2章 ピンクリリィと二人になろう
1
我が校である私立アロベイン女学院高等部の一日は、強制的な礼拝から始まる。
毎朝、寮ごとに生徒が集められ、その日の日課や心がけや聖書の話や簡易的な連絡事項の話をされた後に開放され、授業までの暇な時間を与えられる。礼拝の前に、軽い朝食を済ませているので、空腹で倒れることはない。寮は四つあるので、それぞれがおよそ十分の時間を要し、終わると次の寮の集まりと入れ替わる。この時間の後先は、一週間の初めにくじ引きシステムで決められており、結果はy7に掲示されていて、生徒はその確認を義務付けられている。体調が悪い場合は、監督生に連絡を入れればいいと聞いたが、私はまだそんな目には遭ったことがなかった。
山奥に存在する典型的なこのお嬢様学校は、高等部の他にも初等部、中等部、そして大学までそう遠くない場所に位置していた。山道を進んでいけば、険しいだろうがいずれはたどり着くだろう。私なんかは高等部から受験で入ったので、それらが何処にあるのかも知らないのだけれど。
山奥という都会から大きく離れた立地だからなのか、みんなテクノロジーには疎い生徒ばかりが集まる印象がある。都会的なシステムに疲れて、古典的な教育姿勢に惹かれた親が入学を熱望しているのだと推測され、実際、高い入学金や授業料というリスクが有るのにも関わらず、志望する生徒が絶えずそれなりの高倍率を維持していた。
以上のような篩をくぐり抜けてきた生徒は、生粋の金持ちや、教育に手のかかったお嬢様や蔵乃下しづのような変人が揃っていことになると、誰かが言っていたのを聞いたことがある。私なんて凡人も良いところだけど、周りを見ていると、確かに最近では余り見かけることのない、一本芯の通った淑女感みたいなものを感じざるを得ない。話をする際にも、最初は少しだけズレを感じてしまって戸惑ったのを覚えている。
そして制服も人気が高かった。到底合格できるはずもない程度の学力や資産の薄い生徒ですら、このアロベインに憧れを持つのも、制服が理由だとされていた。
藍色を基調とした、ワンピースみたいな形の、妙に長いスカートが目立つ形をしている。その中にワイシャツを着込んで、首元にリボンを装着すれば装いが完成する。
一見すると欧州あたりの古風な風貌に、自己陶酔を覚えることも少なくない。袖も長く、防寒性も高い。夏服はデザインは似たようなものだが、やや生地が薄くなり、中のワイシャツの袖が短縮される。
確かに、普通に生きていれば、こんな格好を堂々とすることもないから、一度くらいは着てみたいと思うのも、不思議な考えではなかった。
胸元のリボンは学年で別れており、入学年度によって校長の気まぐれで変わる。現在の三年生は赤、二年は黄色、一年は茶色。この通り一年生は圧倒的に地味な色のため、せっかくのアロベインの制服だというのにとの不満も、教室内では執拗に聞こえることもあった。
我が校はなんというか、前述から察せられる通り、伝統や厳格さを過剰に重んじる校風をしていて、古い歴史を持つ宗教を元に設計されており、由来のよく知らない神への信仰心も基礎教養に含まれる。この過程を経て、現代ではすっかり見られなくなった逞しい淑女が育成されることに定評があった。卒業生は、高い学費に見合っただけの評価を、ただ卒業したと言うだけで世間から得ることができる。値の張る保険だと思えばいい。
もちろん勉強も信仰心も大事だが、この学校最大の特徴は部活動だった。自主性と協調性、創造性を推し量るためという名目で部活動に熱心で、比較的授業は他校に比べると早めに終わり、部活動には全員所属することが、義務ではないが強く推奨されていた。もう述べただろうが、帰宅部の存在価値は無いとされている。
校舎も制服同様に欧州にあるものと似ていた。増築を未だに繰り返すことで有名であり、現在は六号館まで建っているのにも関わらず、七号が近々建設されるという噂が絶えることはなかった。ただでさえ内部構造自体が複雑なのに、同じような校舎がまた増えるというのだから、たった三年在籍したくらいでは、アロベインの全容を計り知ることは、私なんかには不可能なのかも知れない。
そして当然のように全寮制だった。生徒と教員は、全員四つの寮のいずれかに所属させられ、日頃の行いに対する評価は、主に寮全体へと還元される。
そんな学校から人一人を消すなんて、一体何が起きたのだろうか。
自室で、簡単な身支度をする。
朝食のために、食堂へ向かう準備を整えていた。
寝間着で出歩くことは当然禁止されているので、ここで起き抜けに制服に着替えることが一般的なルーチンだった。髪を梳かして、備え付けの水道で顔でも洗って、それからまあ肩でも回していれば、その時間は来る。今日は礼拝が一番早い日なので、やり残したことがあれば、礼拝が終わってからの空いた三十分程度の時間に済ませればいい。
