4

 プラネタリウム室、つまり準・文学部の部室へたどり着く。

「体調は大丈夫ですの?」

 椅子に座って釘崎先輩とノートパソコンを眺めていた蔵乃下しづが、私を心配そうに見つめた。

「はい、大丈夫です」

 とは言うものの、朝の一件があるからあまり釘崎妃麻に会いたくはなかったのだけれど、向こうは何も気にしない風体で、私を近くの椅子へ招いた。

 他には誰もいない。鈴本も戒能も忙しいのだろうか。

 私が遠慮がちに椅子に腰掛けると、妃麻先輩は私に画面を向けた。

「早速だけど、これ、見てくれる」

 目を凝らす。口語体の文字が並んでいるだけのテキストファイルでしかなかった。首を傾げてしまった。

「昨日のチャットのログなんだけど」彼女は説明する。「神隠しにあった生徒の友人から話を聞いたの。ちょっと病んじゃってアロベインを中退した娘だって。その娘を知ってるっていう人から紹介してもらった」

「へえ……凄いですね、そんな人と何処で……」

「y7では見つからないだろうから、外のインターネットにつなげて、掲示板で募集したらそういう話が入ってきた。だから……まあ、デマかも知れないから、話半分で読んでくれる」

 画面の文字を読む。妃麻先輩ともうひとりが会話している文面だった。挨拶や、それなりに他愛ないことをひとしきり投げかけたあと、妃麻先輩が本題に切り込んでいた。

 友人がいなくなったんですって? と尋ねると、相手の態度が少し変わった。そのことは、彼女の中でもタブーと言うか、深い領域にしまい込まれていたらしい。少し間があって、女は答えたと妃麻先輩は言った。

 ――誰か友人がいた気がする。でも思い出せない。いきなりいなくなったことは確か。

 ――いつ?

 ――学校辞める前。去年の、十月ぐらい。でも、誰がいなくなったのか、わからない。いなくなったことだけはたしか。

 ――確証はあるの?

 ――ないけど、身体が覚えてるよ。だって……それが原因で、私、おかしくなっちゃったんだ。心がおかしくなって、アロベインを辞めた。だって、もうあんなところにはいたくなかった。思い出しちゃうから……

 ――その友人が、あなたの妄想という可能性はない?

 ――……わからない。だから、おかしくなっちゃったんだと思う。もう考えたくもないって思ってたけど、あなたが知りたいならと思って、今日は向き合ってみた。本当は、誰かに話したかったんだと思う。結局、誰もその話を信じてくれないまま、私は逃げてきたから。

 ――ごめんね、辛いでしょ。

 ――いえ、これも……あいつが生きた証しだと思う。私が忘れちゃったら、あいつは完全に消えちゃうから。でも、私も思い出せないんだ。だれがいなくなったんだろう。あんなに仲良かったはずなのに、どうして思い出せないんだろう。わからないや。でも、私には大切な友人がいた気がしてならない。これだけは、確実。

 ――ありがとう。

 ログはそこで終わっていた。

 私はなぜか、暗い気持ちになっていた。

 友人がいなくなった彼女のことが、痛いくらいにわかってしまったからだ。

 けれど、それは今必要な感想じゃない。考えを戻した。かつて、私と同じような状況にある生徒が存在したのか。そのことを知っただけでも、かなりの収穫だと思った。

「しづ先輩、どう思いますか」

 真剣な顔をしながら、釘崎先輩は尋ねる。

「……もう少し、信憑性が欲しいですわねえ……」

「ですよね。私、もう少しこの人のことを調べてみます」

「お願いするわ」

「わかりました」釘崎妃麻は、頷く。「また機会を見て、本人に接触してみるのと、この人の知人などをあたってみます」

 さて、と呟いて蔵乃下しづは私に向き直る。

「では、早速調査を始めましょう」

 私も気持ちを切り替えて、頷いた。

「わかりました。何から始めるつもりですか?」

 ごく普通のことを尋ねてみたが、彼女は首を傾げた。

「うーん、何から手を付ければ良いんですの?」

「考えてないんですか……」

「考えてなくはありませんわ」蔵乃下先輩は胸を張った。なんというか、思った以上に結構ふくよからしい。「新聞部に追い出されたことが誤算だったんです。そうだわ、新聞部から何かを聞き出すつもりでしたの。丁度いいわ榎園さん、新聞部をまた訪ねてくださる?」

