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請け負ってくれること自体は、素直にありがたかった。
忽然と姿が消えてしまった友人を探すなんて、一人ではとにかく不安だったからだ。心が折れる前に、誰かに頼ることが出来て、正直なところ座り心地の良さそうなベンチを見つけたときみたいに安堵していた。
あの蔵乃下先輩が私に協力してくれるだなんて、それこそ千鶴に教えてあげたいくらいだった。彼女はなんて答えるだろう。そんな事を考える余裕すら生まれていた。
けれどその蔵乃下しづは、先ほどから鼻歌交じりに部室をうろうろしているだけだった。綺麗なメロディだったので気に障ることはなかったが、それでもなんだか妙な気持ちにはなってくる。大丈夫なんだろうか、この人で。
「しづ先輩、どうしたんですか」
じっと彼女を眺めていた、戒能希巳江がとうとう口を開いた。
「そわそわして、トイレですか?」
「いやですわね希巳江さん。これは心が舞い上がっている証拠ですわ。落ち着きませんの、わたくし」
その場でくるくる回りながら、そう返答する先輩。
「ああ、ごめんなさいね、榎園さん」
なにか私が言おうとしていたのを予測していたみたいに、彼女は私の言葉を遮って先に謝った。
「こういう事件って、少し不謹慎かもしれませんけど、なんだかわくわくしてきますの。それも、わたくしに直接の依頼だなんて、たまりませんわ」
「まあ……気持ちは、わかります」
私だって、いなくなったのが全くの他人だったら、ただ興味深いだけの不思議な事件として娯楽みたいに嚥下していただろうか。知り合いとの話の種にはなっていたはずだ。
それにしても、こんな露骨なまでに事件に対して喜びを見せる人間は、初めて見た。私の友人には一人もいなかった。その時点で、私は蔵乃下先輩に少しだけ特殊な興味を覚えていた。
社交ダンスみたいなものを一人で踊っていた蔵乃下しづは、急に足を止めて手を叩いた。
「そうだわ、こういう現象に詳しそうな方がいるんですけれど、連絡してみますわ」
と言って、さっそく指輪型端末を起動する。古風なその見た目や変わった人間性に反して、機械類の扱いは慣れているみたいだった。何の迷いもなく画面に指示を出していく。
ここに入学する全生徒に配られる、都会でも一般的に流通している、指輪の形をした個人端末だ。指輪に付属しているスイッチを押すと、本人の目の前の空中に、ウィンドウが表示されるタイプだった。どういう仕組みなのかは考えたこともないが、この近未来感がウケて都会では主流になっているらしいのだけれど、その一方でこういう空中投影型のディスプレイは総じて解像度が低いという問題もあり、性能を追求するいわば釘崎先輩みたいな人間は、旧来のノート型やタブレット型、そしてデスクトップのコンピューターを好むらしい。
もちろん私も指輪型の端末を所持しているが、それとは別にデスクトップコンピューターが部屋においてある。用途はメールチェックくらいだったが、それでも所有欲は満たせる。
何処かへ電話を掛ける蔵乃下しづだったけど、しばらくすると、相手から応答があった。
「ご無沙汰しております、蔵乃下しづですけど」
楽しそうに彼女はそう名乗ったが、相手の声色は不愉快そうに返事をしていた。大丈夫なのだろうか。ちなみに、一定の距離を取ると通話相手の声は、端末の持ち主以外には聞こえない。軽いノイズのような音声がかすかに耳をかすめるくらいだった。
「はい…………ええ。ちょっとお尋ねしたいことが。…………え、今ですの? いやですわ、会って直接お伝えしたいんですもの。…………そんなことおっしゃらずに。…………はい。まあ、お優しいのね。ではすぐに向かいますわ」
通話を切ると、静けさが目立っていた。
歳相応のピースサインをして、私の方を向いた。
「榎園さん、相手方の許可を得ました。早速参りましょう」
「何処にですか?」
「わたくしの知人の所ですわ。あなた、文学部はご存知です?」
頭に『準』の付いていない方の文学部のことは、当然私のような新入生だろうと知っている。知り合いが、y7で売っている文学部の同人誌を買っているのを見たこともあった。まさか頭に『準』が付いている部活もあるなんて、その時は考えもしなかったけれど。
「はい、まあ、知ってはいますけど」
「そこの部長がね、とっても物知りですの。訪ねてみました?」
「いえ、どなたかも存じないので……」
「澄子のとこ?」訊きながら、鈴本香代美が立ち上がった。「じゃあ私も行くよ。ちょっと挨拶でもしようかな」
「構いませんわ。あなたがいた方が、あの人は御し易いですからね……」
そう言って、いたずらっぽく微笑む蔵乃下しづ。
彼女にも、友人というものがいたらしい。
目指す部室は隣の棟にあった。
