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 授業が終わった。時刻は十四時を過ぎたところだった。

 ここからは、一般には部活動の時間となる。私は蔵乃下先輩に呼ばれていたことを思い出して、友達との会話もそこそこに、生徒会室に向かった。いまだかつて、そこには近づいたこともなかったので、少しの恐れ多さを覚えていた。

 六号館の更に奥に、隅に追いやられた、爪弾きみたいな家屋がある。外壁は真っ赤で、一見すると何を目的に建てられた施設なのか全くわからないが、この不審な建物が、いわゆる生徒会室だった。

 二階建ての、この学校にしては小振りな作りだった。外壁の趣味の悪さから一部では「ファンハウス」なんて気取った呼び方をされて、嘲笑の対象にされることもあるが、決して生徒会自体が軽視されているわけではない。

 むしろ、ある程度の自主性を重んじる校風からか、生徒会にすら学校業務の一部を丸投げしており、生徒会の権力は話ツィたちが想像するよりもずっと大きいものだと伝えられていた。各部活動の予算等は、主に生徒会の判断で決定される。そのために、生徒会長に媚びを売る生徒はおろか教員も少なくない。

 まあ生徒会を担当する教員も見守っているから、おかしな暴走をし始めることは少ないと思うけれど。

 ここで会議があるということは、今まさにその予算を決める活動報告会が行われているのだろう。そう考えると、私のような帰宅部が不躾に立ち入るのは憚られた。

 正面の玄関から中へ入ると、話し声が聞こえてくる。

 廊下から近くの部屋を覗くと、中では机が長方形を形作るように並べられ、生徒たちがそれぞれの席に座っていた。三年ばかりだった。つまり、様々な部の長が集まっている。ひと目見ただけでも「これは会議中である」とわかるほど、歴然とした状態だった。

 その中には蔵乃下しづの姿もあった。すっぽりと収まるように、文学部の平松澄子部長の隣に腰掛けていた。真面目に受け答えをしている様に見えて、それ以外は暇そうに他の部の活動報告書に目を通すこともなく、ぼーっと窓の外を見ていた。私と目が合うと、彼女はウィンクをして、唇だけで「ちょっと待っててくださいね」と告げた。私は同じ様に口で「集中してください」と言ったが、通じてはいないようだった。その瞬間を平松に見られて、口に人差し指を当てて制された。なんで私が邪魔をしているみたいな扱いになってるんだ。

「蔵乃下さん、聞いていますか?」

 と鋭い口調で、蔵乃下しづは叱られた。

 声を発した主の方を見る。あまりにも、何処にでもいそうな人物が、一番偉そうな席に座っていた。

 位置関係から察するにあれが……

「嫌ですわね、生徒会長。ちゃんと聞いていますわ」

 きちんと座り直して、しづ先輩が誤魔化すようにそう答える。

 あれが、生徒会長か……。

 その実しやかに囁かれる生徒会の大きな権力、学校を影で牛耳るとまで言われる風聞からは想像すらできないくらいに、何処からどう見ても凡庸な人物が腰掛けている。あまり色眼鏡で人を見るべきではないだろうが、その生徒会長は、人の噂に比べると普通、平凡、地味としか形容できなかった。

 こんな人物だったのか。初めて見た。いや、絶対に入学式などでは確認しているはずだが、あの程度の特徴では、全く覚えていなくても無理もないだろう。

 平均的なセミロングに整えられた髪型。都会にある学校指定の美容院で「おまかせ」を頼むと十回のうち七回はこうなるだろう形だった。中肉中背で、指先だけはすらりと長かった。

