかった。

 教室は、それ専用の広い部屋が使われる。席は名前順に割り当てられている。私は榎園だから、かなり先頭の方だった。

 授業が始まるまで暇だった。人と話して時間を潰す気にもなれなかった。

 教室の後ろを眺める。ここには、授業と授業の空白時間と昼休みにのみ、様々な部活の広告を流しても良いという決まりになっていた。『野球』『裁縫』『放送』ただそれだけのことしか伝わってこない大きな文字が、スクリーンに映っては消えた。部活の宣伝以外にも、学校行事や生徒会の募集まで映し出されていた。

 何かに属さなければ、この学校では生きることは難しい。それは、何度も実感した通りだった。

 千鶴も、もう少し早く何かに属していれば、消えてしまうこともなかったのかな。

 千鶴は、そういう集団行動が苦手だった。今にして思えば、そんなことすらもはや懐かしかった。虐められている彼女を守ってあげたことも、一緒に都会に出かけて危ない目にあったけれど二人でなんとかしたことも、夜中に電話で泣きついてきた彼女の相手をしたこともあった。

 こんなに思い出は残っているのに、それを証明する方法はない。

 千鶴との馴れ初めは、小学校時代にまで遡る。前述の通り、苛められている彼女を助けたことが始まりだった。今までろくに友達がいなかった彼女は、私という人間を過剰なくらい慕った。それからはずっと一緒にいた。私が友達を作っても、彼女が嫌がるから彼女を優先した。一人にすると心配だから、側を離れなかった。誕生日には遊んで欲しいとせがまれたので、その通りにした。帰り道、彼女を一人にすると誰に何をされるかわからないから、家まで送った。

 一緒にアロベインに入ろうと誓ったから、その通りにした。

 探して欲しいと頼まれたから、その通りにした。

 ここまでしてやったのにさ、あんたは今何処にいるの。

 やっぱり、一度殴らないと気がすまなかった。

 ボーッとしていたら授業が始まった。

 教員が、ヘッドセットディスプレイとy7の説明を始めた。私はそれを、端末にメモしていく。自動音声認識で文字に書き起こしてくれる機能は付いていない。学校側の意向だろう。仕方がないので、キーボードを使って打ち込んだ。右手が重い。疲れているのだろうか。

『ヘッドセットディスプレイは、バイタリティのモニタリング機能と干渉機能が搭載されており、装着者の健康状態と脳波をチェックできるし、特定の電流の流すと精神状態にも影響を与えることが出来る。主に娯楽コンテンツで用いられる技術だ。ちなみに、指輪型端末にも、規模は小さいが似たような機能が搭載されている』

 そんなような話だ。説明の回りくどい教員だったので、適当にまとめてメモした。

 しかし、こうして聞いていると、釘崎先輩には悪いが、私はこういう仮想現実には少し興味があった。電子人間という生き方には、さすがに憧れを持っていないけど、暇つぶしとしてはこれほど面白いものもそうそうないと思った。

 サボるでもなく、周りの人間を見る。私と同じ様に手を使って入力しているものが大半だったが、中には専用のペンシルを使って手書きで記録している者もいた。絵描きだと思われた。ああやって、ペンシルを扱う筋力を、普段の授業を通して身につけているのだから、その努力は計り知れなかった。

 そして端末を忘れたか、変わった趣味の生徒は、紙に鉛筆でメモしていた。つまりはアナログだ。都会では今アナログブームが起きていて、紙と鉛筆やシャープペンシルが売れていると聞くが、あんな面倒な入力方法、私は試してみたいとは微塵も思わなかった。非合理にもほどがあるだろう。わざわざ利き手ではない方で刀を握るみたいなものだ。

 ヘッドセットディスプレイを被るように指示を出された。いよいよy7に接続させられる。

 深呼吸をして装着する。

 目を開けると、今いる教室と全く同じ風景が写り込んでいた。人間も、ヘッドセットを被っていないアバターが表示されているだけで、全員がそこに存在した。

 一瞬、ここが現実なのか疑ってしまった。

 この感覚が釘崎先輩は嫌いなんだろう。

 教師はいつもと同じ様に、そのまま授業を始める。モニターに表示される文字も、現実と同じだ。

 現実と同じ?

 本当に私は、今y7に接続しているのだろうか?

