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文学部を後にする。
部室を出たところで蔵乃下しづは自慢げに「ね、面白い人でしょ、澄子さんって」などと私に耳打ちをしたが、ただ考える暇もなく、事務的に首を縦に振ることしか出来なかった。
平松澄子が面白いかどうかはともかく、平松部長が蔵乃下しづにとって、それなりに信頼の置ける人物であることは、さっきのやり取りを見ていれば多少なりとも理解は出来る。
「結局手伝ってもらえるんでしょうか、文学部の人には」
話がどうまとまったのかはわからなかったので、私はしづ先輩に尋ねた。
「ええ。先に証拠を見つけたほうが勝ちって、澄子さんは言っておりましたので」
「勝ちって、勝負なんかしてなんか意味があるんでしょうか」
「負けたら準・文学部は廃部にしろとおっしゃっていましたから、わたくしも手を抜くわけにはいきませんね。どうです? とっても面白いことを思いつく方でしょ?」
「は、廃部……?」
「ええ」
うふふ、なんて笑う蔵乃下先輩の気持ちがまったくわからなかった。平松の目的は準・文学部を廃部に追い込むことだったらしい。それだけの敵意を、なぜこのお嬢様は平然と無視して友人面が出来るのか、不思議で仕方がなくなった。
考えるだけ無駄か。こんな変人の考え方なんて、それこそ殺人犯の思考を理解するくらい難しいことなのかも知れない。彼女と殺人犯を同一にするのは、相当失礼だと思って反省はしたけれど、埋めようのない隔たりは確実に存在している。
歩きながら蔵乃下先輩は、私を見ながら話した。本当に目を離さなかったので、壁にぶつからないか心配になった。後ろからは鈴本先輩が見守っていた。
「さて、今日はもう部活動の時間も終わりですから、捜査は明日からにいたしましょう。今日は解散ということで。部室に戻りましょう」
窓に映る清々しいくらいの夕暮れを見ながら、プラネタリウム室に戻る。
迷いなく美しいフォームで進む蔵乃下先輩を視界に入れながら、これが自分の選択した道なんだな、という実感を得る。歩幅が違う。足音が違う。身長と、慣れの問題だろう。私の歩みは、影すら揺らいでいきそうなくらい軽かった。
彼女に追従して、なにか見えるものはあるかな。千鶴は、何処かで私を見ているのかな。何処にいるんだろう。何をしてるんだろう。何を考えているんだろう。歩く振動が心地よく脳に響いて、意味のない事を考えるのが癖になってやめられない。
ひどく感傷的な気分だ。この窓越しの景色が、私の心の痛くない場所に針を刺しているのだろう。
プラネタリウム室に帰ってくると、蔵乃下先輩は残っていた二人を集めて、解散の義を始めた。毎日やっていることらしく、彼女の口から溢れるセリフは止まらなかった。今日の総括と、軽い宿題。千鶴に関する情報か、神隠しとy7の関連を調べてくること。要点をまとめると、それだけだった。結局、この部活が普段何を活動内容としているのか、ここまで見てきたけれどついによくわからなかった。戒能も何に惹かれたのだろうか。
部室の出口で、蔵乃下先輩は私を見送った。
「ではまた明日ね、榎園さん。あ、そうだわ。明日は生徒会の集まりがありますの。ですから、授業が終わったら、生徒会室へ来てくださる? そこから一緒に部室に参りましょう」
「はい、わかりました。お疲れさまです」
「わたくしたちは、もう少し片付けをしてから戻りますから、それでは」
パタパタと手を振る蔵乃下先輩。
釘崎先輩も一緒に出てきたはずだが、いつの間にかいなくなっていた。もう自室に帰ったのだろうか。まだ夕餉までには時間があるが、なにか用事でもあるのか。
私も自分の部屋で自習でもしようと思って廊下を突き進んでいると、その後ろをずっと戒能が着いて来ていることに気がついた。初めは特に気にも留めなかったけれど、だんだん気味が悪くなって、振り返って声をかけようとした途端に私は思い出す。
そうか、こいつも同じ寮だっけ……。だから余計に気をつけて距離を取ろうと思っていたんだった。
「どうしたんだ?」
私に合わせて足を止めた戒能は、不思議そうに私を見た。
「あ……いえ。戒能さんもスパーホーク寮だっけ?」
振り下ろした拳をどうすることも出来ずに私は訊いた。
「そうそう。あんたもだったっけ。奇遇だな。一緒に戻ろうぜ。いまいち道を覚えてなくてさ」
「そんな複雑じゃないでしょ……」