国語準備室、と扉にはプレートが貼ってあった。文学部といえば、てっきり図書室でも陣取っているのかと思ったけれど、準備室のほうが必要な資料が揃っているのだろう。それに図書室は、帰宅部が間に合わせの自習で時々使うと聞いたこともあった。要するに便利で独占できる部室を選び取ったのだと私は推測した。
「…………何の用ですの?」
先輩の口ぶりから、少しくらいは歓迎されるかと考えていた私は、部室を開けた瞬間その仏頂面が現れることを、予想すらしていなかった。
私達のことを、穴が空きそうなくらいに睨んでいた。
「あら、澄子さん。ごきげんよう」
蔵乃下しづが能天気に手を振ると、仏頂面女はわざと廊下中に響くような長い溜め息を吐いた。
「…………まあ、お入りなさい」
渋々、というか心の底から嫌そうな顔を顕わにしながら、その澄子とやらは私達をどうぞと言って国語準備室の中へ招いた。
蔵乃下しづは、通いなれた道を歩くときみたいに、堂々と中央の大きめのテーブルに向かって、一つしかない最も座り心地の良さそうな椅子に、遠慮もなく腰を下ろした。私と鈴本先輩はそれに続いて、適当なパイプ椅子に座った。
中はまあ、国語準備室と言うだけあって、教材と思しき物理書籍や、さまざまさなメモ書きのようなもの、何に使うのかわからない地球儀などが静かに置いてあるが、部として必要な設備は、中央のテーブルに設置された数台のデスクトップコンピューターだろう。ディスプレイを覗くと、書きかけの原稿が目に入った。小説だろうか。
「……………………で、何の用ですの?」
目の前にどすんと腰掛けて、ディスプレイ越しに不機嫌そうな顔を隠そうともしないで、また同じことを尋ねる澄子部長。
蔵乃下しづは、彼女の機嫌なんか関係なさそうに、私に彼女を紹介した。
「榎園さん、こちらは文学部部長である平松澄子さん。わたくしの友人ですわ」
「友人じゃありませんわよ!」
平松澄子は気に入らないことがあったのか、それでも遠慮がちに机を叩いた。
蔵乃下しづを意識したような髪型に、大きなリボン。そしてまた蔵乃下しづを意識したような、それでいて自然発生したものではなく、その場その場で取り繕っているみたいな印象を受ける口調と振る舞い。また変わった先輩がいたものだ。
「それで、これで三回目なんですけど、一体何の用ですの? 私、忙しいんですけど」
眉を露骨に寄せながら、平松部長は腕を組みながらまた問うた。
蔵乃下しづは悪びれる様子もなく謝って、私を指した。
「この、榎園セリカさんのご友人が突然にいなくなってしまいまして、澄子さんなら、なにか心当たりはないかと」
先輩は、私の肩に手を置いた。守られているような気がしてくすぐったかった。
平松澄子は、きょとんとした表情を見せて、頭を掻いた。
「急にそんな事言われましても……そもそも誰がいなくなったんですの?」
私はとりあえず、千鶴がいなくなった経緯を、平松部長に説明した。さっき、蔵乃下先輩たちに説明したものと、あまり内容は変わらない。もちろん千鶴の写真も見せた。蔵乃下先輩はおせっかいを焼いているのか、彼女の隣に移動して、耳元で補足を入れた。
聞き終えると平松先輩は、隠そうともしないくらいあからさまに、私達をバカにしたような顔を見せた。
「……そんなことが起こり得ますの?」
「わたくしも同じ反応をしましたわ」
「…………とにかく、その柚木脇って娘について、私は知りませんわ。ごめんなさいね、力になれず」
「そう、ですか……」
私がうつむくと、平松先輩は居心地が悪そうに爪先で地面をつついてから、続けた。
「うーん、そんな顔をされても……。そうねえ、一応だけど、神隠し事件自体には、多少心当たりが無いこともないんですけど……」
「ああ、私も、噂程度なら聞いたことがあるんですけど、信憑性があるかと言われたら、答えられません……。でも他に、可能性も考えられなくて……」
「まあ調べれば、それほどの労力を費やさないでも、神隠しの噂のひとつくらいにはたどり着けますからね。怪談の類にも分類されますわ。作り話ともつかないような……」
平松部長は、足を組んでため息を吐いた。
「でも、実際に人一人を消して、その上で全員の記憶から彼女に関する情報を削除するなんてこと、一体どう説明すれば良いんですの……それこそ作り話でしかありえませんわ」
話していると急に後ろの扉が開いた。
そこから人が現れた。
「あら、どうしたの?」
女だ。入ってくるなり、私達を認めて、不思議そうな顔をしながらそう尋ねた。
平松先輩が姿を確かめてから、口を開いた。
「ああ、お客さんよ……いつもの」
入ってきた女は、また見知らぬ先輩だった。ふわふわした髪型の、舐めると甘そうな女だった。リボンを見るに三年らしい。姿勢が綺麗で、肉付きが良かった。
蔵乃下しづが彼女に手を振って、鈴本香代美が申し訳無さそうに挨拶をした。
「実花、忙しいところ悪いけどお邪魔してるよ」
「ふうん……邪魔にならないなら良いけれど……」
軽い紹介を、流れで私もされた。
この女は谷端実花という名前で、文学部の副部長を務めているらしい。そして平松澄子の古い馴染みだとか。普段から忙しいのか、文学部にはいつも遅れてやってくるようだ。