 校内ですれ違っても、生徒会長だとは気が付かないだろう。

 名前は確か……鳥屋原、とか言っただろうか。人の話で、名前だけは覚えてしまっていた。

 よほど隣の副会長のほうが、尊大な態度から、会長らしくも見える。彼女のことは何も記憶にない。

 鳥屋原生徒会長は、蔵乃下先輩を追求した。

「えっと、蔵乃下さん。準・文学部は、どうも活動内容が不明瞭なようですけど」

「それは、わたくしの気分ですわ」

「……うーん、それじゃあ駄目なんですよね。きちんと報告してもらえないと、予算が降りませんよ」

 反論しづらそうな蔵乃下先輩の代わりに、隣にいた平松澄子が口を挟んだ。

「会長。準・文学部は会報も書籍もまだ発行していませんし、そもそもそれでは文学部と活動が被ってしまいますわ。まだ考える時間が必要なのではないでしょうか?」

「そうですね……じゃあ次までに活動内容を決めておいてくださいね。絶対に」

 とりあえずは難を逃れた蔵乃下先輩は、小声で平松部長にお礼を言うと、平松は嫌そうな顔をした。

「それで……準・文学部は現在何をしているんですか」

 生徒会長の追求は続いた。こうして鑑みると、本当に最近できた部なのだなということを、思い知らされた。

「現在は……人探しですわ」

 蔵乃下先輩が、そう答えるとあたりがざわついた。私も、まさかこんな場で発表されるとは思っていなかったから、すこし恥ずかしいような変な汗をかいてしまった。

「人探しって……準・文学部なる名前から、随分かけ離れているみたいですけど」

「それは仕方ありませんわ。名前が他に思いつきませんでしたから。それではこうしましょう。今回のこの事件のことを、会報にしてまとめますわ。それで文句ありません?」

「できるんですか?」

「やらないわけには行きませんもの」



 会議が一時間ほどかけて終わった。ぞろぞろと部長たちが廊下に出てくる。私は邪魔にならないように隅で丸くなっていた。

 何をやっていたのか、一番後に出てきた蔵乃下先輩は私を見つけると、手を振りながら近づいた。

「おまたせしましたわ」

「ああ、いえ。大丈夫なんですか、千鶴のことなんて手伝ってて」

「会報にするって言いましたでしょ? 利害は一致していますわ」

 私の肩に手を乗せる彼女。

「では、今日からご友人を一緒に探しましょう。当然依頼主にも働いてもらいますよ」

「はい。できることなら、何だってするつもりです」

「良い心構えですわ」蔵乃下先輩は、また楽しそうに口にした。「さっきアポイントを取りましたの。早速会いに行きましょう」

 彼女は廊下を突き進んで外に出た。日差しが眩しい。私はそれに着いて行く。

「誰に会うんですか?」

「新聞部ですわ。おそらくこの学校で、一番の事情通ってやつです」

 y7のニュース欄の更新を担当する、校内でもかなり重要な位置にいる部活だった。外部のことを知るには、y7のニュースを読むしか無いからだった。

 その部室は六号館にある。奇遇なことに、生徒会室からはほど近い。途中で平松先輩が私達の邪魔をするか、もしくは妬んで着いてくるかどちらかをするんじゃないかと思ったけれど、蔵乃下先輩は「文学部は、実際今はとんでもなく忙しいですからね……」と漏らした。千鶴を探してくれる暇なんて、本当は欠片も捻出できないのだろう。

 新聞部部室は、それ専用に作られた部屋があてがわれている。もともとは別の教室を間借りしていたようだが、増築と評判向上を機会に、専用の部室を得ることが出来たのが、今から数年前だと蔵乃下先輩は話した。

 廊下の突き当たりの扉。そこが新聞部だった。推測するにおそらく、準・文学部の三倍ぐらい大きな部屋なのかもしれない。

「ここですわ。ではノックをしますね」

 宣言してから、蔵乃下はしなるような腕で扉を叩いた。綺麗な木製を打つ音が、楽器みたいに響いた。

 それから程なくして、仏頂面の女が、扉の中から顔を覗かせた。もちろん平松ではない。別の人間で、リボンの色を見ると二年生だった。

「……あなたは?」その女は嫌そうに口を開いた。

「蔵乃下しづと申しますわ。準・文学部部長です。本下部長はいらっしゃいます?」

「ああ……さっき誰か来るって言ってたっけ……。部長は中にいます。どうぞ」

 中へ招かれる。机には全て最新のコンピューターが乗っており、それらを多数の部員ひとりひとりが操作していた。準・文学部と比較すると、考えられない人数だった。これが、一流の部活のあるべき姿なのだろうか。ここから、あの膨大なニュース欄の記事が産み落とされていると考えると、少し感動する。工場見学に来たときみたいな気持ちになった。