「え、追い出されたじゃないですか、私ごと」

「いいえ。榎園さんが新聞部に協力をする、という名目で接近すれば良いんじゃありません? 彼女らだって、情報を欲しがっているはずです。そこに漬け込めば、隙ができますわ」

「それって……私を出汁にするんですか?」

 不満そうな顔をしながら私は尋ねた。

「出汁だなんてとんでもない。これは知略ですよ。新聞部がy7と神隠しについてどこまで掴んで、何をしようとしているか、あなたに聞き出してほしいんです。とくに、本下さんの様子などを。彼女の動きを先取りして、わたくしたちは動きましょう」

「はあ。わかりました。先輩はどうするんですか」

「わたくしは、澄子さんに呼ばれていますので、すこし彼女に会ってきますわ。そこからは、先生方にでもあたろうと思います」

 結局、私は単独で新聞部に向かった。心細いわけではなかったけれど、先ほど追い出されたときのことが、ずっと頭の中に残っていた。



 新聞部までは、ここからだと遠い。まさか、この短時間にあそこを二度も見る羽目になるとは思わなかった。おめおめと戻ってきたと知れば、あの池田とかいう女は膨らませた風船みたいに怒るのだろう。その危惧がある限り、おいそれとドアをノックする気は生まれなかった。

 そもそも、なんで私がこんな……

 不満を口から漏らしそうになったけれど、私も全力で出来ることはするつもりだと決意したばかりだった。そのためなら、蔵乃下先輩の代わりに、いまいち会話の通じない新聞部に潜入することだって、労力を惜しむことはなかった。

 階段を上がって、廊下を曲がったところで私は驚く。

 人が私に飛び込んできた。

「わ……!」

 声に出してから飛び退こうとしたけど、肩がぶつかって相手はよろめいた。

「あ、すみません……」

 私は頭を下げて謝ったが、相手からは一言すら聞こえることはなかった。無視されている。

 なんだよ、ムカつくな。私は不満に思ってその相手を睨んだ。すると、彼女が異様な格好をしている事に気がついた。

 ヘッドセットディスプレイをしたまま歩いている。

 ふらふらと、前が見えているのか見えていないのか、それすらもわからない。いや、見えていたとしても、そんなことは彼女にはどうだって良いのだろう。

 聞いたことがあった。このところ、あの手の生徒が増えているらしく、学内で少し問題になっていると。ヘッドセットディスプレイを装着して、y7に接続したまま、現実世界に帰ってくるつもりの無くなった、無気力な生徒……。そういえば、たびたび礼拝堂で聞かされる話にも盛り込まれていた。そんな生徒にはならないように、という注意は、飽きるくらい聞かされた覚えがあった。

 怖いな、こんなのが増えているのか……この学校も、もう限界に来ているのだろうか。それとも都会の深刻さに比べて、些細な問題なのだろうか。都会のことを殆ど知らない私達には、その判断すらできなかった。

 気をつけないと、私だってあんなふうになってしまう。心を病んで退学をした生徒と似たような境遇にあるだけに、余計に不安を拭いきれない。

 案外、蔵乃下先輩みたいな人が、一番その方面に落ちそうな気配もしている。彼女が現実への興味を気まぐれで失ってしまったら、本当にy7から帰ってこないんだろうな、そんな想像は頭に円を思い描くことくらい簡単だった。

 ヘッドセットディスプレイへの恐怖心を釘崎先輩ぐらい募らせながら、私は新聞部に舞い戻った。

 また来てしまった。

 気が重くなる。いや、これも千鶴のためだと思えば、私は汚れ仕事だって進んで請け負うだろう。

 ここは平松先輩みたいな状況を促すのが良いのか? 向こうから準・文学部からの依頼をこっちに回せと正式に言わせれば、私はスパイとして潜り込むことだって出来る。中途半端に協力する姿勢を見せるよりは、蔵乃下しづを切りましたと伝えたほうが良い。

 問題は、それを信じてもらえるか、だろうけど。

 蔵乃下先輩は、私にそこまでの働きを期待しているのか? いやそこまで考えていない気がするけれど……。

 なかなか決めあぐねて立ち尽くしていると、新聞部部室の隣の部屋から話し声が聞こえてくるのが気になった。隣のプレートを見ると「準備室」とだけ書かれていた。ここも新聞部の領土なのだろう。