彼女の紹介は程々にして、蔵乃下しづは平松先輩に身を乗り出して尋ねた。
「で、澄子さん。やっぱり実際にあるんですの? 神隠しって」
「そんなのわかりませんわ……。でも、さっきも言いましたけど、この娘が調べられる程度のものなら、噂としていくつか存在しますわ。私も、詳しいわけじゃないから、期待されても困るんだけど」
「いえいえ、それでもわたくしよりもずっと精通していますわ、ありがとう平松さん、やっぱり良い人ですわね」
両手を重ねてそう言う蔵乃下を、嫌そうにあしらう平松。
「あなたに言われると、心臓が火炙りにされた気分になりますわ……」平松先輩は咳払いをした。「ですけど、さっきも言ったとおり、実際そんな事が起きるのかって話は別ですわ。人の見聞や噂なんて、信用するに値しませんから。そのあたりはどう考えていますか、蔵乃下しづさんは」
「いやですわ、今どきの科学技術なら、人間一人分ぐらいデータをサーバーにコピーして、本人は粉々に消滅させて処理することくらい可能ですわよ。そうすると電子人間の誕生です。電子なので誰かに助けてもらわないといけないんですの。『私を見つけてくれ』なんて言って。じゃないと、未来永劫閉じ込められますから」
「ちょっと怖いこと言わないでよ!」平松が肩を抱いて震えた。「そうなると記憶はどうなるのよ。全校生徒からどうやって存在を消したって言いますの?」
「さあ。誰かに消されたんじゃないかしら。そういう装置か……本人に搭載された機能を使って。完全神隠し装置なんて、夢があるんじゃありませんか?」
「そこまで万能な機能なんて何処を探したってありませんわ…………記憶を操作する機能なんて、それこそ都市伝説みたいなものですわよ」
「ああ、もしくは、電子人間が何年も前の存在で、誰も覚えていないほど昔の人間だった、とかそんなのはどうですか。記憶の削除は必要ありません」
「じゃあなんで榎園さんは知ってるんですの」
「それは彼女に、偶然いなくなった友人がいた、というだけの話ですわ」
「……話になりませんね」
平松は、急に勝ち誇ったような顔をして私の方を向いた。
「そうだわ、榎園さん。こんな女に依頼するよりは、私達文学部のほうがずっと有能だと思うんですけど、今からでも遅くありませんから、依頼し直したらどうです? 喜んで、承りますわ」
「そんな事言われましても、もう蔵乃下先輩に頼んじゃったんですけど」
「蹴れば良いんですよ、こんな女、何の役にも立ちませんわ。知ってますか? 勉強だって全然出来ないんですよ、この蔵乃下しづは。探偵の真似事なんて無理です。事件への興味が抑えきれないだけなんですよ」
そう言われた蔵乃下しづは、口を曲げて不満そうに呟いた。
「勉強は、興味がないだけですわ」
「そういう問題じゃありません! あなたこの間も赤点ギリギリだって聞きましたわよ」
彼女が勉強ができないのは意外だった。
平松澄子は、私に指を一本立てる。
「良いですか、榎園さん。私達もね、ちょうど今度の会報のネタに困っていたところでね、謝礼なんてもう結構ですわ。私達が全力であたらせてもらいます。しかも無料です。これほどの利害の一致はそうそうありませんわよ」
「はあ……」
私が気のない返事を漏らすと、彼女は業を煮やしたように唸った。
「それにね、榎園さん。あなたは詳しくないかも知れませんが、蔵乃下しづはこの事件に、根本的に向いていませんわ」
「……どうしてですか?」
「お人好しすぎますもの。だから、私達に任せなさい」
胸を張ってそう口にする平松を見ていると、なんだか少し信用したくなるような気持ちが、胸の奥から湧いてこないわけでもなかった。
仏頂面を浮かべていたときから、印象は変わっていた。
「あら、手伝ってくれますの? やった」
平松澄子の話を聞いていたのかいなかったのか、蔵乃下しづはひとりで両手を上げて喜んでいた。
「ちょっと! 違いますわ。あなたはお役御免ということです」
「またまた。お優しいんですから、澄子さんは」
「…………もう。勝手にそう思っておくが良いですわ」
ここまでのやり取りを鑑みると、この二人の関係がわかった気がする。平松澄子は蔵乃下に憧れを抱いているが、それを認めたくなくて露骨な対抗心として消化している。その一方で、蔵乃下しづは何故か、一方的に平松のことを好いているらしい。変な人には変な友達が増えるのだろうか。
微笑ましいなと思って眺めてしまった。後ろで谷端副部長が「澄子こそ人が良いんだから」なんて鈴本先輩と話しているのが聞こえた。
「とにかく、先に証拠を掴んだほうが勝ちですわ」
「ええ。わかっていますよ。勝負ですね、勝負」
「真面目にやりなさいよ……」
剥き出しの敵意を隠そうともしない平松に、ただ笑いかけるだけの蔵乃下先輩が、私は少しだけ怖くなった。
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