 そのまま奥の部屋に通された。大きな机、パソコン、それぞれが一つ。ただそれだけの空間だった。

「部長。お客さんです」

「ありがとう、池田さん」

 じっと机で作業をしていた部長がそう言うと、仏頂面の池田という女は頭を下げて去った。

「先ほどぶりですわね、本下さん」

 蔵乃下しづがスカートを持ち上げて挨拶をした。

「ええ、しばらくぶりね、しづ」

 本下部長はようやくディスプレイから顔を上げて、椅子から立ち上がって、蔵乃下しづと私の前で会釈をする。

 本下藤子、という名前は、私でも聞いたことがある。ニュース記事の最後には、だいたいその名前が、肩書きとともに記載されていた。新聞部部長。実際こうして目にすることは初めてだった。さっきの生徒会の集まりでも見かけたと思うが、この女も生徒会長ほどではないが地味な風貌をしていた。

 古風な三編みを後ろに垂らしていること以外に、外見の特徴はない。余った髪は、寝癖みたいに跳ねているが、おそらくそういうセッティングなのだろう。

「戻ってらしたのね。確か、サーシャ女学院に行っていたとか聞きましたけど」

「ええ……ここ二日程は。取材でね」

 サーシャ女学院とは、山を降りたところにある、所謂アロベインのライバルを自認するような学校だが、偏差値では遠く及ばない。校風がやや類似していることから、アロベインを落ちた人間が入ると、その傷をある程度は舐めることができると言われている。

「そちらの方は? 新入部員? 活動方針も決まってないのに部員を入れるの?」

「いいえ、こちらは、榎園セリカさん。さっき申した通り、人探しの依頼人ですわ」

 蔵乃下部長が私を示したので、私は遠慮がちに頭を下げた。

「あれ、嘘じゃなかったんだ。てっきり方便かと思ってたわ」

「わたくしが、そんなウソを吐くような人間に見えまして?」

 蔵乃下先輩は腕を組んで微笑んだが、本下は一切笑わなかった。

「それでこの事件のこと関して、新聞部部長様にお伺いしたいことがあるんですけど、聞いていただけますか?」

「なによそれ。良いけど、じゃあまず事件のことを教えてくれる?」

「構いませんわ。榎園さん?」

 促されたので、事件の概要をこの本下部長に私は説明した。話し始める前に本下はまた先ほどの池田を呼び戻した。二人で聞いておきたいのだろう。昨日で二回も千鶴の事件についてを人に話したので、簡潔にまとめることが出来た。

 聞き終えると本下部長は唸った。腑に落ちないのだろう。

「そんな事件……耳にしたこともないわ。y7に神隠しって……いつの時代の話よ」

「あれ、じゃあいなくなった生徒の話も存じませんの?」

「何も知らないわよ……」

「早速調査しましょうか」池田が部長に耳打ちをした。「早いほうが良いかと」

「ええ……お願いするわ」

 そう言うと、池田は端末で何処かへ連絡を取り始めた。

「あら、ということは、新聞部も手伝ってくれますの?」

 蔵乃下が手を合わせて喜んだが、池田は手を止めて、不機嫌に口を挟んだ。

「違いますよ。何言ってるんですか。ここからは私達新聞部の範疇だから、口を出すなってことですよ」

 そう告げられた蔵乃下は、不満そうに唇を曲げた。そんな表情は初めて見た。

「……どうしてですの?」

「素人にうろつかれると困るんですよね。仕事がやりづらくって」池田は、また面倒くさそうに答えた。根本的に、蔵乃下先輩のことが、あまり好きではないらしい。「えっと、榎園さんだっけ? なんかあったら私から話を聞きに行くからさ、それまでは君も大人しくしててよ」

「え、ちょっと横暴じゃないですかいくらなんでも」

 私がそう口にすると、蔵乃下先輩も言う。

「生憎ですけど、そんなの認めるわけにはいきませんわ」

「認める認めないじゃなくて――」

「いいですこと? これは、わたくしが彼女から請け負った依頼です。わたくしを頼ってくれたんです。彼女は。わたくしはそれに応えるのが義務です。あなた達の言う通りにして、途中で放棄するわけにはいきませんわ。たとえあなた達が邪魔をしようとも、わたくしは調査を続けます」