私達は並んで歩いて階段を下りた。足を乗せると、反響が聞こえてそういう観光名所に来たような気分になった。通りすがりに教室を覗くと、まだ生徒が残って勉強をしている。これは異常な光景でもなんでもなく、部活動と夕餉の間のわずか二時間程度の暇は、学校側は『自習時間』と呼んでいるので、この時間は部活を終えて勉強をするという拭いきれない風潮が、暗黙のうちに漂っていた。
部活に所属している人はまあ、その二時間をどうにかするだけでいいが、一方で帰宅部は大変だった。こんな都会から隔離された場所では、暇をつぶす方法なんて限られてくるからだ。インターネットを使えるわけでも、売店やy7で流行りの漫画が売っているわけでもない。かといってずっと自習なんてしていられるほど、人間はそう頑丈に出来ていない。そもそもその長時間自習の煮詰まりへの緩和として、我が校は部活動に力を入れていると聞くし、もはやこの学校に、帰宅部の存在を許容するほどの、懐の広さはない。可哀想だと哀れんでもみたが、私もこのままだと、いずれ帰宅部という選択肢に収まってしまうだろう。
いや、今は千鶴を探すことで頭がいっぱいだ。部活なんてまだ私がしていい頃合いじゃない。
屋外に出ると一気に寒くなった。標高のせいだろうか。4月と言っても真冬みたいだった。そのうえ、こんなドレスだかワンピースだかみたいに、スカートが妙に長い形をした制服しか着ていない。上着は真冬か、よほど気温の低い日でないと許可されないと聞いた。今から冬が怖くなった。
とは言っても、この時期の芝生を歩くのは嫌いではない。言い知れない感傷に浸ることができるからだった。花壇も、ちょうど多種多様な花が咲いている頃合いだった。園芸部が、一生懸命世話をしたり、眺めて暇をつぶしたりしているのが歩きながらでも見えた。園芸部は所属してみようか少し考えている。植物の世話は、あまり得意ではないのだけれど、暇をつぶすには良いのかも知れない。
「なあ」
横目で花を見ていると、戒能が話しかけてきた。
「あんた結局、準・文学部に入るのか?」
「私が? いや、そんなつもり無いけど……」
「ふうん。本当にしづ先輩に頼りに来ただけなんだ」
「そうだけど……」
あんな活動内容不明の部活に、あなたもよく入る気になったな。
気になったのでそのまま尋ねてみた。
「ねえ、戒能さんはなんであの部活に? 何してるの普段」
すると戒能は、少しだけ嫌そうな恥ずかしそうな、よくわからないがネガティブな意味合いの強い表情を見せてから、誤魔化すように答えた。
「まあ……しづ先輩に憧れがあってさ」
「憧れ?」
もっと蔵乃下先輩みたいなお嬢様じゃなくて、都会で幅を利かせていそうな大人の女に、彼女はそういう感情を抱くのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
「なんか、意外ね」
「はは、あたしでもそう思うよ。なんであんな人に興味を持っちゃったのかな」
「確かに、存在感は大きいよ」
「そうそう。人の千倍はある」
笑った。
それなのに、こんな奴と普通に話せていることが、妙に腑に落ちない。
戒能は、私が偏見を突きつけているだけで、意外に社交的な人物なのかも知れない。それがわざとである可能性も考えたが、そういう部分も含めて少しだけ可愛いと思った。
適当に雑談を重ねながら歩いていると、寮にたどり着いた。
五階建ての、箱みたいな堅牢な建物だった。それが四つ存在する。外壁は木製のように見えるが人工的な素材で、耐震性、防音、防臭、断熱性に優れている。少々値は張るが、今どきの天然木材よりは安価だろう。中は全員個室(三畳ほどだが)。五階には談話室があり、そこで時間も潰せるが、それほど遊び道具があるわけではない。地下は風呂場だった。時間が来れば入浴しても良い。外には、寛げそうな庭まである。
四つのうち、その中でも一番新しい建物が私達のスパーホーク寮だった。校長邸を取り囲むようにして立ち並ぶ四つの寮の中で、南西に位置する。監督生はさっき教えてもらったけれど、文学部の谷端実花先輩が務めているらしいが、まだその働き方を見たことはない。
ちなみに監督生とはその寮を取り仕切る役割を押し付けられた生徒のことで、寮ごとに校長が独断で決めた者を二人任命する。これは名誉なことであると、一般的には言われている。監督生は助手を一人だけ取ることもできるが、問題児を選ぶと評価が崩れ落ちるらしいので、リスク回避のために助手を取らないという監督生も存在する。