 ドアの脇に隠れて中の様子をうかがって聞き耳を立てる。今ここで見つかれば、不審者であることを言い逃れることは出来なかった。

 一年数人が、サボって愚痴を漏らしていた。

 聞く。

「へえ、あの部長って結構、不良なの?」

「みたいだね。あの人だから怖いんだね」

「あら……新聞部大丈夫なの」

「池田さんが頑張ってくれるわ。彼女がほとんど仕事やってるようなもんでしょ」

「どうかな……」

「部長が、夜中で歩いてたって聞いたことあるわよ」

 気になる。一年か。直接話せる相手だ。

 そこからの判断は速かった。私はその新聞部一年の集まりに顔を見せると、親しげに近づいた。

「ねえ、部長の悪口? 私、今部長の悪口のコレクションしてるんだけど」

「なにそれ」一人は笑った。「あなた新入部員だっけ?」

「ううん。榎園セリカっていうんだけど、さっき柚木脇千鶴を探してる件で新聞部に来たの」

「ああ、あの娘ね、さっき部長から聞いたわ」一人が答える。「部長もひどいわよね。聞くだけ聞いて追い返すなんて、ちょっとおかしいわよ」

 私は部長のことが気になって、直接尋ねた。

「夜中に出歩いてたって、本当?」

 一人が頷いた。

「みたいよ。監督生が見回りをしてるときにすれ違ったんだって。そんな夜に出歩くことなんて、普通はないじゃない? だから呼び止めたみたいなんだけど、部長は『取材です』とだけ行ってさっさと消えたらしいわ。もう、そんな事があると、私達まで変な目で見られるんだから……」

「何処に行ったわけ、それって」

「誰にも教えてくれないのよ。夜中だから敷地からは出てないと思うんだけど、そんな夜中じゃないといけないなんてこと、あるのかな……。まあ、あの部長、結構出掛けてるみたいだけどね、夜中に。だから言われるんだよ、不良だって……」

「それって、先週も?」

「ああ、それくらいの時期だったかなあ。新学期早々に一体何があるっていうのよ……」

 あの本下部長がこれほど評判が良くなかったとは、思いもよらなかった。

 それにしても夜中? 部活の時間外だぞ。まあ、生活を捨てて部活を取りそうな女だと思うけれど。

「池田さんはなんて?」

 一応彼女についても尋ねてみた。

「あの人も……何も言わないのよ。部長のことは詮索するなとまで私らに言ってくるわ。あの人のほうが、見方によっては気持ち悪いわよ。夜中までずっと働いてるらしいもの。談話室でよく見られてるわ。いつ寝てるんだって、噂されてる」

「私達にも仕事を振ってくるけど、それでも全然暇そうじゃなくて、更に忙しいみたいで……今学期に入ってからは、一番ひどいよ」別の一人が言った。

「それで皆勤賞だなんて……気味が悪いと思わない? きっと機械化能力者なのよ、池田さんって」

 一人が自信たっぷりにそう口にした。

 またもう一人が指を立てて説明を始めた。

「風邪を治すとか、栄養補給とか、睡眠部族解消とか、そんな機能も世の中にはあるらしいよ。それで寝ないでも平気なんだよあの人。ずるいよね、スペックが一般人と違うのに、同じ土壌で皆勤賞を競わせるかよ普通、っていう話だよね」

「機械化能力者っていう証拠はある?」

 私が尋ねたが、誰も首を横に振るだけだった。

「ううん……証拠はないわ。憶測」

「そうなの」

 これで池田についてなにかわかればよかったのに、残念だ。

 突然、耳に激痛が走った。

 痛――

「なにしてるんですか」

 目で向くと、池田だった。

 池田が私の耳を引っ張っていた。

 一年部員たちは、何も悪いことをしていないと示すために、結婚式みたいに姿勢を正していた。現金な奴らだ。

「痛い! なにすんだ」

「なにすんだじゃありません! これ以上介入するなと言ったでしょ?」

「ち、違いますよ! 証言ですよ証言! 話聞きたいでしょ私の!」

「必要ありません! もう調査は開始しています!」

 彼女は私の耳を離す。

 聞こえ方が変だ。鼓膜でも伸びたんじゃないか。

「いいこと? 何かあればこちらから伺いますから、あなたは関わらないでって何回言わせるの」

「…………」

 池田は去っていった。

 なんか、執拗なまでに、あの女は私を邪魔するつもりらしい。もう顔を思い出すだけで、不快な気持ちにならざるを得なかった。それに、彼女からはなにか変わった匂いがする。香水か何かだろうか。とことんまで他人にストレスを与えたい女なのだろう。