「……邪魔じゃなくて、素人は引っ込んでてくれってお願いしてるんですよ、頭固いなあんた」

「あなたみたいな石製の脳みそに言われたくないですわ」

「まあまあ、待ってよ、池田も」

 本下部長が気だるそうに声を上げると、二人が黙った。

「……もう。気持ちはわかるけど、池田、あなたも張り切って無理しなくていいのよ。今の所、授業だって皆勤賞でしょ? そのうえ大事な仕事まで任せてあるし、身体に障ることだけはしないで」

「はい……ありがとうございます」

「しづも、気持ちはわかるけど、私達の邪魔はしないで。こういう事件の調査は、私達の義務なの。ニュースにすべき価値があるのよ。だったら専門家に任せるのが普通でしょ。あなたにはなにかある? 会報のネタ? そんなの、さっき考えたんでしょ」

「いいえ」

 蔵乃下しづは、まっすぐに胸を張った。

「榎園さんに、誓いましたから」

「先輩……」私は嬉しかったのか、なんだかよくわからない感情を吐露するみたいに、変な声を出してしまった。

「……もういいわ」

 わざとらしいため息を吐いて、本下が池田に向かった。

「池田、もう帰ってもらって」

「わかりました」

「ちょっと、お待ちなさい。まだ聞きたいことが……」

 池田に背中を押されて、出口まで連れて行かれた。その際に、部員の連中に、見世物を提供するような気分になった。

 外に追い出されて、扉を閉められた。

 沈黙。

 煮えきらなくなって、二人で顔を見合わせた。あの蔵乃下先輩の美しい顔ですら、困っていた。

「……やられましたわ。結局何も聞き出せないどころか、事件のことを聞かせるだけ聞かせてしまいましたわね……」

「……本下部長と仲でも悪いんですか、先輩」

 蔵乃下先輩は、恥ずかしそうに顔を掻いてから言った。

「うーん、悪いとまでは言いませんけど、どうも反りが合わないんですの、新聞部って……。本下さんとは話すこともあるんですが、友人とまでは言えませんわね。お互い事務で接しているようなものですわ」

 本下と新聞部について、蔵乃下先輩に説明された。

 y7のニュースを担当していることは、すでに説明したとおりだ。その功績から、校内での発言力は実質的に生徒会に並ぶほどだと言われていた。事実、新聞部の一存で廃部にされた部も存在したりしなかったりすることは、一年の間でも基礎教養みたいに知れ渡っていた。教員にすら口出しできるということから、その風聞もそれなりに信憑性があった。

 中でも新聞部の特権を象徴するのが、本下に出されている外出許可だった。通常、このアロベインは原則的に、平日の外出が禁じられており、私達一般の生徒が都会の空気を吸うことができるのは、礼拝を終えたあとの、授業のまったくない日曜日のみであった。

 この日を利用して、外へ必要なものを買い出しに行ったり、学校指定の美容院で髪を整えたり、映画館や屋内遊園地でこっそり暇をつぶしたりするのが、アロベインの学生の平均的な娯楽生活だった。もちろん校内にとどまって自室や部活動に勤しんでもいい。

 そういった縛りがあるにも関わらず、本下は取材のために平日の、しかも授業のある時間帯ですら外出を許可されることもあり、彼女の特異性を如実に表していた。もともと優秀だから、それほど授業に出る必然もない、という事実から出た外出許可なのだろう。私なんかでは、信じられない世界だった。

 外で集めてきた情報を部に持ち帰って、アロベインで引きこもっていては知ることが出来ない都会のニュースを、一般生徒に流布させることに本下は成功しているとなると、頷けるものも多かった。

 本下をなくしては、われわれは外の世界を知ることが出来ないなんて、鳥かごに押し込められているみたいで嫌だった。

 話し終えて満足したのか、蔵乃下先輩は切り替えた。

「さて、では部室に向かいますか。妃麻さんがなにか掴んでるみたいですから、少し楽しみですわね」

 その前にすみません、と私は蔵乃下先輩に謝る。

「あの……ちょっと保健室に言ってきてもいいですか?」

「あら、どうしたの?」

「いえ……その、お腹が痛くて」

「あ……すみませんね、では、先に向かっていますわ。部室で待っていますね」

 私は申し訳無さそうに、彼女に見送られながら校舎を降りて行った。

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