制服を着て、鏡を見た。何故かこの部屋の鏡は、低い位置に置かれていた。持ち上げるのも面倒だったのでそのままにしていた。そこまで容姿に気を使う側の人間でもないし。
いつもどおりの生気のあまり感じられない顔を見ながら、私は適当に髪を整える。もう入学から二週間くらいか。この工程にも、いささか慣れを通り過ぎて飽きてきさえした。
それでも、初週のことは忙しすぎたのか、何も覚えていなかった。上級生が主催する新入生一同参加での交流会があったらしいが、私はそんな記憶すら無くしていた。食事の席で眠っていたのだろうか。そう考えると恥ずかしくなったので、その日のことは誰にも尋ねることが出来なかった。
出る前にパソコンの電源を入れた。あまり時間がないのはわかっていたが、自習のデータ整理とメールチェックが気になってしまったので、すぐにやっておきたかった。その作業は程なくして終わった。
こうして見ると、なんだかよくわからないファイルが大量にあって、目が回ってくる。整理整頓が苦手なのかも知れない。その中には『柚木脇千鶴用』と書かれたフォルダも存在していた。何を入れたかは思い出せないけれど、おすすめの音楽データかなにかでも詰めたのだろう。消してしまうと、千鶴の存在を否定してしまいそうだったから、どうにも消せなかった。
外に出て、何人かの生徒のあとについていくと、食堂。寮生が全員押し込められるほど巨大な建造物だった。年季の入った古臭い長机に、それぞれ決められた席で待っていると、自ずと朝食が運ばれてくる。別段、美味しいとも不味いとも、もう感じなくなっていた。
首を回して周りを眺めると、昨日で覚えた顔を確認できた。鈴本先輩、谷端先輩、そして平松先輩は監督生なので、自分たちが担当する寮生をある程度取り仕切っていた。まあ、そんな無秩序な輩がいるわけでもないので、鈴本先輩なんかは、さっさと自分だけ食事を終えて出て行ったけれど。
それでも、蔵乃下先輩の姿はない。あんなに目立つ人、いたらすぐにわかりそうなものだけれど、なにかの気まぐれで、朝食を食べるつもりがないのだろうか。あの人らしいといえばそうだった。
食事を終えると、片付けをしてすぐに礼拝堂に向かった。食堂を出て、少し寮の方面へ戻ると、中庭の近くにその建物はあった。二階建ての、いかにもと言った宗教施設だ。真っ白い壁が、いつも眩しかった。落書きをすれば一生残るんだろうな、なんてくだらないことを毎朝考えている。
ありがたそうな話と日課の話、聖書の話……そして学校の話。それだけのことを、毎日十分程度耳に振りかけられて終わった。最後には全員で祈る。今までの人生で、神様に祈ったことがなかった私は、未だにこの瞬間は、何を考えたら良いのかわからなかった。ただ千鶴が見つかりますように、と場違いなことを多分一人だけ頭に思い描いていた。
それでも心が洗われたような気がするから、不思議なものだ。場所の力というのは、私達が甘く見ているだけで、本来は人の人生を変えそうなくらい凄まじいのだろう。
さて、時間はあるがすることもないのでさっさと移動しよう。
私は端末からy7に接続をする。専用のローディング画面は、のっぺりとした印象。ただチカチカしたゲージが左から右に伸びていくのを、眺めるだけの時間だった。繋がると、そこはメインページ。ベージュみたいな色をした白いインターフェイスが特徴的だった。そこに青で縁取られたウィンドウが開いていく。四角いアイコンが浮かんだ。可愛げもクソもない、無機質な造形だった。背景は、なんだかワイヤーで出来たパイプのような模様が、かすかに動いているのが、時々目に触った。
これがy7の基本的なデザイン。余計な予算をかけず、なおかつシンプル故に格好良くも悪くもないというラインを狙って作られているのだろうか。
アイコンを開いて、時間割を確認した。メインページから時間割という項目に飛べば、学校全体で行われる今日一日の授業が一目で把握できる。ニュースの項目も近くにあったので、ついでに目を通すこともある。大体は校内の連絡事項に終止するが、ここ最近は学外の情勢が積極的に記事にされている。静止画の他に動画データも添付されている場合がある。
この他に、仮想空間まで用意されているというのだから、私はy7の全てを理解することはもはや無いと思っていた。
本当に、千鶴がここにいるというのならその限りではないけれど。
首を振って、y7から意識を外して、教室に向かった。いきなり移動教室だった。朝からため息が出る。