 一年部員たちに耳を心配されたが、お礼だけ言って私は準・文学部の部室に戻った。結局、本下には接触できなかったが、本下がよく出歩くらしいという癖を知った。

 それがどうしたと言われれば、それまでの情報だったけれど。



 結局、部に戻って蔵乃下先輩に報告だけはすると、「わかりましたわ。もう少し日を改めましょうか。今日は解散にします」と言われたので私は寮に戻った。

 自習の時間を自室で時間を潰していると、夕餉の時間になり、それを過ぎてしばらくすれば入浴の時間となった。いつも混み合うので、動けるときにさっさと入ってしまうのが吉だった。私は早速準備をして大浴場に向かった。

 目的の場所は地下にあった。外の階段をそのまま下りていくとたどり着く。他に入る方法はない。

 広めの脱衣所で服を脱いで裸になった。今更、恥じらうようなものでもなかった。

 風呂場には大きな浴槽がふたつと、シャワーセットが無数にある。普通の環境よりも湿気が強いらしく、ずっと除湿機が回っていた。

 先に身体を洗って、頭も洗ってから湯船に浸かった。髪はタオルでまとめた。この風貌では、知り合いに会っても気づかれないかも知れない。

 私はこの、湯船に身体を預ける瞬間が、頭が真っ白になるくらい好きだった。

「はあ…………」

 何人か湯船に浸かっているが、私は距離をとってため息を吐いた。

 気持ちがいい。

 全身を酸性の液体に漬けているみたいな感覚に陥った。

 このまま溶けて無くなってしまっても、私は構わなかった。

 ぼーっと、湯気で霞んでいる天井を眺める。こういう時は、意味のない考え事が捗る。今日も色々とあった。思い返せば選り取り見取りだった。そのままお湯に頭を沈めて、眠ってしまいそうなくらいに。

 千鶴のこと。

 池田のこと。

 本下のこと。

 蔵乃下先輩のこと。

 それらを取り留めもなく、暇つぶしでボールを触るように思い出した。

 新聞部に手柄を取られようと、準・文学部が廃部になろうと、実のところ私にとっては千鶴さえ見つかればどうでもいい。そう思っていた。だけど蔵乃下先輩に惹かれている自分を否定することも出来ない。この事件を解決できるのは、蔵乃下先輩しかないだろうという確信のようなものは、感じていた。

 だから、何だってすると誓ったんだ。

 彼女となら、千鶴を見つけ出せるんだ。

 妃麻先輩も、なんだかんだ言って協力してくれているし。

 そう信じるしか、私には残された手段はない。

 鈴本先輩だっている。

 戒能だって、私を心配してくれている。

 蔵乃下先輩に出会ってから、協力者が増えている。これは明らかに好転していると言えるだろう。

 結局あのチャットの相手は、事実なのだろうか。それを今調べているらしいが、それの是非によって、今後の動きは変わってくるはずだ。

 気になるのは上中の態度、本下と池田の態度。何かを隠していると言ったら失礼だろうけれど、怪しいといえば怪しい。

 彼女らの中の誰かが、機械化能力者で、どうにか機能を使って、今回の一連の事件を引き起こしたのか。

 人を電子人間に変換する機能なんて、犯罪には実用的だろう。

 その電子人間は、私の友人のふりをして、メールを出して私を動かしている。

 ……眠い。

 急激に眠たくなった。

 さっさと上がって眠るか。朝も早かったことだし、仕方がない。

 湯船から出ると、こちらに向かって歩いてきた戒能とすれ違った。

「あ」とまでは声に出したけれど、お互いそれだけで終わった。なんだか、裸でいることだし、変な干渉は避けようという心理が、私の中では働いていた。

 彼女は今日見かけなかったが、何をしていたのだろうか。

 気にはなった。だけど部屋に帰ってベッドに横になる頃には、戒能のことなんて小指の爪先ほども覚えてはいなかった。

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