北東にある寮がコズレック寮。蔵乃下先輩と鈴本先輩はここに属すると聞いた。ここの談話室には、蔵乃下先輩の集めた遊び道具が無数に転がっているらしい噂が立っていた。本当かどうか、今度確かめようか。
北西にはシャリン寮。生徒会長と副会長が属しており、すべての寮の中でもっとも評判が良い。釘崎先輩もここだと戒能に教えてもらった。だが、評価が高いということは、居心地の悪さも同時に示していると釘崎先輩は漏らしていたという。
南西にはカデーン寮。最も古く、それ故に清潔さが少し劣る寮。一番新しいスパーホークと比べると歴然として見えた。ここには平松先輩が所属し監督生も務めているらしいが、他に比べると所属する生徒の印象では相当地味な方だった。平松先輩だけで成り立っているのかもしれない。
スパーホーク寮の玄関をくぐった。どの寮も北側に出入り口がある。階段は外に備え付けられており、東側の出口から登れる。
内部はカーペットの敷き詰められた廊下が、ぐるりと一周している。その側面に窓と、個室のドアが立ち並んでいる。トイレは各階に一つだけある。
「戒能さん、何階?」
私は訊いた。
「えっと、三階の入って奥の方だよ。榎園さんは?」
「私は二階のすぐ」
階段を上って、二階への入り口で別れた。
「じゃあ、また明日な」
なにか考えがあるんじゃないかというくらい、わざとらしいほど気さくに手をふる戒能。
「うん。ごめんね、千鶴探し手伝ってもらって」
「ああ……良いんだよ、別に」
そうして何か言おうとしながら、結局飲み込んでから戒能は私の肩を掴む。
驚いた。逃げられない。このまま端末の電子資産を譲渡しろと言われそうな気さえした。
「いいか、榎園さん」馬鹿なことを考えていた私なんて気にも留めないで、彼女はまっすぐに私を見つめた。「なんかあったら、なんか嫌なことがあったら、あたしに言えよ。なんとかしてやるから。しづ先輩もついてる。忘れないでくれ」
「…………どうしたの急に」
「…………いや、なんでも無いんだ」
それじゃあな、と戒能は三階に消えていった。
本当に、私が思うよりも良いやつなのかも知れない。
変な気分になりながら、私は自分の部屋に戻った。
カードキーでロックを解除する。今どきカードキーというのも古風な気がするけれど、学校としては、物質を管理する能力を育てたいのだろう、という好意的な解釈を私たちは信じるしかなかった。
自室。
狭い部屋。ベッドと、机と、それから押し入れと、鏡。入って左奥にベッド、右奥に机。真左に押し入れ。ベッドと押し入れの間に鏡。そんなものか。寮にある全ての個室がそういう構造になっていた。靴はここで押し入れにしまってあるものと履き替える。机には本来何も乗っていないが、私の部屋にはデスクトップコンピューターがあった。
そのままベッドに倒れ込んだ。
眠い。疲れだろうか。いろいろなことがあったわけではないけれど、蔵乃下先輩と話してそれなりに神経が削られた。
ため息を、埃を吹くときぐらいの勢いで吐く。芳香剤の匂い。前の住人の匂いがきつかったせいだろうか。
千鶴。
何処行っちゃったんだろう。
電子人間の話を思い出す。どうせ蔵乃下先輩が妄想で口にしたような話だろうけれど、もし千鶴が電子人間で、私の記憶を電気信号で干渉して捏造して、私までも電子人間に引きずり込もうとしていたら……。
気味が悪くなった。
何を疑っているんだろう。
千鶴との思い出は、本物に決まっているじゃないか。
でもそんなことすら証明できないのは、人間の弱さだと思う。
千鶴は、本当にいるよね……?
明日の予定でも確認して、すこし仮眠でも取ろうか。
そう思って、y7を起動しようとして、手が止まる。
恐怖というノイズが走る。
電子人間なんて、馬鹿げた話。
わかっていても、今の私に、y7を直視できる自信がなかった。
あんな話を聞いた後では、仕方がない。
そう自分に言い聞かせることしか出来なかったし、それが最善だった。
端末を指から外して目を瞑った。
それは、千鶴がいなくなった事自体に、分厚い蓋をする行為に似ていた。
ふと、目を開けて窓の方を見る。
青い花が、ひっそりと私を見つめていた。
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