 この視覚情報だけで、それを証明することが出来るのだろうか。

 起きたまま夢を見ているみたい。

 外に出れば、何が見えるのだろう。

 何も変わらないかも知れない。

 私は今、どちらにいるのだろう。

 わからない。

 右手を見る。

 疲労からくる重さは変わらない。

 こっち世界には、千鶴がいるのかな。

 現実と何も変わらないなら、どっちにいようと同じなのか。

 じゃあ、心配ないかな。

 なんて

 ――

 ヘッドセットを取るように指示されたので、私は頭の被り物を外すと現実の現実感を舐め回すみたいに吸った。間違いない。こっちが現実だ。

 深呼吸をした。

 変な感覚に陥っていた。

 この精巧さなら、向こうから帰りたくない生徒もいることに納得はできた。そして情報に脳を漬け込むと、その気持ちよさからもう逃れることは出来ないのか。

 見回す。

 授業の風景。

 教員の話。

 そして、見知った生徒。

 ――。

 その見知った生徒の顔に、急に見覚えを感じた。

 y7に接続して、頭がおかしくなったのだろうか。

 なにか、電気信号を受けて、変な情報を頭にインストールしてしまったのだろうか。

 隣の席の女……

 見知った顔。いやそれは当然なのだけれど、もっと以前の……アロベイン入学よりも前の……

「津島さん、あくびをしないで」

 その女が、注意を受けていた。バカみたいに大きな口を開けていたのを、慌てて閉じた。

 津島。

 そうだ。聞き覚えが、あった。その名前が、脳に噛んだガムのように貼り付けられている。

 この女……柚木脇をいじめていた女か。

 そう確信した瞬間に、私は自分でも意識しないうちに舌打ちを漏らしていた。



 授業が終わった。

 この時を、私は指を鳴らして待ち望んでいた。

 そそくさと去る津島の背中を、まだ教室に残って喋っている子たちの合間を縫って追いかけた。逃がすわけにはいかない。

 津島の肩を掴んだ。

 彼女は驚いて振り返ったが、同時にものすごくバツの悪そうな顔を見せる。

 別段、戒能のようにあからさまにヤンキーみたいな風貌をしているわけではない。めんどくさいのか短くまとめた髪の毛と、少しふくよかな体型が目立つ女だった。

「なんだよあんた……」

 津島はそう口にした。

 私は彼女をまっすぐに見ながら、言う。

「津島さんだよね?」

「ああ……? なんだよ……」

「柚木脇千鶴をいじめてたの、あんたでしょ?」

 そう告げると彼女は腕を振り払う。

「何だよお前気持ち悪いな!」

 怒り。

 そんな感情を顕わにすると津島は、廊下を走って目の前から消えた。

 ……。

 怪しい。私には、多少の偏見があるにせよ、そう思わずにはいられなかった。あそこまでの拒否反応、普通はするだろうか。逆に怪しすぎて、素直に疑うべきなのかすらわからない。

 とにかく、彼女についての話を聞いてみたくなった。教室に戻って、まだ残っている津島のクラスの生徒に声をかけた。三人の集まりだった。机に座って、いつまでも毒にも薬にもならないような世間話で盛り上がっていた。移動しないと次の授業に間に合わないと思うんだけど良いのか。

「ねえ、津島さんのクラスの人? 彼女のこと訊いても良い?」

 そう尋ねると、嬉しそうに一人は話し始めた。

 津島皐月。

 別に目立つでもない何処にでもいる女生徒だと一般には思われている。

 なんでも、中学時代は誰かをいじめていたという噂自体は流れているらしい。千鶴のことは知られていないのに、不思議なものだ。そんな話もあって、津島はクラスでは少し孤立気味なのだという。

 更に面白い話を彼女はしてくれる。

「その人のこと、殺したいぐらい憎んでたんだって」

 平和な学び舎で、そんな物騒な単語を聞くことになるとは思わなかった。

 千鶴に殺意を持っているのが本当かどうかは確かめようもないけど、もしそれが事実なら……私は津島を許すことは出来ないだろう。コンクリートに擦りつけて、ひき肉にするくらいじゃないと私の気は収まらない。

 それから、と女生徒は続けた。

「榎園さんのことを、避けてるみたい。あの人の友達から聞いたんだけど」

「……なんで?」

「さあ。理由はわからないけど、結構見られてるよ、榎園さん。あまり近くにいたくないみたい」

「……知らない間になにかしたかな、私」

「わからない。榎園さん、結構目立つ方だし、絡みづらいなって思われてるだけかもね。あ、あとそれから……」

「なに?」

「見たって人がいるんだけど、あの人、夜中で歩いてるみたいよ」

 また夜中の話。

「監督生もなかなか手を焼いてるみたいなのよ。いつも寮にいないってさ。あとあれ、いつだっけな、一週間前くらいだったかな。夜中にタバコを吸ってるっていうのを見た人がいてさ。ほら、なんか、小さい笛みたいなやつ」

 彼女の言うタバコとは、電子タバコ。紙タバコの異常な高騰から、何十年か前に急激に普及したと歴史の教科書で見たような覚えがある代物だった。今や紙タバコを見かけることはないし、どんなものなのか私も想像できない。

 もちろん法律で、未成年が喫煙することは禁止されている。

「…………そんな人だったんだ」

「うん……まあ、向こうも避けたがってるし、あんまり関わらないほうが良いよ。何されるかわからないから……」

 本下も夜中に出歩いていたという。もしかしたら、その夜中になにかあって、千鶴は巻き込まれてしまったのだろうか。このいずれかの女の手によって……。

 それは単なる憶測だってわかってはいたが、溢れてくる想像を止めることは、瞑想でも会得しない限り難しい。

 私の頭の中で、津島が占める割合が徐々に大きくなっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る