四号館の三階まで上がる。足を出しながら、昨日も来たな、なんて感慨にふけった。蔵乃下先輩は、まさか朝食も食べないで千鶴のことを調べてくれているのだろうか。だとすれば、足を向けて寝られない。菓子折りでも売店で買って持って行かないと。
廊下を突き進んでいると、窓から音がする。
風の音だろうと思って無視していたが、途端に強い音がする。ガラスを殴るみたいな……。
見ると、そこには、窓の外には釘崎妃麻先輩がいた。
「あ、おはようございます……」
頭を下げたが、先輩は窓を指差していた。そして口を開く。声は聞こえない。
『あけて』
そう言っている。言われたとおりにしようと思ったところで、私は気がついた。
なぜ三階の窓に、この女が張り付いているのか。
背筋が寒くなって、慌てて窓を開けた。窓だけはアナログの施錠だった。ガラガラと大げさな音を立てて、窓は横に開かれた。
「なにやってるんですか!? ここ三階ですよ!?」
彼女の腕を取って引っ張る。
妃麻先輩は、だからどうしたという風な顔をして、廊下に降り立った。
「助かったよ」
涼しい口調で、そう呟く彼女。
「死ぬつもりですか……?」
「いいえ、別に。下から飛んできた。授業、サボろうと思って」
彼女は指をさす。窓の下の方を。
その言葉の意味が私にはわからなかった。バカみたいな顔をしていると、彼女はめんどくさそうに説明を始めた。
「ああ…………機械化能力者なんだよ、私も。足が機械で、高く飛べるんだって」
「そうなんですか……」
もう機能自体は、驚くに値しなかった。三階に直接飛び込もうという彼女の考えの方が、私には信じがたい。
「どうして昨日言ってくれなかったんですか」
「別に……聞かれなかったし」そして彼女は、軽いため息を吐いて漏らした。「どうでもいいよ、こんな機能……」
「どうでもいいって……」
「私には、必要ないんだよ、こんなの。邪魔なだけ……子供の頃から、ずっと要らないって思ってた。なんなら、足が無くなったほうが、マシだったよ。歩かなくていいし」
「何言ってるんですか……」
「まったくさ、なんでこんな事になっちゃったんだろうね」
表情は見えなかったが、声色は、今までに聞いたことがないくらい、悲しみに満ちていた。
私は何も言えなくなって、ただトボトボと歩く彼女の後ろを着いて行った。部室の方に向かっていた。そこまで来て、ようやく疑問に思った。
「あの……授業、こっちなんですか?」
「違うよ。サボりだって。部室で隠れとく」
そんな子供みたいなことを平然という先輩だとは思わなかった。
「な、駄目ですよ、授業は出ないと」
「嫌いなの」
「何がです?」
「y7と、ヘッドセットディスプレイ。酔いそう」
そういう授業があることは知っていた。先週一度だけ受けたはずだった。ヘッドセットディスプレイを用いて、y7の仮想空間にアクセスしてみるという趣を持った授業だった。一般の生徒には、変わった体験ができることから好評だったが、釘崎先輩は違うようだ。そういえば、昨日もy7が嫌いだって言ってたっけ。
「二年になってから、一回は受けたよ。だけどもう嫌。気持ち悪くなってくる。前回と今回で二回サボった。私には、合わないんだよ、ヘッドセットなんて。ノート型が一番」
「配布の指輪型はどうしてるんですか」
「あれはノートのサブディスプレイにしてる。画面一個じゃ不便もあるから……」
「……そんなので、去年の単位は大丈夫だったんですか?」
「去年は全部出たよ。嫌だったけど。だから今年は許してくれるよ、きっと」
学校がそんな人情に支配されているとは到底思えないが、彼女は自信満々にそう口にする。
部室の前まで来る。プラネタリウム室。鍵は開いている。
「気が向いたら出るよ。それか、単位がやばいって言われたら」
「そうですか……」
教室に足を踏み入れたときに、釘崎先輩は思い出したようにこちらを振り返った。
その目は、すこしだけ侮蔑の意味合いが含まれていた。
「ねえ、あんたさ。しづ先輩に何させようっていうの?」
一見バカにされた様な気さえした。
私は眉をひそめながら答えた。
「なにって……人探しですけど」
「どういう考え? 何考えてるの?」
「いや…………別に、困ってるだけですけど。蔵乃下先輩なら、引き受けてくれるかと思って……」
ふうん……と、彼女は鼻を鳴らして、興味をなくしたみたいに私から視線を外して、教室に吸い込まれていった。
「あんまりさ、バカにしないほうが良いよ、人のこと」
「そ、そんなつもりありませんよ」
「……どうかしらね」
扉が閉まった。
何だあの人……。
私は、ますます彼女に対して不信感を募らせていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます